スウェーデンの総選挙の一つの争点はやはり税制だ。デンマークと並んで世界でもっとも税金が高い国だが、高い税金にみんなが無条件で納得しているというのは幻想だ。税金はやはり少しでも少ないほうが良い。高い税金に納得している人でも、それがしっかりとした目的のために使われるから納得しているのであって、同じ目的を少しでも少ない税金で達成できるならばそのほうが良いと考える。税金と一口に言っても、所得税、法人税、消費税、環境税と様々なものがあり、それぞれ人々の経済行動に与える影響も異なる。では、どの税金をどれだけ上げるのか、どれだけ下げるのか? さらに、その変化の一つ一つは、社会を構成する様々な所得階層に異なる影響を与える。だからこそ、ある特定のカテゴリーの人々に支持を訴えるために、税金の上げ下げや税額控除(負の税)の大きさについては総選挙のたびに常に争点となる。
税制をめぐる大きな議論の一つは、2006年秋の前回の総選挙で勝った中道右派政権が早速2007年から導入した勤労所得税額控除(Jobbskatteavdrag)の制度だ。勤労によって得た所得にかかる所得税を減税するというものだ。その上、減税の恩恵は低所得層になるほど大きくなるように設定された制度だ。
この目的は、家計の可処分所得を増やして消費を活発にするという景気対策ではない(この制度が最初に導入された2007年は好景気の真っ只中だった)。低所得層になるほど恩恵が大きくなるようにしたのには訳があって、それはこの階層にかかる所得税の実質的な限界税率を低くすることで、よりたくさん働くことによって得られるメリットを高め、人々の働く意欲を増進させ、労働供給を増やすためなのだ。
ちなみにスウェーデンでは、失業手当や病気で休業するときの疾病手当、年金といった社会保険制度からの給付にも所得税が課せられる。所得税のうち地方所得税(市税・県税)はすべての所得階層に31%強が課せられる(自治体によって税率が違うので31%強というのはその平均)し、高所得者には国税の所得税が20%あるいは25%上乗せされる。しかし、この勤労所得税額控除(Jobbskatteavdrag)の特徴は、そのような社会保険給付には適用されない、つまり、純粋に勤労で得た所得にかかる所得税だけが減税の対象となるということだ。だから、例えば同じ1万円の所得があっても、それが社会保険給付(失業保険・疾病保険・年金)によるものであれば所得税が丸々課せられるが、それが勤労から得られた所得であれば所得税が少なくなる。だから、この制度の狙いは、社会給付に頼って生活することと比較した場合の就労のメリットを少しでも高め、給付漬けなっている人を労働市場に復帰させることでもあった(年金で生活する退職者にも働くことを奨励している)。
実は、アメリカではEarned Income Tax Creditという制度が、イギリスではWorking Tax Creditという制度が以前から導入されてきたが、それとほぼ同じ税額控除制度だと考えて良いだろう。大きな違いといえば、両国の制度では所得が高くなるにつれて最初は控除額が増えていくものの、ある所から減少をはじめ高所得層ではゼロとなるのに対し、スウェーデンの場合はある段階で最高控除額に達したあとその水準を保ち、減ることがないという点だ。
所得階層ごとに見た勤労所得税額の控除額
(濃い線は現役世代、薄い線は65歳以上。つまり、高齢者により多くの控除がある)
それから、スウェーデンでは控除額が単身か既婚かどうかや子供の数によって変わることもない。英米の制度ではシングルマザーと既婚女性で効果が異なった(既婚女性の労働供給がむしろ減った)という研究結果があるようだが、スウェーデンでは夫婦単位ではなく個人単位の課税なので、そのような違いはないのではないかと思う。(英米の制度については、内閣府の平成19年度版『経済財政白書』に若干の説明がある)
さらに少しテクニカルな話になるので読み飛ばしてもらうために文字色を灰色にするが、スウェーデンで導入された勤労所得税額控除(Jobbskatteavdrag)のもう一つの狙いは、低中所得層でデコボコしていた限界所得税率を階段状にきれいにすることでもあったようだ。なぜデコボコだったかというと、所得税を課税する際の基礎控除の額が一定額ではなく所得水準によって異なっていたためだ。基礎控除額が変動する部分の所得階層では、基礎控除額の微分のプラス・マイナスを入れ替えた分だけ限界税率が地方所得税率よりも乖離することになる。2007年から導入された勤労所得税額控除では、その乖離分を消すために基礎控除額の変動に対して逆向きに作用するようにそれぞれの所得階層で控除額が設定されたようだ(この推測が正しければ、上に示した控除額のグラフは正確なものではなく、制度の概要だけを示したものだろう)。
いずれにしろ限界税率がこの制度の導入によってどう変化したかというと
導入前である2006年の限界所得税率
↓↓↓
第一次の勤労所得税額控除が導入された2007年の限界所得税率
このように、きれいに階段状になっているのだ。これがスウェーデン政府の意図したものであるという推論が正しければ、なぜ勤労所得税額控除の控除額が高所得層で減少しないかという理由も明らかになるだろう。つまり、控除額を徐々に減少させてしまえば、減少の微分の分だけ限界税率が高くなってしまい、その所得階層の限界税率だけが突起してしまうためだ。もしくは、控除額を漸進的に減少するのではなく、突然ゼロにしてしまうと、今度はその境界部分でインセンティブが狂ってしまう。
この制度は何度も書くように就労インセンティブを高め、あくまでも労働供給を増やすための施策なので、労働需要が増えなければ雇用そのものは増えないと思われるかもしれない。しかし、この制度の導入を2006年の総選挙で公約に謳っていた穏健党(保守党)の経済ブレインであるアンデシュ・ボリ(現・財務大臣)は「この制度は雇用も生み出す」と主張していた。どうして?
それは労働供給曲線が右にシフトして賃金水準の均衡値が下落すると、労働需要が増えるためだ。
中道右派政権は2007年に初めてこの制度を導入した後、2008年、2009年、そして2010年と4度にわたって控除額を拡張していった。しかし、その是非については与党と野党の間で大きく意見が分かれるところである。経済学の専門家もいくつかの問題点を指摘してきた。(続く・・・)
税制をめぐる大きな議論の一つは、2006年秋の前回の総選挙で勝った中道右派政権が早速2007年から導入した勤労所得税額控除(Jobbskatteavdrag)の制度だ。勤労によって得た所得にかかる所得税を減税するというものだ。その上、減税の恩恵は低所得層になるほど大きくなるように設定された制度だ。
この目的は、家計の可処分所得を増やして消費を活発にするという景気対策ではない(この制度が最初に導入された2007年は好景気の真っ只中だった)。低所得層になるほど恩恵が大きくなるようにしたのには訳があって、それはこの階層にかかる所得税の実質的な限界税率を低くすることで、よりたくさん働くことによって得られるメリットを高め、人々の働く意欲を増進させ、労働供給を増やすためなのだ。
ちなみにスウェーデンでは、失業手当や病気で休業するときの疾病手当、年金といった社会保険制度からの給付にも所得税が課せられる。所得税のうち地方所得税(市税・県税)はすべての所得階層に31%強が課せられる(自治体によって税率が違うので31%強というのはその平均)し、高所得者には国税の所得税が20%あるいは25%上乗せされる。しかし、この勤労所得税額控除(Jobbskatteavdrag)の特徴は、そのような社会保険給付には適用されない、つまり、純粋に勤労で得た所得にかかる所得税だけが減税の対象となるということだ。だから、例えば同じ1万円の所得があっても、それが社会保険給付(失業保険・疾病保険・年金)によるものであれば所得税が丸々課せられるが、それが勤労から得られた所得であれば所得税が少なくなる。だから、この制度の狙いは、社会給付に頼って生活することと比較した場合の就労のメリットを少しでも高め、給付漬けなっている人を労働市場に復帰させることでもあった(年金で生活する退職者にも働くことを奨励している)。
実は、アメリカではEarned Income Tax Creditという制度が、イギリスではWorking Tax Creditという制度が以前から導入されてきたが、それとほぼ同じ税額控除制度だと考えて良いだろう。大きな違いといえば、両国の制度では所得が高くなるにつれて最初は控除額が増えていくものの、ある所から減少をはじめ高所得層ではゼロとなるのに対し、スウェーデンの場合はある段階で最高控除額に達したあとその水準を保ち、減ることがないという点だ。
所得階層ごとに見た勤労所得税額の控除額
(濃い線は現役世代、薄い線は65歳以上。つまり、高齢者により多くの控除がある)
それから、スウェーデンでは控除額が単身か既婚かどうかや子供の数によって変わることもない。英米の制度ではシングルマザーと既婚女性で効果が異なった(既婚女性の労働供給がむしろ減った)という研究結果があるようだが、スウェーデンでは夫婦単位ではなく個人単位の課税なので、そのような違いはないのではないかと思う。(英米の制度については、内閣府の平成19年度版『経済財政白書』に若干の説明がある)
さらに少しテクニカルな話になるので読み飛ばしてもらうために文字色を灰色にするが、スウェーデンで導入された勤労所得税額控除(Jobbskatteavdrag)のもう一つの狙いは、低中所得層でデコボコしていた限界所得税率を階段状にきれいにすることでもあったようだ。なぜデコボコだったかというと、所得税を課税する際の基礎控除の額が一定額ではなく所得水準によって異なっていたためだ。基礎控除額が変動する部分の所得階層では、基礎控除額の微分のプラス・マイナスを入れ替えた分だけ限界税率が地方所得税率よりも乖離することになる。2007年から導入された勤労所得税額控除では、その乖離分を消すために基礎控除額の変動に対して逆向きに作用するようにそれぞれの所得階層で控除額が設定されたようだ(この推測が正しければ、上に示した控除額のグラフは正確なものではなく、制度の概要だけを示したものだろう)。
いずれにしろ限界税率がこの制度の導入によってどう変化したかというと
導入前である2006年の限界所得税率
↓↓↓
第一次の勤労所得税額控除が導入された2007年の限界所得税率
このように、きれいに階段状になっているのだ。これがスウェーデン政府の意図したものであるという推論が正しければ、なぜ勤労所得税額控除の控除額が高所得層で減少しないかという理由も明らかになるだろう。つまり、控除額を徐々に減少させてしまえば、減少の微分の分だけ限界税率が高くなってしまい、その所得階層の限界税率だけが突起してしまうためだ。もしくは、控除額を漸進的に減少するのではなく、突然ゼロにしてしまうと、今度はその境界部分でインセンティブが狂ってしまう。
この制度は何度も書くように就労インセンティブを高め、あくまでも労働供給を増やすための施策なので、労働需要が増えなければ雇用そのものは増えないと思われるかもしれない。しかし、この制度の導入を2006年の総選挙で公約に謳っていた穏健党(保守党)の経済ブレインであるアンデシュ・ボリ(現・財務大臣)は「この制度は雇用も生み出す」と主張していた。どうして?
それは労働供給曲線が右にシフトして賃金水準の均衡値が下落すると、労働需要が増えるためだ。
中道右派政権は2007年に初めてこの制度を導入した後、2008年、2009年、そして2010年と4度にわたって控除額を拡張していった。しかし、その是非については与党と野党の間で大きく意見が分かれるところである。経済学の専門家もいくつかの問題点を指摘してきた。(続く・・・)
イギリスの暴動について、下記の在英日本人の方の記事を読みました。
http://anond.hatelabo.jp/20110816094649
世の中には、「手厚い社会保障は人を堕落させる」 という論調がありますが、スウェーデンではどうなのでしょうか?
給付条件をどう設定するか? 誰を給付対象とするか? 期間は? 給付の見返りに何を求めるか? どのような所得階層・年齢グループにどのような効果があるのか?など、制度設計のあり方を議論するのであれば意味はあるでしょう。
手厚い社会保障と労働意欲との間にあると一般的に考えられているトレードオフ関係も、制度設計次第ではある程度、弱めることは可能だと思います。