スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

総選挙の争点<3> 泥沼化するアフガンへの関与(その2)

2010-08-31 05:05:49 | 2010年9月総選挙
アメリカのオバマ大統領が、アフガニスタン作戦Exit strategy(出口戦略)を議論し始める中、スウェーデンにおいてはこのミッションへの関与について、多くの党は議論することを避けていたように思える。しかし、左党(旧共産党)はアフガニスタン派兵を選挙の争点にしたいと考え、「即時撤兵」を強く訴えてきた。また、昨年末に議会決議によって「さらに派兵し500人規模にする」ことが決定したときも、国政7党の中で唯一反対したのは左党だった。

これに対し、同じく左派ブロック(赤緑連合)に属する社会民主党「撤退の期日を設定するのは時期尚早」と主張してきたし、環境党「即時ではなく、遅くとも2014年までに撤退」と考えてきたため、ブロック内で意見の食い違いが目立っていた。ジャーナリストも、この不一致を突いて「こんなことで連立政権が組めるのか?」と疑問を投げかけていた。

しかし、ついに先週金曜日、左派ブロック(赤緑連合)の3党は共同案を発表した。これによると、

・現政権が主張する来年のさらなる増派は行わない
・しかし、状況の悪化によっては一時的に増派を行う可能性も残す(最大兵力800人を限度)
・2011年7月から撤退を開始
・2013年前半には撤退を完了
・その途上では、現地のスウェーデン部隊の総司令官を非軍事(civil)の者に替える。
・治安維持の責任を地元アフガニスタンの軍や警察に順次、移譲していく。
・ただし、撤退後も軍や警察に対するトレーニングは行う


というものだった。つまり、左派ブロック(赤緑連合)が政権を取った場合には、上記の方針をスウェーデンのExit strategy(出口戦略)とするということだ。即時撤退を主張する左党と、2014年を期限に撤退を主張する環境党と、派兵開始時に政権にあり軍事オペレーションの難しさを知っているために一時的増派のオプションも残しておきたい社会民主党のそれぞれの主張の、ちょうど間を取ったような合意内容だ。

この提案については、左派ブロック(赤緑連合)現・中道右派政権の間で激しい議論がすぐさま始まった。その日の夜21時のニュース番組では、左派ブロックの中で撤退を最も主張してきた左党の党首ラーシュ・オーリュー(Lars Ohly)現・外務大臣カール・ビルト(Carl Bildt)がスタジオに招かれ、生放送で討論を行った。以下はその要旨。


まず「スウェーデンが引き上げれば、その任務や責任を他国の駐留部隊が引き継がなければならなくなるが、それについてはどう考えているか?」と切り出すジャーナリストに対して、左党党首は「アフガニスタンに必要なのは、軍事部門での支援ではなく民生部門での支援だ。軍事ミッションに現在費やしている費用を、学校の建設など民生部門での復興に使えば、より大きな成果が期待できる」と答えた。ただし、ビルト外務大臣は「それは結構だが、タリバーンはすぐに爆破してしまう。その上、途中で引き上げれば、国際的な信用を失い、アフガニスタンの復興におけるスウェーデンの影響力も小さくなってしまう。さらに、撤退はアフガニスタンで民主主義の樹立させるために奮闘している人々を見捨てることになる」と答えた。

左党党首は「しかし、国際部隊への参加国が次々と出口戦略を決めているなかで、スウェーデンはいつまで駐留を続けるつもりなのか?」と応戦。間に入るジャーナリストも、現政権としての出口戦略をビルト外相に問いただした。しかし「それは間違った認識。撤退を正式に決めたのはオランダだけだ。彼らの撤退後は、結局、オランダが持っていた治安責任が他の参加国が引き継ぐことになる。スウェーデンとして、それは責任ある行動とは言えない」と返答。また「現政権は、アフガン問題に関しては野党の社会民主党や環境党とも良い協力関係を築けてきたが、左党の影響力のおかげで台無しだ」とも付け加えた。

しかし、左党党首も負けてはいない。「この作戦はいつまで続けても解決に向かわない。失敗だったと認め、それなら、手を引く方法を議論し、戦略を転換する必要がある。スウェーデンによるアフガニスタンへの支援の3分の1が民生支援、残りの3分の2が軍事支援というのが現状だ」と批判した。ここで、再びジャーナリストが間に入って「スウェーデン軍や国際部隊が撤退してしまえば、タリバーンが国土を奪ってしまうのでは?」と疑問を投げかけた。すると、左党党首は「そのリスクは少ないし、タリバーンに力で勝とうと思ってもだめだ。むしろ、軍事作戦の結果として彼らの勢力が増している」と答えた。ビルト外相も「国際舞台がいなければ、タリバーンは既にアフガニスタン全土を制圧していただろう。そして、国民の多くが人権侵害に苦しむことになっただろう」と批判した。ここで、時間が来たため、ニュース番組での生討論は終了。

この議論を聞いていると、改めて難しい問題だと感じる。左党党首の認識はずいぶん甘いものだと思うが、かといって、スウェーデン政府は自国の兵士の命に対して責任を負っているのであって、他国の部隊(特にアメリカ)の兵士の犠牲者が増え続ける中、アフガンでの民主主義の樹立や人権の保護という大義名分だけにこだわっていることもできないだろう。

とにかく、左派ブロック(赤緑連合)は3党合意に至った。これに対し、右派ブロック(現・中道右派政権)のアフガン政策はどうかというと「スウェーデン部隊の派遣をさらに延長し、必要に応じて兵力も増強する用意がある」という趣旨のオピニオン記事を8月2日の朝刊に掲載し、これを彼らの方針としていた。撤退の期日については触れられていない。


総選挙の争点<3> 泥沼化するアフガンへの関与(その1)

2010-08-29 05:33:30 | 2010年9月総選挙
国際社会が頭を抱えてきたのは、イラク情勢に続き、アフガニスタンの情勢だ。9・11の後に米英軍が侵攻してタリバーン政権を倒し、その後は国連のマンデートのもとでNATO主導による国際部隊ISAF:International Security Assistance Force)が平和維持・復興活動にあたってきた。NATOに加盟しないスウェーデンも、国連マンデートがあることを理由に、2001年末から小規模ながら派兵を行ってきたが、2006年から北部の4州の治安活動の責任を負うことになり、現在は500人規模の軍隊が駐留を行っている。治安活動のほか、アフガニスタンの兵士や治安部隊・警察の養成も担当している。

しかし、NATO軍の当初の期待とは裏腹に、治安情勢は悪化の一途をたどり、タリバーン勢力が再び勢いを盛り返し、国土の大部分を制圧する状況となっている。アフガニスタンの治安を回復し、復興を支援するために、NATO軍はタリバーン勢力に攻勢を加えているが、その度に民間人の犠牲が絶えず、NATO軍に対する信頼は失墜し、タリバーン勢力に加担するアフガニスタン人が逆に増えているともいう。まるで、Moment 23の泥沼状態だ。また、タリバーン勢力を政権から追いやったアメリカが樹立させたカルザイ(傀儡)政権も汚職が相次ぎ、政権としてのレジティマシー(正統性)は高まるどころか、ますます凋落する一方だ。先日も、同国のGDPの4分の1に相当する額のお金が政治家や政府高官などによって主にアラブ首長国連邦に持ち出され、彼らの豪遊に使われているということが明るみになった。

では、軍事オペレーションが難しいなら、民生的な草の根の支援で新しい社会を築いていけばよいかというと、これもまた難しい。タリバーン勢力は国際機関やNGOで働く人々を標的にした活動を行っているというからだ。アフガニスタンの安定化は、達成不可能な泥沼ミッションとなってきた。

スウェーデン兵士も既に4人が命を落としている。
<過去の記事>
2010-02-10:泥沼化するアフガニスタンの「平和ミッション」

先日も、現地に派遣されたスウェーデン軍のある中佐が、現地の深刻な状況をメディアにリークして話題になった。彼によると、数ヶ月前にスウェーデン兵20人とアフガン兵100人からなる部隊が、移動中にタリバーン勢力の攻撃に遭遇し、丘陵地帯に潜む目に見えない敵から発射されるロケット砲や機関銃に6日間、応戦することになったと語った。状況は「この世の地獄」だったと表現した。しかし、この出来事に関するスウェーデン国防省からの当時の記者発表は「タリバーン勢力との小競り合い。スウェーデン兵に負傷なし」という非常に小さなものだった。しかし、実際には6日間も続き、アフガンの正規兵の数人が命を落としていたのだった。この日の夜9時のニュースでは、スウェーデン軍の上官がスタジオに招かれ、「事実の意図的な隠蔽か?」などという記者の執拗な質問に晒され、軍としての説明責任を求められることとなった。(続く・・・)

スリリングな選挙戦

2010-08-27 20:49:27 | 2010年9月総選挙
選挙戦真っ只中で、毎日、それぞれの陣営が新たな政策提案を行って、世論を「サプライズ」させることに躍起になっている。

しかし、現政権である中道右派ブロックも野党の社会民主党を中心とする左派ブロック(赤緑連合)も、支持率がほぼ伯仲しているのだ。


上のグラフは最新の世論調査の結果だが、投票日を3週間後に控え、社会民主党は苦戦している。29.2%という数字は、1997年以来で最も低い数字だという。今年の春ごろは、30-35%のあたりにあり、4年前の総選挙のときの得票率を維持できるかもしれないと考えられていたが、支持者の一部が環境党保守党(穏健党)に流れてしまった。

その<環境党も、1週間前の世論調査よりも1.1%下落し、10%を少し下回っている。(しかし、減少幅は統計的有意ではない)

一方、保守党は30%を超え、社会民主党より少し頭を上に出している。一週間前からの伸び(1.6%)は統計的に有意。都市部で不人気の社会民主党に対し、順風満々といった感じだ。



上のグラフは、左派ブロック右派ブロックの推移を示しているが、今年4月まで勝っていた左派ブロックが、その後、苦戦しているのが分かるだろう。現在のブロックの差は3.7%。一週間前と比べると右派ブロックのリードが2.5%伸びている。

しかし、政権はどちらに転んでもおかしくない。この世論調査でインタビューを受けた2000人のうち、20%強が「投票先をまだ決めていない」と答えているからだ。

総選挙の争点<2> 年金受給者にも減税が必要?(その3)

2010-08-24 18:18:42 | 2010年9月総選挙
高齢者・年金受給者への減税を巡る議論は、総選挙が行われる2010年に入ってからも続いた。金融危機の影響のため、年金の給付額にブレーキがかかり、2010年から3年間、給付額が減額されることになった。景気状況と株式市場の動向に応じて年金給付額が減額されるというメカニズムは、制度を作った際にほとんどの党が同意していたことである。景気が良い時は受給額が増え、高齢者も好景気の恩恵を受けるが、景気が悪くなれば受給額が減り、痛みを現役世代ともに共有する、という分かりやすい仕組みだ。だから、受給額が減ったからといって、それを政治的にいじったりすることはしないというのが、新年金制度の理念の一つだった。しかし、やはり現実に年金額が減ると高齢者の反発も大きく、政治問題に発展したのだ。

これに加えて、以前説明したように、勤労者と年金受給者の間で所得税の重さが異なっており税額控除の恩恵を受けられなかった年金受給者が反発していた。確かに、彼らの不満を抑えるために、年金受給者だけを対象にした基礎控除額の拡大が2009年と2010年に行われたものの、その度に勤労者の税額控除も拡大されたため、課税の重さの違いは縮まなかった。


支持率の挽回を図りたい社会民主党は、早くも2009年終わりから「年金受給者の所得税課税をさらに緩和すべき」と主張していたし、中道右派連立政権の中でも中央党キリスト教民主党が同様の発言をしていた。しかし、保守党は拒んでいた。年金受給者のさらなる減税を行なえば、同党が前回の選挙における主要な公約として掲げ、鳴り物入りで導入してきた「勤労所得税額控除」の理念に反してしまう。それに、たとえ政府予算に余裕があったとしても、それはできるなら年金受給者よりも、働く現役世代や働く高齢者のために使いたい。

しかし、そんな保守党も60歳以上の有権者の支持率が減少に転じたのを見て、態度を変え始めた。ただし、年金受給者の減税は、景気と税収が回復し財政に余裕ができてから、という条件をつけ、ニュアンスを持たせたのだった。

その後、2010年の春から夏にかけては、与党・野党の両陣営が程度の差はあれ、年金受給者の減税を主張した。特に激しい主張を行ったのは、社会民主党だ。年金受給者が勤労者よりも高い税率が課せられていることを指して「これは年金者に対する罰としての税だ」と批判した。また、与党の中でも、高齢者が主な支持層であるキリスト教民主党も、大きな声を上げて、連立政権の第一党である保守党が年金減税に積極的に取り組むように働きかけたのだった。

そして、既に夏が始まる段階で、なんと国政政党7党すべての党が、年金受給者への所得減税を公約に盛り込むことになった。つまり、どの党が、もしくはどのブロックが政権をとっても、高齢者への減税は確実に行われるということだ。

こうなってくると、この問題はもはや争点ではなくなったと思われるかもしれない。しかし、まだ争点は残っている。勤労所得と年金所得の間に税率の格差をどこまで残すのか?という問題だ。夏の段階では、どこの党の主張を聞いていても、高齢者への減税はするけれど、勤労所得との課税の格差は残すことを前提にしているようだった。しかし、投票日があと1ヶ月あまりとなった先日、支持率の挽回を図りたい社会民主党年金所得と勤労所得の課税格差を完全になくす、と提案したのを受けて、同じく左派政党である環境党左党も同じように主張した。すると、その数日後には保守党をはじめとする連立政権側もほとんど似たような主張を行った。各党で異なる部分といえば、どのように減税するかというテクニカルな詳細に過ぎない。

まるで「どの党が年金受給者に一番優しい党か」を競うゲームのようだ。そして、今日も中道右派の連立政権側が新たな高齢者減税を行なう、と発表した。これでは、現在の政権、とくに保守党が掲げてきた「勤労のメリットを高め、労働供給を増やし、高齢化社会に備える」という勤労所得税額控除の理念が台無しだ。

選挙を前にした政策議論の大部分が高齢者減税に集中しているのは、かなり異様だとしか思えない。なぜここまで高齢者を対象とした公約に各党が力を注いでいるのか? 一つの理由は、65歳以上の有権者は全体の4分の1であり、無視できない存在だからだ。その上、現在、中道右派ブロック(現連立政権)左派ブロック(赤緑連合)の間で、支持率が伯仲しており、両陣営とも相手より多くの減税を高齢者に提示して、少しでも多くの高齢者票を獲得したいのだ。

しかし、結果として、両陣営で公約にほとんど差がない状況となってしまった。同じ政策領域で力比べをするのではなく、政敵が苦手な政策分野で画期的な政策提案をすることで支持率の獲得を競ってほしいものだと思う。

「赤緑連合」のテレビCM

2010-08-20 08:05:58 | 2010年9月総選挙
さて、投票日が1ヶ月に迫り、いくつかの党は広告を展開し始めている。今日、紹介するのは、社会民主党・環境党・左党の3党からなる「赤緑連合」(左派ブロック)による30秒のテレビCMだ。


「9月19日、スウェーデンでは2つの列車が発車する。

片方の列車は、近代的な福祉国家へ向かって走っていく。
そこでは雇用が一番優先され、みんなの能力や可能性を向上させるために人々が助け合いながら大きな力を注ぎ、学校にはより多くの教師が配置され、医療サービスの質は高まっていく。さらに、気候変動問題に対しても責任ある政策が実行され、新しいグリーン産業が創り出されていく。

もう一方の列車は・・・、全く違う方向に向かっていく。

あなたが選ぶのは、どっちの列車?
「新しい政権 - スウェーデンみんなのために」

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もう一方の列車はどこに向かっていくのでしょう・・・? もったいぶらずに、教えてほしいな。トンネルに入って、地の底へ・・・? う~ん、この終わり方だと、そっちのほうにますます興味が沸いてしまう。

興味深いのは、赤緑連合が自分たちのイメージとしてX2000を選んだことだ。X2000と言えば、スウェーデンの幹線鉄道を走る特急列車だが、導入から20年も経ち、最近ではメンテナンスがおろそかにされて、トラブル続出なのだ。冬の寒さに耐えられないだの、夏の暑さに耐えられないだの、やれ、エンジントラブルだ、やれ、扉が開かない、やれ、振り子制御システムが故障してカーブでスピードが出せない・・・。だから、そんな列車を自分たちの明るいイメージに選んでしまった、赤緑連合。大丈夫かな!?

総選挙の争点<2> 年金受給者にも減税が必要?(その2)

2010-08-19 09:41:19 | 2010年9月総選挙
さて、中道右派政権は2007年から早速、勤労所得税額控除を行ったが、その恩恵を受けられない年金受給の高齢者からは不満が相次いだ。しかし、4党の連立からなる政権側は突っぱねた。その理由は、以前の記事に書いたとおりだ。

社会民主党などの野党は、そもそも勤労所得税額控除の制度そのものが嫌いだったから、その撤廃を求めていた。だから、高齢者の声に応じることはなかった。いや、1回ある。社会民主党は2007年秋に新聞に寄稿したオピニオン記事にて、年金受給者の基礎控除額を引き上げる提案を行った。しかし、それがきっかけで大きな議論が議会で始まることもなく、その年は終わった。

さて、2008年。政権側は第2次の勤労所得税額控除を行い、勤労によって得た所得に対する減税の幅を拡大した。年金受給者と現役世代との間で、所得税課税の大きさにさらに差がついたわけだ。このときも、高齢者からは不満が上がった。しかし、政権側は揺るがなかった。当初は

2008年3月に、連立4党の一つであるキリスト教民主党が、早くも連立政権の足並みを乱して、主張を行った。「年金への所得税課税を軽くすべきだ!」 キリスト教民主党といえば瀕死の党であり、支持率が常に4%ハードルの前後をさまよっていた(注:選挙での得票率が4%を超えないと1議席も獲得できない)。しかも、支持者の大部分が中高年や高齢者で占められている。だから、内部から圧力を受けながら、ここぞとばかりに支持率を伸ばそうとしたのだろう。

すると4月には同じく連立与党である自由党までが似たような主張をし始めた。それを受けて、連立政権は4党で意見を調整したうえで、6月に共同声明を発表した。「2009年から高齢者を対象にした減税を行なう。でも、勤労所得税額控除をそのまま年金所得にも適用するのではなく、あくまで基礎控除の拡大にとどめる。それに、対象となるのは主に年金受給額が少ない低所得層だけにする。」 そして、その声明どおり、10月の予算案に盛り込まれ、2009年から実行されたのだった。

しかし、予算案が組まれた2008年10月といえば、リーマンショックの直後であり、景気が急降下し、スウェーデン中が真っ青になっていたときだ。税収が確実に減る一方で、現役世代の失業対策に莫大なお金がかかる。そんな状態だったから、本来は高齢者に対する減税を行なう余裕はなかっただろう。でも、既に約束したことだったから、実行せざるを得なかった。アンデシュ・ボリ財務大臣は苦々しい思いをしたことだろう。主要日刊紙の社説も、「勤労所得税額控除の当初の理念に反する」と、年金受給者減税を批判していた。

とはいえ、連立政権はそれと同時に2009年初めから第3次の勤労所得税額控除を行った。だから、年金受給者の所得税が若干軽くなった一方で、現役世代の勤労所得はさらに減税を受けることになったのだ。これではイタチごっこだ。

しかも、この年はこれまでと少し状況が違っていた。株価が大きく後退し、経済成長もマイナスとなったため、年金財政のバランスを保つために「年金ブレーキ」がかかった。新年金制度で設けられた、いわゆる「自動財政均衡メカニズム」が作動したのだ。それは、2010年から数年間にわたって年金の給付額が減額されることを意味していた。このメカニズムは、新年金制度の優れた面でもあり、同時に受給者にとっては厳しい面でもあるのだ。

この結果、年金給付額の減額を巡って政治的な議論へと発展していき、減額分を年金所得への所得税課税の軽減によって補い、年金受給者をサポートすべきだ、という声が強まって言った。その結果、連立政権は2010年から高齢者の基礎控除をさらに拡大したのだった。

とはいえ、2010年からは第4次の勤労所得税額控除が実施されたため、勤労所得のある人はさらに減税を受けることとなった。また、イタチごっことなった。

そして、総選挙が近づいてきた。さて、この論点に対して各党はどう挑むのか?(続く・・・)

WikileaksがNATO軍の極秘文書を暴露(2)

2010-08-17 06:59:17 | コラム
アフガニスタンのNATO軍の機密情報を公開し、世界中の人々の知る権利に応える「正義」を強調したWikileaksの設立者Julian Assangeだったが、アメリカ国防総省とは別のところからも批判が舞い込んできた。

それは、Amnesty Internationalや、国境なき記者団、さらに現地で人道的救援活動を行うNGOだった。彼らがWikileaksに向けた批判は次のようなものだった。「公開された文書の中には、アフガニスタンでNATO軍に協力している地元の人々の名前もある。それがタリバーン勢力の手に渡れば、タリバーン勢力が彼らが殺害する恐れがある」 NGOらはこう言って、文書をネット上から削除するように要請したのだった。実際のところ、タリバーン勢力は公開された文書に目を通していくと発表していた。

しかし、Wikileaksの創設者Julian Assangeは要求をすべて跳ねつけた。自分たちの役目は情報を公開すること。その内容に問題があると言うのなら、その部分の特定と削除にあなた方NGOが責任を持って協力すべきだ、というコメントをしたのだった。また、「公開された情報によって兵士の命が危険にさらされる」と批判する国防総省に対しても、公開した情報の内容のチェックと整理に力を貸すよう、要求したのだった。

以下のインタビューは彼が先週ストックホルムを訪れたときに、スウェーデン・テレビ(SVT)が行った独占インタビューだ(英語です)。



つまり、自分たちは情報を公表したことによる帰結に対して責任を負わない、と言っている。自分たちは小さな組織であって、内容を細かくチェックしている時間などない。そのようなことに時間を割くよりも、情報の公開のほうが優先だ。新たに人命が失われるリスクよりも、これまでにたくさんの人命が失われたことを公開することのほうが重要だ。彼が言いたいのはこういうことらしい。

これでは情けないと思う。彼の掲げる「情報の共有による民主主義の発展」という大義名分が台無しだ。同時にジャーナリズムとは何かを考えさせられる。ジャーナリズムとは、ただ単に情報を垂れ流せばいい、ということではなく、流した情報に対する出版者・発信者としての責任を負うことも意味している。極秘とされた情報をただ暴いたからといって、それがジャーナリズムだというわけではないだろう。

Wikileaksの設立目的の一つは、情報の透明性を高めることで民主主義の発展に貢献することだという。しかし、今回のように未整理の情報を、内容の吟味公表がもたらす帰結の判断をすることもなく、一方的に垂れ流すだけでは、それが本当に民主主義に貢献するのだろうか。場合によっては、それが人々に犠牲をもたらすことだってある。

「情報はすべての人にオープンにされるべきだ」というのは正論だけど、出版者もしくは情報の発信者としての責任を負うつもりがないのなら、ジャーナリズムの意味を履き違えているとしか思えない。そこに、幼さが感じられると思う。

むしろ、彼はもっと賢い方法で今回の情報を公表すべきだっただろう。実は、Wikileaksのネット上での公表にあわせて、The Guardian, New York Times, Der Spiegelなどの主要紙もこのNATO軍の資料を公開した。彼らは公開に先駆けてWikileaksと手を組んでいたのだ。しかし、彼らは未整理の大量の情報をそのまま公開することはしなかった。その中から価値のある部分を選んで記事にしたのだった。もちろん、資料の中にある個人名など倫理的に問題のある部分を公表することはしなかった

だから、Wikileaksが「自分たちには吟味する時間も予算もない」と言うのであれば、自分たちでそのまま公開するようなことをせず、資料をそのような確立したメディアに預けて吟味してもらい、彼らを通して資料の公開をするという手もあったはずだ。

Wikileaksの活動を振り返ってみると、彼らが暴いた情報の中にはアメリカ軍によるイラク民間人の殺害など、大きな意義を持つものもあるが、一方で、ハッキングされた政治家の個人メールの公表など、プライバシーを侵しているものもいくつかある。イギリスの極右政党BNPの党員名簿のケースだって、たしかに問題がある政党かもしれないけれど、支持する政党を選ぶ自由は誰にでもあるわけで、それを入手してこれ見よがしに暴くという手法にも問題があるかもしれない。「正義」と言う言葉を高らかに謳う一方で、パパラッチのような覗き見根性が見え隠れしないでもない。

彼の発言を聞きながら、そんなことを感じた。

WikileaksがNATO軍の極秘文書を暴露(1)

2010-08-15 08:51:06 | コラム
Wikileaksというサイトがある。オーストラリア人のJulian Assangeが3年前に立ち上げたもので、世界の政府・行政機関大きな企業が公にしない重要な情報をリークして、一般の人々に公開することを目的としている。権力を持つがゆえに情報を操作できる立場にある人々や団体に監視のメスを入れ、明らかになった情報を一般の人々とも共有する活動は、ジャーナリズム本来のあるべき姿をとことん追求したものだという見方もできる。


世界的に注目を集めたのは、2007年にイラクに駐留するアメリカ軍がイラク人のジャーナリストや民間人合わせて18人をヘリコプターから射撃・殺害した映像を、今年4月初めにネット上でリークしたときだった。内部告発によって手に入れた映像をうまく編集したもので、世界の人々を震撼させた。たちまち世界のメディアがこれを報じ、スウェーデン・テレビの夜のニュースもトップで扱った。私のブログでも取り上げた。

<過去の記事>
2010-04-08:イラクのアメリカ軍
(ただし、私は当然ながら日本のテレビも取り上げただろうから日本でも既に話題になっていただろう、と思っていたが、実際にはNHKをはじめ、ほとんど話題にしていなかったという。世界の出来事が日本ではなかなか伝わらないことを象徴する、さらなる好例だと思った。7月になってバラエティー番組が取り上げていた)

Wikileaksが過去にリークした目玉情報は他にもある。2009年8月には、リーマンショックを受けて倒産したアイスランドの大手銀行カウプティングの内部資料を公開した。そこでは、金融危機以前にこの銀行が法に反するリスクの高い取引を行っていたことが明らかにされていた。また、2008年11月には、イギリスの極右政党BNPの党員名簿がWikileaksから公表された。ここには1万人を超える名前があったが、中には警察官や医師、教会関係者などの名前が多く見られたという。

―――――――――

さて、そのWikileaksが7月26日に新たな情報をリークした。アフガニスタンで活動するアメリカ軍をはじめとするNATO軍の記録だ。2004年以降の、現場で治安活動をする部隊の日々の報告や現地のタリバーン勢力に対する軍事活動の詳細などの極秘文書9万ページを整理することなく、ネット上で公開したのである。

ここには、各作戦でのNATO軍・タリバーン勢力の双方の負傷者や死者に関する記録だけでなく、NATO軍が軍事作戦の中で犠牲にした民間人や子供の数などの情報も多く含まれており、アメリカ軍をはじめとするNATO軍のイメージをさらに悪くするものであった。さらに、そのような血にまみれた戦争の現実だけでなく、近年になってタリバーン勢力が攻勢をさらに強めておりNATO軍が劣勢にあることや、隣国パキスタンの治安部隊がタリバーン勢力と水面下で手を結んでいることなど、NATO軍を送り出している西側諸国の世論にも大きな影響を与える内容もあった。また、タリバーン勢力の要人を米軍の特殊部隊が暗殺する計画など、法的に問題を孕んでいる作戦に関する情報もあった。

たしかに、アフガニスタン情勢に関するこれらの情報は何も目新しいものではなく、欧米のメディアが既に伝えてきたことであったが、それを詳細に記述した米軍やNATO各軍の公式の極秘文書が公にされたことの史料的価値は高い。

極秘情報の公表に最も激怒したのはアメリカ国防総省だった。Wikileaksに対して、公表の中止と新たな情報の公表中止を求めたのだった(というのも、Wikileaks側はさらに1万5千ページの文書を公開すると言っていたためだ)。また、スウェーデンの国防省もいい思いはしなかった。スウェーデンはNATOの非加盟国ではあるものの米英軍のアフガニスタン侵攻後の平和維持活動が国連のマンデートを得ているとの理由で、自国の兵士500人あまりをアフガニスタンの比較的落ち着いている地域に駐留させている。だから、スウェーデン軍の基地や作戦の情報なども、公表された情報に含まれているからだ。

そんな中、8月6日、スウェーデンの日刊紙がこのWikileaksの件に関して、あるスクープを流した。Wikileaksが利用しているサーバーは、実はストックホルム近郊にある小さなIT企業のものだというのだ。Wikileaksはこの企業が「口が堅い」ことを評価して、契約を結んだのだという。公開している資料はこのサーバーのほかにも、予備が世界の各地に用意されているらしいが、大元はスウェーデンから発信されているため、スウェーデンの基本法(憲法に相当)の一部である「出版の自由に関する法令」や「表現の自由に関する基本法」の保護を受けることになる。そのため、アメリカ政府がこのサーバーを簡単にストップさせることはできない。

そのあたりの折衝がアメリカ政府とスウェーデン政府の間で現在続いているとか(いないとか)。ただし、仮にストップしたところで、おそらく別のサーバーから流れることになるだろうから意味がないだろう。


さて、大きな権力に果敢に挑んで、知られざる情報を暴こうとするWikileaksだが、今回のリークに関しては、果たして「正義の味方」と呼ぶのが本当にふさわしいのか、疑問の声もたくさん上がっている。次回はそれについて。(続く)

総選挙の争点<2> 年金受給者にも減税が必要?(その1)

2010-08-13 07:38:14 | 2010年9月総選挙
これまでの連載で説明したように、2006年秋の総選挙で政権を獲得した中道右派政権勤労所得に対する税額控除を2007年、2008年、2009年そして2010年と4度にわたって行ってきた。税額控除(実質的な減税)の対象となったのは、働いて得た勤労所得のみであり、年金や社会給付は対象とならなかった(スウェーデンでは、失業手当や疾病手当、育児休暇手当などの所得比例型の社会保険給付や年金にも所得税が課せられる)。

だから、この制度に当初から不満を漏らしていたのは年金受給者だった。「私たちはなぜ税額控除の恩恵に与(あずか)れないのか!?」

彼らの言い分も理解できないでもない。年金は現役時代に働いて得た勤労所得に応じて雇い主が保険料を納め、原則としてそれに基づいて受給額が決まる。だから見方を変えれば、現役時代の給与の受け取りの一部を延期して、それを退職してから受け取っているということになる。この見方に基づけば、年金所得もれっきとした勤労所得だから、勤労所得税額控除を適用しろというわけだ。

これに対し、政権側は突っぱねた。彼らの言い分はこうだ。勤労所得税額控除の一番の目的は、働いて労働供給を行うことのメリットを高めることだ。平均寿命の伸びとともに高齢化が進んでいく中、より多くの人に就業してもらい経済を支えてほしい。だから、退職年齢に達してもなるべく働き続けてほしい

実際のところ、この勤労所得税額控除の制度は、年金にこそ適用されないものの、65歳以上の人が働いて所得を得た場合には、現役世代よりも大きな税額控除を得られる仕組みになっていた。つまり、働くメリット(手取り)は現役世代よりも大きいというわけだ。


濃いほうが現役世代、淡いほうが65歳以上を対象とした勤労所得税額控除の額

少し余談になるが、実はスウェーデンの年金制度それ自体も高齢者の就業を促進する構造となっている。年金受給開始年齢を自分で選べ(ただし早くても61歳)、開始が早いほど毎月の受給額が減り、遅いほど増えるのはおそらく日本と同じだと思うが、それだけでなく、65歳を超えて働き続けた場合はその勤労所得に応じて雇い主が年金保険料を払い続けてくれる。つまり、自分の「年金権の蓄え」が65歳を超えてからも増え続けていくことになり、その分は将来の年金の受給額に加算される。65歳以上で働いている間、年金を同時に受け取ることもできるし、働いている間は受給を開始しない、という手もある。例えば70歳まで働いた後で年金の受給を開始したとすれば、受給開始を遅らせたことによって月額の受給額が増えるというメリットに加えて、65歳から70歳まで雇い主が納め続けた年金保険料に応じて年金権がさらに増え毎月の受給額に上乗せされるというダブルのメリットがある。

また、65歳以上の人を雇う側にもメリットがある。というのも、65歳以上の従業員に対しては社会保険料を全額払う必要はなく、約3分の1(つまり社会保険料のうち年金保険料の分だけ)だけ納めれば済むからだ。だから、65歳以上の従業員の人件費が安くなり、雇う側が彼らを雇いやすくなるのだ(65歳以上の自営業者に対しても同様の措置があるため、高齢者の起業を促すことになる)。

このように、スウェーデンでは高齢者の就業を活発化して、高齢化社会の中で現役世代が抱えることになる負担をいかに軽減していくことが真剣に考えられてきた。出生率は1.9を超え、移入民もあるので、高齢化の速度はかなり緩やかであるにもかかわらずである。だから、この勤労所得税額控除の制度も、その一環と考えることもできる。

しかし、高齢者は黙ってはいなかった。2007年のいつだったか忘れたが、テレビのニュースでインタビューを受けた年金受給者は「みんながみんな、高齢になっても達者で働けるわけではない」と言って、自分たちにも勤労所得税額控除もしくは何らかの形で減税を行なってほしい、と主張していた。(続く・・・)

ラインフェルト首相 Auto-tuned

2010-08-11 06:29:57 | スウェーデン・その他の政治
スウェーデンのラインフェルト首相が歌います!



♪~ a better world to live in for future generations everywhere ♪~
"Tun Tun Tun ♪~"

半年ほど前に初めて見たときに大爆笑してしまった。
国連総会のときの演説を使ったようだ。
音階とテンポをうまくチューニングして、良くできている。
アメリカの医療保険改革とノーベル平和賞の選考が“熱~く”論じられています。

総選挙の争点<1> 勤労所得税額控除の是非(その3)

2010-08-10 07:05:21 | 2010年9月総選挙
前回書き忘れたが、勤労所得税額控除の制度に対する社会民主党や左党などの批判はもう一つあった。失業手当や疾病手当をもらって生計を立てている人は就業インセンティブが低く、自発的に仕事に就こうとしないから、「にんじん」もしくは「アメ」を提示することで再び働かせようという考え方やものの見方に対する批判だ。

これは非常に難しい問題だ。失業している人の多くは本当に仕事がないから失業しているだろうし、疾病手当をもらっている人の多くはケガや病気のために働く能力が低下して働けないから疾病手当に頼っているだろう。しかし、中には「ズル」をしている人もいるだろうし、長期にわたって失業手当や疾病手当の給付を受けてきた人の中には、本当は働けるのだけど、仕事探しをしたり仕事に復帰するのが面倒になり、passive(受け身)化した人もいるだろう。

そういう点を考えた場合に、私自身はこの勤労所得税額控除はうまく考えられたものだと思う。各種手当の給付に頼って生活するよりも働いて所得を得ることのメリットを高めたい場合には、二通りのやり方が考えられる。一つは、手当の給付水準を下げるやり方だ。もう一つは、この制度のように税額控除を通じて、働くことによるメリット(手取り)を増やすやり方だ。前者のやり方だと、ズルをしていない人にも給付水準の削減による悪影響が及ぶことになるが、後者のやり方だと、手当の給付を必要とする人はこれまでどおり手当が受けられると同時に、手当への依存状態から抜け出そうと努力する人に対してピンポイントにその「アメ」を与えることができるからだ。


さて、保守党(穏健党)を中心とする現在の中道右派政権2007年から4度にわたって政策に取り入れた勤労所得税額控除だが、野党である社会民主党や左党は最初から気に入らなかった。しかし、この制度は実は高所得層よりも低中所得層により大きな恩恵をもたらすものだった(減税率で見た場合に)。しかも、手取りが増えたということで世論一般の支持もそれなりにあった。このような事実に直面し、いつまでも拒絶してばかりいては2010年秋の総選挙に支障が出ると判断した両党は、既に2009年夏ごろまでに「自分たちが政権をとってもこの制度を覆すようなことはしない」と発表したのだった(一方、同じく野党である環境党は、当初からこの制度に対して反発していなかったように思う)。

しかし、その時点ではまだ第3次までの勤労所得税額控除しか行われていなかった。中道右派政権は2009年秋の予算案で、2010年には第4次の勤労所得税額控除を行い、税額控除の額をさらに拡大する、と発表したのだった。このときも、スウェーデン議会やメディアで大きな議論が沸き起こった。「それはやりすぎだ」と。折りしも金融危機真っ只中で税収が大幅に減少していたときだったから「さらに減税する余裕がどこにあるのか?」という声も多かった。それでも、政権側は第4次を押し通し2010年はじめから実行したのだった。おそらく、政権側としては2010年の総選挙を見込んで、有権者の支持を獲得する一つの方法だと考えたのだろうし、総選挙では政権を奪われるかもしれないから、できることは今のうちにやっておきたいという焦りもあったのではないだろうか。(私も否定的な見方をこのブログで書いた。前回の記事にリンクを張っています)

2010年5月社会民主党・左党・環境党の3党からなる左派連合(赤緑連合)が発表した合意によると、彼らが政権を奪還した場合には第4次の拡張分を取り消すが、第3次までの勤労所得税額控除までは基本的に維持する、ということになった。しかも同時に、失業保険の保険料に上限を設け、さらに保険料を課税対象所得から控除できるようにするので、月収40000クローナ(約48万円)以下で失業保険に加入している人であれば、増税にはほとんどならないようにする、と発表した。

では、月収40000クローナを上回る人にはどうなるか? 実は、左派連合は勤労所得税額控除の控除額を徐々に減少させていき、80000クローナで控除額が完全に消えるようにすると発表している。高所得層には税額控除など必要ない、という左派のイデオロギーによるものだ。

しかし、実際のところ、それによって増える税収はわずかなものである上、控除額を徐々に減少させることはその所得階層に対する実質的な限界税率がさらに上昇することにつながる。私の大まかな手計算によると、その幅は約4.5%になる。月収40000クローナというと、地方所得税(平均31%強)だけでなく20%の国税も納めている。だから、限界税率は55%に膨れることになる。また、さらに所得が高く25%の国税を納めている人は、限界税率が60%となってしまう。

スウェーデンでは、この所得税の国税分が高すぎて、教育プレミアムの減少や能力のある人々の勤労インセンティブの低下をもたらしているのではないか、という議論もあり、せめて国税25%は20%に下げるべき、という声もある。にもかかわらず、左派連合の案によれば、限界税率がさらに高くなってしまう。

いずれにしろ、中道右派政権が導入した総額710億クローナの勤労所得税額控除のうち、左派連合が690億クローナ分は認めて維持すると発表したことによって、選挙に先駆けた今の段階では、もはや争点ではなくなったといっても良いかもしれない。

財務大臣アンデシュ・ボリの勝利、といえるだろう。彼が4年もかけて導入してきた一つの税制改革の大部分が、政権交代のいかんにかかわらず固定化することになったからだ。政治家として、大きな喜びなのではないだろうか。


イェイ!

総選挙の争点<1> 勤労所得税額控除の是非(その2)

2010-08-09 09:10:03 | 2010年9月総選挙
前回は若干ややこしい話をしたが、簡単に言えば2006年秋に政権を獲得した中道右派政権は、

勤労所得税額控除(Jobbskatteavdrag:英in-work tax credit)を導入した(一種の所得税減税)。
・純粋な勤労所得のみが税額控除の対象であり、年金・失業手当・疾病手当などは対象とならない。
・税額控除(減税)の恩恵は、税率で見た場合に低所得層でもっとも大きくなるように制度が設計された。
・まず2007年に導入し、その後、2008年、2009年、2010年と控除額を拡大していった。
・目的は、人々の勤労インセンティブを高め、特に社会的給付に依存している低所得層の労働供給を高めること。
・もう一つの狙いは、労働供給を増やすことで賃金の上昇圧力を緩和し、雇用(労働需要)の増加につなげることだった。
・この政策は2006年秋の総選挙に先駆けて中道右派ブロックが公約に掲げていた。

それから前回書き忘れたが、この税額控除は正確に言えば、国(中央政府)がその分だけ納税者に還付しているということだ。というのも、中低所得者にかかる所得税といえば地方所得税のみであるから、直接的な減税という形で国がこの制度を導入してしまえば、地方自治体の税収を減らし、課税権を侵害してしまうからだ。だから、地方税収を変化させることなく、控除分を国が納税者に払い戻すことで実質的な減税を行ったのだ。

2007年の最初の導入以降、3度にわたって拡張されたこの制度のおかげで、減税の総規模は710億クローナとなった。GDP比にすると約2.2%に相当する。それだけ国民負担率が減少したということだ。

しかも、この制度によって特に低所得者が大きな恩恵を受けることとなった。下のグラフは、月収21000クローナ(25万円)の人に課せられる限界税率平均実効税率が2006年からどのように変化したかを示したものだが、確かに毎年、勤労所得税額控除の制度が拡張していくにつれ、徐々に減少していることが分かる。


しかし、選挙後に野党にずり落ちた社会民主党からは、(当然ながら :-)導入の当初から批判の声が相次いだ。その根拠はまず、減税すれば税収が減るため、その分だけ、歳出を削減せねばならず、それは社会保障・福祉の削減に繋がりかねないというものだった。この論拠を用いて社会民主党以上に政権を批判したのは、以前は社会民主党と閣外協力の関係を築いていた左党(旧共産党)だった。

彼らはさらに「高所得者に一番大きな恩恵を与える政策だ」と非難した。どうしてかというと、控除額そのものをみれば高所得者ほど減税が大きいからだ。前回も書いたように、同様の制度を以前から導入してきたイギリスやアメリカのin-work tax creditの制度と違って、スウェーデンの制度では控除額が高所得層で減少しない


下の表に示すように、所得が高いほど税額控除の額は大きい(1752で頭打ち)。だから、彼らの指摘は確かに正しい。しかし、所得に対する減税の率でみると低所得層のほうが大きな減税を受けていることになる。減税の絶対額が重要なのか、それとも減税の率が重要なのか、人によって判断は異なるだろうが、通常は率のほうを見るものだ。だから、残念ながら社会民主党などの批判はおかしい。自分たちの主要な支持層である低中所得者層により大きな恩恵があるのを知りながら、政権を批判したいがために無理にこじつけたのではないかと思える。


他方で、経済学の専門家からも批判が上がった。私が前回書いたように、この政策はあくまで労働供給側に作用し、供給量を増やすものでしかない。労働需要側には作用しない。それでも、中道右派政権がこの政策は雇用を生み出す、と主張するのは、賃金上昇圧力が抑えられるという前提があるからだ。しかし、もしこの仮定が崩れば、つまり、賃金が以前と同じような速さで上昇を続ければ、労働供給ばかりが増えて、失業率の上昇につながる。


実際のところ、スウェーデンの賃金を決める各業種・職能別の団体交渉では、主に労働生産性の上昇が賃上げ幅を決めるときの決め手であるから、労働供給が増えたか減ったかということは直接的には影響を与えない。

また、政権は控除額の拡大をリーマンショック以降の不況の真っ只中でも行った(第3次・2009年、第4次・2010年)が、労働需要が大きく減少していた中でそのような政策を行ったときにはまさにその専門家の指摘が当てはまっていた。労働供給を増やしたところで、彼らを吸収する雇用そのものがなかったためだ。しかし結果的には、減税効果によって可処分所得が増え、消費が伸びたことで消費の下支えに貢献することにはなった(ただし、景気対策という目的はなかった)。

<過去のブログ記事>
2010年の予算案 (1)

さて、このように大きな議論となった勤労所得税額控除の制度だが、現在の野党は公約としてこの制度をどうしようというのだろうか・・・?(続く)

総選挙の争点<1> 勤労所得税額控除の是非(その1)

2010-08-07 08:21:52 | 2010年9月総選挙
スウェーデンの総選挙の一つの争点はやはり税制だ。デンマークと並んで世界でもっとも税金が高い国だが、高い税金にみんなが無条件で納得しているというのは幻想だ。税金はやはり少しでも少ないほうが良い。高い税金に納得している人でも、それがしっかりとした目的のために使われるから納得しているのであって、同じ目的を少しでも少ない税金で達成できるならばそのほうが良いと考える。税金と一口に言っても、所得税、法人税、消費税、環境税と様々なものがあり、それぞれ人々の経済行動に与える影響も異なる。では、どの税金をどれだけ上げるのか、どれだけ下げるのか? さらに、その変化の一つ一つは、社会を構成する様々な所得階層に異なる影響を与える。だからこそ、ある特定のカテゴリーの人々に支持を訴えるために、税金の上げ下げや税額控除(負の税)の大きさについては総選挙のたびに常に争点となる

税制をめぐる大きな議論の一つは、2006年秋の前回の総選挙で勝った中道右派政権が早速2007年から導入した勤労所得税額控除(Jobbskatteavdrag)の制度だ。勤労によって得た所得にかかる所得税を減税するというものだ。その上、減税の恩恵は低所得層になるほど大きくなるように設定された制度だ。

この目的は、家計の可処分所得を増やして消費を活発にするという景気対策ではない(この制度が最初に導入された2007年は好景気の真っ只中だった)。低所得層になるほど恩恵が大きくなるようにしたのには訳があって、それはこの階層にかかる所得税の実質的な限界税率を低くすることで、よりたくさん働くことによって得られるメリットを高め、人々の働く意欲を増進させ、労働供給を増やすためなのだ。

ちなみにスウェーデンでは、失業手当や病気で休業するときの疾病手当年金といった社会保険制度からの給付にも所得税が課せられる。所得税のうち地方所得税(市税・県税)はすべての所得階層に31%強が課せられる(自治体によって税率が違うので31%強というのはその平均)し、高所得者には国税の所得税が20%あるいは25%上乗せされる。しかし、この勤労所得税額控除(Jobbskatteavdrag)の特徴は、そのような社会保険給付には適用されない、つまり、純粋に勤労で得た所得にかかる所得税だけが減税の対象となるということだ。だから、例えば同じ1万円の所得があっても、それが社会保険給付(失業保険・疾病保険・年金)によるものであれば所得税が丸々課せられるが、それが勤労から得られた所得であれば所得税が少なくなる。だから、この制度の狙いは、社会給付に頼って生活することと比較した場合の就労のメリットを少しでも高め、給付漬けなっている人を労働市場に復帰させることでもあった(年金で生活する退職者にも働くことを奨励している)。

実は、アメリカではEarned Income Tax Creditという制度が、イギリスではWorking Tax Creditという制度が以前から導入されてきたが、それとほぼ同じ税額控除制度だと考えて良いだろう。大きな違いといえば、両国の制度では所得が高くなるにつれて最初は控除額が増えていくものの、ある所から減少をはじめ高所得層ではゼロとなるのに対し、スウェーデンの場合はある段階で最高控除額に達したあとその水準を保ち、減ることがないという点だ。

所得階層ごとに見た勤労所得税額の控除額
(濃い線は現役世代、薄い線は65歳以上。つまり、高齢者により多くの控除がある)

それから、スウェーデンでは控除額が単身か既婚かどうかや子供の数によって変わることもない。英米の制度ではシングルマザーと既婚女性で効果が異なった(既婚女性の労働供給がむしろ減った)という研究結果があるようだが、スウェーデンでは夫婦単位ではなく個人単位の課税なので、そのような違いはないのではないかと思う。(英米の制度については、内閣府の平成19年度版『経済財政白書』に若干の説明がある)

さらに少しテクニカルな話になるので読み飛ばしてもらうために文字色を灰色にするが、スウェーデンで導入された勤労所得税額控除(Jobbskatteavdrag)のもう一つの狙いは、低中所得層でデコボコしていた限界所得税率を階段状にきれいにすることでもあったようだ。なぜデコボコだったかというと、所得税を課税する際の基礎控除の額が一定額ではなく所得水準によって異なっていたためだ。基礎控除額が変動する部分の所得階層では、基礎控除額の微分のプラス・マイナスを入れ替えた分だけ限界税率が地方所得税率よりも乖離することになる。2007年から導入された勤労所得税額控除では、その乖離分を消すために基礎控除額の変動に対して逆向きに作用するようにそれぞれの所得階層で控除額が設定されたようだ(この推測が正しければ、上に示した控除額のグラフは正確なものではなく、制度の概要だけを示したものだろう)。

いずれにしろ限界税率がこの制度の導入によってどう変化したかというと


導入前である2006年の限界所得税率
↓↓↓

第一次の勤労所得税額控除が導入された2007年の限界所得税率

このように、きれいに階段状になっているのだ。これがスウェーデン政府の意図したものであるという推論が正しければ、なぜ勤労所得税額控除の控除額が高所得層で減少しないかという理由も明らかになるだろう。つまり、控除額を徐々に減少させてしまえば、減少の微分の分だけ限界税率が高くなってしまい、その所得階層の限界税率だけが突起してしまうためだ。もしくは、控除額を漸進的に減少するのではなく、突然ゼロにしてしまうと、今度はその境界部分でインセンティブが狂ってしまう。


この制度は何度も書くように就労インセンティブを高め、あくまでも労働供給を増やすための施策なので、労働需要が増えなければ雇用そのものは増えないと思われるかもしれない。しかし、この制度の導入を2006年の総選挙で公約に謳っていた穏健党(保守党)の経済ブレインであるアンデシュ・ボリ(現・財務大臣)「この制度は雇用も生み出す」と主張していた。どうして?

それは労働供給曲線が右にシフトして賃金水準の均衡値が下落すると、労働需要が増えるためだ。



中道右派政権は2007年に初めてこの制度を導入した後、2008年、2009年、そして2010年と4度にわたって控除額を拡張していった。しかし、その是非については与党と野党の間で大きく意見が分かれるところである。経済学の専門家もいくつかの問題点を指摘してきた。(続く・・・)

日本の選挙戦の報道について

2010-08-04 09:27:43 | 2010年9月総選挙
さて、9月に迫ったスウェーデンの総選挙。日本の選挙戦との大きな違いは、日本では選挙の直前(告示日前後から)になって初めて各陣営が政策論争(らしきもの)を始めるが、スウェーデンでは実際の選挙の1年、いや2年も前から様々な政策分野で意見が戦わされる

ある党が妙案と思って打ち立てた政策主張も、他の党やメディア・世論を交えた激しい論争の中で問題点が指摘されれば、修正を余儀なくされるし、淘汰されることもある。そして、その1年なり2年なり続いた論争を生き残った政策主張や、たとえ弱点はあってもその党が「これだけは譲れない」というこだわりの政策主張が最終的にまとめられて各党の「マニフェスト」となり、選挙の1ヶ月前に発表される。

つまり、選挙の1ヶ月前には各党・各陣営が掲げる政策主張は、それぞれの政策分野ごとにほぼ出揃っており、それもかなりの程度、磨きのかかったものに仕上がってる。しかもそれ以上に重要なことは、そのそれぞれが既に相当の程度、メディアを通じて議論し尽くされているということだ。だから、有権者は提示された選択肢をもとに自分の考えやイデオロギーに合うものを選んでいくことになるし、それぞれの主張の根拠を知りたいと思えば、それぞれの党がちゃんと示してくれる。別にその政党に直接訊かなくても、メディアが適宜、分かりやすく解説してくれる。各党の主張はもう既に何度もメディアを駆け巡ってきたからだ。

日本のように、告示日の前後になってから政策主張を慌てて掻き集めて「マニフェスト」を形にしてみたはいいが、「あら」を指摘されて慌てて撤回するようなことはないし、せっかく多岐にわたる詳細なマニフェストを作っても、選挙までのわずか2週間ではほとんど議論し尽くせないから、結局は分かりやすい焦点を1つに絞って、それを中心に選挙報道が展開されるということもない。

ついでだから書くけれど、先日の日本の参議院選挙はかなり酷かった。選挙期間中に日本に滞在したのは久しぶりだったが、改めてそう感じた。その問題は、政治家・政党の側にも、有権者の側にも、メディアの側にもあると思うが、その中でもメディアの責任が一番大きいのではないだろうか。

政治家が漏らした小さな発言でも、食いつきやすいからということで100倍ぐらいにして取り上げ、面白く対立構図を描けるように、政局のある特定の一面に焦点を定めて、日々の報道では主にそればかりをつつく。選挙戦の中で例えば「攻」と「防」というような二項対立を描き出し、選挙戦の流れを勝手に作ってしまう。視聴者はメディアが集中的に論じるその1点については情報を得ることができるけれど、そのほかの政策でどのような議論があるのか、知る機会があまり与えられない。

民主党政権は普天間のことで非難を浴びたが、では、他の党はその問題に対してどのような提案をしているのか? たしかに「子ども手当」のばら撒きは良くないかもしれないが、では少子化対策・子育て支援に関して他の政党の提案は何なのか? 自殺者やワーキングプアなどの社会問題に対して、各党からどういう提案があるのか? 「後期高齢者医療制度」は悪しきものだが、では他にどのような代替案があるのか? 年金を持続可能なものにするためにはどのような改革が必要なのか? そういうことこそ、選挙報道で取り上げるべきではないのか。各党がせっかく詳細なマニフェストだのアジェンダだのを作っても、それが選挙戦の中での政策議論に用いられなかったり、メディアがそれを取り上げなければ、全く意味がないのではないだろうか?

誤解を避けるためにより正確に言えば、新聞はそれでも頑張っていたと思う。個別の政策分野でそれぞれの党がどのような主張をしているのか、日ごとにテーマを変えて分かりやすく分析・報道しているものもあった。しかし、残念ながらしっかりと目を通す人の数は限られてくる。より多くの人が情報源とするのは、やはりテレビだ。しかし、そのテレビが日々伝えることと言えば、菅直人が何を言ったか、それに対し、別の党の誰それがどう反応したか、いや党内でも反発があって党内の重鎮がどう発言したか、というような「政局」が相変わらず選挙前の報道でもほとんどを占めていたように思う。たしかに、人間同士の確執は描くと面白いが、それではまともな選挙戦報道とはいえない。

NHKには少しは期待したが、落胆させられた。例えば、選挙日前日の夜に放送した選挙戦の総集編。私はてっきり2週間にわたる選挙戦で各党が打ち出した様々な政策主張について、分かりやすく「おさらい」してくれるかと思った。それこそ本当の意味での総集編だ。しかし、実際はどこの選挙区が注目の選挙区で、誰が善戦し、誰が苦戦し、そこにどんな重鎮が応援に駆けつけ、その重鎮がどんなに忙しい日々をこの2週間に送って、それでも私生活は大切だから庭木に水遣りもするし、旦那さんがちゃんとご飯作ってくれるし、タレント候補も選挙戦で走り回って、選挙ボランティアも手弁当で頑張って、菅直人の演説中に中座する人が続出したけど、小泉の息子のときはたくさんの人が聞きに駆けつけて・・・etc、はっきり言ってどうでもいいことばかりが19時半から20時45分まで延々と続いた。選挙戦の総集編ではなく、日々の選挙報道の総集編だった。

いや、でもNHKは毎週日曜日の朝にまじめな「日曜討論」をやっているでしょ? でも、どれくらいの人が見ているのだろうか。それから、1秒も経たないうちに条件反射的にチャンネルを変えたくなる「政見放送」。あれがいまだに存在するとは驚きだ。視聴率はどれくらいなのだろう。もっと意味のある番組はできないのだろうか?

小泉の「郵政民営化」のときもそうだったし、昨年の「政権交代」のときもそうだったと思うが、その党が具体的に何を政策に掲げているかをあまり知ることなく「流れ」に任されて人々が票を投じ、選挙結果が決まる。具体的な政策を知った上で投票したわけではないから、こんなはずじゃなかった、ということにもなるし、ひとたび「流れ」が変われば、たちまち支持が遠ざかる。そんなことばかりが選挙のたびに繰り返されていれば、そりゃ社会は良くなるどころか、かなり深刻な状況にあるのではないかと危機感を覚えずにはいられない。

スウェーデンの社会だって、解決すべき様々な問題を抱えている。「問題があるかないか」が重要なのではない。どの社会にだって常に問題はあるし、それらは実は似かよっていることも多い。問題を抱えていない社会なんて、そもそもありえない(こんな単純なことが分からない人も実はいるようだ)。重要なのは、解決策を探るべく政治家がしっかりと議論し、メディアがそれをちゃんと伝え、あらがあれば建設的なツッコミを常に入れ、政治家を切磋琢磨させ、少しでも良い選択肢を社会に提示できるように働きかけ、それを有権者が評価するそのプロセスが重要なのだと思う。そして、そこに日本とスウェーデンの大きな違いがあるのではないだろうか。