スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

極右グループに対する大規模な反対集会

2013-12-28 01:34:45 | スウェーデン・その他の社会
極右グループとそれに反対するグループがストックホルム郊外にある団地の広場で衝突した、というニュースがあったのは12月15日(日)のこと。第一報が報じられたのは、昼2時のラジオ・ニュース。その後、夜にかけて公共テレビの全国ニュースでも取り上げられた。


報道では、「極右に反対するグループがデモを行ったが、途中から脱線・暴走」、「対立する極左と極右のグループが衝突」、「警察は両グループを引き離すことに失敗」などという表現が使われていたため、私もてっきり、暴力行使も辞さない極右と極左が衝突して、殴り合いの喧嘩をした、という印象を受けた。

しかし、その後、当時の状況がより詳しくなるにつれて、全く異なる事実が明らかになった。


【実は住民による平和的な集会だった】

場所は、シャルトルプ(Kärrtorp)と呼ばれるストックホルム郊外の団地。地下鉄が走っており、駅もある。外国のバックグランドを持つスウェーデン人(移民一世・二世)が比較的多い地区だ。最近、この地区で極右の若者が多く見かけられたり、鉤十字や差別表現などの落書きが目立つようになっており、地区の住民は大きな不安を感じていた。自分たちの住むこの地区で、極右グループが幅を利かせるなんてゴメンだ。そこで、ある住民の発案により、地区の広場(地下鉄駅の近くで人通りが多いところ)で集会を開き、極右・ネオナチグループの活動を私たちは容認しないという意思表示をしようということになった。

当日は、子供連れの家族や、乳母車を押す若い夫婦、高校生、高齢者など一般住民が200人以上も集まった。町を練り歩くデモというより、大勢で一か所に集まって意思表示をするということで「マニフェステーション」という表現が適しているだろう。非常に穏やかで平和的なものだった。

そこに、突如として爆竹や空砲が鳴り響き、黒い服を来た30人ほどの若者が姿を現した。彼らは、住民による平和的な集会によって、自分たちの存在が脅かされたと感じて集まってきた(と、メディアのインタビューに後ほど答えている)。手には棒やガラス瓶を持ち、住民に殴りかかったり、瓶を投げつけたり、蹴ったりした。これに対し、ストックホルム県警の準備は十分ではなく、集会の警備をしていたのは僅か6人の警官だった。住民とそれを襲おうとする若者の間に割って入ろうとするも多勢に無勢。広場はたちまち大混乱に陥った。子供を抱えて逃げる人、近くの映画館に逃げこむ人・・・。


しばらくして多数の警官が応援に駆けつけ、極右の若者を次第に広場の外に追い込み、うち26人を逮捕した。また、この混乱の途中から、極左の若者も話を聞きつけて乱入してきて、ナイフをもって極右の集団に襲いかかったため、混乱に拍車がかかった。負傷者は4人(うち2人は警官)。逮捕された極右の若者の半数は10代。その他もほとんどが20代だった。極左の若者も1人逮捕されている。


【スウェーデン社会の反応】

この事件の後、まず非難を受けたのはストックホルム県警だった。極右グループの不穏な動きがあるという情報があったにも関わらず、集会の警備が十分ではなかったからだ。また、公共テレビのニュース報道も大きな批判を浴びた。暴力行使も辞さない極右と極左の過激派同士の衝突だったという印象を与え、事の重大さを矮小化する報道を、意図的ではないにしろ、してしまったからだ。

しかし、人々の怒りはそれ以上に、一般の住民による平和的な街頭集会に暴力で挑んできた極右の若者グループに対して向けられた。シャルトルプ(Kärrtorp)の住民に共感するデモや集会が、その後、スウェーデン各地で開かれた。私は12月19日(事件から4日後)はヨーテボリにいたけれど、夜6時から大きなデモが街の中心部で見かけた。松明を手に持ち、少なくとも1000人はいるのではないかと思うほど、長いデモ行進だった。(ちなみに、このようなデモ集会に参加しているのは、外国のバックグランドを持つ人だけとは限らない。むしろ、それ以外のスウェーデン人のほうが多い気がする。)

クリスマスを控えた時期に、スウェーデン各地でこのようなデモ集会が開かれたわけだが、その中でも一際大きかったのは、事件から1週間後に、現場となったシャルトルプ(Kärrtorp)で開催された集会だった。「過激派の暴力や差別は許さない、という意思表示のためにみんなで集まろう!」とFacebook上で呼びかけがあり、たちまち18,000人が「いいね!」を押した。その後、主要政党の国会議員なども参加を表明。

当日の12月22日(日)は、15,000-20,000人の人々がストックホルム内外からシャルトルプに集まった。町の広場にはもちろん入りきらないため、近くの競技場に誘導され、大きな集会となった。極右による妨害は今回はなかったようだ。国会議員も、極右であるスウェーデン民主党を除くすべての国政政党が参加した。





クリスマスを前にした慌ただしい時期に、これだけ多くの人が一つの意思表示のために集まったのはとても良いことだと思う。私の友人も何人か参加して写真をFacebookで見せてくれた。一方で、そのような動きをよく思わない人々もスウェーデンにいることも忘れてはならない。スウェーデン民主党の支持率は7~9%を推移している。

イェーヴレ市の藁ヤギ、今年も灰に

2013-12-22 14:08:31 | スウェーデン・その他の社会
イェーヴレ(Gävle)市の商工組合や学校など地元の有志によって、毎年11月終わりから12月初め(Första advent)に建てられる「藁ヤギ」。この藁ヤギは燃えやすく、毎年のように悪戯で火を付けられて炎上しており、「さて今年は新年まで生き残るのか?」がスウェーデンにおけるこの季節の話題になっている。

【藁ヤギについての詳細は、私の過去の記事をどうぞ】
2006-12-31: イェヴレ市のヤギ人形
2008-12-27: 今年は生き残るか?-イェヴレ市のヤギ
2011-12-05: イェーヴレ市のヤギ人形、今年は早くも・・・

今年もウェブカメラによる監視が行われ、藁が燃えにくくする不燃材も吹きかけられた。警備員も配置されているらしい。何ごとも無く3週間ほど過ぎたが、ついに12月21日朝4時、若者4人が柵を乗り越えて侵入。2人の警備員に見つかったものの、ガソリンをヤギにかけ、火を放って逃げてしまった。藁ヤギは瞬く間に炎上し、灰と化してしまった。

以下に動画2つ。






この藁ヤギはTwitterアカウントも持っており、

事件の後、最後のコメントを残している。

ヤギ消失のニュースは、テレビやラジオの全国ニュースでも流れる。遠くに住む者にとっては、新年まで生き残ろうが、年末に燃やされようが、話のネタに過ぎないのだけれど、地元の人に取ってみたら非常に悔しいことだろうなと思う。火を付けた4人はどうやら市外からやってきた若者のようで、タブロイド紙を通じて犯行声明を出し、犯行の映像も公開している。警察も捜査に乗り出している。私もこのブログ記事を書きながら、非常に腹立たしくなってきた。

さらなる所得税減税に有権者の過半数が反対、という世論調査結果

2013-12-17 13:15:55 | スウェーデン・その他の政治
来年2014年の予算については9月にこのブログで触れ、一つの目玉が第5次勤労所得税額控除(femte jobbskatteavdraget)であることを書いた。第5次というのは、現行の第4次勤労所得税額控除よりも控除額が拡大することを意味する(平均的な勤労所得の人で月270クローナ、日本円にして約4000円の追加減税)。この勤労所得税額控除は現政権が2007年予算で初めて導入した。GDPに占める租税・社会保険料の割合が、世界的に見てもスウェーデンは高く、それを少しずつ下げていくことが導入目的の一つだった。それ以来、控除額が徐々に拡大され、2014年は4度めの拡大となる。

この勤労所得税額控除は、導入された当初の規模であれば意味はあったと思うが、それがどんどん拡大されていき、今さらに拡大することに対しては私は否定的だとブログで書いた。そもそも、現政権は今の社会をどのように変えていきたいのか、様々な社会・経済問題をどのように解決していきたいのか、というビジョンがもはや無くなってしまい、政権を奪還した2006年には強力な政策的切り札と考えられたこの勤労所得税額控除を、今は芸もなく繰り返しているだけのように感じられる。

実は12月初めに実施された世論調査によると、スウェーデンの有権者の過半数もこの第5次勤労所得税額控除 (femte jobbskatteavdraget) に否定的であることが明らかになった。


全体では、「あまり良くない」「大変悪い」と答えた人が58%で、「まあまあ良い」「大変良い」と答えた34%を大きく上回る。また、男女別に見ると、男性の方が肯定的な人の割合が若干大きいものの、否定的な人の割合は男女とも6割近い(男女間の差は有意)。また、学歴別に見ても、高学歴になるほど肯定派の割合が若干高くなるが、否定派の割合は58~59%と中卒・高卒・大卒でほとんど差がない(差は非有意)。

一方、支持政党別に見ると、現在の中道右派政権を構成する4党の支持者は、肯定的な人の割合が61%の穏健党(保守党)の支持者を筆頭に50%前後であり、4党全体としては肯定が57%、否定が35%だ。これに対し左派ブロック3党の支持者は、否定的な人の割合が95%に及ぶ左党の支持者をはじめ、全体として15%が肯定的、80%が否定的だ。これは予想できる結果だ。(極右のスウェーデン民主党は肯定24%、否定74%と左派ブロックに近い)


より興味深いのは、都市部に住むホワイトカラーの有権者の動向だ。この世論調査によると、都市部に住む有権者でも33%が肯定的、61%が否定的という結果であり、否定的な人が多いことが分かる(ただし、都市部以外の有権者との差は非有意)。また、ホワイトカラーでも否定派(62%)が肯定派(33%)を大きく上回る(否定派の割合が他のグループより大きいが非有意)。

2006年の国政選挙における政権交代の背景として挙げられる一つは、都市部に住み、そこそこの所得があるホワイトカラーの中流有権者が社会民主党から穏健党(保守党)へと支持を大きく変えたことだ。そのため、2010年の国政選挙では社会民主党を中心とする左派ブロックは、彼らの支持をさらに失うのが怖く、積極的な増税を打ち出せなかった。しかし、減税に否定的な見方をする有権者が現在これだけおり、しかも、選挙の結果を大きく左右しかねない中流階級においても否定派が多数だということは、今回の選挙キャンペーンでは増税の必要性も含めた政策議論を展開できるかも知れない。是非ともそうなってほしい。

「スウェーデンでは減税を主張する党は選挙で負ける」などという非常に大雑把で、的確とはいえない言説が日本では一部で広まってしまった。減税の主張が必ずしも得票率の上昇には結びつかないことはその通りなのだけれど、過去2回の国政選挙において減税を主張する陣営が勝利したことから分かるように、この言説は正しいものとはいえない。税金はできれば低いほうが良い。しかし、同時に社会福祉・社会保障の水準は今まで通りに維持したい、と多くの有権者が考えている。2006年と2010年の国政選挙において中流階級が社会民主党から穏健党を中心とする中道右派陣営に支持を大幅に変えたのは、それまでの社会保障の水準を維持しながらも、制度をスリムアップすることで減税が可能だということを中道右派陣営が説得力のある形でアピールできたからだと思う。政権交代から7年が経った今、減税は実現され、仕事のある人の可処分所得は増えた。しかし、その一方で社会保障サービスには質の低下や制度の綻びが顕著になっている。昨年のPISA調査も非常に残念な結果となったことも、先日明らかになったばかりだ。それなのに、政権側から打ち出されるのは相変わらず、減税、減税。そのことに対するウンザリ感が現在、有権者の間に蔓延しているということなのだと思う。

PISAの結果について (その2)

2013-12-12 12:33:25 | スウェーデン・その他の社会
2012年に実施されたPISA調査において、スウェーデンが散々たる結果に終わったことは、現政権にとって非常に痛い問題だ。というのも、現在の中道右派ブロックが政権を奪った2006年選挙において、ブロックの一翼をなしていた自由党(教育政策に重点を置く党)は、既にその時点で低下傾向が見られていた学力水準の原因が社会民主党政権にあると指摘し、それに変わる教育政策の実施を公約に掲げていたのだ。その時も、学力が低下しているとする根拠の一つはPISA調査だったように思う。しかし、政権交代から7年がたった今、学童の学力水準は向上するどころか、ますます低下していることが同じPISA調査によって明らかになったからである。

現政権の責任を追及しようとする動きに対して、自由党のビョルクルンド教育大臣は「私たちは教育指導要領の改正や新しい統一試験の実施などを始めとする大規模な改革を2011年に実施した。今回発表されたPISA調査は2012年に実施されており、改革の実施から1年しか経っていないから、その効果はまだ現れていない」と牽制。そして、「むしろ、現政権が就任する以前の社会民主党政権の教育政策の結果と捉えるべきだ」と反論した。

たしかに彼の反論には一理あろう。これは彼だけではなく教員労働組合や教育研究者、そして現在の左派野党も指摘してきたことではあるが、教育の現場が抱えている問題としてあげられるのは、教員不足や教員のすべき事務手続きが増えたことによって、教員が生徒をきちんと指導する時間が確保できず、自習時間が増えたり、生徒の学習環境が乱れてきたこと。これに対する与党・自由党の対策は、教員の権威を高め、規律と秩序による学習環境の改善をすすめること。また、グループワークやディスカッション形式の授業よりも、教員が一方的にものを教える講義形式の授業を増やすこと、そして、統一学力試験の導入や成績評価の早期化(現在は6年生)などであった。さらに、大学における教員課程を修了していない教員の増加も指摘され、教員自身の教える能力に対して疑問が挙げられてきたことに対しては、教員免許制度を導入して、それを取得した者だけが教員として教えられるようにした。これらの改革は、現在実行されている最中であり、その評価を現時点で判断するのは時期尚早であろう。

ちなみに「教員が一方的に物を教える講義形式の授業」と書いたが、日本で教育を受けてきた者であれば、そんなこと当然だ、学校の授業というのはそういうものだ、と思うだろう。しかし、スウェーデンでは教員が喋り、生徒が黙ってそれを聞くという講義形式の授業だけでなく、グループワークやディスカッション形式など、教員と生徒との双方向のコミュニケーションによる授業もかなり多い。大学でもそうだが、こちらの若者と話していると、自分の意見をしっかりと持っているし、それを伝えるコミュニケーション能力も高いと感じるが、それはそのような参加型の教育の結果であろうと思う。もちろん、それには教員に経験と高い能力が要求される。教育において望ましいのは、講義形式の授業と双方向の授業の両方をバランスよく組み合わせることであろう。

(しかし、今の教育大臣は軍隊で長年、将校(最終階級は少佐)として勤務していたということもあり、彼が「教員が一方的に物を教える講義形式の授業」とか「規律と秩序」という言葉を使うと、教員が一方的にものを教える教育のみを強調しているように聞こえるため、野党との政策議論においては、どうしても0か1かといった二者択一の議論になりがちなのは残念だ。)

では、学力低下の責任は、2006年まで政権を握っていた社会民主党にあるかというと、そうだとも言えない。根本的な問題として指摘されるのは1990年代前半に実行された2つの教育改革だ。

まず、1991年に実施された学校教育地方分権化、つまり、学校教育(小学校から高校まで)を国の管轄から地方自治体の管轄へと移管した改革だ。この改革は、社会民主党と穏健党・自由党を始めとする右派政党との合意で実現した。国が学校教育の大枠を教育指導要領という形で示し、具体的な教育の中身や予算は各自治体が決められるようになった。しかし、学校教育のマネージメントに対する自治体の力不足が指摘されるし、同じく自治体管轄である他の社会サービス(高齢者福祉・保育)と天秤にかけながら予算配分をしなければならないため、財政的に苦しい自治体は教育の予算カットや教員コストのカットなどで急場を凌ぐことになる。結果として、教員の給料は同レベルの大学教育を必要とする他の職業よりも低く抑えられ、魅力がなくなり、優秀な若者が教員職に集まらなくなったと言われる。また、教員経験のない者が校長など学校管理職に就いているケースも少なくない。そういったことが原因となり、自治体間で教育の水準に格差が生じたと批判される。(教員の質の低下については、大学における教員養成課程の問題や、教員になった後のサポート不足も指摘される。)

もう一つの改革は、1992年の学校選択自由化だ。これは、当時の中道右派政権と環境党の合意で実現した。それ以前は、基礎学校(小・中に相当)や高校は公立がほとんどで、私立学校は例外的に認められていただけだった(例えば、外国人の子供のためにスウェーデン語以外の他言語で教育を受けられるインターナショナル・スクールや、仕事などの都合で国外で暮らすスウェーデン家庭の子供をスウェーデン国内で学ばせるための全寮制学校など)。また、かつては子供を通わせる学校を選ぶ余地はなく、自分が居住する地区の学校しか選べなかった。しかし、この改革により、私立学校の参入が認められるようになり、また、学校の運営費は生徒からの授業料の徴収ではなく、公立学校と同様、生徒の数に応じて公費で賄われるようになった(いわゆる、バウチャー制度)。同時に、学校の選択も自由になり、居住地区から離れた学校に子供を通わせることも可能になった。

しかし、その結果は想像に難くない。成績の良い子や勉学に力をいれる家庭の子は、同じように熱心な家庭の子が集まる学校を選ぶようになった。これは私立・公立を問わない。人気の高い公立学校もある。一方、人気のない公立学校には学校選びを積極的に行わない、成績の芳しくない子供が集まるようになった。つまり以前は、できる子もできない子も一緒に学び、良くも悪くもお互いに影響を受けていた。しかし、改革の結果、勉強の苦手な子の多い学校が生まれ、一方で、勉強のできる子が集まる学校が生まれた。これは、勉学の意欲のある子やその親にとっては、足を引っ張られることなく能力をさらに伸ばせるようになり、嬉しいことだろう。他方、できない子は、できる子からの刺激がなくなり、勉強ができなくてもいいんだ、という環境の中で育つようになってしまった。今回のPISA調査の結果でも、「理科」と「読解」では成績の悪い子の点数の下げ幅が大きく、できる子とできない子の格差が拡大したことが示されたが、その大きな原因はこの改革にあると声が強い。

2002年のことだった。当時、私はヨンショーピンという地方の町の大学で修士課程を履修していたが、その傍ら、スウェーデン語を学ぶために市立の成人学校に通っていた(SFIというスウェーデン語初級レベルの次の段階だった)。その時に書いた作文で、まさにこの学校選択自由化のことをテーマにしたのを覚えている。実は、当時もニュースでこの改革の長所・短所が取り上げられ、議論されていたからだ。私の作文の論旨は「選択の自由というけれど、その自由を享受できるのは勉強ができる子の家庭だけであり、そうでない家庭は選ぶ余地が実質的にないのではないのか。そういう子は改革によってますます成績が落ちてしまうのではないか」ということだった。これに対し、私のスウェーデン語の先生は「私はそうは思わない。成績の芳しくない子が多い学校には重点的に教育的リソースを配分し、より多くのサポートをすることが可能だ」という意見だった。この考え方は実は、改革賛成派からよく聞かれる意見だ。成績の良くない子には積極的にサポートして彼らの成績を底上げし、一方で勉強ができる子はできる者同士で互いに切磋琢磨し、さらに力を伸ばすことができる。Win-Winというわけだ。しかし、その結果として、学校間の格差が広がった。では、その広がり方は改革を実行した時に想定された範囲内なのか、また、勉強のできない子へのサポートが十分に行われた結果がこれなのか、もしくは、サポートが十分ではなかったからこうなったのか? それについては、私はよく分からない。

今回のPISAの結果を受けて、教育政策の新たな転換を求める声が強くなっている。まず、1991年の学校教育地方分権化については、学校教育を再び国の管轄に戻すべきという意見が、現教育大臣の所属する自由党を含め、いくつかの党から挙げられている。次に、1992年の学校選択自由化であるが、これを廃止して元に戻すべき、と主張しているのは今のところ、元共産党である左党にとどまるが、これは無理もないだろう。改革から20年以上経ち、学校を選ぶことが当然のことと考えられるようなった今、以前のような「この地区の子供はこの学校へ」という選択不可システムに戻すことは容易ではない。選択の自由を享受してきた家庭や社会階層からは大きな反発が予想される。学校の選択が当然のように行われ、私立・公立のエリート校・進学校が多数存在する日本の感覚からすると、その自由を奪うことなんて考えられないのではないだろうか。(一方、学校の自由選択と私立学校の存在を認めるとしても、私立学校の利潤追求・株主配当を認めるべきかは党によって意見が別れる)

その他の改革としては、勉強の意欲がない子供への支援の拡大、クラスのさらなる少人数化、教員のすべき事務作業の簡略化により彼らがもっと教育に専念できるようにする、などの提案が各党からなされており、これらは与野党を問わず、概ね一致している。また、教員職のステータスを高め、優秀な若者を惹きつけるためには給与の引き上げが必要だとの意見が多いが、では、それをどのような形で行うかについては党によって意見が別れる。また、成績評定が初めて行われる学年が、現政権のもとで9年(中学3年に相当)から6年に引き下げられたが、それをさらに下げて3年にするかどうかも意見が割れている。

いずれにせよ、次の国政選挙まで1年を切ったところで、このPISA調査の結果が発表されたことは、現在すでに始まっている選挙キャンペーンに見られる「減税か否か」といった不毛な議論から、より具体的な政策議論へと焦点を移してくれるだろうから、良かったと思う。ここで、意味のある改革案を提示でき、そして、有権者を納得させることができる党が今後の選挙戦で有利に立つことになるだろう。

PISAの結果について (その1)

2013-12-08 08:40:09 | スウェーデン・その他の社会
先週、スウェーデンのメディアの注目を最も集めたニュースは、月曜日に発表されたPISA調査の結果だ。このPISAはProgramme for International Student Assessmentの略であり、先進国における15歳の生徒の学力(数学・理科・読解)を統一試験によって国際比較しようというプロジェクトだ。実施主体はOECDであり、この調査に参加しているのはOECDの34加盟国のほか、いくつかの途上国を含め、全部で65カ国。初回の実施が2000年であり、それ以降、3年ごとに調査が行われてきた。先週発表された調査結果は2012年に実施された統一試験の結果を集計したものだった。

そこで明らかになった主な要点は以下のとおり。
・スウェーデンの成績低下が著しく、2000年に調査が始まって以来初めて、3つの科目(数学・理科・読解)のすべてでOECD平均を下回った。
・数学は北欧諸国の中で最下位。読解は2000年(初回)の調査ではOECD諸国内で第4位だったが、それがOECD諸国内で下から第4位に転落した。
・数学はできる子とできない子の点数の下げ幅がほぼ同じなのに対し、理科と読解はできない子の下げ幅が大きい。


3科目それぞれにおけるスウェーデンの平均得点の変化

出典:SVT


数学と読解のランキング

出典:The Economist

ちなみにPISA調査といえば、過去の結果においてフィンランドが高い成績を収め、世界的な注目を受けた。その後、外国から多数の視察団がフィンランドを訪れたというが、そのフィンランドも近年は数学の成績が芳しくなく、今回の結果を報じる英Economist誌は ” Finn-ished”(フィンランドは終わった)という見出しを使っている。(フィンランドの学校や関係当局には、あまりに多くの視察団が日本をはじめ各国から訪れていたというから、今回の芳しくない結果に関係者はむしろ胸を撫で下ろしているのではないかと私は思う・笑)とはいえ、フィンランドは今でも数学12位・理科5位・読解6位と上位にいる。


一方で、ランキングの上位は、中国(上海のみで調査を実施)、シンガポール、香港、日本、韓国、台湾など東アジアの国々が占めている。

この結果を受けて、スウェーデンのメディアでは成績低下の原因が何なのか、誰の責任なのか、どのような解決策を講じるべきなのかがすぐさま議論されてきた。それについては次回詳しく書くとして、まずこのPISA調査の結果をどこまで真に受けるべきなのだろうか。正直、私はかつてのフィンランド・フィーバーの時に、あまりに一喜一憂しすぎじゃないのかと感じていた。

このPISA調査は、それぞれの参加国においてサンプリングして対象校を選び、その国の平均的な学力を求めるために学校の運営主体や生徒の社会経済的な要素に基づいて比重を掛けているようだが、このサンプリング手法や用いられる比重が公正なものかという疑問が挙げられる。そもそも中国に至っては上海のみで試験が実施されており、国全体の平均的な学力を反映しているわけではない。サンプルの取り方以前の問題として、平均所得が国の中でも比較的高い地域だけを選んで調査を行えば、良い結果が出ても不思議ではない。

また、つい1ヶ月前に明るみになった研究では、参加国の一部(イタリアやスロベニア)ではずさんなデータ収集が行われていることが示されていた。つまり、サンプル調査の収集率を高めるために、欠落したデータを別の学校のデータをコピー&ペーストすることで補う、という不正が行われていたのである(この研究は”Can we trust survey data? The case of Pisa”というタイトルの論文として近日発表されるとのこと)。この不正の規模次第では、調査結果の信憑性にも大いに影響を与えかねない。

しかし、それ以上に問題なのは、この国際比較で用いられる学力検査が筆記試験にもとづいているため、学力を構成する様々な要素のほんの一部しか捉えていないし、その気になればその形式の試験で高得点を出すための訓練をすることが可能であるという点だろう。既に述べたように、近年の調査で上位を占める国々には東アジアが多いが、それらの国は一般に暗記・詰め込み学習を得意とするため、筆記試験では高い点が出やすいが、果たしてその結果が本当の学力の指標となるのだろうか。また、国によってはこのPISA調査で高い順位を得ることが国の威信と位置づけ、そのための訓練やPISA調査で好成績が出せるような教育をしている可能性もあるだろう。

そのため、スウェーデン国内の専門家に加え、例えばデンマークの専門家などからも結果を額面通り受け取ることを懸念する声が上がっているようだ。私もPISA調査の示す国際比較とはほどほどに付き合うべきではないかと思う。

一方で、同調査が示している、スウェーデンの生徒(15歳)の学力が過去10年で徐々に低下しているという点までいい加減かというと、そうとも言えない気がする。

スウェーデンの基礎教育および高校教育を管轄する学校庁の統計の中から、経年比較が可能な統計がないかと調べてみたところ、基礎教育(9年)の卒業時に国が定めた学力水準に達していない生徒の割合と、基礎教育(9年)の卒業時に国の定める高校教育課程への進学に必要とされる学力水準(スウェーデン語・英語・数学)に達していない生徒の割合、を見つけることができた。もちろん、これは目安にすぎない。ここで示されているのは未到達の生徒の割合であって、学力水準に達している生徒の学力の内訳はこのデータからは分からない。もしかしたらより適した統計があるかもしれないが、時間が限られているので、とりあえず一つの目安として示してみたい。(ちなみに、私は一つ目と二つ目のグラフで示した「未到達」の定義の違いが良く分からない)

まず、基礎教育(9年)の卒業時に国が定めた学力水準に達していない生徒の割合から。


このデータからは、むしろ2000年代初めのほうが問題が大きく、その後、徐々に未到達の割合が減少していることが分かる。

次に、基礎教育(9年)の卒業時に国の定める高校教育課程への進学に必要とされる学力水準(スウェーデン語・英語・数学)に達していない生徒の割合を見てみる。


赤棒はこの3科目のうち1つでも未到達の生徒の割合を示しているが、2000年代後半から徐々に上昇していることが分かる。では、それぞれの科目ごとに見てみると、スウェーデン語と英語がほぼ横ばいなのに対し、数学の未到達割合が上昇していることが分かる。

だから、少なくとも数学に関しては学力が低下し、未達成の学生割合が増えていると判断することができるのではないだろうか。

以下は、やはり学力が過去10年ほどの間に低下しているのではないか、という前提で話を進めたいと思う。(続く)