スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

夜9時のニュースから

2005-01-31 07:34:13 | コラム

先週末は、ストックホルムの北方にあるウプサラに滞在した。私がスウェーデンへ発つ1年前に京都で知り合い、スウェーデンへ来てからも兄のように親しくしてきた5年来の友人Mattiasを訪ねる。彼はちょうど僕が京都大学からスウェーデンへの交換留学の応募を考えはじめ、さてストックホルム大学かウプサラ大学のどちらを希望しようかと迷っていたときに、ちょうど京都大学にウプサラ大学から来たばかりの交換留学生だった。彼の薦めもあって、ウプサラ大学に応募し、私がスウェーデン生活を始めた1ヶ月後に彼も日本での留学を終えてウプサラに戻ってくるという、ちょうど良いタイミングだった。

米子にも遊びに来たことがある、彼のガールフレンドとは2年前に結婚し、彼は労働法専門の弁護士をし、彼女は文部省大学教育課の官僚で、残業や週末勤務が重なり多忙な生活を送っているのだが、二人とも自分の関心のある分野で自分の能力を発揮し、やりがいのある職業人生を送っている。いつも泊めてもらう彼らのアパートはところどころ棉ぼこりが目につき、掃除のする時間も無いことがわかる。

そろそろ子供を持つことを考えているようで、彼が去年の秋に転職したときに、転職先に示した条件は、育児休暇が取りやすいこと、だったらしい。とはいえ、二人が働いているはほぼ公共部門なので、育児休暇を取るのにそれほど支障はない。(民間企業だと、スウェーデンでも取りにくい所もあるらしいのだ。)

今回、ウプサラではこのほかに、ウプサラ在住の日本人の方々と話をする機会が会ったのだが、それはまた別の機会に・・・。

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夜9時のニュースから。

昨日のイラクの総選挙では、過半数を超える有権者が票を投じたということだが、民族グループで投票率に差があり、まだ安心ができない。というのも、イラク国民の多数を占めるスンニ派イスラム教徒が選挙に先駆けて、ボイコットを宣言し、その結果、彼らの投票率はシーア派イスラム教徒やクルド人に比べると大きく落ち込んだらしいのだ。

その投票率の格差が大きければ、いくら今回の総選挙の結果が手続き上は“合法的”なものでも、国民全体が総選挙に関与して意見を訴えた結果として出された結論、そしてそれにより形成される政府、という意味での“正統性”を、この選挙結果が欠いてしまう恐れもある。

言い換えれば、スンニ派イスラム教徒にとって、自分たちがそれほど関わってもいないし、票を投じたわけでもない選挙の結果によって、イラク政府、イラク国会が形成され、それが決定する法律や政策が、自分たちの日々の生活に影響を与えるようになると、「何でそんなものにハイハイと従わなければならないの」という反発につながる可能性もある。民主主義統治の“正統性”とはこういうことだと思う。イラクのすべての国民が、今回の選挙の結果に“正統性”を見いださなければ、たとえ一つの政府が形成されたとしても、それがうまく機能するのは難しくなる。

選挙結果が公表されるまでに一週間ほどがかかるそうだが、予測によるとやはり、投票率の比較的高かったクルド人勢力やシーア派勢力の政党が優勢らしい。この選挙の結果に形成されるイラク国民議会の最大の仕事は、イラクの基本法(憲法)を策定することだが、スンニ派がその過程から排除されてしまうと、内紛の火種にもなり、民主国家イラクが出だしからつまづくことになる。

だから望ましいのは、今回の選挙でたとえ勝利した政党や勢力でも、スンニ派を取り込んだ形で連立政府を形成し、そして、スンニ派も選挙結果を受け入れることだろう。

今日の報道だと、これまで総選挙に消極的だったスンニ派の有力者が、基本法作りには加わりたい、という発言をしていた。イラク国民議会を認めようとしない態度を改め「妥協の手をさしのべる」とも取れる発言なので、これには期待したい。

それに加え、イラク戦争に際し、アメリカの「犬」となって戦争支持に回ったイギリス・スペイン・デンマークと、戦争に反対するドイツ・フランス・スウェーデンなどの対立で、内部分裂に陥っていたEUが、イラク議会の形成後に文民の法律・行政エキスパートをイラクに派遣し、基本法や行政の基本作りに協力する意向も示した。

イギリスの有力紙Independentが社説で「イラクの将来は明るいものでなければならないが、それがたとえ実現したとしても、それが遡及的 (retroactively)にイラク戦争を正当化するものではない」と書いた。僕も全くその通りだと思うが、一つの国造りに世界中の協力が必要な今、EU全体としてイラクの国造りに参加し、そして、ヨーロッパとアメリカとの間の溝が縮まっていくのを願いたい。


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同じく9時のニュースでは、日本からのルポタージュも。津波災害に対して地震大国日本ではどのような対策が取られているのか、ということで、スウェーデンの公共テレビSVTが東北の町、大船渡を取材していた。ここは、過去65年間に3回も津波の被害を受けたということ。日本から遠く離れた南米のチリ沖で起こった地震。この津波が日本の太平洋岸を襲った。その災害を生き残った人々の体験談や、その後、行政がどのような対策を取ってきたかという話題だった。

ヨーテボリ映画祭

2005-01-29 08:31:52 | コラム
今日から1週間にわたってスウェーデン第二の都市 ヨーテボリで「Göteborg Filmfestival 2005」が始まった。規模が半端ではない。市内にある20近くの映画館や劇場などを使って、なんと500本近い映画を上映するという。世界中の最近の名作で、普段なかなか見ることができない映画を掘り起こして上映するのだ。長編の映画だけでなく、短編の映画もいくつかある。

今回の目玉は、「映画監督と議論しよう!」 いくつかのスウェーデン映画の上映の後で、観客が監督を交えて、感想を述べたり、映画に関して議論したりできるのらしい。観客は監督の意図が生の声で聞けるし、監督のほうは観客からのフィードバックが受けられるというわけだ。

それから、アメリカの9.11テロ事件を扱った世界の映画の特集もある。あのテロ事件が世界の各国や異なる文化圏でどのように受け止められたのかを知ることができる。テロの原因をアメリカに追及する見方もそこには存在する。世の中の出来事を多角的に見ようとするのはいかにもスウェーデン的。

日本の映画もいくつか。
・INU-NEKO ~The Cat Leaves home~(2004) 監督:Nami Iguchi
・Hana & Alice (2004) 監督:Shunji Iwai
・About Love (2004) 監督:Ten Shimoyama

この映画祭のホームページが用意されているので、物好きな方は以下をどうぞ。
http://www.filmfestival.org/filmfestival/ (言語を選択)
プログラムは、 http://www.filmfestival.org/pdf/PROGRAM_GFF05_hela.pdf (これはスウェーデン語のみ。7MB)

このヨーテボリの映画祭が自称「スカンジナヴィア最大」らしいのではあるが、ストックホルムでもたしか秋に映画祭をやっているし、ウプサラではShort Movie Festivalをやっている。我が町Jönköpingでも、こじんまりとしたものだけれど8月終わりに映画祭をやり、世界の映画20本ほどを上映する。去年はここでも日本映画が!
・着信あり(ホラー):日本のこの手のホラーは結構珍しいみたいで受けている。

スウェーデンの大学事情 (2)

2005-01-28 08:41:05 | コラム
補助金制度は最大12学期間(6年間)給付が可能。学ぶ内容によって異なってくるが、学士号を取るのにかかる期間は6学期から7学期間、修士号は8学期から10学期間、そして卒業していく。だから、12期間という制限が許す範囲で余った期間は、自分の専門を絞る前に、関心のある分野が本当に自分に合うのかを知る「お試し期間」としても、一つの学位を終了したあとにさらに別の分野を学ぶための「分野拡大期間」としても使える。

実際、新入生の2割から4割が最初の1学期目・2学期目の間に脱落していくのだそうだ。最初は興味があったのだけれど、いざ囓りはじめてみると、想像していた教育とは違っていた、といって分野を変更する学生もいるだろうし、または、大学の授業についていけないといって投げ出す若者もいるだろう。もしくは、高校を卒業して、大学でも学びたいものの、さて自分にはどんな道が合っているのか分からないという若者が、ひとまず、いろいろな分野に触れてみるということもよくある。医者養成プログラムでは学生の適性を早いうちに見極めるために、1年目から“人体解剖”を始めるのだそうだ。こうすることで大学側(国、もしくは社会全体にとって、と言った方がよいだろう)は、コストのかかる医学教育を2年も3年も受けた学生が、途中で脱落してしまい、それまで社会がその学生に費やしてきた「投資」がパーになってしまうことを防いでいるのだろう。

さて、このような「お試し期間」もしくは「モラトリウム期間」に対しては、国費の浪費と呼んで、批判する者もおり、意見が分かれるところである(この後の“授業料導入論”参照)しかし、いまのところ社会の大勢が、若者が自分の将来の道を選べる自由を助長するものと、肯定的に捉えているようである。実際、一度その科目を選んでしまったがために「ホントはこんなはずじゃなかった」と思いつつも、それが後々の人生まで影響してくる、というような個人の適性と大学での学習内容、さらには将来の職業選択とのミスマッチが減って、良いことだと僕も思う。一人一人が自分の適性に応じて「納まるべき所に納まる」ということだろう。

学部(プログラム)を無事終了し、一つの学位を取得した後に、さらにもう一つという熱心な学生もいる。ある友人は、経済政治プログラムを終了し、学位としては経済学の修士号を取得したが、政治にも関心があるということで、政治学の修士号を取ろうと頑張っている。彼の場合、経済学と政治学の基本科目は共通なので、改めて一から始めるわけではない。4年生レベルの政治学科目をいくつか履修し、学士論文と修士論文を書く必要があるので、さらに2・3学期が必要となる。彼の場合は、補助金制度のあまりの期間がそこまで無いけれど、あとは論文だけという段階になれば、働きながら論文を書いて発表し、学位を取得することも可能だ。

ただ、90年代以降は、若者の失業がスウェーデンでも増えており、仕事があれば大学を離れていただろう学生が、所得代わりとなる学生補助金・ローンを得るためにいつまでも大学に残る、という傾向もある。大学制度が、失業した若者の所得保障として利用されている一方で、政府の見解としては「国際的な産業構造の転換に伴って、スウェーデン国内の労働需要が、より高スキルを備えた労働力に移っているため、国民の知識水準が高まっていくのはよいこと」としているが、現実問題としては大学を卒業しても職がない、というような若者が増えているのも事実だ。

スウェーデンの大学事情 (1)

2005-01-26 07:55:05 | コラム
今日お昼のニュースによると、ドイツの大学で一般の学生からの授業料徴収することが可能になった。スウェーデンと同じく、ドイツも1960年代終わりから、大学の授業料を廃止し、誰でも無料で大学で学べるシステムが構築してきた。今日の裁判所の判断で、授業料徴収が可能になり、ドイツはその原則を次第に放棄していくことになる。

こう書くと、えっ!? スウェーデンでは大学教育が無料なのか?といった驚きの声が上がりそうだが、まさにその通り。その辺の大学生事情を何回かに分けて書いてみたい。

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スウェーデンの大学教育について、紹介してみたい。日本の大学教育制度とは大きく異なる点が数多くあるが、まずはじめにあげたいのが授業料が無いということだ。

大学教育はスウェーデンのすべての大学のすべての学部(より正確にはプログラム。以下参照)で授業料が無い。この根拠は以下のスウェーデン政府の見解に端的に表されている。「政府の基本的見解は、高等教育は市場で取り引きされるモノやサービスというよりはむしろ、社会的権利であるべきだということだ。そのため、スウェーデンは強力な国費支出に支えられた、授業料のない大学教育システムを確立してきた。より多くの人々に大学教育の機会を与え、社会の中の一部のグループの人間だけが大学に進むという社会的格差を減らすために、各県に少なくとも一つの強力な国立大学を建設してきた。」(2004-02-28, Dagens Nyheter Debatt(意見記事)文部大臣Thomas Östros)

もちろん、無料で大学に行けるというだけで、誰もが個人の経済状態に関わらず、自由に大学に行くことを選択できるとは限らない。大学に行くということは、同時に、その間バイトでもしない限り、収入の機会を失うということでもある。生活費に困ってしまう。そのため、政府はすべての学生に対して、学生補助金制度を適用している。フルタイムの学生であれば、毎月2372クローナ(35580円)を返済義務のない学生補助金(studiebidrag)として、さらに4528クローナ(67920円)を返済義務のある学生ローン(studielån)として国から支給されている。たいていの学生がこの両方の給付を受ける(合わせて103500円)。これらは、個人の所得に関係なく、希望者すべてに支給される。支給は最大12学期間(つまり6年間)。(数字は2004年現在。学生補助金制度を管轄するCSNの資料より)

それから、若者の一人暮らしを容易にするために、政府はさらに若者向けに住宅補助金制度を設けてもいる。こちらのほうは、家賃の半額から3分の1をカバーする。個人の所得に応じて支給額が異なってくるので、アルバイトなどで所得が一定以上ある学生には支給されない。学生補助金・ローンとこのような制度のおかげで、学生が経済的に自立して、自分の道を決め、大学への進学も可能になる。

さて、学生補助金制度だが、学生側はそれを一方的に利用するだけでは済まされない。1学期間に必要単位の75%を取得しなければ、次の学期に学生補助金・ローンが支給されないのである。そのため、必死に勉強する。多くの科目では、単に教官が一方的に講義をし、最後に試験をするだけというような日本の大学とは違い、スウェーデンの大学では、講義の他に、大量の文献を与えられ、学生が積極的に議論に参加しなければならないセミナーや、グループワーク、課題提出などが頻繁にあるので、日本に比べたら学生生活はかなり忙しいのである。

それでも、必要な単位を取得できなかったらどうなるか。その場合は、次の学期は補助金やローンを受けられないので、働きながら大学に通うか、大学から一時離れて、働いてお金を貯めてから、再び復学しなければならない。知り合いの女の子は看護学科に通っていたが、いくつかの試験に合格できなかったため、今学期は実家に戻ってアルバイトをしている。スウェーデンの大学では、課題提出や試験で不合格になっても、再試験があるので、それに合格すれば単位を取得できる(もちろん評定は異なってくるけれど)。だから、日本みたいに試験で失敗したために、またもう一学期、もしくはもう一年やり直しということはない。再試験はその学期内にもあるし、その科目がその大学に存在する限り、それ以降の学期に受けることもできる。だから、その子は再試験のために、たまに大学に戻ってきて再試験を受けている。そうやって、前学期の必要取得単位の75%ハードルをクリアしてから、再び学生補助金制度を利用することも可能なのである。その子は、今はもう勉強にうんざりして大学に復学する気はないけれど、近い将来気が変わったときに、補助金が受けられるように、そうやって準備しておくのだそうだ。(それに、時間がたって内容を忘れてしまうと、一からやり直しをするのは、大変な苦労になるからだとも思う。)

(続く・・・)

小説 ”I Taket Lyser Stjarnorna”(天井にかがやく星たち)

2005-01-25 07:38:23 | コラム

成人高校での「スウェーデン語B」で現代作家の小説を指定され、電車に乗りながら読んでいる。タイトルは ”I Taket Lyser Stjärnorna”(天井にかがやく星たち)といい、13歳の女の子が主人公だ。青少年文学といった感じで、とても読みやすいのだけれど、あなどってはいけない。テーマは重い。彼女のお母さんは乳ガンで日々弱っていく。その女の子とお母さん、そして周りの友人を巻き込んだ物語で、思春期の子供の感情を斬新な表現で見事に書き上げている。特に母親とのやりとりを書いた部分は涙なしには読めない。今日も、比較的混んだ電車の中で読んでいたら、思わず涙が出てきて恥ずかしくて仕方がないので、目を閉じて寝たふりをしていたら、いつの間にか本当に寝てしまっていた。

この小説はスウェーデンでの新人賞(直木賞だっけ?)に当たる「アウグスト賞」を2003年にとっている。作者は書いた当時20歳。小耳に挟んだところによると、彼女も母親をガンで失っており、その経験を三人称で書いているのだそうだ。だからこんなにありありと書けるのかと感心する。

印象に残る文章:
(母親との絆の象徴である蛍光色の星が、次第に衰弱していく母親の病室の天井に張られているのを見て娘がいう)
「ほとんど見えないじゃない。暗くなったときにしか存在しないよ。」イェンナ(娘)は母が首を振った気がした。「そうじゃないんだよ。」と母はいう。「実際には目に見えなくても、ちゃんとそこに存在する物もあるんだよ。心に留めておきなさい、イェンナ。」


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最近は寒いせいもあって、おなかが常に空いてしょうがない。一回にたくさん食べて満腹感が持続するようにしたいのだけれど、腹が減ってイライラしてくる。出費を減らしたいので、外での「買い食い」は極力減らしたいのだけれど、おなかが空いては頭も回らなくて眠くなるだけ。

背が高いくせに、朝はシリアルにヨーグルト、昼は軽くチョコチョコっと、夜もチョコチョコっとしか食べないでいて、平気な顔をしているスウェーデン人の友達が信じられない。彼らにとって、暖かい食事は一日に1回か2回取ればそれで満足なのだそうだ。日本ではたいてい一日3食とも、火の通った温かい食事をとり、簡単なサンドイッチやシリアルで済ますことはあまりない。僕が日本に住んでいたときに、朝食に温かいご飯と、目玉焼き、焼いた魚またはソーセージ、それにみそ汁を食べていた話をすると、あぁ可哀相に日本人は一日1食しか食べないのね、といった反応を示した人がいたけれど、いやいや朝食は一日の始まりに過ぎず、ちゃんと昼食も夕食も食べていることを念を押しておく。スウェーデン人の耳には日本人の朝食は、豪華な夕食のように聞こえるようだ。(ちなみに、スウェーデン人がチョコチョコとしか食べないと書いたのは、彼らがいつもチョコレートばかり食べているという意味ではなく、あれっもう終わったの? と人の気がつかないくらい早い食事の取り方をすること。量も少ない。)

最近は、あぁ多分、彼らの胃袋は燃焼効率がとってもよいのか、それとも原子力発電でもしているのかと思うようになってきた。それに比べて、僕のは19世紀の発明したての蒸気機関なのだろうな。

在ストックホルム日本人会新年会

2005-01-24 06:15:20 | Yoshiの生活 (mitt liv)
海外で暮らす日本人同士で何かネットワークがあるのか? 町でたまたまであった日本人同士による付き合いから、地方レベルのもの、そして、その国にある日本大使館を巻き込んだものまでいろいろある。もちろん、短期滞在の学生にとって短い期間にいかにその国のことを知るかが大切だから、日本人同士でばかり集まるよりも、そこの国の人々と知り合いになったほうが、得られる情報量は断然違う。僕も過去4年間、日本人同士の付き合いはそれほど興味がなかった。それでも、見知らない国でそれぞれ生活を始め、自ら道を開拓し、奮闘してきた経験を日本人同士で交換することで、新しい発見があるし、日本人ならではの情報を手に入れることができることもある。

というわけで、ストックホルムにあるスウェーデン日本人会の新年会に今回初めて参加してきました。会場に早く着き、いくつか並べてある長机の、さてどこに座ったものかと見渡していると、一人おじさんがポツンと座っていたので、人も良さそうだし、大して考えもせず「隣に座ってもいいですか?」と尋ねてみると、かなりビックリした様子で「分からない」ということなので、あっそう、と思っていると、かしこまった人がやって来て「ここは来賓の席です」とのこと。それでも、その来賓席の隣に座り「今日は晴れましたね」とか「人が来るのはこれからみたいですね」といった調子でその人に話しかけてみる。

さて、新年会がいざ始まって分かったのは、この人は実は駐スウェーデン大使だった! 馴れ馴れしく話しかけてくる若僧にちょっと戸惑っていた理由が、ここに来てやっと分かった。失礼しました!

でもこの駐スウェーデン大使、新年会参加者の注目を一身に集め、会を盛り上げてくれた。とにかく歌が大好き。会の始めの挨拶からスウェーデンの近代古典Bergmanの歌を歌い、その後、日本人会の桜コーラスグループの中で唯一の男性として大活躍。そして、極めつけは特別ゲストのメキシカン・バンドの誘いに乗って、舞台に登場し、アドリブで共に踊って唱って・・・。
唱って踊れる駐スウェーデン大使


いやぁ~、驚きました。外交官として大使まで上り詰めるためには、人付き合いが上手で芸もできなければいけないんだな、と思っていたら、ここまでうち解けて人気者になれる人は大使でもあまりいないという。通称「唱う大使 (sjungande ambassadör)」と呼ばれているらしい。

この会に集まったのは全部で120人くらいだろうか。日本企業の駐在員をはじめとしてこのストックホルム一帯に1000人以上は日本人がいるというから、それに比べたらずいぶん少ない。集まっていた人はスウェーデンの人と結婚してこちらに長く住む人が多く、妻や夫、そしてハーフの子供連れの家族をよく見かけた。日本大使館関係者はこの大使と大使夫人、そして付き添いの人三人のみのようで、他の人は来ていなかった。今回のは一般の人を対象にした新年会で、これとは別に日本大使館で日本企業の代表やお偉いさんを集めたフォーマルな新年会もあるのだそうだ。

Dell お客様サービスセンター @Stockholm

2005-01-22 07:29:51 | コラム
消費者トラブルはいつでもやっかいなもの。年末にDellでスキャナー付きプリンターを注文した。年が明けて届いた箱を開けてみると、プリンターとは別に注文したインクが入っていない! その代わり、プリンター自体に付属でインクが付いていた。

Dellのホームページ上にクレームを送る機能があったので、別注文のインクが入っていなかった、それから、これをキャンセルしたい、と書いて送った。しかし2週間待てど何の返事もないので、今日ストックホルムのお客様サービスセンターに電話をしてみた。

調べてもらうけれど相手は「ちゃんと送った」としか言わない。それでも「受け取っていないというなら運送でミスがあったのだろうから、再度送る」と言う。よし第一ステップ通過。

私: 「でも、プリンター自体に付属でインクが付いていることは、注文する際のホームページ上の情報が明確でなかったから、別にインクを注文した。だから、それをキャンセルしたい。」
Dell: 「何で早く連絡をしなかったの。もう2週間以上経っているから、キャンセルはダメ」
私: 「お宅のホームページ上の機能を使って、2週間以上も前にちゃんと苦情は伝えたはず。返事をしなかったのはむしろあなた方のほう。」
Dell: 「あなたの顧客情報を見る限り、あなたからそのような苦情をもらった形跡がない。」
私: 「そんなことはない」

Dell側で相談するということで、10分間待つ。♪~♪~♪~

Dell: 「調べてみたけれどあなたから通知は来てないようだ。でも、今回はあなたのいうことを信じるということで、お金を返したい。銀行の口座番号を教えて。」

よし第二ステップ通過。ゴール近し! でも、そんなときに限って手元に口座番号がない! しかも、こちらの銀行キャッシュカードにはVISAの番号だけで、肝心の口座番号が書いてない!
数分後にもう一度電話して口座番号を伝えたいが、あなたに電話すればよいかと尋ねると、注文番号を言えば何のことだか分かるから、誰が電話に出てもよいとのこと。

さて、口座番号を調べてから、再びお客様サービスセンターに電話。今度はデンマーク訛のスウェーデン語を話すデンマーク人が電話に出る。

私: 「返金をしてもらうために私の口座番号を伝えたい。先ほど電話してトラブルは解決済み。私の注文番号は××。」
Dell: 「う~ん。私がこうしてみる限り、どこにもそんな情報は書いていないよ。・・・」

はぁ、ここでもう一度事情を話す。また第一ステップからやり直し。しかもこの女性、訛だけじゃなくて単語もデンマーク語をたまに使うから、聞き取りにくい。もともとデンマーク語とスウェーデン語は発音がかなり違うものの、単語はかなり似ている(だから、デンマークの新聞はスウェーデン語感覚で読める)。それに彼女は一応スウェーデン語風に喋ってくれるから、こちらはだいたい理解できるけれど、たまに微妙な単語の違いがある。(例えば、日本語で「汽車」と言うところを中国語では「火車」と書かれると、何のことか戸惑ってしまうみたいな) だから、途中で会話を止めて「あなたが言うこれは、このことだね」と確認しながら前進していかなければならない。(これでよくスウェーデンのお客さん相手に仕事ができるものだ)

こうやって、全く同じ内容の議論をもう一度10分にわたり繰り返すが、残念ながら今回は第二ステップを通過することができず、Dell側はキャンセルを認めようとしない。Dell側でもう一度相談してから返事をしたいから、のちほど電話をくれるとのことだ。

はぁ、トラブルはもう解決済みで一度、互いに合意に至ったのに・・・。最初に話をした女性の名前を書き取っていれば、彼女と直接話をすることができたのだが、これはうかつだった。そんなこんなでお昼時の1時間があっという間に過ぎた。

とまあこんな感じで、去年の秋以降、消費者トラブルに巻き込まれることがなぜか多い。私の感じるところ、自分の主張を曲げずにしっかりと伝えれば、日本に比べたら若干、融通が利いて消費者に有利な形で合意に至れるような印象を受けてきたが、こればかりはずいぶん個人的なものなので、一般化は容易にはできない。いずれにしろ、頑と張って他人と交渉するのはずいぶんエネルギーを要する。

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この週末はストックホルム。月曜日にまた会いましょう。

一日のリズムを保つ

2005-01-21 06:23:38 | コラム


間接照明もいいけど室内を明るく!

毎年、秋からこの時期にかけて困ることがある。
夜寝付けないこと。
家に帰ってくると体がだるくて眠くて仕方がないのに、いざ寝付こうとする夜中12時頃にはなかなか眠れない。夜中も目が覚めることもよくある。朝は逆に起きられない。ムリヤリ起きあがっても、寝た気がしない。そして日中は頭がぼんやり。とまあ、こんな感じ。

日本でもこうだったのか、あまり覚えていないけれど、極端な日の短さが原因の一つのような気がする。実際、いろいろ話を聞いてみると、ここの国の人々もなんと半数が冬の間に日照時間の短さに関連する何らかの問題を抱え、2、3%は鬱病にまでなるのだそうだ。典型的な症状は、夜眠られない、倦怠感が常につきまとう、人に会うのがおっくうになる、などなど。



やっぱり、日光が私たちの体に与える影響は大きい。12月21付朝刊(DN)の科学欄によると、

“人間は日中活動する動物で、体内時計によって制御されている。夜になると、体内であるホルモンが形成され、それがわれわれを眠くさせる。朝になると、そのホルモンの代わりに、アドレナリンなど人体を活発にさせるホルモンが分泌される。

ホルモンの分泌は、光の浴び方によって左右される。日中に十分太陽を浴びないと、体内の時計が狂い、長旅による時差ボケに似た状態になる。元気になるためには、朝すぐに電気をつけたりして、身の回りを明るくして光を十分に浴びること。そうすることで、体が活発になり、活性化ホルモンが分泌される。”


とのこと。それから、朝は元気がいいのに、夕方になるとどっと疲れがでる人は、午後から夜にかけてもしっかり光を浴びるようにするといいらしい。

日本で見たバラエティー番組のこんな実験をやっていた。ある大学生の男の子に窓が無くて日光が全く入らない部屋に1週間住んでもらう。しかも、この部屋には時計がないから、睡眠の時間や食事の時間はすべて自分の感覚で決めて生活してもらう。(何と可哀相な大学生!)こうやって、彼の一週間の生活リズムを追ってみると、何と彼の”1日”がだいたい25時間のサイクルで動いていることが分かった。つまり、体内の“時計”は1日24時間よりも少し長いというのだ。

これが本当だとすれば、ついつい夜更かしをするのが比較的簡単だったり、日本からヨーロッパへ旅行に出た最初の日に、一日の長さが長くなっても体が比較的適応しやすいのに、逆に日本へ帰国するときに一日が急に短くなってしまうと、体が適応できなくて時差ボケになる、というのも理解できる気がする。

どういう文脈でそんな実験をしていたのか忘れてしまったが、要は体内時計の一日の長さは本当は24時間より長いのだけど、ふだんの生活の中でそれを毎朝太陽を浴びることによってリセットさせているということだった。

というわけで、皆さん、とくにスウェーデンに住んでいる方々、太陽なり、電灯の明かりをしっかり浴びましょう!
ところで、夜ちゃんと寝付けるようにするいい方法、知っていたら教えてください。

効率と多様性

2005-01-20 08:11:50 | コラム
林業はスウェーデンの基幹産業の一つでもある。4割を杉、そして別の4割を松が覆うスウェーデンの森林は、国土が平らだということもあり、機械の導入が比較的容易だ。

僕も実際にスモーランド地方で伐採作業を見せてもらったことがあるが、ショベルカーの様な重機にショベルの代わりに大きな「手」が4つほど取り付けられている。その「手」が杉の大木を挟み込んで固定し、チェンソーで根本から切り倒す。木を横に寝かせた後は、「手」の内側に取り付けられたローラーが回りだし、「手」が木の根本部分から上部に向かって滑っていく。その時に「手」の外側に付けられた小型のチェンソーが小枝を次々と切り落としていく。だから、「手」が木の上部に到達する頃には、枝がすべて切り落とされた丸太が完成する。それと同時に、木を切り倒したのと同じ大型のチェンソーが丸太を適当な長さに切っていく。

一本の大木を切り倒し、綺麗な丸太にするのにかかる時間は1分も無い。このような機械化によって、人件費が削られ、生産性が向上する。だから、険しい山地が連なる日本の中山間地の林業に比べると国際競争力が高いし、林業が産業の一つとして生き残っていけるのではなかろうか。

機械を大規模に導入して林業を行うには、均質で手入れのしやすい森を育てていく必要がある。杉なら杉、松なら松だけを植え、広葉樹などの雑木は刈ってしまう。こうして20世紀半ばから画一的で均質的な森が形成されていく。実際のところ、スウェーデンの森林の大部分は人の手によって育てられた森だという。人の手は植物相(flora)をも変えた。昔からスウェーデン南部は「ヨーロッパの広葉樹ベルト」に属していたのだが、ブナや菩提樹、オークなどの広葉樹は今ではあまり見られなくなったという。

そして10日ほど前の大嵐。この時、このような杉や松の森林が大きな被害を受けた。というのも、針葉樹というのは広葉樹に比べて根があまり深く張らないのだそうだ。だから、風に弱い。たった1日の大風でスウェーデンの林業が一年間に刈り取る量に相当するだけの木々がなぎ倒されてしまった。

面白い事実がある。林業の近代化の過程で、周りの森林が機械に適した均質的な森にかわっていく中でも「感傷的、審美的、もしくはエコロジー志向の理由によって、オークなどの広葉樹を切らずに残した林業家がいた。彼らは、林業企業や行政から馬鹿者扱いをされ、すぐにでも規格にあわせるようにと催促された」(DN 2005/01/19) そして今回の嵐。あれだけの暴風でも生き残ったのは何とそのような多様性を残した森だったのだそうだ。根が深く張る広葉樹が風に弱い針葉樹を守ったというのだ。そして、そこには昔からの知恵があった。“広葉樹による防風、強風に耐えられるような間引き、そして地質と地形への考慮”

経済的利益と効率性を優先して作り上げられた均質な森林が大きな被害に遭い、その一方で、昔からの知恵を守り、多様性を考慮した森林が比較的よく生き残ったのは皮肉な話だ。もちろん、経済優先を批判するわけにもいかない。そういった効率性への考慮がなければ、スウェーデンの林業だって淘汰されていたかもしてない。だが、それだけでは済まされない。多様性というのは一つのキーワード。これは林業だけじゃなくて、社会全体にもいえることじゃないかと、ふと考えてしまった。

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スウェーデン南部の地方鉄道のいくつかは、未だに不通。さらに3万世帯が倒木による電線切断のためにまだ電気が通わない。寒い冬と長い夜を、電気なしで暮らすのは容易なことではない。嵐の後遺症はまだまだ続く。

試験終了

2005-01-19 08:47:21 | コラム

試験が終了。早朝8時から14時まで。制限時間の6時間をまるまる使い切る。こんなに試験時間が長いから、お菓子やサンドイッチ、果物の持ち込み可。飲み物ももちろんOK。トイレも行けるし、何と同伴付きで喫煙もOK。何と人間的か。こうして書き上げた解答用紙は計20枚也。

そのあと、クラスメイトと飲んだビールの味が格別だった。空きっ腹だけにほろ酔いしながら、休む暇なく、再びバスに揺られてヨンショーピンに戻ると、今晩はスウェーデン語夜間コース。ここでさらに3時間半の授業はもう限界だったけれど、何はともあれ、肩の力が抜けていくのが感じられる。

イラク総選挙の在外投票

2005-01-18 08:43:53 | コラム
イラクの議会総選挙が1月30日に迫ってきた。現地では選挙妨害を企てるテロが相次ぎ、選挙の準備もままならないようだ。一刻も早くイラクの統治が外国勢力からイラク人の手に実質的に移って欲しいことはやまやまだが、こうして事態が泥沼化した状態では、治安回復が先か外国軍撤退が先か、または外国軍の駐留と繰り返されるテロはどちらが卵でどちらが鶏なのか、ややこしいことはたくさんある。

ところで、選挙に向けて直実に準備を進めているのはイラクだけでではない。イラクの外でも14カ国で在外イラク人による投票が可能となる。政治難民、経済難民などの形で国外で生活するイラク人は400万人に上るという。そのうちの5万から7万人がスウェーデンで暮らす。一番多いのが、フセイン政権下で迫害を受けていたクルド系イラク人。その次に、シーア派イスラム教系、そしてキリスト教系諸派が続く。現地イラクで今回の選挙をボイコットする予定のスンニ派イスラム教徒はスウェーデンでは例外的。

こうして書いていると、ヨンショーピン大学のGhazi Shukur教授を思い出さずに入られない。僕が学部で論文を書くときに、統計と計量経済学の専門家としてずいぶんお世話になった。彼もまたイラク人だ。アラビア語訛の陽気なスウェーデン語を喋る。

イラク総選挙の在外投票は、国連の関連機関であるIOM (International Organization for Migration)が管理する。投票希望者は、今週末までに有権者登録をしなければならない。その際に必要なのがイラク人だという証拠を示すこと。①イラク人の父親を持つ(母親ではダメか?)、②イラクで出生した、③現在イラクの国籍を所持するか、もしくは過去に所持していた、このうちの一つを何らかの形によって証明できればよいらしいが、実際は必要な書類を集めるのが大変らしい。③についてだが、国外での生活の間にその国の国籍に切り替えた人もいるため、過去にイラク国籍を持っていただけでもイラク国政選挙への投票が認められる、ということだろう。

スウェーデンではストックホルムとヨーテボリに計3カ所に投票所が開かれる。
投票所の無いフィンランドとノルウェーに住む在外イラク人もここまでやって来て投票を行うことができるらしい。逆にスウェーデン南部に住むイラク人にとっては、隣国デンマークの首都コペンハーゲンの投票所のほうが近いため、こちらに行くこともできる。スウェーデン北部には投票所がないが、そこに住む人々はどうするのか気になるが、在スウェーデンのイラク人の95%がストックホルム、ヨーテボリ、コペンハーゲンから車で2、3時間の距離に住んでいるのだそうだ。

イラクとは対照的に、スウェーデンでの選挙妨害テロの危険は小さいといわれている。スウェーデンには様々なイラク人団体、協議会があるが、そのほとんどがイラク議会である「国民会議」という制度を積極的に支持し、今回の総選挙を民主主義への第一歩と捉えている。そして、それらが合同の選挙支援委員会を立ち上げ、スウェーデン国内での投票PR活動を押し進めている。スウェーデンでは、警察ではなく民間の警備会社が昼夜を徹して投票所の警備に当たる。

さて、スウェーデンではどの政党に票が集まると予想されるのか。1月13日付の朝刊Svenska Dagbladetによると、ここでのイラク人構成比を反映して、やはりクルド人政党同盟が一番人気。その次が、シーア・シスタニ派支持政党、そして、非宗教宗派的政党同盟と続く。異なる宗派・民族が対立するイラクだけに、国家統一のためには宗派・民族政党だけではなく、異なるグループをまたぐ政党の出現も注目すべき所だ。三番目の非宗教的政党とはどのようなものか詳細は分からないが、共産系・社会主義系も含むという。内戦後の旧ユーゴスラビアでも、それまで対立してきた各民族をまたぐイデオロギーというと、社会主義か中道左派の社会民主主義系以外に、見つけるのは難しい。イラクでも同じことが言えるのだろう。

アメリカが擁立して現在、首相を務めるIyad Allawi氏の政党はここではほとんど人気が無いという。フセイン政権のバース党に属し、その後アメリカCIAの手先となった過去を人々は問題視しているのだという。

更新

2005-01-17 06:54:28 | コラム
先週中に更新しようと思っていたものの、本当はトントン拍子で進むはずだった試験の準備が、途中から見事に狂いだし、先週はずっと試験勉強に追われる羽目に。この週末も試験勉強に励むぞ、と心に決めたものの、土曜の夜には久々に友達とボーリング。ホントはボーリングだけで帰るはずだったものの、久々のボーリングでストライクが出まくり、調子に乗ってそのまま遅くまでバーでビールを飲む。これはイカン。やはり、誘惑には勝てません。

ムリヤリの笑顔でボーリングの
勝利を喜ぶ勝ち組


悲壮感漂う負け組


立ち上げ以来、毎日アクセス数が増えていて、とても嬉しいのですが、それと同時に期待してせっかく来てもらっている皆さんために、しっかりと更新しなくては!

というわけで、下に一、経済ネタを載せました。
火曜日にもう一つの試験が終わるので、それからまた活発化させます。

産業の空洞化と雇用喪失

2005-01-16 06:44:46 | コラム

EUが去年の5月に東欧諸国に拡大し、10カ国が新たに加盟国となった。(エストニア・ラトビア・リトアニア(以上バルト三国)、ポーランド、チェコ、スロバキア(今はそれぞれ独立国)、ハンガリー・スロヴェニア(旧ユーゴ)・マルタ・キプロス) EUの大きな柱である、域内の関税の撤廃と生産物やサービス、そして労働力の自由な移動という原則がこれらの国々に対しても一部条件付だが、適用されることになった。ベルリンの壁が崩壊してから急速に市場経済を取り入れ、経済発展を目指すこれらの国々にとって、EUに加盟したことによる外国からの投資の増大は、今後の発展のための大きなカギだ。

黄色:加盟国、オレンジ・緑:加盟交渉中

西欧から東欧への投資は、それ以前からも進んでいたが、このスピードに拍車がかかったわけだ。EU加盟がこれらの国々に持つ意味は単に経済的なものだけではなく、民主化と法の統治の促進による政治の安定化や汚職の減少に対する期待も大きい。外国の企業にとって、せっかく投資した分が実らなければ意味がない。政治不穏で生産ができなくなったり、汚職のために収益がどこかに消えてしまったりするようでは、投資をする気にはなれない(例えば、スウェーデンの家具メーカーIKEAがロシアで苦戦しているのは、地元政治家の執拗な贈賄要求のためという)。

東欧の安い労働力をうまく利用することは、ヨーロッパの企業にとって生き残りのための死活問題。東欧よりもさらに労働コストの低い中国などでの生産も大きな選択肢の一つだが、距離による輸送費と時間を考えた場合に、西欧市場に近い東欧諸国にもまだまだ魅力がある。だから、スウェーデンをはじめとする西欧諸国が製造業を中心に生産拠点を東へ東へと移している。

もちろん、西欧諸国にとってはこれは同時に国内での産業の空洞化を意味する。EU加盟国の中でも特に労働コストが高いスウェーデンではこの問題は深刻だ。80年代終わりまで2%の低失業率を誇っていたスウェーデンの経済も90年代始めに日本同様のバブル経済の崩壊によって、2年間のうちに10%まで達した。経済政策の素早い対応によって、幸い1996、97年頃までには経済の混乱が落ち着き、国家財政も黒字に転じるようになったが、失業率のほうはそれでも5~6%までにしか低下せず、それにさらに職探しを諦めた隠れ失業率が存在する。こうした事実だけを見てみても、スウェーデンを取り巻く現在の産業・経済の環境が80年代とは全く異なってしまったことが分かる。

スウェーデンの基幹産業は、自動車(Volvo, Saab)、通信(Ericson)、IT、そして、規模少し違うが音楽産業。興味深いことに、武装中立・非同盟の立場をとるスウェーデンは、自国産の兵器の輸出も行っている。(詳しくは書かないが、中立・非同盟を保つためには他国に頼らず、自国産の兵器で国防を賄っていく必要があるが、国内の需要だけに応える少量生産だと、開発費などの固定費の元が取れないため、ある程度の生産規模を保たなければならず、そのために輸出が必要というのが一つの論理。輸出先に関しては、非紛争地などの条件付)

ちょっと余談だけれど、兵器の中でのスウェーデンの目玉は多目的戦闘機JAS-39“グリペン”で、昨年は政府間の交渉によってブラジル・チェコ・ハンガリーへの輸出が決まった。製造元Saab(そう、もともとは車ではなく航空機が専門)の工場がある地元は、特需に湧いた。それと時を同じくして、スウェーデンの家電メーカーであるEuroluxが、別の町にある掃除機製造の工場を閉鎖し、ハンガリーに生産拠点を移した。この二つの出来事、その時点では全く関連が無いように見えたのが、数週間ほどして明るみになったのは、ハンガリーへの戦闘機輸出の交渉の時に、猛烈なアメリカからのF-16戦闘機の売り込みに勝つために、スウェーデン政府がハンガリー政府に民間工場設立という形での直接投資をバーターとして約束していたのだった。

このように製造業や軽工業を中心にして、国外へ産業が逃げてしまう問題は、日本の企業がNIES諸国、そして中国へ進出していった結果、日本国内の特に農村部での産業空洞化の問題に似ている。実際、スウェーデンでも製造業を中心に多くの失業者が生まれている。こうした事態に対処するためのスウェーデンの方針としては、国内の失業者に教育を提供し、彼らの能力を高め、それと同時に今後成長が期待されそうな産業部門へ彼らの移動が可能なように支援するということだ。失業者に対する職業訓練などは「積極的労働市場政策」として70年代から盛んに行われてきたが、“知識社会”と呼ばれるこれからの時代に必要とされるのは、さらに高度で大規模な職業訓練ということで、大学教育の拡張が80年代後半以降行われた。伝統的な総合大学を拡張すると同時に、それまで各県に少なくとも一つあった職業専門大学を再整備し、様々な特色を備えた大学へと格上げした。こうした政策の結果、2000年までに大学生の数が2倍近くまで膨れあがった。
(*「積極的」というのは、失業保険の一方的給付のような「消極的」雇用対策に対比する呼称)

この政策の評価に関しては賛否が分かれるところだが、今後は伝統的な軽工業や製造業ではなく、付加価値の高く、熟練労働者を必要とする先端産業や情報産業が雇用創出のカギであることでは意見は一致している。

こうした点をふまえた上で、スウェーデンの各地方や産業がどのような形で雇用を延ばそうとしているのか、折に触れて書いてみたい。(続く・・・、乞うご期待)


クロアチアからのプレゼント

2005-01-12 04:49:57 | コラム

帰宅すると、大きな封筒が玄関に入っていた。

去年、クロアチアで暮らす間に、クロアチアとボスニアの境にある小さな町クロアチア・コスタイニツァで会った友人ダニエルからのプレゼントだった。彼は市の文化課に勤め、町で撮った去年の写真を集めて月めくりのカレンダーを作ったということで、1部をわざわざ送ってくれた。その写真の中に、ちょうど同じ国際機関で研修職員として働いていたスウェーデン人のヨハンと僕の写真も会った。突然のプレゼントにずいぶん懐かしい気分になった。

クロアチア・コスイタニツァというのは人口3000人の小さな町。旧ユーゴ内戦の被害をもろに受けたところだ。政府軍に従軍してセルビアの反乱勢力と戦ったベテランが讃えられる一方で、事情が落ち着いた今でも、未だに民族主義の空気が色濃く残っているために、反乱軍の占領下で暮らしていた元住民は未だに故郷に帰ってくることができないでいる。

ダニエルは、民族主義政党所属の市長に嫌気がさしたため、市の職を離れて、国境警備の警察官にでもなろうか、などと夏に話していたが、まだ同じポストにいるようだ。

早速、今年夏に旧ユーゴを旅できるようにと、お金を貯めることにしよう。


クロアチア・コスタイニツァの眺め


ダニエル(右)とヨハン、
そして僕の好きなクロアチアのビール
"Ozujsko"



明日は数学の試験。それが終われば、連載コラムを始めます。

新年動き出す

2005-01-10 06:20:27 | コラム



新しい週が始まる。新年が明け、少しずつ再始動をはじめていた身の回りが、今日から本格的に動き始めた気がする。僕の目先の課題はまず、今週と来週にかけてある大学院の試験(数学II・ミクロ経済学II、各6時間ずつ)をクリアすること。それが終わるとすぐに春学期に切り替わり、マクロ経済学と計量経済学(Econometrics)が始まる。

この春学期はそれに加えて、スウェーデン語B(高校後期課程)を取ることにした。最初にスウェーデンへ来たのが4年半前、その時は短期滞在のつもりだったので、新しい言葉をちょっと囓ってみようと軽い気持ちだったのだが、それでも振り返ってみると、外国人向け入門(小学生レベル)、外国人向け上級(中学レベル)、スウェーデン語A(高校前期課程)と普通は数年かかると言われる“梯子”を何とかトントン拍子でよじ登ってこれたと実感するのは大きな自信につながる。それと同時に、いろんな人の助けがあってのことだと感謝もする。特に、私の発展途上のスウェーデン語に辛抱強くつき合って、話し合いの中から生きた会話を教えてくれた何人もの友人がいたことには感謝したい。この高校レベルのスウェーデン語AとBというのは、日本でいうと、高校レベルの国語AとBに相当し、スウェーデン人の高校生も同じカリキュラムで学ぶ。このスウェーデン語Bをクリアすると、晴れてスウェーデン語の学習は終了ということになる。

このようなスウェーデン語のコースというのは、市立の成人高校で無償で行われる。今日が新しい学期のオリエンテーションとコースへの正式登録だったので、昼間の空いた時間に顔を出す。その前のコース、スウェーデン語Aを終了したのはもう一年以上も前なので、その学校に足を踏み入れるのは久々だが、偶然にも過去にお世話になった先生に出くわす。今でも私の顔と名前を覚えていておられたのには驚いた。私が取ろうとするスウェーデン語Bには、週3回の昼間コースと週1回の夜間半通信コースがあるが、私は大学院のほうがあるので、希望するのは後者だ。それでも、担当の先生がいうには時間が許す限りでいいから昼間も出てきて欲しいとのこと。現代文学から近代の文学、難しい語彙、文法、作文、議論などがコースの要素なので、かなりの努力を必要としそうだ。もちろん大学院のほうが本職であるから、そちらを優先させつつ、スウェーデン語Bのほうは様子を見ながら進めていくことにしよう。