スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

総選挙の争点<1> 勤労所得税額控除の是非(その3)

2010-08-10 07:05:21 | 2010年9月総選挙
前回書き忘れたが、勤労所得税額控除の制度に対する社会民主党や左党などの批判はもう一つあった。失業手当や疾病手当をもらって生計を立てている人は就業インセンティブが低く、自発的に仕事に就こうとしないから、「にんじん」もしくは「アメ」を提示することで再び働かせようという考え方やものの見方に対する批判だ。

これは非常に難しい問題だ。失業している人の多くは本当に仕事がないから失業しているだろうし、疾病手当をもらっている人の多くはケガや病気のために働く能力が低下して働けないから疾病手当に頼っているだろう。しかし、中には「ズル」をしている人もいるだろうし、長期にわたって失業手当や疾病手当の給付を受けてきた人の中には、本当は働けるのだけど、仕事探しをしたり仕事に復帰するのが面倒になり、passive(受け身)化した人もいるだろう。

そういう点を考えた場合に、私自身はこの勤労所得税額控除はうまく考えられたものだと思う。各種手当の給付に頼って生活するよりも働いて所得を得ることのメリットを高めたい場合には、二通りのやり方が考えられる。一つは、手当の給付水準を下げるやり方だ。もう一つは、この制度のように税額控除を通じて、働くことによるメリット(手取り)を増やすやり方だ。前者のやり方だと、ズルをしていない人にも給付水準の削減による悪影響が及ぶことになるが、後者のやり方だと、手当の給付を必要とする人はこれまでどおり手当が受けられると同時に、手当への依存状態から抜け出そうと努力する人に対してピンポイントにその「アメ」を与えることができるからだ。


さて、保守党(穏健党)を中心とする現在の中道右派政権2007年から4度にわたって政策に取り入れた勤労所得税額控除だが、野党である社会民主党や左党は最初から気に入らなかった。しかし、この制度は実は高所得層よりも低中所得層により大きな恩恵をもたらすものだった(減税率で見た場合に)。しかも、手取りが増えたということで世論一般の支持もそれなりにあった。このような事実に直面し、いつまでも拒絶してばかりいては2010年秋の総選挙に支障が出ると判断した両党は、既に2009年夏ごろまでに「自分たちが政権をとってもこの制度を覆すようなことはしない」と発表したのだった(一方、同じく野党である環境党は、当初からこの制度に対して反発していなかったように思う)。

しかし、その時点ではまだ第3次までの勤労所得税額控除しか行われていなかった。中道右派政権は2009年秋の予算案で、2010年には第4次の勤労所得税額控除を行い、税額控除の額をさらに拡大する、と発表したのだった。このときも、スウェーデン議会やメディアで大きな議論が沸き起こった。「それはやりすぎだ」と。折りしも金融危機真っ只中で税収が大幅に減少していたときだったから「さらに減税する余裕がどこにあるのか?」という声も多かった。それでも、政権側は第4次を押し通し2010年はじめから実行したのだった。おそらく、政権側としては2010年の総選挙を見込んで、有権者の支持を獲得する一つの方法だと考えたのだろうし、総選挙では政権を奪われるかもしれないから、できることは今のうちにやっておきたいという焦りもあったのではないだろうか。(私も否定的な見方をこのブログで書いた。前回の記事にリンクを張っています)

2010年5月社会民主党・左党・環境党の3党からなる左派連合(赤緑連合)が発表した合意によると、彼らが政権を奪還した場合には第4次の拡張分を取り消すが、第3次までの勤労所得税額控除までは基本的に維持する、ということになった。しかも同時に、失業保険の保険料に上限を設け、さらに保険料を課税対象所得から控除できるようにするので、月収40000クローナ(約48万円)以下で失業保険に加入している人であれば、増税にはほとんどならないようにする、と発表した。

では、月収40000クローナを上回る人にはどうなるか? 実は、左派連合は勤労所得税額控除の控除額を徐々に減少させていき、80000クローナで控除額が完全に消えるようにすると発表している。高所得層には税額控除など必要ない、という左派のイデオロギーによるものだ。

しかし、実際のところ、それによって増える税収はわずかなものである上、控除額を徐々に減少させることはその所得階層に対する実質的な限界税率がさらに上昇することにつながる。私の大まかな手計算によると、その幅は約4.5%になる。月収40000クローナというと、地方所得税(平均31%強)だけでなく20%の国税も納めている。だから、限界税率は55%に膨れることになる。また、さらに所得が高く25%の国税を納めている人は、限界税率が60%となってしまう。

スウェーデンでは、この所得税の国税分が高すぎて、教育プレミアムの減少や能力のある人々の勤労インセンティブの低下をもたらしているのではないか、という議論もあり、せめて国税25%は20%に下げるべき、という声もある。にもかかわらず、左派連合の案によれば、限界税率がさらに高くなってしまう。

いずれにしろ、中道右派政権が導入した総額710億クローナの勤労所得税額控除のうち、左派連合が690億クローナ分は認めて維持すると発表したことによって、選挙に先駆けた今の段階では、もはや争点ではなくなったといっても良いかもしれない。

財務大臣アンデシュ・ボリの勝利、といえるだろう。彼が4年もかけて導入してきた一つの税制改革の大部分が、政権交代のいかんにかかわらず固定化することになったからだ。政治家として、大きな喜びなのではないだろうか。


イェイ!

最新の画像もっと見る

コメントを投稿