スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

増えた手取り

2007-01-31 15:12:11 | スウェーデン・その他の経済
1月25日に、2007年初めての給料が支払われた。(こちらの給料支払日は毎月25日)

大学からの給料自体は前の年と同じなのだけれど、明細書を見てみると手取りが700クローナ(12000円)ほど増えていた。そう、所得税減税のおかげで源泉徴収分が減っているからなのだ。

右派ブロックによる新政権の所得税減税は、失業保険の保険料負担の増加と、その分の所得控除の撤廃と同時に行われるので、人によってはプラス・マイナス・ゼロだったり、パートタイマーや失業者には単純にマイナスになる。一方で、私みたいに、失業保険に入っていない人(労働ビザの関係で、入ってもあまり意味がないから)にとっては単純にお得になってしまう。

その他、数年という短期でスウェーデンで勤務する外国人は、スウェーデンで高い税金(とくに所得税)を払っても、それに対する見返り(福祉制度などからの)があまりなく、不満に感じる人もいるが、そういう人にとっては、単純にプラスになる今回の減税。

もちろん、当のスウェーデン人全体にとって、いいことかどうかは別問題だけれど。

ともかく、この増えた手取りで何かおいしいものをたべたいな!


P.S. 貴重なコメントを頂き感謝しています。時間ができたら返事を書かせていただきます!

うかつに取り上げられない携帯電話

2007-01-28 10:04:25 | スウェーデン・その他の社会
スウェーデンの学校における“規律”が一部で乱れており、学級崩壊に近い状況に発展している、という話がここ数年、よく聞かれる。OECD諸国の学校教育水準を比較する「Pisa調査(報告書)」(Pisa = "Programme for international student assessment")においてもスウェーデンはこう評されている。

「クラスにおける秩序」はOECD諸国の平均よりも劣っている。
「授業への遅刻」がOECD諸国の平均よりも劣っている。

例えば、授業中に携帯電話を鳴らしたり、SMS(携帯メール)を隠れて送ったり、携帯を使って授業中に音楽を聴いたり、といった、携帯電話にまつわる規律崩壊が最近ではよく騒がれている。

日本の学校であれば(少なくとも私がいた市立中学・県立高校では)、教師の権威によって有無を言わせず、携帯を没収して保管、後で長い反省文を書かせ、生徒は泣く泣く返してもらう、という形で対応するのかもしれない。しかし、生徒に対しても「個人としての権利」がしっかりと確立しているスウェーデンでは、教師も生徒に対してうかつに強制力を行使することができない。だから、携帯電話の扱いについても手をこまねいている。

携帯電話を始めとする“授業を妨害する”器物を教師が取り押さえるにしても、教師にその権利があることが法律にしっかり記載されなければ、それができないのだ。現在の政権は、学校の校長にこの権利があることを記載した法案を国会に提出する予定で、現在、法制局(lagrådet)がこの法案を審査中とのこと。「校長に取り押さえの権利がある」といっても、実際にその判断を行うのは現場の教師であり、彼らが「校長の名において」妨害物を取り押さえる、という形になる。

このようなことまで法律で規定されないと実行できないのは、日本人の目からすると興味深いかもしれない。前の社民党政権はこの点に関しての法改正にはなかなか実行力が見られなかったが、その必要性は認めていたようだ。しかし、なぜここまで時間がかかっているのか? やはり、スウェーデンでは教師が“権威”をかざすことによって、言うことを聞かせる、というやり方には抵抗を感じる人がいるからのようだ。

または、この法案では“授業を妨害”しているかどうかを判断するのは現場の教師だとされているが、その判断は教師によりまちまちになり、公平性に欠ける、というような理由で反対する声も聞かれる。そのような公平性に欠ける判断で持って、個人の所有物を没収しても良いのか?というのだ。

しかも、厄介なのは、取り押さえを命じられた生徒が、その器物(例えば携帯)の提出を拒んだとき。法案には「教師は問題の生徒の手からそれを取り上げることはできるが、暴力や脅迫によって強制的に取り上げることはできない。その生徒の衣類や鞄を強制的に捜索することも禁じる。」とされている。このような場合には、校長を呼び出して、校長に処置をしてもらう、のだそうだ。(おそらく、その場でラチが開かないとすれば、その後、保護者を呼び出すなどの処置を取るのではないかと思う)

日本でも紹介されたスウェーデンの中学校社会科の教科書『あなた自身の社会』が象徴するような、スウェーデンの「リベラルな教育」にはすばらしい点がたくさんあるとは思うが、教育の現場における個々の細かい点について、スウェーデンの教育界が抱えているこの様な問題点について観察して行くのも面白いと思う。

人口分布とその増減

2007-01-26 08:11:13 | スウェーデン・その他の社会
2006年スウェーデン統計年鑑が出版された。経済や社会などを様々な側面から数値的に捉えた大きな統計資料だ。“2006年”といいつつも出版作業が実際に行われたのが2006年なので、各項目で使われている統計は最新のものでも2005年のようだ。

その中の一項目である「人口」を見てみると、広大な国土を持つスウェーデンの人口分布が概観できる。出生と移入民のおかげで人口は着実に成長し、現在910万人。しかし、その分布はかなり不均等だ。世界の貧困問題を「南北問題」と呼んだりするが、スウェーデンの人口分布・過疎問題も同様に「南北問題」と言っても過言ではないかもしれない。ただし、この場合、調子がいいのは「南」であり、困窮しているのは「北」であるが。

下の地図は、2005年における人口の変動を市(コミューン)ごとに表したもの。青が濃いほど人口上昇率が高く、逆に赤が濃いほど人口の減少が激しい所だ。まさに「赤い北部」と「青い南部」だ。2005年に人口上昇率が一番高かったのはなんと俗称「スウェーデンのエルサレム」と呼ばれるJönköping(ヨンショーピン)市だという。(ちなみに私はこの2005年にJönköping市からGöteborg市に移出しているので、トレンドに逆らったことになる)

Jönköping市は80年代には人口減少に悩まされていた斜陽の街だったのだが、それまで細々とあった職業訓練的な大学機関を大きく拡張したことや、メッセ(見本市会場)の成功、流通業・製造業を中心に産業が盛んになったことなどで、今では魅力のある地方都市になっているようだ。

逆に人口の減少率が一番高いのは北部のKramfors(クラムフォシュ)市。工業で栄えた1940年代の44000人に比べ、今では人口が半減したとか。

地図から左に向かって線が5本延びているが、これはそれぞれの線の以北に総人口の●%、以南に●%の人が住んでいる、ということを示している。例えば、一番上にある線が示しているのは、その線より北に10%、南に90%の人が住んでいることを示しているのだ。こうして見て行くと、人口分布で見た場合のスウェーデンの「重心」は、Flen市とStrömstad市を結ぶ線上にあるようだ。

スウェーデンの過疎問題について個人的に付け加えれば、戦後、過疎が進行したものの60・70年代のころは、自然に囲まれて住みたい人々による「緑の波」が都市部から田舎に向かって起きたため、過疎の進行にも歯止めがある程度かかったという話を聞いたことがある。しかし、その後、80年代、90年代には都市部集積が再び激しくなり、今に至っている。ストックホルム・ヨーテボリ・マルメなどでは、慢性的・恒常的な住宅不足が続く。しかも、マルメでは、コペンハーゲンで勤務するデンマーク人が、家賃と生活費の安さを理由に、スウェーデン側に住み、毎日、電車で海峡を渡って通勤する人も急増しているとか。

一方、産業が停滞し、過疎に悩まされる地域では、経済理論によると、賃金が低下していくため、企業がその安くなった労働力を利用しようとして、その地域で操業を希望するようになり、雇用が生まれ、逆に、都市部では賃金が上がり、労働コストが高くなるので、企業は出て行く、というプロセスを経て、全体としてバランス(均衡)が保たれるようになる、と考えられる。しかし、企業がそんな過疎地に活動拠点を移しても良い、と考え、過疎化に歯止めがかかるまでに雇用が生まれるためには、よほど賃金水準が下がらなければならないが、現実の話として、そこまで賃金が下がることは難しい。しかも、賃金が下がりすぎると、人口はさらに退出して行き、企業にとっての魅力も減少する。先進各国をみても、その理論どおりに行っている国はほとんどないようだ。しかも、スウェーデンに関して言えば、集団交渉によって賃金格差がなるべく抑えられ、また、比較的手厚い失業保険のおかげもあり、賃金が過疎地で低下することは若干に限られる。

そのため、賃金の調整プロセス以外の方法で、過疎防止を積極的に行っていかなければならない。産業に関しては、電話オペレーターのコールセンターなど、輸送費や距離に縛られない産業を盛んに誘致したり、努力はしているようだが、あまりうまくいっていないようだ(スウェーデンの市外電話は国内一律だが、これは地方活性化の観点からは望ましいだろう)。また、過疎地では余った住宅がたくさんあるので、外国からの移民・難民に来てもらおうと誘致する動きも一部であったが、住宅はあれど雇用なき地域に住みたい人がたくさんいるわけではない。

上の地図は、外国生まれの住民の占める割合を示したもの。赤が濃いほど、その割合が高く、青いほど低い。ちなみに「外国生まれの住民」には移民第一世代は含まれるが、スウェーデン生まれの移民第二世代は含まれないことに注意(逆に、親の仕事の関係でたまたま国外で生まれた根っからのスウェーデン人も僅かながら混じっている)。広域ストックホルムを始め、街の大きさに比べ大学関係者の多いウプサラや、見えにくいがヨーテボリやスコーネ地方(マルメ・ルンド)で割合が高いほか、ヨンショーピン市から南にかけて高いことが分かる。ヨンショーピン以南のスモーランド地方の小さなコミューン(市)には、伝統的に製造業を中心とする中小企業が数多く存在し、現在でも景気はいい。だから、そのように雇用があるところに移民・難民の人々は集まってくるのだろう。北方のフィンランド国境や、オスロへの途上のノルウェー国境も赤くなっているのは、そのあたりでは国境をまたいだ行き来が盛んなことを示しているのではないだろうか。

支持率の崩壊

2007-01-21 20:25:08 | スウェーデン・その他の政治

大豆?小豆?ソラマメ?


右派ブロックの連立政権が政権に就いてから100日ほどが過ぎた。秋には2007年の予算案を支障なく可決させ、その変化が2007年初日より効力を持つことになったが、この100日の間に6%も支持率を落としているのだ。

一方、政権を負われた社民党を始めとする左派ブロックは支持率を巻き返し、右派ブロックに11%以上も引き離している。1967年に世論調査機関がこのような調査を始めて以来、政権についてわずか100日で支持をここまで大きく落とした政権はないという。

これまで長く政権に就いてきた社民党に嫌気が差し、たまには別の党やブロックに入れてみようかな?と投票行動を変えてみたものの、いざ「蓋を開けてみたら」、つまり実際の政策を見てみたら、こんな話じゃなかった…、と落胆した人も多いのかもしれない。日本同様、スウェーデンでも無党派層や中間投票者層は増え続けており、保守党が獲得票を大きく伸ばしえたのは、この層の有権者に支持を訴えることができたからなのだ。しかしそれだけでなく、去年の総選挙で面白かったのは、根っからの社民党の支持層の少なからずの部分が、保守党に票を投じたことなのだ。

あるコラムニストは以前、こんな表現を使っていた。「家で使うハミガキ粉もたまには別のメーカーのを買ってみたくなることがある。取りたてて“目新しい”新製品が登場したからではなく、ただ単に今まで使っていたハミガキ粉に飽きたから。でも、またすぐ飽きてきて、これまでの愛用品に買い換えてしまう。PepsondentもColgateも基本的には同じ。ただちょっと味が違うだけ。」

有権者の落胆の原因としては、去年秋の政治トピックが「新大臣2人の更迭」や「ビルト外相のオプション株保有」「失業保険の改悪」などに集中したことだといえるかもしれない。

しかし、当の保守党のほうはそれほど危機感を抱いているわけではなさそうだ。「2007年になり、労働所得の課税が実際に減額され始め、また公約どおり雇用も回復してくるようになれば、有権者はわれわれの政策の有効性を認めるようになるだろう。」

社会民主党の新党首(ほぼ確実)

2007-01-19 07:51:03 | スウェーデン・その他の政治
昨年9月17日の総選挙は即日で開票され、夜も23時を回る頃だっただろうか、敗戦が確実となった社民党の党首であり首相でもあるGöran Persson(ヨーラン・パーション)は突如、退陣表明をした。そして、その直後からにわかに彼の後任選びが始まったのであった。

そのことについては、一度書いたことがあるので、まずはそちらのほうをどうぞ(以前の書き込み)。人気はあっても辞退する人や、可能性のある候補者として名前は挙がっているけれど、人気がない、という顔ぶれのため、最初から苦難が予想される後任選びであった。

さて、その後どうなったのか? 私が思いつく限りで書くと、11月頃に突如Göran Persson(パーション)がメディアに登場し、社民党も環境党を見習って、二人党首制にしてはどうかと、持ちかけたのだった。つまり、一人を男性、もう一人を女性にしてはどうか、というアイデアだったのだった。彼の魂胆はというとこうだ。彼は自らが政治家として育て、財務大臣にまで就けた寵児、Per Nuder(パー・ヌーデル)に是非とも党首になって欲しい(彼は私がテープレコーダーと喩えた人)。しかし、党内の主流な意見として、次期の党首は女性、というのが崩すことができない暗黙の了解になっている。そこで、党首を二人で分かち合えば?ということだったのだ。この考えは党内に根を下ろしたものではなく、パーションが自らの発言力を試すべく発言した突拍子もないものだったので、ほとんど黙殺された。しかも、規模の小さい環境党でこそできることであって、大所帯で党員の考え方が右から左まで比較的幅広い社民党で、二人党首制などを導入してしまうと、たちまちそれぞれの党首の周りに派閥のようなものが形成され、党が分裂してしまう、というもっともな批判も聞かれた。

さて、党内の第一人気はEUの欧州委員会の副議長を務めるMargot Wallströmだったが、結局彼女はNej!を貫き通した。それに続き、前・国際援助担当大臣であったCarin Jämtinもストックホルム市政のほうに没頭したいということでNej、さらに若者に人気の高い前・法務大臣Thomas BodströmもNejと突っぱねた。

Perssonの寵児であるPer Nuderや労組LOの代表であるWanja Lundby-Wedinは、彼らの意向がどうかということよりも、党内での支持が得られないために、煙のように候補から消えてしまった。(Persson残念!)

さて、まるで消去法のように後任選びが進んで行き、さて誰が残ったかというと、スウェーデンの八代亜紀こと、Mona Sahlin(モナ・サリーン)。彼女が有力候補となったのだ。以前のブログに書いたように、彼女は1996年の段階で党首に選ばれ、首相になっていてもおかしくなかったのだけれど、スキャンダルを叩かれて、その夢を果たす前に失脚したのであった(そのスキャンダルについては近いうちにまとめてみたい)。

しかし、この稿の後半に書くように、彼女は中道左派である社民党内において、右よりだという意見が党内に根強く、党内の左派からは反対の声が強く聞かれていたのだった。

そのため、後任候補として、Ulrika Messing(ウルリカ・メッシング)はどうか? という妥協案も提示された。実は彼女は最初の段階でも名前が挙がっていたのだが、そこまで重要候補とは見られていなかったのだ(私も以前、彼女について書き忘れた:-))。彼女は38歳と若いものの、1991年に23歳で国会に議席を持つようになり、1996年以降は閣僚にもなっていたのだ(1996年-労働権および男女平等担当大臣、1998年-社会統合および若者担当大臣、2000年-インフラ整備担当大臣、現在-国会・防衛委員会委員長)。しかし、彼女は小さな子供を抱えており、子育てと家族生活に支障を来たすことを理由に、辞退。

Ulrika MessingMona Sahlin


そして、残ったのが、八代亜紀、いや、Mona Sahlinというわけだ。彼女は党内の選挙準備委員会からの立候補要請に対し今日正式にJa!と応じ、これをもって選挙準備委員会も全会一致で彼女を候補者として推すことが決まった。正式な決定は3月の党総大会においてだが、対立候補がいない今、彼女が次期党首に選ばれることはほぼ確実となった(もちろん、今後スキャンダルが起きない限りでではあるが。繰り返して言えば、1995-96年の時点で、彼女の党首就任は確実だったのだ)。

選挙準備委員会は、最終的に彼女を推すことにした理由として、
- わが社民党について深い素養がある。
- 社会の中の様々な問題に強い意識を持っている
- 有権者に自分の考えをうまく伝えるコミュニケーション能力がある

としている。(最後の点については、確かに80年代から90年代にかけて彼女の全盛期に、彼女の独特のレトリックが聞く者の心を掴む、と評判だったのだ。)

しかし、先に書いたように、党内左派から根強い批判がある(あった)のだ。というのも90年代に彼らから見れば“右寄り”(市場自由主義寄り、という意)の政策を行った経験があるからだ。具体的には、

-1990年に彼女は労働市場大臣に就任するが、この時の政権であったKarlsson(カールソン)政権は、バブル経済崩壊の渦中においてスウェーデン経済を救うために、ストライキと賃金上昇の一時的ストップを提案し、労働市場大臣である彼女も支持に回る。(ストライキのストップは結局、履行されず。社民党もその後、選挙で敗退。)

-1994年、社民党が政権に返り咲くと、彼女は、一時的育児休暇(病気の子供の看護のために仕事を欠席)の第一日目は無給付にする、という提案を行う。

-1995年、野党の一党である中央党と、失業保険の給付額減額について合意し、実行する。

これらの一連の政策や提案は、恐慌に陥ったスウェーデン経済と国家財政を救うための、現実的な政策だと見えるが、党の一派や、党の重要な支持母体である労働組合からは、彼女は右派に寄り過ぎている、と見られてきたのだ。実際、LO、Byggnads、Sekoを始めとする一部の労組はUlrika Messingを候補に推していた。労働問題により敏感だ、と見られたためだ。しかし、彼女が辞退した今、これらの労組もしぶしぶMona Sahlinを受け入れつつある。(“右派寄り”と言われる彼女のプラグマティズム(現実主義)は、むしろ党の今後にとってはプラスになると、私は思う。)

さて、Mona Sahlinは1982年に25歳で国会議員の仲間入りをした後、
1990-91: 労働市場大臣
1991-94: 社民党は野に下るが、この間、彼女は社民党初の女性として党官房職に就く。
1994-95:男女平等大臣・兼・副首相
1995? 96?:スキャンダルで失脚
1996-98:政界を退き、自営業をしたり、TVレポーターをする。
1998-04: パーション内閣で、いくつかの代理閣僚となる。
2004-06:環境および社会構築大臣


彼女の簡単な遍歴(動画)


今日、正式な候補者として、記者会見をするにあたり、以下の3点が社会民主党の重要課題であると述べている。
① 気候問題(温暖化)
② 雇用問題
③ 社会階層の分化


そして、記者会見の途中にこう付け加えた。「残念なのは、私が立っているこの場にAnna Lindhがいないこと…」
記者会見の一部

ともかく、社民党史上で初の女性党首が誕生することになる。
彼女には、メディアの揚げ足取りにも負けず、頑張って欲しいものだ。

スウェーデン人の名前ランキング(女の子新生児 編)

2007-01-17 08:46:09 | スウェーデン・その他の社会
新政権の政策について続けたいところだが、その前にちょっとだけ別の小ネタを。

スウェーデン統計局はありとあらゆる情報にランク付けをしたいのか、果てまたそれほどお暇なのか、スウェーデン国民の名前データベースを持っており、自分と同じ名前の人が何人スウェーデンにいるのかを検索できたり、新生児の名前トップ100のリストを公開したりしている。

今回は女の子の名前
下の表は2005年に登録された新生児の名前のトップ100だ!

す、すごい! 第1位は閻魔、いや失礼、エンマだ。そしてその次に続くのが摩耶、いや、マヤだ。何か、出だしから凄まじい響きだ。エンマ、という人には何人か会ったことがあるが、耳にするたびに未だにドキッとする。これはドイツ語起源のようだ。一方、マヤのほうは、アメリカ原住民族のマヤ文明ではなく、ギリシャ神話が起源らしい。そして、第5位が井田さん、いや、これはイーダと延ばすのだ。

その他、力強い響きといえば、15位アマンダ、16位マティルダといったところか? アマンダと聞くと、いつもアルマダ海戦の無敵艦隊を思い浮かべてしまうのは私だけ? マティルダと同じ起源の名前(たぶん)として、27位ティルダというのがある。この場合、後者は前者の短縮形かと思う。ちなみに、この名前はドイツ起源で「力、戦い」の意らしい。道理で・・・。

同様に、66位アレクサンドラは、ギリシャ起源(男性形:アレクサンデル)ではないかと思うが、その短縮形が78位サンドラだという話をどこかで耳にしたことがある。

その他のコメント(私の独断)としては、6位Linnéaは男性形がLinnéだが、発音に注意!Linnéaは「リネーア」と「ネ」にアクセントが来る上、長母音。同様にLinnéは「リネー」と「ネ」にアクセントで長母音。ウプサラ大学の植物学者として有名な彼の名前は日本語では何故か「リンネ」と言うが、本場スウェーデンでは「リネー」なのだ。ちなみに今年は彼の生誕300年だとか。

12位Wilmaは、私は実際に会ったことはない。もしかしたら、7、8年前にスウェーデンで人気のあった連続ドラマ「Skärgårdsdoktorn(群島のお医者さん)」の主人公の娘がこの名前だったから、その人気のおかげかも? 11位Ebbaは70年代のロック・グループEbba Grönのボーカルだが、現代で言えば、ファッションのカリスマ的存在と巷で言われるEbba von Sydowのおかげかもしれない。(さらにウンチクを語れば、件のドラマのWilma役を演じた女の子の本名がEbba。現在Handels(ストックホルム商科大学)の学生で、かつTV4のLet's Dance(UN芸能人社交ダンス部的番組)に出演)

22位Sagaは、佐賀、いや、サーガと伸ばす。まさしく、物語、もしくは伝承神話という意味。それに関連して82位Frejaは北欧神話に登場する女神(旦那はFrej)。61位Fannyは(ファンニュ)と発音するが、くれぐれもFunnyと綴りを間違えないように!70位Mejaは以前、日本でヒットしたスウェーデン歌手の名前。ちなみに彼女の本国の人気は日本でヒットした後に火が付いたが、そこまで売れなかったようだ。32位Lovisaと74位Louiseは同起源の派生形。

見渡せばすぐ分かるように、aで終わる名前が多い。これは日本の名前の「子」みたいなもので、aで終わる名前はほとんどが女性だ(インド・ヨーロッパ語族に共通した特徴なのか?)。ここに挙げた名前のうち、いくつかは男性名と対になっている。既に上に上げたもののほかに、Emil-Emilia、Hans-Hanna、Filipp-Filippa、Oliver-Olivia、Theo-Thea(多分ギリシャ起源)、Cornelius-Cornelia、Johan-Johanna、Mikael-Mikaelaなどだ。

58位Kajsa(カイサ)や、ここには登場しないがÅsa(オーサ)などは、日本語にもなりそうな気がするが、さて・・・、海佐?大佐?、これじゃまるで自衛隊の階級名か・・・。

2005年のランキングの隣のカッコ内の数字は、2004年の順位。だいたい人気は安定していることが分かる。やはりスウェーデンでも、はやりすたりはあるようだ。ある一時期にいくつかの名前に人気が集中しすぎると、人が付けないような名前を付けたいと願うのはどこでも一緒。その上、複数の世代を経て忘れられかけた名前が、再び巻き返してくることもある。だから、例えば94位Märta、88位Heddaなんかは随分古臭い名前のような気がするが、ランキングに再登場したりしている。

それに関連して言えば、8位Alvaも最近はあまり聞いたことがないが、この名前は経済学者であり社民党議員で大臣も務めたGunnar Myrdal(ノーベル経済学賞を1974年にハイエクと共に受賞)の妻の名前。彼女Alva Myrdalは社民党政治家(大臣職も)であり女性活動家としても知られ、1982年にノーベル平和賞を受賞。

72位Astridは、2001年に亡くなったスウェーデンの童話作家Astrid Lindgrenの名前。その下75位Ronjaは、彼女の代表作の一つである「Ronja Rövardotter」の主人公の名前。

そういえば、たまに出会うAnna-KarinAnn-Sofieといったハイフン繋ぎの長い名前はここでは見当たらないが、もう人気がなくなったのだろうか?

ちなみに、スウェーデン人全体で見た場合に一番多い女性の名前は第1位がMariaで第2位がAnnaだが、これらは未だに手堅く人気があり、46位Anna、82位Mariaと登場している。

右派ブロック政権の政策(1)

2007-01-15 07:19:36 | スウェーデン・その他の政治
12月から今年の初めにかけて、私のブログを読んでくださっているという在スウェーデンの日本人の方に何人かたまたまお会いする機会があった。スウェーデンの時事情報はほぼすべてがスウェーデン語なので、私のいい加減なブログでも役に立っているそうだが、そう言われると、本当は自分が書きたいネタの半分も書き切れていないような気がして申し訳ない気がする。それに、書くことは私が個人的に興味を持ったことであり、そのほとんどはかなりマニアックだと思い、これまた申し訳ない。

数人の方から、スウェーデン新政権の政策で、何が具体的に変わるのかを知りたい、という意見を頂いた。それに関して全般的な鳥瞰図をここにまとめようと思えば、かなりの作業になるので、いつも後回しにしてきてしまっている…。でも、ついにやってみました!

政策の具体的な変更を手っ取り早く知るいい方法は新政権の予算案を見て行くことである。これを見れば歳入面としては、税金の増減がどの分野にあるかを見ることで、新政権が実際どのようなカテゴリーの人の負担を上げたり下げたりして所得再分配の程度を変化させようとしているかが分かるし、逆に歳出面を見れば、どの政策分野に多くの予算を注いでいるかが分かり、政権が力を入れよう、または抜こうとしている政策課題が良く分かるからである。「私たちは××の政策に力を入れたい」なんて意気込みあっても、その分野にしっかりと予算が付けられていないのであれば、それは絵に描いた餅であり、単なるリップ・サービスでしか過ぎないのである。

2007年度の予算案は10月17日に提出され、その後、国会を通過している。

この新予算の重点は、減税、特に労働所得の課税を若干下げることで、労働所得の価値を高め、働くインセンティブを向上させると同時に、雇用保険や疾病保険などの給付水準を下げることで、人々が失業状態や病欠状態から抜け出すインセンティブも高めようとしている(いわゆる、アメとムチ。ス語で言うところのムチと人参、つまり“馬に対するムチと目の前にぶら下がった人参”の意)。一方で、福祉国家の水準は大幅には削減させないため、減税とは言っても、それに応じた歳出側の抑制ができず、その分を手数料の増加や、確定申告の際にこれまでなら控除が認められていた各種経費を控除不可にする、といった形で、事実上の負担増を行ったりもしている。よって、人によっては減税分のほとんどが新たな負担増のために食われてしまうことも珍しくない。

やはり、政権交代の直後とあって、変更点は通常より多い。(以下ではクローナ表示がたびたび登場しますが、現在のレートは1クローナ=17円くらいかと思います)

◎所得税
所得税のうち、労働所得にかかる課税が減税される。下の表は地方所得税が32.8%の市に住む人の場合、月収額に応じてどれだけの額が減税されるかを示したもの。私の手計算によると、大体3.5%ポイントほどの減税率のようだ。ただ、これはあくまでも労働所得の課税減税であり、例えば、年金や学生補助金、失業保険などの給付かかる所得税には減税はない(これが、労働に対するアメであり、人参なのである)。そのため、俗にJobbavdraget(労働所得に対する控除)と呼んだりする。与党によれば、これはあくまで第一段階に過ぎず、この種の減税の第二段階も後に行うそうだ。
さらに、年金支給開始年齢である65歳を過ぎても働き、それによって得た労働所得には、これ以上の減税がなされる。(詳細省略)

◎疾病保険および育児休暇保険
これらの社会給付は、所得額に応じて支給されるが、上限がある。この上限が、疾病保険(sjukförsäkringまたは俗にsjukpenning)、および一時的育児休暇保険(tillfällig föräldraförsäkring、これは子供が病気になり在宅で看病が必要なために仕事を休むときに支払われる)に対しては、月額換算26465クローナから20150クローナに引き下げられる。通常の育児休暇保険(föräldraförsäkring)の上限はこれまでどおり月額26465クローナと今回は変わらないが、今後これについても上限を下げる法案が国会に出される可能性も高い。

◎失業保険
この支給額も減額される上、給付期間も短縮される。詳細を書くとややこしくなるかもしれないが、給付期間は300日間に限定(18歳以下の被扶養者がいる場合には450日)であり、給付額は最初の200日が給料の最大80%、その後100日間は70%、それ以降は65%。しかし、給付額の上限もあり、最初の200日間が日額730クローナ(月額換算16060クローナ)、それ以降は日額680クローナ(月額換算14960クローナ)。(それまでの制度が手元にないので、どの程度の削減なのかはちょっと分からない)
さらに、給付条件も厳格化され、過去12ヶ月間のうち、少なくとも6ヶ月間に月最低80時間働いた人にだけ、受給資格がある。しかも、学生はこれまでこの条件から除外され、卒業後、すぐに失業状態に陥った場合でも受給資格があったが、これからは彼らにも同じ条件が適用される。

◎失業保険料、および労働組合費
失業保険の給付が厳しくなり、さらに減額もされる一方で、その保険料は大幅に増額される。しかもその増額幅は、失業率の高い業種ほど多い(最大月額300クローナ)。
過去のブログ参照
しかも、負担増はそれだけに留まらない! これまでは、この失業保険の保険料に加えて、労働組合の組合費も確定申告の時には控除の対象だったのだが、その控除が今後は不可になり、その分にも所得税を支払わなければならないので、事実上さらなる負担増となる。

(まだまだ続くので、次に回します)

父親に割り当てる育児休暇制度の効果

2007-01-13 04:59:43 | スウェーデン・その他の社会
スウェーデンの育児休暇制度の中には、男性が育児休暇をとることを奨励するために、両親に与えられた育児休暇の日数のうち、一定の割合は両親の間で譲り渡しができず、活用したければ父親が取らなければいけない、俗に言う「pappamånad(父親に割り与えられた育児休暇の月)」というのが存在する。
以前の書き込み(1)
以前の書き込み(2)

この制度が始めて導入されたのは1995年。当時、一人の子供に対して両親に認められた育児休暇は450日(15ヶ月)であったが、このうち30日分(1ヶ月分)は、それぞれの親に固定されることになったのだ。

2002年に第二次改革が行われる。それぞれの親に固定される日数がそれまでの30日から60日(2ヶ月分)へと増やされるとともに、育児休暇の日数そのものも夫婦で480日(16ヶ月)に拡大されたのだった。

このような改革が行われるずっと前の1980年の時点では、育児休暇のうち女性が取得した割合は95%であったが、2003年には83%にまで減少している。まだまだ男女平等には程遠いとはいえ、男性が取得する割合が着実に上昇している証拠だが、さて、この上昇分のうち「pappamånad(父親に割り与えられた育児休暇の月)」制度の導入に伴う効果はどれくらいあるのだろうか? 男性も育児を進んでするというのは、90年代以降のトレンドであるかもしれないし、職場の意識も少しずつ変わり男性でも育児休暇が取りやすくなっているのかも知れず、それならこのような制度の変革がなかったとしても、男性は今と同じくらいの割合で、育児休暇を消化していたかもしれない。もしそうだとすると、制度変革自体の効果はないことになる。果たして現実はどうなのか?

この点に関してはストックホルム大学経済学部の研究者が、その効果を調べている。第一次改革が1995年だが、この場合1995年初日以降に生まれた子供の育児休暇に対して、新制度が適用されている。なので、この制度の変わり目以前に生まれた子供とそれ以降に生まれた子供のサンプルをとり、子供が17ヶ月になるまでのそれぞれの親の育児休暇取得行動を観察することで、制度変更前後で違いがあるかどうかを分析したのだ。

(国民背番号制度の一つの利点として、このような追跡調査が行政機関の記録から比較的簡単に行えることが挙げられるだろう。ただ、データのとりまとめをするのは統計局の職員であり、大学の研究者が実際にデータを手にするときには、国民背番号の部分は切り取られ、個票データはちゃんと“無名化”されている)

その結果、この制度の導入によって男性の取得率が大きく上昇したことが分かった。制度導入以前に生まれた子供の両親と比べた場合、導入後に生まれた子供の両親は、母親が取得日数を25.8日も減らしているのに対し、男性が4.9日も増えているのだ。母親は父親に割り与えられた日数(30日)に近い25.8日も減らしているのに、なぜ男性はそれに応じて取得日数が増えず、4.9日に下どまりしているのか?と思われるかもしれないが、傾向として、男性が育児休暇を取るのは子供が2歳になった以降に取ることが多いためだという。(この調査では、子供が17ヶ月になるまでの育児休暇取得行動しか対象にしていない)だから、ここに示した結果からは、子供が少し大きくなってから父親が代わりに育児休暇を取得してくれることを見込んで、母親が予め取得日数を減らしておこう、とする行動パターンが見受けられるようだ。(なので、分析の対象期間をより長くしてみればもっと面白い結果が出ていたかもしれない。例えば、父親に期待して、自分の取得日数を減らしておいたのに、実際に父親が取得するときになって、それが難しく、母親がその日数をあわてて消化しようとする、「そんなつもりじゃなかったのに…効果」があるとか!? あくまでも想像ですが)

(余談だが、父親の育児休暇取得行動の傾向としては、子供が2歳以上になってから取るほかに、クリスマス休暇や夏休み(それに加えて、ワールドカップなどの一大イベント)とうまく組み合わせて消化する傾向があるそうだ。子供が生まれたての一番しんどい時には母親に任せておいて、自分が育児をするのは子供がある程度大きくなって、しかも育児ついでにバカンスやスポーツ観戦が楽しめるとき、という本音が垣間見える…。ちなみに、育児休暇は子供が8歳を迎えるまでに取ることができるのだ)

さて、2002年の第二次改革の効果はどうだろうか? 実は、これが少々厄介なのだ。というのも、父親に割り与えられた日数が60日に拡大されたのと同時に、育児休暇制度全体の拡張も行われ、夫婦で合わせて480日になったのだ。そのため、父親の割り当て日数:30日→60日のこの制度変更部分だけの純粋な効果を取り出すのが困難なのである。その結果、上の図にあるように、男性の取得日数が3.4日増えたのに対し、女性のそれはそれを越えて5.1日も増えるという結果になっているのだ。つまり、男女間の取得日数の格差が拡大しているのだ。果たして、これをもって、父親の割り当て日数を拡大した第二次改革は意味がなかった、もしくは逆効果だった!と言い捨ててしまえるのか、または、女性の取得日数が男性のそれより若干多かったのは、むしろ育児休暇の総日数が480日になったためかもしれず、明確な結論が出せないのだ。残念ながら、この研究でも対象は子供が17ヶ月を迎えるまで。だから、もう少し長い時間スパンで分析すれば、これとは違う結果も得られそうな機がするが。

話をまとめれば、父親に全く割り当てない状態と割り当てる状態とを比べた場合には、後者の方が確実に父親の取得率を上げる効果がある、ということだ。日本でも大いに参考になるかもしれない。
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上に書いたように、第二次改革は、全体を480日にするという改革を併せて行われたので、明確な答えが出てこない。そのような複雑性にもかかわらず、ある新聞では見出しに「第二時改革は男女平等を改善しなかった」という断定的な言葉を使って、人目を引こうとしているのは、研究者の目からすれば、おいおい、ちょっと待てよ!と言いたくなるだろう。(あっ、これは私が愛読している新聞だった…。件の記事(スウェーデン語))

社会の現状や、社会問題の要因分析などは、多かれ少なかれ統計資料や統計分析をもとに議論されることが多い。だから、一般教養のレベルでいいから、統計を読み解く力を世間一般で幅広く身につけさせておくことは大変有意義だと思う。具体的には、例えば割合が45%だといったときに、分母が何で分子が何なのかをしっかり把握する能力や、その調査の前提に何が仮定されいるのか、何か考慮されていないことがあるのか、とか、その分析から得られる結論にはどの程度の一般性があるのか?、そして、因果関係はどっち向きなのか、もしくは結論が示しているのは関係性だけで、因果関係については何も言っていないのではないか? といったような判断・熟慮のことである。大学の文系教養はあまり役に立っていないという批判が多いが、そのような場でこそ、むしろこのような実用的な教養を身につけさせるべきだと思う。(本当は、高校教育でこのようなこともしっかりするのがいいと思うが)

ビルト外相の石油株保有

2007-01-11 09:03:58 | スウェーデン・その他の政治
スウェーデンの外務大臣であり、91~94年まで保守党政権の首相を務めたCarl Bildt(カール・ビルト)が、またもや窮地に立たっている。以前も話題に上った、石油関連株の保有についてだ。10月に組閣が行われて、彼は外務大臣になったが、その直後から彼の石油株の保有が問題視されてきた。彼は90年代に首相を務めたのち、産業界にデビューし、Lundin Petroleumというスウェーデンの石油会社の役員になったり、別のスウェーデン企業でロシアの半国営石油・天然ガス企業Gazpromの一部を所有するVostok Naftaの役員に就いたりしていたが、外相就任に先駆けて、これらの職を退いた。しかし、これらの企業に関する株式資産の所有は続けたのだ。以前の書き込み

まず、Vostok Naftaについていえば、彼は外相就任時に、それまで保有していた株式をすべて売却したものの、役員報酬として手にしていた株式のオプション権はそのまま保持し続けた。彼いわく「このオプション権を手放すことは、その売却が可能になる12月までは法的に不可能だから」ということだった。実際、昨年12月に彼は資産管理人を通して売却したものの、今メディアがスクープするところでは、12月まで待たなくても、就任時点で手放すことは可能だったということだ。一国の外交の鍵を握る外相職にあり、しかも現在、ロシアの石油・ガス資源供給に関する協議が続いているだけに、石油資本の利権に自ら足を踏み入れているようでは、バランスの取れた判断が取れないのではないか、との懸念が世論でもたれるようになった。僅かなスキャンダルの種を政治的に利用しようとするのは、どこの国でも世の常であるが、スウェーデンの環境党もビルト首相のオプション権保有を、警察省の汚職対策部門に告訴した。それを受けて検察庁が、大規模な調査を始めている。

また、Lundin Petroleumに関しては、ビルト首相は未だに株式を保有しているが、この企業はスーダンにおける石油開発に際して、近隣の村々を焼き払いをスーダン政府が行ったのを容認し、その結果、何万という農民が飢餓に追い込まれる、という大きなスキャンダルを起こした企業であり、2001年以降スウェーデンのメディアから大きく批判された企業なのだ。さらに、昨年11月にはエチオピアの資源管理当局と、資源発掘に関する大きな合意を結んでいるのだ。エチオピアといえば、年末年始に掛けて隣国ソマリアの内部抗争に介入し、現在でもこのソマリア紛争の混迷化が危惧されている。EU諸国をはじめ、スウェーデンもこの紛争の平和的解決に大きな関心を示してはいるが、ここでもやはり一国の外相として、当該国の利権に関与した状態で、冷静な判断ができるのか? 自分の利益を優先せずに、世界のため(スウェーデンのため)にベストな外交が展開できるのか? 本人にたとえその気はなくても、周りからは常に疑いの目で見られることになる。そのために、外相としての信頼性が揺らぎかねないのだ。(エチオピア・スーダンの文脈の限りでいえば、ビルト外相が自分で所有する株式の価値を高めたいと思えば、一刻も早く同地域を安定化させ、資源発掘を推進することなので、この紛争の平和的解決と両立はするのだが)

総じていえることは、ビルト外相は今のポストに就くことを決心した時点で、外相職と関連しかねないすべての利権を手放すべきであった。もちろん、それまでに会社役員として働いた分の報酬は株式やオプション権という形で懐に入れてもいいではないか!という議論ももちろん理解できないことはないが、外務大臣をはじめとする閣僚職は、彼らの決定一つで大きな利権を動かしかねないという点で「聖職」であるし、民主国である以上、彼らの決定の正統性は、国民・世論からの信頼性に拠っている。それを損なうようなことは極力避けなければらない。それでも彼が自らの報酬の保持を主張したいのであれば、彼は外相就任の打診にNejというべきであった。スウェーデンのメディアがこういう点に関して、とりわけ厳しいことは彼も承知していたであろうに!

そういう意味で言えば、Mona Sahlinがメディアに追及されて失脚した「チョコ・スキャンダル」など、この問題と比べれば、メディアが誇張して作り上げた些細なことにも思えてくる。

この騒動でビルト首相が退陣に追い込まれることはおそらくないと思われるが、彼のメディア対応しだいでは、ひょっとすると、新内閣閣僚のうち3人目の辞任となるのは、彼だったりするかも・・・?

労働市場モデルの踏襲

2007-01-10 02:00:27 | スウェーデン・その他の経済
(下の記事の続き)

ラインフェルト党首率いる「新しい保守党」は、彼が党首になった2003年以降に、それまでの新自由主義的、市場リベラル的イデオロギーのトーンを下げ、現実路線へと転換するようになった。

例えば、スウェーデン型の労働市場モデルというと、
・労働組合が強く、従業員の加盟率も非常に高い。
・労働者の権利は様々な分野で保証されている。そのため、企業側は、従業員との合意を重視しながら事業を進めていく必要がある(コーポラティズムと呼ばれる)。
・基本的に賃金は労使の集団交渉によって決定され、その結果、賃金の格差が小さい。
・きめ細かい労働法体系のほかに、労使間で結ばれる様々な協定が重要な役割を果たす。
・手厚い失業保険や、再教育プログラムなどの積極的労働市場政策を国が行う。・・・、
などを含むが、保守党は党是としてこれらの制度を強く批判してきた。

しかし、ラインフェルトや彼のブレイン集団(今の財部大臣Anders Borgや労働市場大臣Sven Otto Littorinなど)は、スウェーデン型の労働市場モデルが持つとされるプラスの効果を大幅に認め、現在の制度を大きく変えるような政策は行わない、と言い出したのだ。

実際、経済学による国際比較でも、スウェーデンモデルの弊害として労働市場の硬直化や若年者の高失業が起こりうることを指摘される一方で、労使の協調によって生産性向上への投資が円滑になったり、ストライキの頻度が抑えられたり、インフレの抑制ができるなどのプラスの面を指摘するものもある。

ラインフェルトの路線転換の背後には、政権獲得のための目論見だけでなく、こうした理論的な根拠への重視もある。というのも、彼のブレインの中には経済学を専攻した人や、その後、中央銀行で勤務した者も多く、理論的な素養も持っている人が多いからだ(おそらく、ケインズ派や制度学派)。実際、現財務大臣Anders Borgは党や税制のプログラムを発表するときに、経済理論をベースにした図表を用いて説得力のある説明をするが、これは政界あがりの財務大臣にできるような業ではない。また労働市場大臣であるSven Otto Littorinの専攻は経営学ではあったものの、マスコミでの議論やインタビューを聞いていると、経済学的な素養を感じさせてくれることもよくある。

保守党の路線転換についての過去の書き込み

(続く・・・)

効果を失った積極的労働市場政策

2007-01-08 08:40:08 | スウェーデン・その他の経済
スウェーデンの労働市場政策で世界的に注目されてきたのは、積極的労働市場政策と呼ばれる政策だ。これは失業者に一方的に失業給付を行う消極的政策とは対照的であり、失業者に対して失業給付を与える代わりに彼らに積極的に職探しをさせたり、斜陽産業から溢れた失業者に新たな職業訓練を行うことで、別の産業で職を得ることが可能になるようにしたり、長期失業者を雇う企業に補助金を提供したり、民間の職場にインターシップのような場を設けてもらい、そこで失業者に働いてもらったり(その後、そこで正規に雇用してもらったり、それが無理でもその際に培った経験やネットワークを通じて職探しを容易にする)するのである。

しかし、これらの政策は経済が急速に成長し、慢性的な労働者不足が一部の産業で起きていた80年代終わりあたりまではうまく機能したものの、経済や労働市場が停滞し、就業者数が急速に低下した90年代以降はあまり効果を見せなくなったといわれる。つまり、失業者にいくら新たな職業訓練や経験を積ませて、彼らの“魅力”を高めたところで、経済全体の労働需要が低下していては、彼らを吸収してくれる場がないのである。スウェーデンの経済学者であるAssar Lindbeckは”after all, these policies are supposed to help people “swim faster” from the unemployment islands to vacancy islands.”と端的に指摘している。つまり、積極的労働市場政策は、失業者が“失業”という島から“雇用”という島に早く泳いでたどり着くことを手助けすることはできるが、目的地となる島がない状態では、いくら助けをもらったところで失業者にはどうしようもない、ということである。

90年代を対象に分析した研究でも、積極的労働市場政策の一部である職業訓練(arbetsmarknadspolitiska åtgärder)などは、あってもなくても、ちゃんと職を得ることができた人は自力で職に就いたであろうし、場合によっては、政策によって訓練を受けた人が自力で職を得ることができた人を押しのける、押し出し効果(crowding-out effect)が働いたため、全体としての効果は小さかった、という結果を出している。一方、プラスの効果があったとすれば、長い職探しの末に職探しを諦め、ともすれば長期失業者として引きこもって、生活保護に頼らざるを得なかったような人を、職業訓練の教室に連れ出したことで、彼らを労働市場にとどめることができたことだ、という。

むしろ、90年代以降、就業者の数がなかなか回復しない中で、積極的労働市場政策の一環としての職業訓練などは、政府にとって、失業率を統計の上で押し下げてくれる一つの道具になったようだ。つまり、いくら失業者でも、職業訓練を受けている間は失業者とは数えられなくなるからである。一般にニュースなどで耳にする失業率はopen unemploymentであるが、ここには政策によって職業訓練などを受けている人は含まれない。だから、失業者のより多くをこのような職業訓練に就けさせて、統計の数字を押し下げたほうが、政府は好都合なのである。ただし、このほかに、total unemploymentという失業率の数え方もある。こちらのほうには、職業訓練などを受けている人も含まれるので、失業の深刻さを見るためにはこちらのほうが正確な数字だといえる。

この両者がどれだけ離れているかというと、例えば90年代の不況に突入する直前の1990年には
open unemploymentが1.6%でtotal unemploymentが2.9%(その差1.3%)、
不況の真っ只中であった1994年には
open unemploymentが10.3%でtotal unemploymentが15.7%(その差5.4%)、
2005年には
open unemploymentが5.3%でtotal unemploymentが8.0%(その差2.7%)、
と乖離しているため、前者だけ見ていては、失業の深刻さの全体像を掴んでいることにはならない。

(余談ではあるが、80年代後半にかけてはスウェーデンの失業率は2%前後と低く、国際的に見ても日本と並んで、異常なほどに失業率が低い国だったのだ)

では、このような国による積極的労働市場政策は不必要なのか? 90年代以降の非効率を経験し、スウェーデンではこの種の議論が盛んに行われてきた。このような積極的労働市場政策を国の機関として実際に行っているのは、労働市場庁(AMS)であるが、94年以来、野党となった保守党(Moderaterna)は「AMSは不必要、労働訓練をはじめとする積極的労働市場政策も非効率なので、廃止すべき。必要性があるのだとすれば、民間の経済主体に任せればいい。」と主張してきた。

しかし、そもそも積極的労働市場政策そのものが非効率かどうかを決めるのは容易なことではない。この政策は、失業した人がある産業から別の産業に移るのを容易にしたり、求職者の能力を高めて、労働市場におけるその人の魅力を高める、という、いわば労働供給側の政策なので、経済全体の総需要が低下し、雇用先がないような状況で、なかなか効率が上がらないのは、最初から当然のことなのである。だから、重要なのは、その政策が非効率だから廃止すべきではないか、というような議論よりも、むしろ、その効率性を高めるために、その政策だけに限らず総需要の創出といった労働需要側の政策とうまく併用して行くべきではないか?、ということだと私は思う。

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面白いことにラインフェルト党首のもとでの「生まれ変わった保守党」は、それまで党是であった「労働市場庁(AMS)の廃止」を取り下げ、より積極的に「労働市場庁は存在の意義がある。積極的労働市場政策も意味がある。」と大きく路線転換をし、選挙で政権をとった後もその新路線を維持しているのだ。実際に行おうとしている労働市場政策も、それまでの社民党政権と大きく似たものになっている。(続く・・・)

クリスマス・プレゼントの悲しい消息…

2007-01-06 04:23:07 | コラム
12月に入るとクリスマス商戦も本格的になる。町のショッピングセンターには、今までこの町のどこにこんな数の人がいたのか?と目を疑いたくなるくらい、たくさんの人で溢れかえっている。

クリスマス・プレゼントを誰にあげるのか? 人によりけりかもしれないが、だいたい家族や親しい友人にあげるようだ。家族と言えば、祖父母、両親、配偶者、兄弟姉妹、子供、孫といったところだろうが、家族関係がなにぶん複雑なスウェーデンだけに、親といっても、肉親のほかに義理の親がいたり、兄弟姉妹といっても、血の繋がっていない兄弟姉妹がいたりするから、プレゼントあげる潜在的な対象は、かなり幅広い気がする。

12月は日本では師走というけれど、スウェーデンでは皆がクリスマス・プレゼント探しに奔走している時期ようだ。商業主義に乗せられてかは知らないが、ちょっと行き過ぎのような気もする。ピークはもちろん20日から23日頃だろうか。クリスマス・プレゼントをあげるこの習慣は、子供にとっては日本のお年玉のようなもので、大人にとってはお歳暮をあげる感覚と似ているのだろうか?といっても、付き合いのために贈ったりすることはなく、あくまで家族や親族の間に限られていると思うけれど。

みんなプレゼントに何がいいか、あれこれと頭を悩ましているようで、研究棟の喫茶ルームでも、雑談の話題になったことが一度以上はある。特に困るのは10代の男の子へのプレゼントのようだ。この年頃の男の子でテレビゲームに熱中し、マンガやアニメにもはまっているなら、それに関連するものがいいと、ふと思われるかもしれないが、実際のところ、彼らのオタク度は凄まじく、そんなものだったらもう既に買っているか、インターネットでダウンロードしているから、素人の大人が1週間も悩んでプレゼントを選んだところで、彼らの満足度の足元にも及ばないだろう。服を贈ったら、って? これほど、この年頃の子供をがっかりさせるプレゼントはない、という噂を耳にしたことがある。いっその事、Absolute Vodkaでも与えて、泥酔させて、クリスマスの間、大人しく黙ってもらったほうがいいかもしれない。(冗談です…)

合理性を重視すれば、欲しいと思われないものにお金をかけるよりも、あらかじめ何が欲しいかを伝えておく、もしくは聞き出したほうが、お金と時間の節約になるだろう。実際、スウェーデンでもある程度、親しい間柄や、毎年プレゼントの交換をするような間柄では、お互いに希望を伝えるようだ。合理性、ということで付け加えれば、スウェーデンでは、プレゼントに買った店のレシートを添えて贈ることも珍しくない。レシートがあれば、もらった服のサイズが違った場合でも、もらった人がその店に自分で出向いて交換してもらえるのだ。もし合うサイズがなければ返品だ。私の同僚のNiklasは炊飯器をもらったことがあるが、そんなもの自宅で使わず(ただでさえ狭いアパートの:-)邪魔になるだけなので、レシートを添えて返品する、と言っていたことがあり、当時、炊飯器を持っていなかった私が買い取ったことがあった。
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さてさて、クリスマスが終わり、新年が近づく頃になって、スウェーデンの街角には大きな広告ポスターが登場するようになった。クリスマス・プレゼントを開ける男の子の写真だ。プレゼントの服を見て喜びを取り作っているものの、内心では「Helt vidrigt!(全く凄まじい限りだ!)」と落胆を隠し切れない…。そんな彼の苦笑いが、いかにもコミカルなのだ。別のポスターでは、60代のおじさんがプレゼントを開けているが、そこにはIpodが…。何に使っていいのか分からないこのおじさん、内心では「Fasansfullt! (たまげた!)」と叫ぶ。

そして、ポスターの下端には「Det är tanken som räknas. Sälj dina oönskade julklappar!(大事なのはプレゼントを贈る、という気持ち。要らないプレゼントは売りに出そう!)」と続く。そう、これはインターネット・オークションの会社の宣伝なのだ。

この広告を見て、私は正直言って、衝撃を受けた。商業主義もここまで来たか!と。みんな貴重な時間とお金と精神を大いに費やして、クリスマスプレゼントをお互いに贈りあっているけれど、そのうちの一部(大部分?)は、結局こうしてすぐに手放されて、売りに出されてしまうようになるかもしれない。これじゃ、誰が得をしているのか分からない。商品を作っている企業と売っている商店、それにこういったオークション・サイトぐらいだろうか…?