スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

春を祝う4月末日

2005-04-30 04:03:03 | コラム
先週末に修理に出していた自転車を取りに、30km離れた町Mullsjöに電車で行く。ここの町に住む顔見知りの自転車屋さんは、以前はヨンショーピンにもお店を持って、ふたつの町を午前・午後に分けて掛け持ちしていたのだけれど、ヨンショーピンの店舗は閉じてしまった。もともとチェコ出身の夫婦による自営で、自転車修理の腕はとてもいい。

一週間ほど前とは見違えるほど、立派に修理が成されていた。長年乗っているから、ベアリングにガタがきていたし、あちこち錆付いていたのだそうだ。「後輪の中心部を誰かがこじ開けて、ワルサをした後があったぞ」← あのー、それ私です。ワルサじゃなくて修理しようと努力したんですけども・・・。

帰りは自転車で帰ってくる。スイスイ。でも、またもや問題発生。ヨンショーピン直前でパンク。予備のチューブを持っていたけど、穴は小さそうなので、空気をポンプで入れて、その場しのぎで何とか家までたどり着いた。

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今日、4月30日はValborgmässaftonと呼ばれる行事だ。通常は、休日となるメーデーを前にした半日扱いの日だけれど、今年は週末と重なった。

もともと、北欧にキリスト教が伝わる以前、人々はこの日に春を祝っていたらしいのだけれど、キリスト教化された後は、耕作に恵みを注ぐ女性聖人Valborgを祝う行事と同化したのらしい。(Valborgのnamnsdag(名前の日)は5/1)

現在は、あまり宗教色はなく、本来の意味の、春の到来を祝う日、となっているようだ。各地の公園にクリスマスツリーや燃えやすいものを積み重ねておき、夜になってから、火をつけて焚き火をする。昔は、魔女を追い払うという意味が込められていたそうだ。雰囲気は、日本の「とんどさん」だろうか?



一方で、学生の町であるウプサラやルンドでは、もっとお祭りの様相を呈する。学生にとって、この日は休日で、朝はSmörgåstårta(サンドイッチ・ケーキ)をシャンペーンとともに食べる。ウプサラでは、その後、町を流れる川で手作りいかだレースがある。昼食は、ウプサラ城ふもとの芝生に出て、お酒を飲みながら、酢漬けのニシンを食べる。(日本の花見の雰囲気) そのまま日向ぼっこをし、3時になると、ウプサラ城ふもとの大学図書館前に集まり、歓声を上げて、そこから各学生パブ・ディスコに流れ込む。そして、夜遅くまでパーティーだ。


2001年のValborgmässafton


そして、次の日の朝、二日酔いのまま、寝ぼけまなこで町に出ると、メーデーのデモが始まるのだ。

出会いと発見の季節

2005-04-28 07:59:47 | コラム
日頃、自分の情報アンテナをなるべく伸ばすにようにしていると、思いがけないところで思いがけない人に出くわしたりするものだ。この間、一緒に大学のバルコニーでコーヒーを飲んだ、某党(v)の元副党首(1996-2003)には、あれから研究室に伺って、研究分野や現在の関心を訊ねてみた。


それから、実はもっと身近なところにもいた。博士課程の基礎コースの「計量経済学」に、2,3人、学部外から聴講している学生がいるのは気づいていたが、これまで大して話をすることはなかった。今日、何気なく所属を聞いてみると政治学部のpost-docというので、もしやと思い名前を聞いてみると、なんと私が博士論文を読んだことがある人だった。この人は、様々なアクターの駆け引きの中で政策の意思決定がなされる過程を研究している人で、博士論文は「目的の政治学 - 黄金時代終焉の後のスウェーデンのマクロ経済政策」。石油危機以後のマクロ経済政策を70年代、80年代、90年代という3つのパラダイムに分割して分析したものだ。政治家、官僚、利益団体役員、中央銀行幹部、など様々なアクターの自伝にあたったり、直接インタヴューして集められた情報は膨大な量で、彼のqualitative分析にはとても感心した。私にとって、過去30年のスウェーデンの経済政策の変遷を把握するための一つの情報源になった。著者がどんな人なのか、興味が湧いていた。

だから、そんな人をすぐ身近で掘り起こせたのにはビックリした。授業の後に勢いのまま、研究室に付いていって、例の博士論文の書籍版をタダで頂いた。おまけにサインも入れてもらった!!


それから、ほとんど日本人を見かけない経済学部に、ちょうど今、静岡大学から一人の教授が客員として来ていることを小耳にはさみ、早速、研究室の場所を探し出して、訪ねてみると、とても親切に応対してくださった。このA教授は3月半ばにヨーテボリ大学に来られたばかりで、1年間の予定で滞在されるとのこと。マクロの経済分析を専門になさっておられ、私もとても関心があるので、今後ぜひとも教示を乞いたいところだ。

昼食を大学近くのスウェーデン家庭料理で一緒に食べたが、スウェーデンの食べ物は塩辛いという話題になった。私が思うに、スウェーデンでは味のバラエティーが少なく、味付けとなると、どうしても塩味だけになってしまっていると感じていた。出汁(だし)をとるという習慣などは、まるでない。で、このA教授が私が言い尽くせなかったことを端的に表現してくださった。「味にも様々な要素がある中で、スウェーデン人は『旨味(うまみ)』を知らないのだ」と。まさにその通り。一方で、彼らがコンソメの素などの固形スープを使ったりすると、これまた、たっぷり使うもんだから、味がまったーりしてしまって、食材自体の味が台無しだ。ここ数年、日本食がブームだから、この際に、素材の味を大切にする日本の味付けの仕方を学んでほしいところだ。

やっぱり、春はいろんな意味で出会いの季節です。

確定申告の季節

2005-04-26 08:08:01 | コラム



面倒くさいと思ってずっと後回しにしてしまったが、ついに2004年分の確定申告の締め切りが5/2に迫ってきた。国民背番号が納税者番号としても使われているので、かなり簡単だ。労働所得の情報は雇用者の側から税務署に直接伝わっているし、私の銀行預金や投資信託、株式売買による資本収入の情報も、金融機関が税務署に報告している。それから、労働組合の会費や失業保険の保険料も、労働組合や失業保険組合から税務署に伝わっている。税務署はこれらの情報を元に、税額を計算する。なので、自営業者でなく、一般の労働者であれば、あまり手を加える余地がなく、税務署による算出額に従うことになる。

労働所得の場合は、源泉徴収で、毎月の給料を支払う際に雇用者がだいたいの所得税の額を推計して、割り引いている。ヨーテボリ大学の博士課程の給料(というか教育補助金)の場合も同じ。低所得者層に数えられるので、31.75%の地方税(市税と県税)のみが課せられる。国税(約20%)は月額収入が26000kr(39万円)を超えない限り、課せられない。

雇用者が源泉徴収する額はおおざっぱな額なので、私の場合は多く取られすぎている。一方で、投資信託による資本所得が少しあり、こちらのほうの税金は後払いだ。これらをプラス・マイナスすると、私の場合は2500kr(37500円)ほどの税金の払い戻しになる!!

私にとっての楽しみはここからだ。日本と同じように、スウェーデンでも様々な所得控除がある。これは、労組の会費や失業保険料、国民年金の積み立てなど、税務署が把握している分を除いては、自己申告だ。

どんな項目があるかというと、
① 通勤費用、②勤務に関わる旅費、③仕事のための複数の住居、④その他、などだ。

①私は通勤・通学に電車・バスを使っているので、実費の大部分を所得から控除できる。しかも、自転車で駅まで通っている。自転車通勤は通年で250krの定額を控除できる。

②インターンシップをしたクロアチアまでの旅費は・・・? それから、2004年初めにストックホルムに職場面接に行ったことがあるが、この往復の旅費は控除の対象になるか・・・?

③これは例えば、住んでいる場所と働いている場所が離れているときに、半ば単身赴任という形で、平日は職場のある町に仮のアパートを借りて住み、週末に本来の家に戻るという“週間通勤者”が対象。この場合、週末に家に帰るための旅費も控除できる。私の場合、これまた、クロアチア滞在時にスウェーデンでもアパートを保持していたけれど、このうち片方の費用を控除の対象にできないか・・・?

④仕事のために必要な備品を自費でで買った場合に控除できる。例えば、教師が教材を自費で買った場合など。家具も電話もパソコンも仕事のためであれば、控除の対象になる。ただ、何が“仕事のため”の備品で何が“個人の生活ため”のものなのか線引きは非常に難しい。博士課程の友達は、ノートパソコンを買った。コミュニケーションや娯楽のために使うのが目的だが、これを“研究のため”の備品として、所得控除できないか、試してみると言っていた。別の筋の話だと、最近は税務署はパソコンの控除に関しては、かなり厳しいということだ。一方で、こんな話もある。調理師をするある人は自分の好みでメガネからコンタクトレンズに変えたが、税務署には「メガネでは湯気で曇って見えないから、仕事のためにコンタクトレンズが必要だから替えた」とコンタクトレンズの費用の控除を申請した。結果は、“仕事のため”の備品としてOKが出た。

と、こんな感じでグレーゾーンがたくさんあるが、もっともらしい理由付けをして控除を申請してみるのも面白いかもしれない。自己申告の段階では、控除額の記入のみで、細かな伝票や明細書の添付は必要ない(自営業者は違うと思うけど)。税務署は抜き打ち検査をするので、それに引っかかれば、細かな証拠の提示が必要になる。(法律を勉強する友人の話だと、税務署は各控除項目で、ある一定の枠を決めていて、それを超えた額を申請した人だけを主に検査するらしい。あーっ、その枠の額を訊ねておけばよかった!)

自転車トレーニング初め

2005-04-25 07:26:41 | コラム
ある新しい国のことをよく知り、雄大な景色を味わい、人々の生活を目にし、しかも機動力を身につけて行動範囲を広げたいときに一番の方法といえば、僕はサイクリングではないかと思う。スウェーデンに来てから、わずか3日目に手に入れた中古の自転車は、今でも健在で、毎日の足となっているし、スウェーデンの広大な森と田園地帯を駆け巡るのにも欠かせない。クロアチアでの半年の生活の間にも、中古の自転車を手に入れ、交通事情がちがいそれほど乗りこなせなかったものの、クロアチアやボスニアの、のどかな景色を目の当たりにすることができた。自転車は車ほど機動力が無いにしても、ドライブでは簡単に見逃してしまいそうな面白い発見や地元の人との交流がある。



スウェーデンでは毎年、夏至の一週間前の金曜日から土曜日にかけて、大きな自転車の大会がある。琵琶湖に相当するのだろうか、一周300kmあるヴェッテルン湖を一日かけて一周するというものだ。この大会は「ヴェッテルンルンダン(Vätternrundan)」と呼ばれ、40年続く伝統行事だ。クロスカントリーの「ヴァーサ・ロペット(Vasaloppet)」を始めとするスウェーデンの伝統的4大スポーツ大会の一つに数えられる。毎年、参加者が増え続け、近年は毎年16000人が参加するから、その規模は半端ではない。一斉にスタートしたら、ごった返して前に進めないんじゃないのって? ご心配なく! 参加者は60人ずつの小グループに分けられ、グループごとに時間をずらしてスタートする。初めのグループが金曜日の夜8時に出発し、その後、1分ごとに60人ずつスタートしていく。すると、最終グループがスタートするのは明け方の4時頃となる。

この時はちょうど夏至の直前であるから、太陽は10時半ごろに沈み、その後、深夜にかけて、空はずっと黄昏の薄明かりが続く。そんな空の下、広大な高原を駆け抜ける国道を参加者は黙々と走っていく。ランプの点灯が義務付けられているので、各自転車の後部につけられた赤いランプが、国道に沿って果てしなく続いていく。そして、3時頃になると既に太陽が顔を出し、ヨンショーピンを通過する4時ごろにはもう日中と変わらない明るさになっている。そんな明るさなのに、早朝のために人っ子一人いない、空っぽの町を自転車で駆け抜けるのは、まるで“お化けの町”に迷い込んだようだ。

私が父親とともに始めて出場した2003年は、私が13時間で、父親は10時間半で完走した。300kmといっても、一人で走るのと違って、16000人もの仲間がいるから、ほとんど疲れを感じない。途中で休憩をしたり、食事をしたり、和気あいあいという雰囲気もある。

そして、今年も近づいてきた。2003年の大会では、それに先駆けて3月初めからかなり練習をした。しかし、今年はなかなか週末に時間が無くて、しかも自転車が不良だったので、これまでずっと怠けていた。

週末の土曜日、まる一日かかって、後輪の整備とブレーキ・ギアの調節にほとんど素人ながらも汗を流す。そして、次の日、日曜日、いざフィールドへ。ここヨンショーピンからは北へ10km行くと、Haboという町がある。この往復20kmの国道のコースが軽い練習にはもってこいだ。しかし、この日は欲張って、次の町のMullsjöまで足を伸ばすことにする。片道30km、往復60km。トレーニング初日からちょっと無謀な気もしたけれど、走りなれた道だし、しかもMullsjöには知り合いの家族が住むので、途中で立ち寄ってお茶をしようという魂胆だ。

Haboまでの10kmは順調。天気もよく、ほとんど無風なのでスイスイ進む。しかし、どういうわけか、Haboを過ぎたとたんに、後輪ががたがたと揺れだす。しかも、揺れるおかげでタイヤがフレームと接触して不気味な音を立て始める。道端で立ち止まって、後輪の車軸を外して、もう一度組み立ててみるけれど、効果なし。さて困った。Mullsjöまであと15km、Haboまで戻れば5km。進むも地獄、戻るも地獄。もうここまで着たからには、と思い、進むことにする。Mullsjöには顔見知りの自転車屋もある。タイヤの接触のおかげでものすごい抵抗。こげども進まず、時速12kmの徐行運転。でも、いつもの倍以上かかったけれど、目的地に到着。知人宅でもらったアイスクリームがどんなにおいしかったことか。

夕食までいただいた後、自転車はその町の自転車屋さんに置いて、単身、電車で戻ってくる。というわけで、Vätternrundanのトレーニング初日はとんだ始まりとなった。しかし、大会までもう2ヶ月を切った。グズグズしてはいられない!

移民に対する不安と不満

2005-04-23 20:01:45 | コラム
スウェーデンへ来てから2年目の夏、2002年に自転車旅行をした。ヨンショーピンから始めて、スウェーデン人の友人を訪ねたり、キャンプ場にテントを張ったりしながら、カールスタッドを経由して、木彫りの馬で有名なダーラナ地方に到達し、そこから今度はバルト海へ抜けて、最後はフィンランドに属する島、オーランドに1ヵ月半かかって到達した。

この旅行では、スウェーデンのさまざまな地方を目にすることができ、いろんな人に会い、ちょっとした冒険となった。

この自転車旅行の話は置いておくとして、ウプサラの100km北方にある町Gävleの郊外の国道をバルト海に向かって走っているときのことだ。国道沿いの「道の駅」に休憩所と公衆トイレを見つけたので、自転車を止めて足を休めていると、中年のごく普通の夫婦が乗用車から降りてきて、掲示板に何やら張り紙をして、そのまま去っていった。何だろうと、気になったので、彼らが去った後に、見てみると、張り紙には「われわれのスウェーデンを守るために!―― スウェーデン民主党 (Sverigedemokraterna)」と書かれていた。

この政党は以前から細々と続いてきた小さな政党だが、スウェーデンの民族主義を掲げる政党だ。スウェーデンに流入してくる移民や外国人の数が増えてくるとともに、移民排斥を掲げて勢力を伸ばしてきた。経済が不況を迎えた90年代初めにこのような勢力はピークを迎える。たとえば、この政党とは直接関係は無いものの、同じようなスローガン(民族排斥・極端な減税)を掲げたNydemokraterna(新民主党)が党首の人気のおかげで(といっても、政治の世界とは全然関係ないところでだが)総選挙で躍進し、議会に議席を獲得し、中道右派の連立政権に加わったほどだった。

第二次大戦後から労働移民、政治・経済・戦争難民の形で外国人が徐々にスウェーデンに移り住んできた結果、今では、スウェーデン国籍保持者の9%が外国生まれ、さらに9%が移民の2世(少なくとも片方の親が外国生まれ)だと言われる。スウェーデン社会は比較的、外国人に対しては肝要で、議会に議席を持つ主要政党でも、明らかに移民の排斥や制限を主張する政党はない。この点、隣国のデンマークと比べると、大きく異なる。

しかし、移民や外国人に対する不満や鬱憤はやはり、どこの国にも存在するもので、スウェーデンの場合、社会の目立たないところで、密かに力を蓄えてきたようだ。それが、さっきのSverigedemokraternaのような極小政党であったり、インターネット上での意見フォーラムであったりする。クロアチアにいたときに、プロのジャーナリストとして働いていたクロアチア人が教えてくれたのだが、スウェーデンはインターネット上でのネオナチ活動がヨーロッパで一番盛んな国なのだそうだ。この情報源がどこからなのか、はっきり分からないが、着々と増え続けるネオナチ・グループにはスウェーデンでも警鐘が鳴らされている。

原因の一つとしては、スウェーデンの一般政党が移民の受け入れの問題や社会統合の問題を積極的に議論してこなかったことが挙げられるかもしれない。移民や難民を受け入れることは人道的立場からは当然で、それに異議を少しでも唱えたり、ちょっとでも極端な発言をすると、世論やメディアから袋叩きにあう、という風潮がある。そのために、主要政党はさまざまな側からの異議や不満に対して、まともに取り合ってこなかった。政治や社会の表舞台で相手にされないこれらの不満は社会の裏側で成長していく。特に、経済が不況になって、失業率が上昇したり、生活苦を訴えるものが増えてくると、俺たちがこんなに苦労しているのに、何で外国からやってくる彼らが手厚くもてなされているのか!という話になってくる。社会から疎外感を感じる人々がこの流れに吸収されて、日常の不満を外国人に向けるようになってくる。

(続く)

FOX ニュース

2005-04-21 08:11:02 | コラム
ヨーテボリ大学でマクロ経済学IIの講義を担当しているのは、アメリカUCバークレー校から客員で来ている研究者だが、今日は彼が論文を紹介するセミナーがあった。テーマは「メディアは大統領選挙に影響を与えたか?」

アメリカでは1996年に新しいテレビチャンネル「FOX 24時間ニュース」が、メディア王Rupert Murdochによって新設された。このチャンネルは、その超保守的な報道とブッシュ陣営を支援するプロパガンダで悪名高い。新参にもかかわらず、盛んな売り込み活動のおかげで、2000年までの4年間の間に全米の1/3の家庭でケーブルテレビを通じて見ることが可能になったというから、その勢いは凄まじい。

スウェーデンでも「8チャンネル」というチャンネルに加入していれば見られる。スウェーデンのメディアで長年活躍した方の話では、FOXニュースは素早いニュースとセンセーショナルな報道で視聴者を集めているのだそうだ。私も一度目にしたことがあるが、報道の冒頭から ”USA in War” の見出しで緊迫感を作り上げ、アメリカ軍のその日の活躍を讃え、それを踏みにじるイスラム=テロを伝える。そして、”危機に瀕した” アメリカの安全確保のために、”我らがブッシュ”が強いアメリカをいかに作り上げようとしているのか、宣伝する。一つ一つのクリップが素早く切り替わり、コメンテーターのコメントも立て続けに入ってくるので、その報道をどう受け止めるべきか、何が本当で、どの立場から報道が成されているのか、見ている側は考える暇が無いまま、受け止めてしまいかねない。センセーショナルなワイド・ショーと真面目な報道の垣根を意図的に取り払った報道番組といえよう。それから、このチャンネルは報道だけでなく、リッキー・レイクやO’Railly Factorなどの人気バラエティー番組も放送している。

全米の1/3の家庭でこのチャンネルでアクセスが可能ということは、この「プロパガンダ効果」というか「洗脳効果」の広範囲な影響にたいする危惧がさまざまなところから聞かれる。というわけで、このアメリカ人の客員研究員の仮説は「FOXニュースがアメリカ大統領選挙でのブッシュ陣営の勝利に少なからずの影響を与えたのではないか」というものだ。残念ながら2000年までの各種データしかこれまで手に入れることができなかったために、今回の論文の対象は、1996年から2000年までのFOXニュースの展開が2000年の大統領選挙に与えた影響、ということだ。それを計量経済学の手法を用いて分析する。

この客員研究員は、自身がアメリカ人だが、自分の国の現状を嘆いているそうだ。もともと右派の民主党と極右の共和党が、さらに右のほうに流れつつあるし、FOXニュースのおかげで、ただでさえ右に偏ったアメリカのメディア界が、さらにおかしな方向に進んでしまったと嘆く。しかも、この論文の共同執筆者は、自国の9割以上のメディアが一人の男に牛耳られ、しかもその男がメディアの力を利用して首相になってしまった国 ――― そう、イタリア ――― から来ているので、この彼にとってもメディアの影響力は他人事ではない。

彼の示す先行研究によると、「FOXニュース」を日ごろの情報源としている視聴者の実に50%が「2003年の10月までにイラクで大量破壊兵器が発見された」と認識しているのだそうだ(!) ←発見はされていない!

執筆者らは、FOXニュースが視聴可能になった地域と、可能でない地域での2000年の大統領選挙の保守党の得票率を比較する。もちろん、FOXニュースの有無だけではなく他のさまざまな要因が投票行動に影響するので、他の変数も加味する。結果は、効果は発見できず、というものだった。あるとしても、せいぜい1.5%のFOX視聴者を共和党に促した程度だという。

この結果はさまざまな解釈の仕方ができよう。もともと共和党の支持者しか、FOXニュースを見ないからか? でも実際のデータでは、両党の支持者とも同じくらいの頻度でFOXニュースを見ている。じゃあ、アメリカの視聴者はメディアに安易に流されないrationalな視聴者なのか? このチャンネルは、ずいぶん偏っているからと思って、距離を置いて見ていれば、影響されることは無いだろうが、果たしてそれが可能か? 他に考えられる原因としては、視聴者を集めるFOXニュースに対抗するため、他のチャンネル、たとえばCNNなども更にセンセーショナルで保守的な内容を流すようになったからかもしれないし、FOXニュースが見られる地域・見られない地域に限らず社会全体がある一定の方向に向かってしまったからかもしれない。

彼は、現在2004年の大統領選挙の結果についても、さらに研究を発展させていきたいのだそうだ。あれだけ白熱した昨年の大統領選挙。今度こそは、なにか有意な結果が見つかるのではないかと、彼は期待(?)する。

論文 pdf


小春日和のヨーテボリ

2005-04-20 06:50:17 | コラム
太陽が輝き小春日和がつづくこの頃だが、今朝4時半に起きるとまだ暗い中でなんとミゾレ交じりの雪がちらついていた。6時すぎに駅に向かうときには地面が白くなっていた。それでも、今日も美しい快晴になり、大学のバルコニーで友人の一緒に昼ごはんを食べていると、居心地がほんと~うにいいので、ついつい長居してしまう。


今朝4時50分 ミゾレがちらつく

食後にコーヒーを飲んでいると、一人のスウェーデン人のおじさんがバルコニーに出てきた。初めて見かける人だ。教授かな教官かなと思いながら、しばらく世間話をしてから、彼は「じゃあ仕事にもどるから」といって去っていく。何者だったのか、後で他の人に尋ねてみると、長い間、国会議員として議会に席を持ち、所属する某党(v)で経済顧問として働いたり、副党首を務めたり、90年代にスウェーデンが財政再建に取り組んだときには、議会の委員会で積極的に活躍した人だと知る。経歴にしても経済の見方にしても、一般の経済学者の中ではちょっと異色の人なので、こんな人もヨーテボリ大学にいたんだ、と嬉しくなった。もうちょっと勉強してから、いろいろ質問して、ぜひとも親しくなりたい。


ヨーテボリではいつも駅と大学の往復で終わってしまうが、こうして天気がいいと気分が軽くなって、散歩もしてみたくなる。大学からいつも見える高台のてっぺんには大きな塔がどっしりと構えている。散歩がてら足を伸ばしてみると、見晴らしがとてもよい。探検好きで普段からあちこちに足を運びたい私にとって、こんな綺麗な所をヨーテボリに着てからこのかた知らなかったとは情けない限りだ。


スウェーデン第2の都市、ヨーテボリ。左の写真の中ほどにある白い建物3棟が経済学部

はじめてのおはいしゃ (スウェーデン編)

2005-04-15 02:52:28 | コラム
今日はスウェーデンへ来て初めて歯医者へ行く。

特に危急ではないのだけど、日本を経ってから4年半になるのに、歯医者に行ったことがなかったので、定期健診のため。よく考えてみると、3年半の京都生活でも歯医者へ行かなかったから、かれこれ8年ぶりだ。

昨年のクリスマスの直後に県営の歯医者へ予約の電話を入れると、すぐには見られないので順番待ちということ。1ヶ月くらいかかるのか? という私のとっさの反応に、いや、もっと! と驚きの返答。で、3月の半ばにやっと文書で連絡が来た。「そろそろあなたの番が来ました。日時を決めるために電話をください。」
待ち時間2ヵ月半で、今日が初診というわけだ。

2ヵ月半というと、日本の感覚からするともちろん長いが、スウェーデンの他の地域では1年くらいのところもあるらしいから短いほうかもしれない。2001年にたまたま聞いていた公共ラジオのバラエティー番組で、北部の町キルナにある実際の公立歯医者に電話をかけて、予約を入れるというのがあった。「今のところ、待ち時間は3年ほどだから、2年半くらいしてからまた電話してちょうだい」との歯医者の応答に対し、ラジオ局側は半分冗談で「いや、でもいまのうちに診察の日時を決めておきたい。2004年の・・・・・・9月17日・・・朝10時はどう?」というと、歯医者側が「了解! 3年後の9/17にいらっしゃい」というやり取りがあった。3年後なんて、なんだか気が遠くなる。半分冗談で電話をかけるラジオ局側に対し、歯医者がごく普通に応対して3年後に予約をいれているのが、おかしくて笑えた。

でもこれはたぶん極端な例かもしれない。ここヨンショーピンでも少数だが開業医の歯医者もあり、スウェーデン人の友人の話だと、こちらではほとんど待たずに見てもらえるし、値段も国によって規制されているので、ほとんど変わらない、とのことだった。それに、ヨンショーピン在住の「双子の母」さんの旦那さんの話だと、緊急だといえば、公立でも次の日にも見てもらえることもあるらしい。

今日の診察は朝7時半から。若い女の先生だ。てきぱきと手際がいい。レントゲン撮影、歯垢除去、虫歯の確認、と計20分もかからない!! 検査の結果、初期の軽度の虫歯があるとのこと。フッ素の錠剤を使いなさい、というので、てっきり本格治療までの応急的な処置かと思って、次はいつ来たらいいですか、と尋ねると「来年の4月にまた定期健診をしましょう」!? そう、初期の虫歯は治療せずに、フッ素などによって進行を止めるだけなのだという。その後しばらく、狐(きつね)につままれたような気分が続いたが、ここスウェーデンではそれが常識なのかなと後で思うようになった。

私が日本で通っていた開業医の歯医者さんは、虫歯が見つかればすぐに穴を掘って白い詰め物をして完璧に治療していた。その度に私の両親が多額の治療費を払っていたものだ。開業医にとって見れば、治療すればするほど収入が入るし、健康保険組合から残りの費用を徴収できる。それに対し、スウェーデンでは、完璧に除去してしまうのではなく、進行を抑えるだけで済ますということなのかもしれない。完璧にしていてもキリがないし、お金ばかりかかる。おまけに歯医者の9割以上が公立(県立)であるので、たくさん治療してもお医者さん自身に得があるわけではない。結果として社会全体の医療費が抑えられるし、医療に対する需要を抑えることができる。

再び、待ち時間の話をすれば、歯を気にする人は普段から定期健診のために予約を入れているのだろう。私も来年の4月に既に予約が入れてもらったので、このときは待つことなく診てもらえる。だから普段からちゃんと計画を立てている人には大きな問題にならないだろう。それに、こうやって、長期的に人々が予約を入れていれば、初めての人が今すぐにでも見てもらいたい、といって電話を入れても、そう簡単には都合がつかないのもうなづける。それでも、緊急だと言われれば、見られるくらいの余裕は確保しているのかもしれない。

とまあ、初めての歯科診察の体験談でした。日本とは違った仕組みで動くシステム。これも一種のカルチャー・ショックなのかな? まだ一回目なので、安易な一般化は避けたいところですが。

最後に一つだけ。ここ歯医者さんは診察日の一日前に携帯電話に「明日ですよ!」とメールをくれた。物忘れのひどい私にとっては、これは有り難いサービスだ。予約はすべてデジタル化だから、自動的にこういう通知を送れるのかもしれない。カルテもデジタル化のようだった。「Aの2が・・・、Bの3が・・・」というような歯一本一本の状態を、手書きにせずプチプチとパソコンに打ち込んでいた。

春の補正予算案

2005-04-14 07:50:45 | コラム
今日はスウェーデン議会で「春の補正予算案」が提出された。(本予算は秋)

スウェーデンの伝統は、予算案提出の日に財務大臣が、予算案の書類の束を片手に、財務省から議会議事堂までの数百メートル行進をするというものだ。スウェーデンの「霞ヶ関」はストックホルムのまさに中心にあり、片側には王宮と旧市街地 (ガムラ・スタン)、反対側には中央駅やÅlens、NKなどのデパートが並ぶ。そんな所に所狭しと各省庁、そして首相官邸が立ち並ぶ。だから人通りも多く、静かな日本の霞ヶ関とは大違いだ。

そんな中を財務大臣がボディーガードと共にゆっくりと行進する。通常、極右や極左のデモが見かけられる。2002年秋の行進では、財務大臣めがけてケーキが投げつけられ、かわいそうな有様だった。

大臣が見せびらかしながら行進する、予算案の束は情報化の進歩のおかげで今やCD-ROM。これ一枚にスウェーデンの色をあしらった黄色と青のリボンが巻きつけてあるだけで、ちょっと心もとない。予算の中身も軽くなっていたりして・・・。

去年の暮れに内閣改造があり、41歳のPär Nuder (パー・ヌーデル) が財務大臣となった。なので、今回は彼にとっての初めての予算提出。さわやかに笑う。41歳で大臣起用とは早い気もするが、財務大臣にここまで若い議員を充てるのはちょっと珍しいとしても、他の大臣職では20代後半の議員の起用もよく見られる話だ。ちなみにこのPär Nuderは20代はじめで、市の議員として市執行部に加わっているから、政治家歴は長いほうだ。(時間を見つけて、全大臣の年齢や男女比率、背景などを一覧にしてみれば、また面白いかもしれない。乞うご期待)


首相パーションになかなか頭が上がらない少年ヌーデル

今日の行進はまた賑やかだ。極右・極左グループのほかに、国家公務員によるデモもあった。90年代から段階的に削減されてきたスウェーデン国防軍が、去年の秋にさらに大規模に削減されることが決まった。国防軍側は猛反発。さらには、基地があるのは、たいてい辺鄙な北方の田舎町。これまで国防軍では働いてきた人々が一気に職を失うと、小さな地方の経済にとっては大打撃になる。そのために、政府は彼らの雇用の面倒を見ることを約束。つまり、ストックホルムにある省庁や外郭団体などを地方に移転させて、そこで職を確保するというものだった。これで何とか一件落着・・・、とは行かなかった。今度は地方移転によって職を失うか、ド田舎に引越しを強要される公務員が猛反発。今日は彼らによるデモもあったのだった。

ともあれ、今回の補正予算案の焦点はスウェーデン経済全体での雇用対策。2003年から2004年の暮れにかけて景気はピークを迎えたのに、雇用はほとんど伸びていない。いわゆる「雇用なき成長」。だが、過去の例を見ても、雇用の回復は景気回復を後回るので、短期的に見たらそれほど不思議ではないのだ。政治家も経済アナリストも、もうすぐ来る、もうすぐ来る、と口々に叫ぶが、しかしどうしたことか一向に来ない。特に深刻な問題は、若者の失業率の高さ。高校を出ても職がない。大学を出ても就職がなかなか難しい。

というわけで、雇用対策のために、特別予算を計上。若者向けには職業訓練プランの拡充、長期失業者向けには雇用補助金を設けることにした。つまり、企業が長期失業者をあえて雇う場合に、その労働者に対する社会保障費やその他の経費の負担を撤廃するというものだ。

アッシリア人のサッカーチーム

2005-04-13 17:06:09 | コラム
私がヨンショーピンに来てしばらくした頃、大学の授業でグループワークをすることになり、同じ授業にいたあるスウェーデン人の男の子と組むことになった。スウェーデン人といっても外見から、どこか中東のほうの出身だと分かる。

ある時、どこの出身か尋ねてみると「アッシリア人」だという。これを聞いて、とっさに昔の記憶がよみがえってくる。高校の世界史のときに出てきた「アッシリア人」、凶暴な民族で、前9世紀頃から鉄製の武器で征服活動を盛んに行い、前7世紀にはオリエント一帯を支配下に治めて、史上初めての世界帝国を造った、あのアッシリア人? しかも、彼らの起源はさらに遡り、前2000年頃にティグリス川付近の町アッシュルから起こったはず。大昔に存在した民族のことかとばかり思っていたが、現代にも存在するとは。

どうやら調べてみると、民族興亡の長い歴史の中で、彼らはシリア地方にとどまり続け、別名を「シリア人(注↓)」とも言うらしい。これまた高校世界史に登場したが、当時、内陸交易の面で活躍したアラム人が話し、その一帯で国際商業語となったアラム語を話す。(ちなみに、現在のアルファベットはこのアラム文字の派生という)その後、アラム人と一体化し「アラム人」と呼ぶこともあるらしい。

イスラム教が普及した中東の中で、アッシリア人は、なぜかオーソドックス(正教)のキリスト教を信仰。現在「シリア」という国があるが、この国民のほとんどはスンニ派イスラム教でアラブ語を話すというから、現在の「シリア」の国民とこの「アッシリア人」もしくは「シリア人」とは直接の関係はないようだ。(ややこしい・・・! これは推測だが、第二次大戦後に中東地域が植民地から独立するときに、この地域のアラブ人がその地域の名前、シリア、を取って国名としたからだろう。)

現在は、シリアの北部や トルコの一部に住む、国を持たないアッシリア人。各地で迫害され、一部はスウェーデンにも逃れてきたらしい。ストックホルムの南方にSödertälje (ソーデルテリイェ)という町があるが、スウェーデンではここに集中しているようだ。

で、なぜこの話題を取り上げたかというと、このアッシリア人の移民が1971年に自分たちの趣味で小さなサッカーチーム "Assyriska" を作ったのだ。サッカーが盛んなスウェーデンでは「ナショナル・リーグ」が一番上にあって、その下に「第一リーグ」「第二リーグ」と続き、一番底は「第七リーグ」とピラミッドが大きい。このAssyriskaは1971年に第七リーグからスタート。その後、30年奮闘を続け、ついにこのナショナル・リーグまで上り詰めてきたのだ。



昨日から、ナショナル・リーグの今年の大会が始まったが、注目は新参のAssyriskaだ。移民の民族チームが、スウェーデンのスポーツの第一線で活躍するのは、なんだか歴史的なことのようだ。テレビのナレーターは「スウェーデン人だけのチームが、イギリスのプレミア・リーグで試合をするようなもの」と驚きを交えた表現を使う。昨日の緒戦は、残念ながら敗退。

民族系のチームだが、上の写真を見れば分かるように、アッシリア人以外でも優秀な選手であればチームに加えているようだ。

究極の選択

2005-04-11 18:01:52 | コラム
小学校の頃、流行った言葉。
「う○こ味のカレーと、カレー味のう○こ、選べといわれたらどちらを選ぶ?」
いわゆる、“究極の選択”という奴だ。

スウェーデン語で、“究極の選択”を意味する言葉といえば、
"Pest-eller-Kolera-val"(ペストかコレラかの選択)。な~んか 、日本語の表現みたいなビジュアル的な強烈さが全然ありませんね。

で、日本語の表現をそのままスウェーデン語に訳して、スウェーデンの友人に教えてあげると、これがまた結構ウケるのだ。というわけで、現在、地道に普及活動を行っております・・・。

ちなみに、こんなくだらないジョークをスウェーデン語では
"kiss-bajs-skämt" ("piss-feces joke") と言います。ちょっとした教養でした。

英語では、究極の選択をあらわす表現って何でしょうか? 情報お待ちしております。

企業の倫理的責任

2005-04-09 01:41:02 | コラム
先進国の企業が生産拠点を途上国に移したり、途上国の企業に外注するようになると、出てくる問題は、果たしてその国での労働条件はどうかというものだ。たとえば、インドでは子供が繊維業や軽工業に従事していたり、中国では貧しい農村出身者が長時間の過酷な“奴隷的”労働を強いられている、というようなことが伝えられる(←注:新聞DNの表現より)。そのような問題があることを直接、もしくは間接的に知りながら、生産者にしても消費者にしても、野放しにしてもよいのか?

生産者の倫理的責任は、よく議論されるが、問題点は、
① そもそもそれって問題なの?
② 誰が監視すべきなの? 作られた製品を買うだけの先進国の企業に、その責任があるの?
などだ。

途上国で活動するスウェーデン企業に対する世間の監視の目は比較的厳しいようだ。“世間”といっても、一般の人々がどこまでこういうことに普段から関心があるのか分からないが、少なくともメディアはこのような問題を盛んに取り上げるし、日ごろから鋭い批判を行うNGOなどの意見記事や記者発表なども、メディアはよく取り上げるので、一般の人の耳にも入ってくる。そうすると、少なくとも企業イメージの面で、企業は大きな被害をこうむることにもなりかねない。

よく知られていることだが、スウェーデンは伝統的に労働組合の力が強く、労働者の労働環境に対しては鋭い目を光らせている。それに加えて、途上国産の安い工業製品が流れ込んでくるようになった近年では、そのような劣悪な条件の下で“格安で”作られた製品によって、自国の製品が淘汰されるようになり、ソウシャル・ダンピングの様相も呈してくると、他人事ではいられなくなる。

そんな鋭い監視のおかげか、スウェーデンの主要な企業は「倫理面での監視 (ethic control)」のための指針を打ち出している。ウプサラでともに特別講義を取っている友人のJonasはインドの児童労働 (child labor) に以前から関心があり、2001年にヨンショーピン大学で小規模ながら講演会を企画した。IKEAはこの時にデンマーク勤務の購買担当部長をわざわざ送り込んで、自社の問題意識と対策をアピールしようとした、というから、児童労働の問題に対して、IKEAも世論の反応に神経を使っていることを覗わせる。

それから、2003年に公共テレビで放送され、わりあい視聴率が高かった連続ドラマ(名前をド忘れ・・・)の中で、ストックホルムのある商社に勤める主人公の女性が、自社の輸入する製品がベトナムやカンボジアで劣悪環境の中で作られているのではないかと疑いを持ち、会社の中で行動を起こし、最後には上司も取り込んで、会社に「倫理指針」を作らせるのに成功した、という筋書きもあった。(ドラマの主題は、その会社内での人間ドラマ、恋愛ドラマだったので、これは脇役的なテーマに過ぎなかったが。)これも、世間一般の日ごろのちょっとした関心の一部を反映しているかも知れないし、こうやってドラマの中で何気なく見聞きしていれば、あぁそんな問題があるんだな、と自然と関心を持ちやすいと思うので、ちょっと紹介してみた。

さてさて、本題はここから。日曜大工のための部品や小物の電気製品を販売する「CLAS OHLSON(クラース・オゥールソン)」がNGO ”Swedwatch” および "Fair Trade Center" に批判され、メディアがそれを取り上げたため、いま話題になっている。この企業の創業は1918年と歴史が長く、1999年の株式上場以降は、積極的な全国的展開のおかげで、去年の後半から株価が急上昇。消費者に人気のある企業だ。批判の内容は「生産過程での倫理的・人道的な問題の多い中国で製品を生産しているのに、劣悪環境の下での労働に十分な監視や配慮が全くない」というものだ。この批判に対し、CLAS OHLSONの社長は「我々は香港の商社を通じて、生産と購入を行っているので、誰がどんな風に生産しているのかは知らない。生産過程に口を挟む立場にないし、そんな義務もない。中国の労働環境が悪いという話を聞いたことは一度もない。」と答える。それに対して、この新聞の記者は「中国における劣悪労働環境や、極端に長い労働時間、低賃金や労働者の権利の剥奪という問題は、アジアと取引をする者の多くが知るところであるが、このCLAS OHLSONの社長の耳にはまだ届いていないようだ」と鋭いツッコミ、というより皮肉というかイヤミを入れる。


見出し:“Clas Ohlsonは倫理面での監督をないがしろにしている!”

このような批判は日本でもNGOなどによって行われることがあるが、主要日刊紙が一面半分相当を使って取り上げるのは珍しいのではないかと思う。それに、今回に限ったことではなく、普段からしょっちゅう登場する。そして、このような新聞報道はスウェーデンでは企業イメージに大きな影響力を持つのだ。だから、批判された企業の側がこのままで済まされるのか、今後の展開を注目したい。

もちろん、スウェーデンの主要な企業は「倫理的な監視 (ethic control)」のための指針を打ち出している、といっても、これは最初のステップに過ぎない。企業が、自ら打ち立てた指針を果たしてどこまでうまく適用し、行動をとっているかは、次の問題として存在する。

スウェーデン発 「日本の高齢者介護の助っ人」

2005-04-07 07:04:51 | コラム
高齢者福祉というと、日本にとっては北欧、特にスウェーデンがお手本であり、日本の研究者が注目してきたが、スウェーデンも日本の高齢者福祉の発展を注目する時代にもなりつつあるようだ。

というのも、今朝、電車の中で聞いていたラジオのニュースでこんなルポタージュがあった。

ロボット(機械)が日本の高齢者福祉に力を貸す

日本では世界でもっとも急激的に高齢化が進む一方で、世界で1、2を争うくらい低い出生率のため、少子化が深刻だ。増え続ける高齢者と、その面倒を見るはずの現役世代の人口とのアンバランスが心配される。一時は、高齢者の一部を人手の安いタイ・フィリピンに“輸出”して、そこで介護してもらうという案を出した政治家もいたが、支持は得られなかった。

日本では今、ロボットの手を借りて人手不足を補おうとする動きが盛んだ。

82歳になるウスイさんは“洗濯機”に気持ちよく浸かっている。


わぉ!“高齢者のための洗濯機”という表現に唖然としたが、スウェーデン語では体を“洗う”のも衣服を“洗う”のも同じ動詞tvättaを使うので、この文脈では“高齢者のための入浴機”ということになろう。ちょっと安心した。

“高齢者のための入浴機”は、家電大手のサンヨーが開発し、価格は一台、35万クローネ(500万円)。『入浴のためにはこれまでは介護者が2人必要だったが、この機械のおかげで、機械を監視する人1人だけで住むようになった。お年寄りを人力で持ち上げる必要がないので、介護者にとっても、お年寄りにとってもより安全になった。』と老人ホーム長のモリ氏は答える。

まず、入浴するお年寄りは車椅子に座っている。そのまま入浴機の中に入っていき、自動的に浴槽の中に入り込む。すると、体洗いと濯ぎ(すすぎ)が自動的に始まる。


スウェーデン語を直訳してみました。イメージ的に想像が沸きませんが、聞いた感じだと、オートメーションのようです・・・!

サンヨーはすでに、100を超える老人ホームにこの入浴機を販売した。ヨーロッパからの見学者がすでに来始めている。入浴機は障害者にも使える。介護師のリョウタ・タカハシは『自分も介護の後、帰宅前にこの機械で入浴してみたい』と羨ましそうだ。

日本ではサンヨーだけでなく、他の家電メーカーも老人ホーム用の機械のほか、自宅介護を支援する機械やロボットを開発している。三菱は自宅介助、安全監視、話し相手の機能を統合した人間型ロボット「ワカマル」を開発、一万語ほどの言葉を認識し、お年寄りと簡単な会話ができる。話しかけても返事がなかったり、お風呂から出てこなくなったなど、異常を認識したときには「ワカマル」は電子メールか電話で助けを呼んでくれる。


マリコ・フジワラ教授のコメントが間に挿入される。インタビューは東京郊外の老人ホームで収録したもののようだった。記事の一部は公共ラジオ局のホームページに書き起こしてある。スウェーデン語 Realプレーヤーがあれば音声も聞ける。
こちらは高齢者介護専門のホームページのよう(英語・詳細不明)

これまで、見学をされる側だったスウェーデンが、日本のケースをちょっとした羨望のまなざしで伝えているのは、面白い気がします。「よい意味でも悪い意味でも、さすが技術大国」という先入観も、この記事のタイトルに反映されている気もしますが。

電車の前の席に座っていた中年のおばさん二人が、「今朝のラジオで日本の高齢者のことをやってきたけど聞いた?」というようなことを話していた。耳を傾けていると、二人とも介護職員のようで、職場に向かう途中のようだった。日本の高齢化の速度と少子化の速度が、世界でもっとも急激な国の一つという表現に驚いているようだった。

全国統一「国語」の試験 - 実生活に役立つ知識

2005-04-06 07:25:38 | コラム
明日は、夕方から午後9時まで、成人高校の夜間部で受講しているスウェーデン語Bの全国統一試験だ。前にも書いたように、この講座は日本の高校の「国語B」にあたる。明日は全国の高校生と、私のように成人高校で勉強している生徒が、同じ試験を受けるのだ。試験の結果は、期末の成績に大きく影響する。

さて、どんな内容の試験か? われわれ日本人にとっても、他の国での「国語」でどのような全国統一試験をやっているのか、のぞいて見るのは面白いと思うので、ちょっと紹介してみたい。ただ、他のトピックで私がこのブログに書くときもいえることだが、スウェーデンでやっていることがすべて素晴らしい、日本も同じようにするべきだ、と言いたい訳ではない。あくまでも、他国の事例を紹介することで、新たな発想の契機になればよいと考えているだけだ。
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国語の全国統一試験は、日本の小論文試験にわりあい近い。まず、試験に先駆けて30ページほどの冊子が渡される。そこには、詩や小説の一部、新聞記事、雑誌記事、研究論文の一部、映画の評論、ラジオのドキュメンタリー番組の書き起こしなど、さまざまなスタイルの文章が16本ほど集められている。テンでバラバラのトピックなのではなく、ある一つのテーマに何らかの形で関連している文章なのだ。

たとえば、明日の試験におけるテーマは”Vida Världen”(広いこの世界)。そのため、あらかじめ配布された冊子には、個人の内面性の探求を扱った詩や、未知の国で生活を始めた主人公の物語、未知なる世界へ挑む先端科学に関する科学記事、新しく転入した学校に馴染めない少年を扱った小説、異文化との交流でおこる文化摩擦に関する新聞コラム、宇宙探索のSF映画の評論文、宗教との新たな出会いを歌った詩、といった文章が続く。このうち、文学作品は戦前のものなど、古いものもあるが、その他のタイプの文章は過去5年以内に書かれた新しいものが多い。


この冊子に目を通したことを前提として、明日の試験がある。試験時間は5時間。8つの問いが与えられ、その中から一つ選び、いわゆる小論文を作成するのだ。

過去問はこんな感じ。
(1)1998年の統一試験「高校・国語」のテーマは「消費とその影響」。

「ある地方紙が、社会におけるマスメディアの役割、というテーマの記事特集を行っていると、想定しなさい。この地方紙は、人々の日々のテレビとの接し方について、読者からの投書を求めている。

そこで、この地方紙に対して、“私の生活の中のテレビ”というタイトルで個人的な投書を書きなさい。その中で、あなた自身のテレビ番組の消費の仕方を述べたうえで、テレビから何を得るべきか、何が足りないか、何を求めたいか、あなたの考えを論理的に説明しなさい。さらに、あなたの生活がテレビによっていかに影響を受けているのか、もしくはいないのか、議論しなさい。事実関係や他の人の意見などは、冊子を利用して引用しなさい。」



(2)この過去問の年とその年のテーマは不明。

「冊子中のKjell Espmarkの詩は、クラスの輪から外れてしまった少女を扱っている。詩は、この子が休憩時間にいかに注目を集めようと努力しているか、そしてその子の家庭事情がどんなものであるかを描いている。詩から分かるように、彼女の生活環境はさまざまな意味で複雑だ。

この詩は、短い詩に過ぎないが、この少女については、さらに膨らませて、一つの小説を書くことも不可能ではない。あなたがそんな小説を書くと仮定したとすると、あなたならどんな出だしで書き始めますか?

この疎外された少女を描く小説の、第一章目を書きなさい。素材はEspmarkの詩の描写を用い、この少女の生き方や抱える問題は自分自身の解釈を用いなさい。第一章目であるので、書き出しで読み手を引き付けることを忘れず、さらに、第二章に続いていくような終わり方にしなさい。少女を少年に置き換えて書いてもよい。」


例を挙げてもキリがないので、次の二つは簡単に。
(3)「ある学習サークルに参加していることを想定しなさい。この学習サークルでは各参加者が、自分の好む文章について紹介する。さらに、なぜその文章が現代の社会を語る上で興味深いのか、その文章のどの部分が気に入っているのか、評価を加えた上で、サークル内での議論につなげる文章を書きなさい。」

(4)「言論の自由と、著作権の保護との矛盾性について、冊子中のいくつかの文章が扱っている。現在、盛んに議論されるこのトピックについて、あるパネル・ディスカッションが開かれることになり、あなたはゲスト・パネラーとして招待されることになった。ディスカッションの冒頭で、各パネラーが3分間、自らの考えと、拠り所、反対意見に対する反論を簡単に述べる。そのための原稿を作成しなさい。その中では、あなた自身がもつ価値観を明確にすることを忘れずに。」


どうですか? 状況設定が綿密でしょ? だから、自分をその環境に置いた上で、文章を書かなければならない。それが投書であったり、自作小説であったり、学習サークル内での発表であったり、ディスカッションのパネリストとしての議論のたたき台であったりするので、それにあわせた文体を自分で選ばなければならないのです。

状況設定があるおかげで、私としては、逆に想像が膨らみやすく、独創的なことがかける気がするのです。

スウェーデンでの基礎教育の基本方針としては、どんな科目でもそれを実生活や実社会に役に立つ形で習得させることだと思います。だから、全国統一試験でも、各生徒が実際に使える形で知識を身につけているか、つまり、投書記事が書けるか、小グループで議論を始めることができるか、人前で明確に意見を主張できるか、さらには、文章を書く過程で冊子の中から情報検索やリファレンスがうまくできるか、という点を見ようとしているのではないかと思います。長くなったので、今日はこの辺まで。

Bravo! スウェーデンの経済

2005-04-05 06:43:20 | コラム
今日からマクロ経済学IIの講座始まった。この間、終わったばかりのマクロ経済学Iでは経済成長論や新古典派のいわゆる長期均衡論を学んだが、このIIでは、主に新ケインズ派の短期経済変動を学ぶ。教官は、アメリカのUCバークレー校から客員で来ている若い研究者だ。

彼は、先週は東京大学での学会に参加しており、そのままスウェーデンへ飛んできたばかりだという。今日のIntroductionでは世界の主要な経済不況の統計を示していたが、オイルショックの影響を比較的うまく免れたのは日本だけだ、と言ったり、日本のバブル後の90年代不況を持ち出すたびに、私のほうを意味深な笑みとともに指差してくる。今日が始めての講義で、しかも自己紹介をしたわけではなかったので、私のことを事前に知っていたとしか考えられない。

休憩時間に話したところだと、彼は日本経済に興味があるのだが、主要な日本人研究者をあまり知らないようなので、T氏などを教えてあげた。少なくとも6月まではヨーテボリに滞在するらしいので、その間にいろいろ話ができたらいいと思う。

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これまでのブログで、スウェーデンの経済も日本と同じような問題を抱えていて大変だ、というようなことを書いたが、さて他のヨーロッパ諸国と比べてみるとどうなのだろうか?

EU(欧州連合)委員会が2006年のEUの経済予測を発表した。昨秋の時点では2006年のEU全体の経済成長が2.0%になるだろうと予測されていたが、昨日の発表では、1.6%に下方修正された。予測の下方修正ということは、それまでに考えられていなかった新たなマイナス要因が顕在化してきたということで悪いニュースだが、さらに、1.6%という数字自体をとってもずいぶん低い経済成長率だ。それだけ、EU諸国の経済が停滞していることを意味している。

その中で、スウェーデンはどうかというと、実はかなりの優等生!



まず、経済成長率をみると、フィンランドとイギリス(UK)とともにトップに立っている。失業率やインフレ率をとってみても、EU平均と比較するとかなり低く、スウェーデン経済は比較的良好だ。「EU平均」というのはあくまでも平均なのだから、この値よりもさらに高い失業率やインフレ率に悩む国があることを忘れてはならない。最後に、国家財政を見てみても、ほとんどの国が単年で(各年ごとに)大きな赤字を出しているのに、スウェーデンを含めた北欧3国は黒字を達成している。(ノルウェーがこれらの統計にないのは、実はノルウェーがEUに入っていないため)

財政赤字3%に引かれた赤いラインは何かというと、共通通貨EURO圏内の物価安定化、経済安定化、そしてEUROの価値の維持のために、EURO導入国に課せられた財政赤字の上限。当初はこれをオーバーすると罰金を科すということだったが、経済の低迷が続くドイツやフランス、イタリアが連年オーバーしているので、結局この制限も有名無実化している。

このように、ドイツ、イタリア、その他の不況国に足を引っ張られる形で全体として低迷を続けるEU諸国のなかで、スウェーデン、フィンランド、デンマークの北欧3カ国とイギリスの経済が良好だということが分かる。面白いことにこのうち、スウェーデンとデンマーク、イギリスは統一通貨EUROの非加盟国だ。(EURO加盟国全体とEU全体の統計を比較してみれば分かるように、後者のほうが良好だ。それは、北欧+イギリスと、さらには新たに加わった東欧諸国の経済が好調なためだ)

しかし、「EUROのおかげで経済が低迷している」と言うことではない。ヨーロッパの主要諸国、とくにドイツはEURO導入前から、経済が低迷しデフレの様相を呈していた。そしてこれらの国々が結果として集まる形で統一通貨EUROが誕生した。もしEURO誕生が加盟国の経済にマイナスの影響を与えたとすれば、それは、各国で公定歩合が自由に決められなり、それぞれの国に応じた柔軟な金融政策が取れなくなったということだろう。もしこの影響が実際に大きいものならば、不況長期化の原因をEURO導入に見出すことも可能だ。

スウェーデンでは2003年9月にEUROの導入の是非を問う国民投票が行われたが、反対派が勝り、否決された。このときの反対派の根拠の一つが「EUROグループに加わってしまえば、不況のドイツ経済などに足を引っ張られてしまう」というものだった。小国であるスウェーデンにとって、それは大きな脅威であった。

総じて言うならば、スウェーデン経済は日本と同様にバブル崩壊の後に、深刻な不況を経験しながらも、立ち直りがずいぶん早く、今ではヨーロッパの中では1位、2位を争う優等生だ。雇用情勢もなんだかんだと問題はあるものの、他のヨーロッパ諸国と比べると、失業率はずいぶん低い。不況の過程で、福祉の切り下げも行われたものの、限定的なものにとどまった。大幅な福祉削減を行ったのに、未だに不況から抜け出せない多くの国々とは対照的だ。

さまざまな理由から2003年に行われたEUROへの加盟を問う国民投票で「Nej」票を投じた私としては、嬉しい限りだ。「闘う福祉国家」はこれからも戦い続ける! この調子でいけば、あと5年はEURO不要論がスウェーデン国内で多数を占めるだろう。