スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

スウェーデンの環境事情-ペットボトル・アルミ缶編

2005-12-30 09:51:15 | コラム
年内最後の書き込みになりそうです。

私の生まれ育った鳥取県の米子市というのは日本海に面すると共に、日本でも有数の汽水湖である中海のそばに位置します。ここでは、生活排水による汚染が以前から問題になっており、地元の向井さんという方が、環境の保全と水質の改善を呼びかける地域草の根の活動をやってこられました。

その一つが、地元の子供たちに積極的に自然と関わってもらおうとする「チビッコ環境パトロール隊」の活動。実社会に出て、環境に配慮してくれている人がたくさん出てきつつあり、この活動を通じた長年の環境教育が実を結びつつあります。

また、環境新聞『中海』を毎月発行され、町内全戸配布されるだけではなく、環境省、鳥取県、米子市の環境担当セクション、市内の小中学校・各公民館にも配布され、その活動が広く知られるに至っています。昨年5月号で200号を数え、縮刷版として冊子にして発行、町内全戸に配布、中海の水質浄化を基軸にした環境問題に取り組むための手引書として使われています。

以前から、その環境新聞『中海』にスウェーデンからのお便りを書いていただけないかとの依頼を受け、連載の第一作目が2005年11月号に掲載されました。

------

スウェーデンの街中を歩いていると、ゴミくずが散乱している光景に出くわすことがある。ゴミのポイ捨ては日本以上に深刻な問題だ。人々が夜飲み歩く週末明けは特にひどい。一方で、市の清掃車が頻繁に取り除いている。残念ながらここではゴミ拾いは市の仕事、と割り切っている人も多いようだ。

一方で、空き缶やペットボトルのポイ捨てはあまり見かけられない。というのも、リサイクルすることでお金に換わるからだ。仕組みはこうなっている。酒屋やスーパーで缶やペットボトルに入った飲み物を買うと、10円から60円の手数料が代金に上乗せされる。飲み終わった後に容器を集めて、スーパーの入り口に備え付けられた自動回収機に持っていくと、その手数料が返ってくる。いわゆる「デポジット(質金)制」と呼ばれるシステムだ。手数料の額は、空き缶が10円、小型のペットボトルが40円、大型が60円となっているので、空き容器をまとめて返還するとまとまったお金になるのだ。

日本では、北欧というと環境保全が徹底した環境先進国、といったイメージがあるが、一般人のレベルでの意識はそれほど高くはないようだ。共働きが基本であるこの国では、日々の生活において時間的な余裕がないことが一つの原因かもしれない。この点では、草の根の活動によって環境意識が高まってきた日本の社会を、スウェーデンは見習うべきかもしれない。一方でスウェーデンの優れたところは、政策にたずさわる人々の行動の速さであろう。社会のために必要なことに関して、率先して法律を作ってしまう。リサイクルにしても、包装ゴミの増大を見越して、空き缶は1984年からペットボトルは1993年からリサイクルの義務化を行った。

義務化に伴って、業界組合の出資による非営利の企業を設立し、全国的なリサイクルのネットワークを完成させた。各スーパーに取り付けられた自動回収機の設置だけを考えても、膨大な投資だったであろうが、そのおかげで回収率はアルミ缶が85%、ペットボトルが80%になるまでに至った。国の目標はこれを90%にまでさらに高めることである。回収率が低いと、質金がリサイクルを管轄する非営利企業にそのまま入ってくることになる。この収入を使って、盛んにテレビのCMなどで広報活動を行い、回収率の向上に努力するという、うまくできたシステムになっている。

日本の回収率は2003年の時点でペットボトルが61%、缶が80%を越える。ペットボトルの回収は1997年から各家庭で始まったことを考えれば、比較的高い率だ。彦名のように自治会が徹底して行っている分別活動のおかげであろう。ただ、私の経験も考え合わせて見れば、都市部や学生をはじめとする若者のリサイクル率は低いのではなかろうか。もしそうであれば、デポジット制の導入によって、リサイクルすることに経済的な動機づけをすることは、日本でも一つの解決策になるかもしれない。ただ、ポイ捨てしない・物を大切にするといった心構えも必要だということを忘れてはならない。


------
<追記>
スウェーデンの環境政策の発展を担ってきたのは、積極的な行政担当者や中央、および地方の議員だ。それと共に、Svenska Naturföreningenという全国的な環境団体である。この団体が、政治・行政の分野でロビー活動を行ったり、社会一般に向けて啓発活動を行ってきた。

このようなプロフェッショナルな団体が活躍する一方で、一般の人々が関心を持って参加している草の根の環境活動などは、残念ながらスウェーデンではあまり聞かれないようだ。私が京都にいるときに、スウェーデン・ヴェクショー市の市長と上記の団体の政策委員が招かれ、市がこの団体と共に策定した“環境アジェンダ”について講演を行った。この時に、大ホールに集まった数百人に及ぶ市民を前にした市長の第一声、「いや、ビックリした。スウェーデンでこのような会を開いても、一般市民の方がこんなに集まるなんて考えがたい!」が、印象的だった。

「公正取引委員会」と「開発援助庁」 ネタ

2005-12-23 08:07:50 | コラム
火曜日の産業組織論(Industrial Organization)は、最後の講義ということで、スウェーデンの公正取引委員会(Konkurrensverket)を訪ねて、実際にそこで勤務する人から、実際のケースについて話を聞いた。話をしてくれたのは、まだ若く、Stockholm School of Economics(ストックホルム商科大学 = Handelshögskolan i Stockholm)でPhDをとった人。だから、今回の授業は母校に対するボランティアだ。

スウェーデンの最近のケースは、90年代末のガソリンスタンドのカルテルや、パン屋チェーンの合併、最近のものでは、アスファルト舗装の受注価格をめぐる建設会社の談合や、大手映画館の合併の是非(2大配給大手が合併すると、シェア8割になってしまう)など。現在の懸案は、スウェーデンがこれまで保ってきた、医薬品と酒類の流通における国の独占に対して、EU委員会が「EU市場内の自由な経済活動という原則に反する」として独占の解体を勧告しており、スウェーデンが必死に防衛しようとしているケースだ。この問題は、EU裁判所にまで論争が及んでいる。

法律専門家が比較的多いこの種の職場でも、経済分析のできるエコノミストの活躍する場は大いにあって、働き甲斐があると誇らしげに語っていた。

------
行きの特急X2000は朝6:40発。ヨーテボリ・ストックホルム間の通勤は日本でいうと、大阪・東京間、もしくは名古屋・東京間の新幹線通勤に似ているが、スウェーデンでは本数がまばら。早朝はこれを含めて、5:40発、6:00発、6:40発なので、ストックホルムに出張する人は、たいていこれらの同じ列車に乗っている。おまけに1編成6両なので、だから、注意して見ていれば、知った人にもよく出会う。なんて小さな世間なの?

この日遭ったのは、同じ学部で働く同僚。何度もコーヒー・ルームで顔を合わせて、世間話をしたことはあるけれど、なにぶん、人数が多いので、どの研究者が何をしているのか、なかなか把握できないでいた。

で、この日遭った彼は、スウェーデンの国際援助を一括して担当する国際援助庁(SIDA)の委託で、新しい開発援助プランの作成に携わっているとのことだった。スウェーデンの開発援助は、援助額が国のGDPの0.8%に達しており、さらに有償よりも無償の援助が高いことが世界的にも知られている。それから、草の根など各種NGOと積極的にパートナー関係を持ち、実際の援助の多くを彼らを通じて行っていることも有名だ。

これまでは、社会資本の整備や、教育・医療施設建設などに直接お金を投資する援助が多かったけれども、長期的に見て、建設されたものが有効に使われないケースもある。それから、作ったものの、実際のニーズに合っていなかったケースも少なくないという。

そこで、最近のスウェーデン政府の方針は、短期的なこれらの具体的投資よりも、援助を受け入れる国の政府とタイアップして、その予算編成過程にも首を突っ込み、その国が全体としてどのような発展プランを持っているのか、そしてどこに援助が必要なのかなど、包括的で、かつ長期的な視点で行うことを強調しているのだそうだ。これがうまく行くためには、その国とのより密なコミュニケーションが必要になる、その国にチョロまかされないか、など様々な課題も多いらしい。そんな課題にこの研究者は関わっているのだそうだ。

私にとって見れば、大学の研究者として大学に閉じこもるだけではなくて、こうやってしっかり外に出て、知識を実際に役立てている人がとっても羨ましい。定期的にストックホルムに足を運んでいるなんて、とてもリッチに聞こえる。自分も将来こうなりたいと、モチベーションがちょっと高まった。

ノーベル記念講演 - 追記

2005-12-16 08:28:46 | コラム
そういえば、ノーベル賞受賞者の記念講演では、受賞者がPower Pointなどを使って、ビシッとプレゼンテーションをこなすのかと思いきや、なんと昔ながらのOHP(オーバーヘッド・プロジェクター)とスライド。しかも、マジックの手書き!

受賞者は皆さん高齢なので、Power Pointなんか使ったことないのだろうか?
しかも、Schellingに至っては、いきなりサラのスライドを取り出して、OHPの上にのせながら、講演の場で書き込むではないか!

おまけに、透明なのでスライドの端がよく見えなかったのか、油性マジックが勢い余ってはみ出してしまい、OHPの機械本体に書き込む始末。油性なので、消そうとするにも消えない。

そこでSchellingは苦笑いしながら、"The problem with transparent (=スライド) is that it is just transparent (=透明)." だって。このジョークはウケた!

ノーベル経済学賞の記念講演

2005-12-14 23:27:20 | コラム
ノーベル賞の授賞式が12月10日に行われたが、毎年、それと前後して、受賞者がスウェーデンのいくつかの大学で記念講演を行う。ストックホルム大学、ストックホルム商科大学(Stockholm School of Economics)、ウプサラ大学、そして、ヨーテボリ大学などが定番だ。時には、ヨンショーピン大学のような地方大学でも記念講演が開催された年もあった。

経済学賞受賞者の記念講演は今日、ヨーテボリ大学で行われた。400人が定員の大ホールは満席だった。申し込みをしていなかった私は、何とかもぐりこめた。今年の経済学賞は、ゲーム理論を発展に貢献した二人の研究者に授与された。

一人はアメリカ人のThomas C. Schelling。講演のテーマは “Game Theory: a practical application to arms control”。「囚人のジレンマ」やいくつかの2人ゲームを発展させながら、Nash均衡を乗り越えて、協力関係を導くためにはどのような条件が必要か、という話を、軍縮を具体例に挙げながら、簡単に説明していた。ふとしたところに登場するジョークが面白かった。

もう一人は、イスラエル人のRobert J. Aumann。アメリカの大学で長い間、活躍していたようだ。孫が30人余りもいるという、子宝に恵まれた人で、授賞式にあわせて、家族や親類が100人近い大規模でスウェーデンにやってきたという。講演のテーマは “War and Peace”。彼も「囚人のジレンマ」を用いながら、一回きりのゲームでは非協力解が均衡解になるが、繰り返しゲームでは協力解も均衡解になりえることを説明。彼の解釈では、冷戦中の核兵器による軍備も、合理的な判断の結果であって、軍備を拡大することが、敵の侵略に対する反撃の脅威を作り出すことで、平和を維持することができた、という核・軍備の持つ抑止力の意義を主張していた。軍縮はその意味であまり意味がないとのことだ。授賞式に前後してメディアが伝えたところでは、彼はイスラエルの中でも、タカ派の論客だという。そのため、彼の主張はあちこちで議論を呼んでいるそうだ。それはともかく、今回の受賞は、理論の発展に対する彼の貢献を評価したものだ。

軍縮や平和など外交問題へのゲーム理論の応用は、今後もいろいろな形で発展していきそうだ。上に書いたように、軍縮に関して意見が大きく違う二人。どうやら、あまり仲が良くないようで、今日でこそ、記念講演に同席してにこやかに言葉を交わしていたが、10日の授賞式の際に、受賞者二人の代表としてスピーチをしたAumannは相方のSchellingの名を一言も口にしていなかった。



参考までに、ノーベル賞委員会のホームページへの リンクです。

国連の60年、ハマーショルドの100年

2005-12-11 09:14:39 | コラム
NHKの『地球ラジオ』のインタビューは終わりました。

アナウンサーとの相槌のタイミングについて、打ち合わせが不十分だったために、一文一文をどのような間隔で伝えればよいかが分からず、結果的に私が一方的に喋るだけとなってしまったのが、心残りですが。

私のもともとの草稿は、もっと長いものですが、時間の関係で大幅縮小となりました。もちろん、時間を考えたら当然ですが。以下が、もとの草稿です。

------

第二次世界大戦後に国連が創設されてから、今年で60年になる。

次第に深刻化する冷戦において、世界各国が東西陣営に分かれて力比べをする中で、小国であるスウェーデンは紛争に巻き込まれればひとたまりもない。そのため、スウェーデンは国連を通じて、中立国の立場から世界の平和を実現しようと努力してきた。日本が今年、原爆の被爆から60年を迎えるのと同じように、国連を外交政策の中心においてきたスウェーデンにとって国連の60周年は大変に感慨深いものである。

それと共に、今年はダーグ・ハマーショルドの生誕100周年の年とも重なっている。ダーグ・ハマーショルドというのは、国連の第二代事務総長を務めたスウェーデン人である。

時は1953年。創設されてまだ間もない国連はもう既に危機に陥っていた。アメリカやソ連などの大国は、国連を利用して自国に都合のいい国際秩序を作り上げようとしていた。1950年に勃発した朝鮮戦争では、アメリカ主導で国連が介入したため、国連の中立性が疑問視されていた。ノルウェー人の初代事務総長は混乱の中でポストを追われる。

後任の事務総長は、東西の対立の中でなかなか決まらなかった。そこで挙がった名前がダーグ・ハマーショルド。彼は経済学博士号を取った後に、スウェーデンの財務省や外務省で官僚としてのキャリアを積んでいたものの、スウェーデンの外ではまったく無名だった。国連を舞台に争う大国には、中立国スウェーデンの出身で、まだ若く無名なハマーショルドを事務総長のポストにつけることで、イェス・マンとしてうまく操って、国連を自国にとって都合のよいものにする目論見があったとされている。

しかし、そんな目論見とは裏腹に、ハマーショルドは次第にリーダーシップを発揮し、独自のイニシアティブで動くようになる。国連という組織はそもそも加盟国から成り立つ調整機関に過ぎなかった。しかしハマーショルドは、国連に与えられた責務である平和の実現のためには、国連が一つの組織として、ある程度独立した立場から、積極的に行動していくべき、と考えていたのだ。それまで、事務をつかさどるだけという傾向の強かった事務総長の職務を次第に改めていき、冷戦の真っ只中の国際政治で表舞台に立とうとした。そうすることで、まだ未熟であった国連が、一つのシステムとして効果的に機能するように変えていったのであった。

もちろん、意表を突かれたのは、ソ連やアメリカなどの大国であったが、一方で、小さな国々や独立して間もない国々が彼の活躍に期待した。そして、彼はその期待に応えべく、様々な危機の打開に努力した。

具体的な活躍としては、当時、国際的に孤立していた中国の北京政府に乗り込んで、捕虜になっていたアメリカ兵を対話によって解放させたり、スエズ運河を巡るエジプトと英仏の対立では、外交的解決を図ったりした。さらに、アフリカのコンゴの紛争に際して、現地に積極的に足を運び、解決策を探ろうとした。このときに初めて国連平和維持軍という組織を立ち上げている。

残念ながら、1961年、コンゴ紛争での調停に励む途中に飛行機事故で命を落とす。彼の遺品から国連憲章が見つかり、死ぬまで国連憲章を離さなかった事は今日に至るまで語り継がれる。若くして亡くなった彼の人生が一つの英雄譚として語られる一方で、少数の国の強大な力によってではなく、積極的外交と対話、そして国連を紛争調停の要にするという、彼が人生を賭けて追求した志は現在の国連にも受け継がれている。

今年は彼の生誕100周年記念ということで、彼の人生と思想をたどるイベントが、生誕地であるヨンショーピン(スウェーデン中南部)や彼が学んだウプサラなど、スウェーデン各地で催された。ちなみに、彼のゆかりのあるウプサラ大学の政治学図書館では、図書館の一つが“ハマーショルド図書館”と名づけられたりもしている。

国連が創られてから60年の現在であるが、近年のユーゴスラヴィア紛争やルワンダ内戦、最近ではイラク戦争に際して、その無力さが露呈し、国連そのものの存在意義が問われるまでに至っている。国連の改革を取ってみても、アメリカや中国によってそれが阻まれかねない状況だ。しかし、ハマーショルドが事務総長を務めた当時を振り返ってみれば分かるように、このような危機は今に始まったことではなく、同じような危機を国連は何度も経験し、何とか乗り越えてきたのだと分かる。それを考えれば、現況にも少しは楽観的になれる。現在の危機を乗り越えられるかどうかは、現在の舵取りを担う人間のリーダーシップに架かっているのではないかと思う。

ちょうど今、国連を救うべく努力している、注目すべきスウェーデン人が何人かいる。例えば、いま50代半ばになるヤン・エリアソンという人物は、これまで世界各地の紛争の調停に関与してきたが、今年の9月から国連総会の議長を担当している。彼は、ハマーショルドの遺志を引き継いで、混迷する国連改革を対話によってうまく実現させようと努力する理想家であり、今後の活躍が期待される人物である。また、これまで紛争が続いてきたコソボにおける国連活動で会計監査を担当し、組織の透明化に努めてきたインガブリット・アレニウスという女性は、来年から国連本部の会計監査強化に従事することが決まっている。汚職スキャンダルが騒がれる国連活動の透明化に期待がもたれている。
ヤン・エリアソンについての以前のブログ

このように、小国に過ぎないスウェーデンが国連の至るところで大きく貢献しているのには、目を見張るものがある。今後、近い将来に常任理事国の仲間入りをして、国際社会に大いに貢献していこうとする日本にとっても、スウェーデンから学ぶところはたくさんあるのではないかと思う。

<追記>
彼の人生にまつわる余談を少しだけ。彼は実は、第一次世界大戦時に首相を務めた人物の息子だった。どうやらお坊っちゃんだったようで、なんと35歳になるまで、両親の元で暮らしていたのだという。彼はスウェーデンの政府で勤務していたときから、仕事一筋の人間で、結婚相手には恵まれなかったようだ。その後、事務総長になった彼が、その大役にそこまで積極的に打ち込むことができたのは、家族を持たず、それに時間をとられることが無かったからだとも言われる。彼の活躍を快く思わなかった大国は、彼の“ホモ説”を打ち出して、彼のイメージダウンをし、それと共に国連の機能の縮小を企んだが、どうやらうまく行かなかったようだ(これあたり、国連の汚職スキャンダルによって、現在の事務総長であるKofi Annanに執拗に泥塗りをして、国連のつぶしをしているアメリカ外交と似ている)。

華やかな公職とは裏腹に、個人としての彼の内面は孤独であった。しかし、その空白さを常に満たしてくれたのは宗教心だったといわれる。彼は熱心なキリスト教徒で、“神”に対する信仰を常に忘れなかった。ただ、彼にとっての神とはキリスト教にとらわれない、より普遍的な“神”だったのではないかと私は思う。困難にぶつかるたびに、彼は自分の中のこの“神”を見つめ、進むべき道を見出そうとした。この“神”との“対談”を記録したメモが彼の死後、国連の彼のオフィスから見つかり、それをまとめた物が1963年に「Vägmarken(道しるべ)」として刊行されている。

彼は事務総長として活躍する以前は、スウェーデンの省庁の官僚であった。彼は官僚としての自分のポリシーをやり通す。つまり、官僚というのは政治に肩入れすることなく、与えられた任務を忠実に全うすべき、というものであった。彼は自分自身に厳しく、自分に“課した”人生観に忠実に従って生きた。これは、後に国連の事務総長を務めるときに、より積極的な意味で生きてくる。つまり、国連に課せられた目的の達成のためには、国連が一部の加盟国の意向に従って動くだけではなく、一つのシステムとして独自のリーダーシップを取っていくべきだ、彼は考えるようになる。

最後に、彼はウプサラ大学で学び、博士号を取っている。学部時代には、学生自治会長、という名誉の高い地位についている。彼の名前が、ウプサラ大学政治学部の図書館についていることから、それから、彼のその後の職からも、彼が学んだのは政治学や法学ではないか、と思われがちだが、実は彼は経済学で博士号を取っているのだ。彼が当時、どのような博士論文を書いたのか、調べてみる価値がありそうだ。ちなみに、彼は哲学やフランス文学の素養もあったようだ。

スウェーデンで不発弾発見?

2005-12-08 09:01:17 | コラム
日本では東京で地下鉄の工事の際に、地下から第二次世界大戦当時に投下された不発弾が見つかることがある。周囲の建物からすべての人に退去してもらって、不発弾の処理する、といったニュースは、スウェーデンでも国際ニュースの端っこのほうで取り上げられたりしている。

第二次世界大戦に、運良く巻き込まれなかったスウェーデンは似たような出来事はないのかと思いきや、今日こんな事件が起こった。

ヨーテボリ沖合いで操業していたトロール船が、昨夜遅く、漁を終えてヨーテボリ港に戻り、取れた魚を市場の横に水揚げしたところ、普段よりも網が重く、別のクレーン車を使ってやっとのことで水揚げをした。魚の中に混じっていたのは、大きな鉄の塊。でもその時は、何の疑いも持たれなかった。

さて、今朝がたに明らかになったのは、実はこれが機雷だったということ。(機雷というのは、海に敷設され、艦船が触れると爆発する、海の“地雷”。スウェーデン語では、両方ともmina(地雷)と呼ぶ)第二次世界大戦当時のものだと推測された。最悪なことに、この機雷の起爆装置は未だにアクティブで、いつそれが作動してもおかしくないとのこと。



急遽、警察が出動し、ヨーテボリの魚市場の周囲1.2kmを封鎖してしまった。通勤客が職場に向かい始める時間と重なってしまった。魚市場横を通過する幹線道路はこの時間は通常ごった返すのだ。それが閉鎖されてしまったために、通勤客は市内に乗り入れることができず、大渋滞が発生。魚市場付近の建物が立ち入り禁止となったばかりではなく、ヨータ運河の対岸の建物も1.2km圏内に入ったため、退去を余儀なくされた。ちなみに、私のオフィスがある大学の建物は、現場から2km。かろうじて、逃れている。

海の交通も大混乱を来たした。というのも、魚市場がある並びは、ちょうどフェリーの発着場になっており、ヨーテボリとデンマーク、イギリスを結ぶフェリーが立て続けに出たり入ったりしているところなのだ。そこも閉鎖され、運河の河口の海上交通もすべてストップしてしまったので、やってくるフェリーは港に着くことができず、ヨーテボリ沖合いに数珠繋ぎになって立ち往生。



さてさて、近年の国防軍の縮小で、ヨーテボリの海軍部隊はあいにく閉鎖されたばかり。なので、機雷のエキスパートは残る海軍部隊があるストックホルムから、わざわざ派遣されることになった。待つこと数時間。彼らによって明らかになったのは、この機雷が第二次大戦当時のものではなく、なんと第一次大戦当時のものであること。1918年のイギリス製と判明した。

トロール船が丁寧におき残してくれた、このありがたいお土産は、明日、海水中に沈めた上でヨーテボリの沖合いに船で運び出して、そこで爆破処理をすることになった。触らない限りは大丈夫だということで、午後から退去勧告は緩和され、交通もほぼ元通りになった。



------
今回のようなハプニングは、これが初めてではないそうだ。漁船が一緒に吊り上げて港に持ち帰ることはこれまでも合ったらしいが、起爆装置がまだ作動している機雷が陸に引き上げられるのは、ごく稀だということだ。

第一次世界大戦では、ドイツが開発した新型兵器「潜水艦(U-båt)」が民間の商船をも標的にする無差別攻撃を繰り返したために、イギリスを始めとする国々が機雷を敷設して、ドイツの潜水艦の航行を妨げようとしたという。今回の機雷もその一つ。

また、第二次世界大戦では、スウェーデン周辺の国々はドイツに占領されている。ノルウェー、デンマークはドイツの手に落ちた。スウェーデンとデンマークの間のKattegatt海峡は北海とバルト海を結ぶ重要な航路であり、ここでドイツの動きを阻むべく、連合国のイギリスが数千におよぶ数の機雷を敷設した。また、中立国のスウェーデン海軍もドイツの急襲からヨーテボリを守るべくヨーテボリ沖合い一帯に機雷を敷設したという。

------
さて、今回の事件で、ヨーテボリでは今朝は魚のセリが行われなかった。ヨーテボリの魚市場はスウェーデン西海岸で獲れた魚が集まってくるだけでなく、ノルウェーなどから輸入される魚介類も、一度ヨーテボリに運ばれた後に、スウェーデン全国にさばかれて行くのだそうだ。だから、クリスマスを前にした、魚介類の需要の高い季節だけに、各地で魚の品不足が発生しそうだ。というわけで、まだ機雷が港にあるものの、今夜は特別に市場が開けられ、今朝の分のセリが行われたとのことだ。

ストックホルム-ヨーテボリ直通のX2000

2005-12-07 07:35:38 | コラム
ヨーテボリ大学経済学部の博士課程は、毎年秋学期に新規の研究者候補生を10人ほど受け入れていたのに、新規の受け入れが隔年になってしまったために、今年は新入生ゼロ。予算の縮小が大きな原因だ。去年の秋学期に駆け込みセーフでうまく候補生になれたことを考え、改めて胸をなでおろすが、経済難の影響はこれだけにとどまらず、開講される講座数の減少という形で、現在の博士課程の学生にも大きく影響を与えている。最低限の基礎科目はこれまでどおり提供されるものの、2年次の応用科目の数が少ない。大学側は、関心のある講座が他大学で開講されているならば、そちらに出向いて受講してくれといっている。

というわけで、現在ストックホルム大学でIndustrial Organization(いわゆるIO)を受講している。交通費や宿泊費などの経費などは大学が肩代わりしてくれるので、いいのだが、いわゆるスウェーデンの超特急X2000を使っているので、大学側にしてみればこの方が逆に高つくのではないかと疑問に思う。

朝6時ヨーテボリ発のX2000は途中ほとんどノンストップでひた走るので、ストックホルム到着を2時間45分で達成する。日本でいうなら名古屋と東京間を新幹線で通うという感じであろうか。スウェーデンのX2000はおそらく最速220kmくらい出しているのか、とてもスピード感がある。一方で、日本の新幹線のような乗り心地よさはない。振動がやたらと激しい。車体のサスペンションの性能が悪いのか。それとも、路面に起伏があるのか。スピードを優先させるために、やけくそになって走っているみたいだ。路面の悪い砂利道を、普通の車で思いっきり突っ走っているときのあのガタガタに似ている。スウェーデン国鉄SJ、もうちょっと頑張ってね。

今日の帰りも、ストックホルム-ヨーテボリ間ノンストップのX2000だ。5時半という夕方の通勤ラッシュの時間に合わせてあることを考えると、この2都市間を通勤している人は、少なからずいるのだろうか。車両の手配がつかず、発車の定刻2分前になって、やっと列車がホームに入ってきた。数分遅れで出発。ノンストップなので、後はヨーテボリにつくのを待つだけ。午後3時を過ぎれば暗くなる今では、もちろんこの時間は車窓は真っ暗。でも、やたらとスムーズに走っている感じがした。ヨーテボリに到着する直前にアナウンス。「間もなくヨーテボリです。いやぁ~喜ばしいことに、定刻よりも7分早い到着です。」しょっちゅう遅れるスウェーデンの列車だけに、乗客からは笑いが漏れ、拍手も上がった。SJ、気合入れるときは、逆に入れ過ぎるんですネ :-)

『地球ラジオ』

2005-12-04 22:11:01 | コラム
NHKラジオ第一の『地球ラジオ』に10分間ほど飛び入り参加することになりました。「地球ズームイン」というコーナーで、スウェーデンからの話題を紹介します。“国連の60年、ハマーショルドの100年”というテーマで、戦後の国連外交におけるスウェーデンの活躍をちょっとだけ紹介します。

日時は12月10日、日本時間の午後5:05から。
放送後一週間は、番組のホームページ上でも放送が聴けるそうです。
それから、放送当日は同じホームページ上にいくつか写真が掲載されるようです。

NHK 地球ラジオ