スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

内部告発者を辞職に追い込もうとした国連のスキャンダル

2016-07-25 23:50:42 | スウェーデン・その他の政治
昨年から今年にかけて大きな注目を集めた国連スキャンダルがある。停戦監視ミッションのために派遣された外国兵による人権侵害事件に対し、スウェーデン人の国連職員がその解決のために早急な行動を取ったにも関わらず、彼の所属する組織がその行動を良しとせず、彼を辞職に追い込もうとした事件である。国連の組織のあり方に疑問を投げかける大きなスキャンダル事件となった。

スウェーデン出身の国連職員はアンデシュ・コンパス(Anders Kompass)という、現在60歳の男性だ。若い時からラテンアメリカに興味を持ち、最初の頃はNGOの現地スタッフとしてフィールドで働きながら経験を積み、その後、スウェーデン外務省や国連に採用され、ラテンアメリカの貧困改善や紛争仲介に携わってきた人物である。


アンデシュ・コンパス(Anders Kompass)
<写真の出典: Dagens Nyheter 2015-11-27

2014年3月、ジュネーブにある国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)においてフィールド業務・技術協力部長(Director of the Field Operations and Technical Cooperation)として勤務していたコンパスは、中央アフリカ共和国に派遣されたフランス兵などの外国兵による人権侵害の疑いを解明するために、女性スタッフを現地に送った。中央アフリカ共和国は2013年に反政府軍が首都を制圧し、混乱状態にあった。民族的な対立が激化し、数万人を超える人々が難民となっていた。これに対し、旧宗主国であるフランスが2013年12月、治安維持と停戦監視のために軍隊を送っていたが、人権侵害の疑いについての調査が始まった時点では、国連がそのPKOミッションを引き継ぐ移行期にあった。

現地入りしたのは、ユニセフ(Unicef)での活動経験が豊富な女性スタッフだった。現地の住民にインタビューをし、その結果を報告書の形でまとめて7月にコンパスに提出した。その内容は悲惨なものだった。治安維持のために派遣されていた外国兵のうち16人(フランス兵11人の他、チャド兵、赤道ギニア兵など)が現地の少年13人(8~15歳)に対して、食料や現金と引き換えに性的行為を強要したという内容であった。首都バンギの空港付近には難民キャンプが設営され、外国兵はそこに避難する難民の保護に従事していたわけであるが、まさに彼らを保護すべき場において、兵士たちは家や両親を失った難民の少年を性的に利用していたのである。しかも、報告書からはそのような性的暴行が現在も続いていることが分かった。

コンパスは、外国兵らによる性的暴行を止める措置を国連が何も講じていない上、今後も早急な行動が期待できないと判断し、報告書を受け取ってから1週間後に国連ジュネーブ事務所のフランス代表部にその報告書を提供した。暴行に加わっていたとされる兵士の大部分がフランス兵だったからである(この時点ではフランス軍によるミッションから国連ミッションへの移行途中にあったが、国連の任命する指揮官がまだ存在していなかったために、彼らは依然としてフランス軍の指揮下にあった)。フランスの国連大使は、コンパスによる情報提供に感謝し、即座に実態解明のための行動を取ると彼に伝えた。実際に、この後、フランスは警察官を現地に送り、調査を開始している。コンパスは、フランスへの情報提供を自分の上司にも伝えた。当時、国連人権高等弁務官事務所は、組織の代表である国連人権高等弁務官が入れ替わる時期であり、新しい弁務官の着任を待つ間、副弁務官であるイタリア人のフラビア・パンシエリ(Flavia Pansieri)が組織の代表を務めていた。だから、コンパスの上司は彼女だったわけである。

しかし、この一件がその半年後に大きな物議を醸した。新たな国連人権高等弁務官として2014年9月に着任したのはヨルダンの王子であるゼイド・ラアド・アル・フセイン(Zeid Ra’ad al-Hussein、以下「ゼイド」)だったが、彼はコンパスの行動をよく思わなかったのである。彼は、組織内部の機密文書をコンパスが部外者に提供したのは越権行為であり、職務規則に反すると批判した。特に、文書に記載された被害者の少年の実名が部外者に漏れたことで、少年らの身が危険にさらされる恐れがあると指摘した。そして、2015年3月12日、コンパスに辞職を迫ったのである。コンパスは、自分の行為に問題はなかったと考え、辞職要求を拒んだ。


ゼイド・ラアド・アル・フセイン(Zeid Ra’ad al-Hussein)
<写真の出典: Wikimedia

彼の拒否を受けて、ゼイド国連人権高等弁務官は4月9日、国連事務局内部監査部(the UN office for internal oversight service, OIOS)に対してコンパスの職務規則違反の疑いを調査するよう届け出た。同時に、コンパスに停職を命じ、調査の間、ジュネーブの事務所から閉め出した。


【 内部告発の正当性 】

コンパスの行動は、正規のルートを経ずに重大な情報を部外者に提供したという点から内部告発だと見なされる。現在進行中の深刻な犯罪を早急に止めるために彼が取った行動は職務規定違反に当たるのか? また、彼に対する辞職要求と停職命令は国連の一組織としての正当な措置なのかどうか?

スウェーデン政府はコンパスの行為の正当性を支持した。例えば、スウェーデンの国連大使は国連高官に対して、コンパスが解雇されるような事態になればこの事件の経緯をすべてメディアに暴露するし、国連人権高等弁務官事務所へのスウェーデンの負担金の支払いを凍結すると脅したという(この時点では、コンパスを巡る一連の事件はまだメディアに流れていなかった。事件が明るみになったのは、英紙The Guardianによる2015年4月29日付のスクープ報道がきっかけのようである)。スウェーデンのヴァルストローム外務大臣もコンパスの件で、国連を批判する声明を発表している。

騒動が明るみになったことを受けて、ゼイド国連人権高等弁務官は記者会見を開き、コンパスの行為は職務規定違反だと改めて批判すると同時に、フランス政府は自国の兵士による人権侵害疑惑をきちんと調査する責任がある、と強調した。

私が思うに、フランス政府はコンパスから情報を得たからこそ、自国兵に対する疑惑の詳細について知り得たのであるから、ゼイド国連人権高等弁務官がコンパスの行為を否定しつつ、フランスの責任を強調するのは矛盾ではないだろうか。おそらく彼の言い分は、組織として公式なルートを通じてフランス政府に情報を提供し、問題解決を要請するのが望ましかった、ということなのかもしれない。一方、コンパスの主張は、それまでの経験からそれが期待できないし、現在進行形で現に起きている人権侵害行為に早急な行動が必要だと判断したからこそ、フランス政府に情報を自ら流すという決定に至ったということである。

コンパスと同じくスウェーデン出身であり、国連を舞台に活躍してきたインガ=ブリット・アレニウス(Inga-Britt Ahlenius)という女性がいる。彼女はスウェーデンの会計検査院の院長などを務めたあと、国連事務局内部監査部(OIOS)の部長を務めたことがあるが、彼女は雑誌のインタビューの中で「人権侵害に対して早急に対処する方法として、コンパスが取った行動は正しい」と答えている。また、被害者である少年の実名が書かれた報告書をコンパスがフランス側に提供したことについても「被害者や目撃者の実名が明らかでない状態で告発を受けても、フランス検察は何も行動を起こせないだろう。フランスは法治国家であるから、コンパスがフランスを信頼し、デリケートな情報を提供しても問題ないと判断したのは当然だ」と、コンパスを擁護している。


インガ=ブリット・アレニウス(Inga-Britt Ahlenius)
<写真の出典: Wikimedia

(ちなみに、アレニウスは国連事務局内部監査部の部長職を5年の任期満了にともない退くにあたって、バン・キムン国連事務総長を痛烈に批判する声明および書籍を発表したことで知られる。彼女によると、バン・キムンは式典などのお膳立てされた舞台に立って脚光を浴びたり、大きな改革を声高に打ち出すことをよく好む一方、リーダーシップ能力は全く無く、彼の任期中に「臭いものには蓋をする」という文化が国連の組織内にますます蔓延するようになったという。)


【 裁判所および調査委員会による判断 】

停職を命じられ、職場から閉め出されたコンパスは、国連紛争裁判所(United Nations Dispute Tribunal)に不服申し立てを行った。この裁判所は国連の組織内部に関わる紛争に判断を下す内部裁判所である。2015年5月6日、この裁判所はコンパスに対する停職命令は国連の規則に反しているという判決を下した。(ただ、ここでの判決は停職命令の妥当性だけを判断したものであり、彼が情報をフランス側に流したことの妥当性の判断は、国連紛争裁判所とは別の、国連事務局内部監査部(OIOS)という組織が行う。それについては後述。)

2015年5月26日には、パンシエリ副弁務官が記者会見を開いた。彼女は、上で触れたようにゼイド国連人権高等弁務官が2014年9月に着任するまでの間、一時的に国連人権高等弁務官事務所の代表を務めていた人物である。その彼女が記者会見の中で、フランス兵士による人権侵害を把握していたものの、他の業務が忙しかったために、組織として事件の解明に努めるのを怠っていたことを認めたのである。また、事実関係を知りたいフランス検察が彼女に対してさらなる情報提供を再三にわたって求めてきたものの、その年の4月になるまで対応しなかったことも認めた。その上で、彼女は7月に副弁務官を辞職した

コンパスへの処分や性的暴行に対する国連の対応について批判は、バン・キムン国連事務総長に対しても寄せられた。ちなみに、彼はこの前年の2014年12月に、中央アフリカ共和国における国連活動に関するレポートを発表しているが、国連兵による性的暴行については全く触れられていなかった。

激しい批判に応えるために、バン・キムン国連事務総長は2015年7月22日、外部組織による独立調査チームを発足させ、その代表にカナダ最高裁判所の元裁判官(女性)を任命した。この時点では、ゼイド国連人権高等弁務官の届け出を受けた国連事務局内部監査部(OIOS)がコンパスの件を調査中であったが、それとは別に、外部の目による調査が開始されたのである。

この調査チームは2015年12月に調査結果を発表した。コンパスが国連のフランス代表部に情報を提供したことは職務規定違反には当たらず、一般に許容される範囲内であるだけでなく、むしろ、そのような行動を取ることは彼の職務に含まれるという判断を調査チームは下したのである。

翌2016年1月には国連事務局内部監査部(OIOS)による判断も下されたが、ここでもコンパスには非がないという結果だった。


【 ラジオ番組に出演 】

この一連の事件は、メディアに明るみになった2015年春からスウェーデン国内やヨーロッパのメディアで大きく取り上げられてきた。ニュースを追ってきた多くの人々は、この2つの調査結果を聞いて、さぞかしホッとしたことであろう。コンパスは今年夏のラジオ・モノローグ番組の出演者の一人に選ばれた。このラジオ番組はSommar i P1といい、スウェーデンの夏の定番番組である。時の人、もしくは過去1年に話題になった著名人に90分の時間を与え、自由に語ってもらうのである。


<写真の出典: Sveriges radio

コンパスはこの番組の中で、内部監査部(OIOS)による調査が続く間の心境について語っている。彼はメディア上だけでなく、組織内においても発言したり、釈明したりする権利を全く奪われたという。彼に対する疑惑の内容は当初、国連内で全く明らかにされなかったために、セクハラや金銭の着服など様々な噂話や誹謗中傷が同僚の間で飛び交ったというが、彼は何も釈明できなかった。2015年5月に国連紛争裁判所が停職命令を取り消す判決を下したわけであるが、この時に公開された判決文の中に彼に掛けられた疑惑の詳細が書かれており、事情を同僚たちにやっと知ってもらえたことは小さな救いだったという。

しかし、その後も国連事務局内部監査部(OIOS)の判断が下されるまでは、この事件について何も発言ができず、職場において疎外感を感じる中、鬱病にかかったという。自分の取った行動は正しかったのだという、当初の自信は次第に衰えてゆき、自分を疑ったり、責めるようになっていったらしい。

しかも、自分自身を口封じした張本人であるゼイド国連人権高等弁務官が、こともあろうにスウェーデン弁護士会のストックホルム人権賞(Stockholm Human Rights Award)をその年秋に受賞したのである。確かに、ゼイドは過去に国際刑事裁判所(International Criminal Court, ICC)の発足や、女性の人権向上のための取り組み、国連兵による人権侵害についてのレポート作成(俗にZeid reportと呼ばれる)に携わるなどの実績があり、スウェーデン弁護士会もそれらを讃えたのであるが、タイミングが非常に悪かった。コンパスにしてみれば、人権を擁護するために行動を起こした自分を停職処分にし、辞職にまで追い込もうとした張本人が、そのような賞を受賞したことが精神的に苦痛だったという。(スウェーデン弁護士会にはこの年の賞の授与に対して非難の声が多く寄せられた)

最終的に疑いが晴れたわけだが、コンパスは今年の春、国連人権高等弁務官事務所を辞める道を選んだ。「自分たちの行動に責任を持てない組織で働き続けるつもりはない」と彼は説明する。今回の事件において職務上の権力を乱用した人物が罰せられることはなく、それらの人物をはじめ他の国連関係者からも何の謝罪もなかったからだという。

幸いにも、国連を去った彼をスウェーデン外務省が雇うことを決めた。南米の専門家として、南米諸国との外交戦略の策定に彼を起用するそうだ。スウェーデンは先日、国連安全保障理事会の非常任理事国に選出されたわけだが、そのような国連外交の場でも彼の知識を活用したい、とヴァルストローム外務大臣は語る。そして、「これは今回の事件で苦労を強いられた彼の労をねぎらう意味もある」と付け加えている。


マルゴット・ヴァルストローム(Margot Wallström)外務大臣
<写真の出典: SVT 2015-12-20

彼のような正義の内部告発者が、今回のような苦労をする必要のない世の中になっていくためにも、彼には今後も活躍して欲しいと願ってやまない。

EUを残留をめぐるイギリスの国民投票

2016-07-09 19:15:01 | スウェーデン・その他の政治
イギリスにおける国民投票の結果について書こうと思っていたが、遅くなってしまった。

私としては、離脱派の思わぬ勝利と、離脱の実行がもたらすであろう様々な経済的影響や英国分裂の危機に恐れをなした有権者(離脱派も含めて)が再度の国民投票を要求し、それが実行に移され、結局は残留派が勝利したり、もしくは再投票とまでならなくても拘束力を持たない国民投票の結果が次のイギリス首相によって無視されたりすることで、イギリスがEUに最終的にとどまるという可能性に僅かながらの期待を寄せている。

【 スウェーデンとイギリスの経済的な結びつき 】

スウェーデンは、イギリスとの結びつきが比較的強いこともあり、今後のイギリスのEU離脱に対して大きな懸念が持たれている。スウェーデンの輸出相手としてはイギリスは第3位(サービス)と第4位(商品)である。またスウェーデンの資本の直接投資先としてはイギリスは第7位であり、スウェーデン企業の国外投資の1割がイギリスに向けられている。また、スウェーデンに対する直接投資額の第3位はイギリスである。イギリスに進出しているスウェーデン企業は少なからずあるし、イギリスに渡って現地企業で働いているスウェーデン人も多い。学生なども合わせると10万人ほどのスウェーデン人がイギリスに居住していると見られている。彼らはEUのもとで、これまで特別なビザ申請などをすることなくイギリスに渡りビジネスをしたり、仕事に就くことができた。

そのため、イギリスがEUから離脱したあともイギリスでの居住や経済活動がなるべく支障をきたさないように、良好な経済関係をイギリスと維持していくことは、スウェーデンにとっての大きな課題である。もちろん、これはスウェーデンのみならず他のEU加盟国にとっても同じであり、離脱後のイギリスとどのような経済協定を結ぶべきかがEUレベルでも盛んに議論されている。可能性としては、EUがスイスと結んでいるような個別協定、EUがアイスランドやノルウェー、リヒテンシュタインと結んでいるようなEES協定、もしくはEUがカナダやアメリカ、日本と結ぼうとしているような二国間自由貿易協定などいくつかあるが、どれも2国間の対等で対称的な双方向の協定である。これに対し、イギリスのEU離脱派これまでイギリスがEUの中で享受してきた域内自由市場への労働・資本・商品のアクセス権を維持しつつ、同時にEU域内からの労働の移動を制限したり、EUへの負担金を払わなくても良いような協定を結ぼうと考えており、「それは虫の良すぎる話」とEUからは冷ややかな目で見られている。

一方、EUとしては、EUという経済連合の意義を見せつけようと、離脱したイギリスに不利な条件で経済協定を結ぶ道もある。しかし、そうなるとEU諸国にとっての経済的ダメージが大きくなってしまうし、他方で、だからといってEU加盟国と同等の権利をイギリスに与えてしまうと、EUに加入し、これまでどおりの負担金を払わなくてもEUの美味しい汁を吸うことができるという誤ったシグナルを発してしまうことになり、他の加盟国の離脱を招いてしまうかもしれない。だから、非常に難しいトレードオフに直面している。(注: EUから離脱し、別の形でEUと経済協定を結んだとしてもEUへの負担金が必ずしもゼロになるわけではない。例えば、EES協定を結んでいるノルウェーなどは一定の負担金をEUに支払っている。一方、そのような負担を強いられるにもかかわらず、非加盟国であるためEU域内市場のルールづくりに対しては当然ながら関与できない)


【 EU内の重要な政治的パートナー 】

スウェーデンに話を戻したい。イギリスはスウェーデンにとって重要な経済パートナーであるだけでなく、EU政治の場でも重要な協力相手であった。両国とも自由貿易に対しては基本的に好意的であり、保護貿易的な加盟国に対抗しながらEU内の市場整備や、アメリカ、カナダ、日本などとの自由貿易協定の締結に向けて取り組んできた。また、両国ともユーロ非加盟国であり、EU政治の場においてユーロ非加盟を理由に自分たちの影響力が削がれることがないように協力しあいながら政治的な力を維持してきた。さらに、EUがさらなる中央集権化と連邦政府化によって個別加盟国の政治的決定権をブリュッセルに移譲しようとする動きに対抗する上でも、スウェーデンとイギリスは仲の良いパートナーであった。

そんな重要なパートナーを失うことで、EUにおけるスウェーデンの影響力や発言力が減少してしまうのではないかという懸念がある。そのため、今後は難民の受け入れなどで立場の近いドイツなどとの協力関係を強化したり、理念的・政策的にスウェーデンと近い立場にある欧州委員会との関係強化を模索すべきだとの意見がスウェーデンでは上がっている。(他方で、難民の受け入れや労働者の保護、その他の社会政策の面では、これらの政策領域に消極的だったイギリスがパートナーとしていなくなることで、スウェーデンはより動きやすくなり、自分たちの主張をEUに訴えやすくなるのではという見方もある)


【 EUに対するスウェーデンの世論 】

スウェーデンの世論は圧倒的多数がEUに好意的であるため、今回のイギリスの国民投票の結果を受けて、スウェーデンでもEU離脱("Swexit")機運が盛り上がる可能性は非常に小さい。イギリス国民投票の直前に、スウェーデンの日刊紙DNが世論調査機関Ipsosと協力して行った世論調査では、66%の人々が「EUに残留すべき」と答えており、「EUから離脱すべき」と答えた29%を大きく上回った。


ただ、スウェーデンの世論が概してEUに好意的になったのは、比較的最近の話である。スウェーデンがEUに加盟したのは1995年であるが、その是非を問う前年1994年の国民投票ではEU加盟に賛成が52.3%、反対が46.8%と僅差であった。その後もスウェーデンではEU懐疑派が比較的多く、政権党であった社会民主党もEUに対する見方が党内で割れていた。中央党や環境党など、EU加盟後もEU離脱を長らく掲げていた政党もあり、これらの根強いEU懐疑派の存在は、ユーロ加盟を問う2003年の国民投票でユーロ加盟が否決された一因にもなった。(とはいえ、ユーロ加盟に反対した人のすべてがEU離脱はという訳ではない。私もEUには好意的だが、ユーロには当時も今も反対。)

そのような状況から、徐々にではあるがスウェーデンにおいてEUが一般に受け入れられてきた。加盟当初は、EUというと超国家的でスウェーデンの主権を奪う存在であり、非民主的だ、という見方が強かった。しかし、EUの経済統合がスウェーデン経済に与えるメリットや、気候変動や水産資源管理、テロや難民問題といった一国だけでは対処できない課題に対してEUとして協力して取り組むことの意義が次第にスウェーデンで理解されていった結果、今では与野党をまたぐ大部分の政党がスウェーデンが今後もEUに留まることに同意している。

EUからの離脱を表立って主張しているのは、極右政党のスウェーデン民主党だけである。イギリスと同様の国民投票をスウェーデンでも実施することを提案しているこの党の党首は、イギリスの投票結果を受けて「自由と民主主義の勝利だ」とコメントしている。一方、左派-右派というスペクトラム上では彼らと全く対極に位置する左党(旧共産党)は、これを機にEU加盟にともなってスウェーデンに課せられた諸規定の再交渉をEUと行い、例えば、他の加盟国からスウェーデンに来て働く人々がスウェーデンの団体協約の規定と同じ条件のもとで働くというルールが徹底されるようにすべきだ、と訴えている。ただ、この党のようにEUの現行制度を修正していくべきだ、という立場をとっているのはこの党にかぎらず、EUに賛意を示している他の政党にも言えることである。EU残留を支持しているからといって、現在の制度に満足しているというわけでは必ずしもない。先に触れたように、スウェーデン政府はEUがさらなる中央集権化を進め、第二のアメリカ合衆国になることには反対の立場である。そうではなく、一国だけでは対処できない政策領域に限って個別の加盟国をまたぐ超国家的な政策を実施していこう、という選択的な立場をとっている。さらに、そのような政策の決定プロセスがなるべく民主的になるように、さらなる制度の改良を求めているのである。

このように、スウェーデンにおけるEUの受容は、加盟から20年あまりが経った今、かなり高まっている。先に挙げた、イギリスの国民投票の直前にスウェーデンで実施された世論調査を詳しく見てみると、性別・年齢・学歴・所得水準のすべてのカテゴリーにおいて、EU残留派が多数であることが分かる。スウェーデンのEU加盟を問う1994年の国民投票時の世論調査では、男性の賛成派は59%、女性の賛成派は46%というように性別で差があった。また、学歴別に見ると基礎教育までしか受けていない有権者の43%がEU加盟に賛成だったのに対し、大学卒の賛成派は64%だった。また、若い世代ほどEU加盟に反対で、年齢が上がるにつれて賛成派が多くなるという明らかな傾向があった(賛成派は18-21歳で42%だったのに対し、71-80歳で61%だった)。それから20年経った今、性別による差がなくなり、年齢とのプラスの相関関係もなくなり、全体的に賛成派が増えたのである。



【 余談 】

今回の国民投票の結果は、EU離脱派が51.9%、EU残留派が48.1%という僅差で離脱派が勝った。これだけの僅差ということは、それだけ世論が大きく二分していたということである。その日の天候や偶発的な事象によって、どちらに転がっていても不思議ではなかった。そのような僅かな差によって、EU離脱という現状を大きく覆すような決定を行うことが果たして正しいのか疑問に思う。

で、この僅差という結果をニュースで耳にした時に、ふと思い出したのは、2年ほど前にたまたま目にしたネット記事である。

2年前というと、スウェーデンでは国政・地方同時選挙が行われた年であり、その時の国政選挙でも左派と右派の支持が伯仲していた。そして、選挙の結果、社会民主党を中心とする左派政党が4%ほどの僅差で穏健党を中心とする右派政党に勝利した。この結果に対して、スウェーデン在住の自称ジャーナリストが

この2大連合の得票差は4.4%と、それほどの大差ではない。有権者にとっては、「どっちに投票しても大した違いはない」ということなのだろう。

と真顔で(←きっと)記事中に書いていたのが、あまりに衝撃的でずっと頭に残っている。

今回のイギリスの国民投票でも、残留派・離脱派がほとんど同じくらいの支持を集めたわけであるが、それは有権者が「どっちに投票しても大した違いはない」などと考えていたということではない。どの選挙でも一定数の流動票があり、投票の直前になって投票先を決める人がいることは否定しないが、それでも大多数の有権者にとって残留派が勝利した場合と、離脱派が勝利した場合とではその後のイギリスの行く末が大きく異なることは理解していたであろう。両ブロックが伯仲しているということは、世論が二分しているということであり、それは「どっちに投票しても大した違いはない」という状況とは全く異なる。

ちなみに2014年の国政選挙では、左派政党の公約と右派政党の公約にあまり違いがない、という指摘は当時あり、それを根拠に上げたうえで「大した違いはない」と解釈するならまだ良い。しかし、得票率がほとんど同じだから、という理由では、そのような結論は導けない。ネットの普及ともに誰でもジャーナリストを名乗れるようになったのは良い側面もある反面、質の悪いジャーナリストも乱立するようになり、「ジャーナリスト」という言葉が持つ重みがずいぶんと軽くなったと感じる。