スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

ワークライフバランス、生産性、そして「リーン」

2014-03-18 15:41:39 | スウェーデン・その他の経済
私の友人であり、また、ストックホルム商科大学・欧州日本研究所の同僚でもある、小菅竜介さんが、『赤門マネジメント・レビュー』 の最新号にて、「リーン大国になりつつあるスウェーデン ― 5年の滞在から見えた実像」という記事を執筆しています。

下のリンクから御覧ください。
『赤門マネジメント・レビュー』ものづくり紀行

※ ※ ※ ※ ※

この記事にあるように、スウェーデンでは半ば国を挙げて「リーン」という名の「流れづくり」のアプローチを実行しようとしています。ここで興味深いのは、日本の製造業を起源とするリーンが、なぜスウェーデンのサービス業でここまで注目されるようになったのかということです。詳しくは先日紹介した記事を読んでいただきたいですが、以下5点にまとめることができます。

(1) サーブやスカニアなど、製造業でリーン生産の経験が蓄積されていた。
(2) NPOを中心として、業種をまたぐ知識移転のコミュニティが形成されている。
(3) 元々、ワークライフバランスを前提に仕事の効率を重視する国民性がある。
(4) ITの幅広い活用に見られるように、前例にとらわれずに合理性を追求する風土がある。
(5) スウェーデン流の働き方(個人主義、民主的な合意形成など)に適応するかたちでリーンが実行されている。

さらに、私が2010年に出版した「スウェーデン・パラドックス」(共著)でも書いたように、スウェーデンは高福祉と高い経済成長を両立するために、構造的に生産性向上を推進する圧力があるという背景があります。その生産性向上策の一つとして、日本の製造業を起源とするリーンが有力視されるようになってきていると捉えることができます。近年サービス業の生産性向上に力を入れる日本にとって、この事実は「灯台下暗し」かもしれません。

また、スウェーデンではワークライフバランスの確保、あるいは残業は基本的に許容しないという前提が生産性向上の取り組みを駆動しているという点にも注意が必要です。日本では、ワークライフバランス施策は少子化対策の一環として位置づけられがちで、生産性向上策とは切り離されているので、この点も政策のヒントになるかもしれません。このようなワークライフバランスと生産性の関係について、関心のある方々と、これから日本とスウェーデンの比較研究をしてみたい、という話を記事の著者である小菅さんと最近しています。

なお、下の写真にあるように、スウェーデンのサービス業ではレゴを用いたリーン研修がよく行われています。グループに分かれて、次々と入る「顧客」からの「注文」に応じて、いかに早く正確にレゴを組み立てるかを競うゲームです(右下に見えるのが完成品)。チームワークを通じてブロックと情報のスムーズな流れをつくることがポイントで、参加者が楽しみながら、肌感覚でリーンのエッセンスを学ぶ内容になっているのが面白いです。


スウェーデン・ラジオのジャーナリスト Nils Hornerの死

2014-03-13 16:02:28 | スウェーデン・その他の社会
毎朝、ラジオで聞き慣れていた声がもう聞けなくなるのは、とても悲しいものだ。公共放送スウェーデン・ラジオのアジア特派員であるNils Horner(ニルス・ホーネル)が火曜日、取材先のアフガニスタンの路上で殺害された。アフガニスタンの大統領選挙が4月5日にあるため、現地の情報をリポートするために首都カブールに入ってからまもなくの事だった。その日の早朝、いつも通りストックホルムの本局と取材予定の打ち合わせをしたあと、インタビューをするために町に出ていた。彼が運転手や通訳と路上で待っているところに20代の若者が2人が接近し、彼の後頭部に向け、発砲。即死だったとみられる。

場所は、アフガニスタンの警察の警備が厳重であるため、治安が比較的良いと言われ、外国の大使館やNGOの事務所が多く集まっていた地区だ。ただし、アフガニスタンの治安状況は最近、悪化の一途をたどっていた。大統領選挙の妨害を企てるタリバン勢力によって、1月に同地区でテロ事件が発生し、死者も出ていた。復興援助の国際NGOも相次いで一時的な撤退を表明していた。そんな時に事件は起こった。

犯人はまだ捕まっていない。昨日、Fidai Mohazという小さなイスラム過激派グループが犯行声明を発表した。彼らはタリバン勢力から分派したグループだというが、自分たちが関わっていない事件でも自分たちの宣伝のために犯行声明を発表したケースが過去にあり、今回もおそらく直接の関係はないと見られている。



私は毎朝、スウェーデン・ラジオの朝のニュース番組で目を覚ますが、Nils Hornerはある日はインドネシアから現地で起きた事件や災害を生中継でリポートしたかと思えば、その翌日には韓国から全く別のルポタージュを発信したり、とにかく、中東の一部とアジアを股にかけて飛び回っていたジャーナリストだった。彼のルポタージュには常に現場の臨場感があふれていた。現地から自分の目で直接見ながらリポートしたい、という信念のもと、自分の担当地域であるアジアで何か事件や災害が起こるとすぐに駆けつけ、その翌日には早くも衛星回線を使ってスウェーデンに現地の状況を発信していた。「ある国に移動中に別の国で事件が起こると、乗っていた飛行機をUターンさせてその国に向かわせているのではないか」というジョークを同僚が語っていたというが、そうでもしないと、あのフットワークの早さは説明できないということなのだろう。

ニューヨークのマンハッタンと香港にアパートを持っていたらしいが、2つのスーツケースを抱えて、アジアのどこかで取材中であることのほうが多かったようだ。「朝、ホテルで目覚めた時に自分が今どこにいるのか、すぐには分からないことがある。ストックホルムの本局から電話が鳴って、答えるときに、自分が今いる国の名前を間違えたこともあった」と、彼はリスナーの質問にそう答えていたことがある。

私がいつも感心したのは、慌ただしい移動と限られた時間にもかかわらず、現地に到着した時には早くも、その社会の状況や事件・災害の背景に関する情報をきちんと頭に入れ、アップデートされた正確な情報に基いて報道を行っていたことだ。もちろん、ストックホルム本局にアシスタントがいて情報収集を手伝っていたとは思うが、それにしても様々な情報に対するアンテナの張り方は素晴らしかった。

スウェーデン・ラジオのアジア特派員になったのは2001年。9.11のテロがニューヨークで起きる少し前だった。その後、アメリカがアフガニスタンに侵攻し、タリバン政権が崩壊した時には首都カブールから現地の声を伝えてくれたし、2004年の暮れに東南アジアで地震と津波が発生した時には、インドネシアとタイから報道を発信した。東日本大震災では、取材で滞在していたクウェートからすぐに日本に渡り、被災地に急行している。その時の彼の経験は、私のブログの過去の記事に詳しく書いた。たしかに、アフガニスタンは治安が悪いところだが、安全確保には誰よりも気を使い、注意を怠らなかったし、専門的な訓練も積んでいたという。だから、今回の事件は本当に運が悪かったとしか言い様がない。

【東日本大震災の取材活動における彼のコラム】
2011-04-21:日本での取材中に宿泊先に困ったら・・・(取材中の裏話・その1)
2011-04-23:日本での取材中の裏話(その2)
2012-03-13:スウェーデン・ラジオの被災地ルポタージュ(名取市・大槌町・山田町)

彼のルポタージュの何が素晴らしかったのか? 私が彼に親近感を感じていたのはなぜか?自分なりにしばらく考えてみた。世の中にはセンセーショナルなことを感情を交えながら大袈裟に伝えることがジャーナリズムだと勘違いしている人間もいるようだが、ジャーナリストとしての彼は、大げさな表現を使うことなく、常に冷静で、正確に現地の描写を行っていた。ラジオは、テレビと違い、全ての描写を言葉で表現しなければならない。彼の語りは淡々としたものだったが、同時に、早口で熱のこもったものでもあった(パラグラフ間の息をつく時間を、編集でわざとカットしていたと思う)。だからこそ、情報量も多く、臨場感がひしひしと伝わってきた。先ほど張ったリンクにある、彼の大槌町や山田町からのルポタージュに、そのことが象徴的に現れていると思う。

私が彼のルポタージュが好きだった、もうひとつの理由は、彼の報道にはシニカルな描写やコメントが全く無かったことだ。事件や災害などの惨事を一歩離れた高みから眺めて、冷ややかなコメントをすることは一度もなかった。もちろん、事件や災害の深刻さや人々の悲惨さはきちんと伝える。しかし、それだけで終えることはなく、ルポタージュには常に一筋の希望を織り込むことを忘れなかった。それが、淡々とした語りの中にある彼のヒューマニズムだったのだと思う。

彼の死亡のニュースがスウェーデンに伝わった後、彼の同僚やジャーナリスト仲間が口々に語っていたのは、Nils Hornerはそれぞれの社会で生活を営む生身の人間に関心を示し、共感していたということだった。各国首脳や著名人が集まる首脳会談や国際会議の取材なんかよりも、一般の路傍の人々の生活を取材することを好んでいたという。だから、大きな事件や災害を伝える時には、常に現地に住む人々の生活を描くことも忘れなかった。

「在外特派員は1人でする交響楽団だ」という言葉をふと思い出した。100%の確信はないが、おそらく彼の言葉だったと思う。交通手段や通訳の手配、情報の収集、取材のアポ取り、インタビュー、録音、語り、編集を基本的にすべて一人で行う。テレビ局のジャーナリストならば、カメラマンが常に傍らにいると思うが、ラジオの場合は孤独だ。しかし、テレビ取材と違って映像にこだわる必要がない分、より柔軟に動きまわることができる。

Nils Hornerはヨーテボリから東に100kmほど行ったところにあるボロースの出身だという。
51歳。ずっと活躍して欲しいジャーナリストだった。