スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

非常に惜しい大臣の辞任

2016-08-13 23:01:58 | スウェーデン・その他の政治
高校教育・知識向上担当大臣アイーダ・ハジアリッチが記者会見を開き、辞任する意思を表明した。飲酒運転で警察に捕まったことが理由だという。

先週木曜日の夜、デンマークの首都コペンハーゲンで友人と一緒にコンサートを楽しんだハジアリッチ大臣は、その後、車を運転して、デンマークとスウェーデンの間にある海峡をまたぐオーレスンド大橋を渡り、スウェーデン側の街マルメに移動しようとした。おそらくその晩はマルメで宿泊するつもりだったのだろう。そして、スウェーデン側に入ったところでスウェーデン警察が飲酒運転チェックを実施していたという。実は彼女はその4時間前赤ワインとシャンペーンを一杯ずつ飲んでおり、警察による呼気検査の結果、血中アルコール濃度0.2‰(パーミル)相当のアルコールが検出された。スウェーデンでは血中アルコール濃度が0.2‰以上の場合、飲酒運転とみなされ、罰金または懲役刑が科され、運転免許証も12ヶ月間取り上げられる。彼女いわく、充分な時間が経っているから体内のアルコールも減り、運転には問題ないと判断して車に乗ったそうだ。しかし、その判断は「人生で最大の過ち」だったと記者会見の中で述べた。


アイーダ・ハジアリッチ
出典: Mikael Lundgren/Regeringskansliet


アイーダ・ハジアリッチといえば、スウェーデン史上最年少である27歳で閣僚となった女性である。高校卒業と同じ年の選挙で18歳にしてハルムスタード市議会の議員に選出(比例代表制)され、その後、議員職を兼ねながらルンド大学で法学部に通い、学位を取得し、早くも22歳の若さで市執行部のメンバーになりフルタイムで議員職を務めるに至った。2014年の国政選挙ではあとわずかのところで議席を逃したものの、その後の組閣において社会民主党のロヴェーン首相が若くて能力のある彼女を大臣に起用したのだった。

私も彼女の活躍には非常に注目していた。彼女の生まれは旧ユーゴスラヴィア連邦のボスニア・ヘルツェゴヴィナであり、ムスリムの家庭で育った。そして、1992年に勃発したボスニア紛争で家を追われ、家族とともに5歳の時にスウェーデンに難民として受け入れられた経歴を持つ。だから、自身の政策領域である教育だけでなく、移民の社会統合やアイデンティティーについても、自分自身の経験に基いて議論に参加するなど、メディア上での存在感も大きな若手議員だった。私は彼女の話す、語気の少し強い(ボスニア語を感じさせる)スウェーデン語が気に入っていた。

誰にでも過ちはあるが、彼女の行為はスウェーデンの法に反したものであるから、立派な罪であり、その責任はきちんと取るべきである。だから、彼女をかばうつもりはない。しかし、興味深いのはヨーロッパの国々の間で飲酒運転の基準が大きく異なっている点である。先程も触れたように、スウェーデンでは0.2‰以上の場合、飲酒運転と見なされる。しかし、隣国のデンマークでは飲酒運転の基準は0.5‰なのだ。だから、彼女がもしデンマーク側で飲酒運転チェックを受けていれば飲酒運転とは見なされなかったことになる。デンマークと同様に0.5‰を基準値としているのはベルギーやフィンランド、フランス、ギリシャ、アイスランド、イタリア、アイルランド、スペイン、ドイツなどだ。一方、スウェーデンと同じ0.2‰という基準値を採用しているのは、ノルウェーやエストニア、ポーランドである。この他にも、ロシアの0.35‰やハンガリーやルーマニアの0.0‰といった基準値もある。イギリスに至っては、イングランドとウェールズが0.35‰であるのに対し、スコットランドが0.5‰というように一国内でも基準が異なる。(この点は、今後少なくともEU内で統一した基準を作っていくべきではないかと思う)


出典: SVT


ハジアリッチ大臣の辞任に話を戻すが、いさぎよさに好感が持てる記者会見だった。辞任表明のあと、SNSなどでは、きちんと謝罪して大臣ポストに残留する道もあったはず、とか、あまりに早まった決断だ、といった声もあったが、彼女は「私は小さい時から自分の行動に責任を持つように育てられてきたから、今回の件においてもそうしたい」とインタビューに答えている。

彼女のような状況に陥った場合、辞任残留か、2つの選択肢があるだろうが、残留という道を選んだ場合、謝罪のタイミングや言葉遣い、そして、事実関係の詳細をどこまで公にするか、といった重要ポイントを少しでも踏み間違うと、とたんにメディアの激しい追及を浴びることになり、挙句の果てにやっぱり辞任するという道を選ぶことになったかもしれない。それに対し、彼女は自分の過ちを認め、事件に至った詳細をきちんと明らかにし、辞任するという道を選んだようだ。(事実関係としては彼女が記者会見で明らかにしたことが正しいという前提でこの記事を書いている。そうではない、ということに今後なれば、彼女の辞任だけでは事は収まらないだろう)

また、彼女が潔く辞任を選んだことで、彼女のイメージに対する悪影響を最小限に抑えることができ、社民党内の重要ポスト、そして(2018年国政選挙で社会民主党が政権を維持できた場合に)内閣の重要への復帰を結果的に早めるだろうと見られる。

これはロヴェーン首相も指摘していることだが、彼女はまだ30歳にも達しておらず、今後、政界に復帰して活躍していくだけの時間はたっぷりある。これから先のことは分からないが、もしかしたら今後10年の間に、社民党の中心的な存在になっていくのではないかと、私は内心期待している。