スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

イェヴレ市のヤギ人形

2006-12-31 10:14:04 | コラム
スウェーデンのクリスマスや新年を祝うときに登場する伝統的なシンボルといえば、ワラで作ったヤギの人形Julbockと呼ばれるものだ(bockはヤギの意、ご指摘ありがとうございます)。クリスマスの飾り物として使われたり、今ではそれほど一般的でないにしろ、クリスマス・ツリーの飾り物にされることもある。このヤギの飾りの歴史はかなり長く、古くはキリスト教が北欧に伝わる以前に信仰されていた古代神話にまでさかのぼるという。この神話の中では、雷の神様であるTor(トール)は2頭のヤギに引かれたソリに乗って天空を駆け抜けたという。そのヤギにちなむ、という説がある。

ストックホルムから北方に120kmほど行ったところにあるGävle(イェヴレ)には毎年、このヤギをかたどった、巨大なワラ人形が街中に登場し、クリスマスに先駆けた雰囲気を醸し出す。

しかし、巨大で人目につくところに展示されている上、可燃性の高いワラでできているという性質のために、毎年毎年、地元のワルがきどもの悪戯に遭うのだ。つまり、クリスマスや新年が来るのを待たず、火をつけられて燃やされてしまうのだ。

この巨大なヤギ人形の展示は、商工組合や学校など地元の有志によって、毎年12月に設立されるのだが、この伝統が始まった1966年ですら既に、新年1967年の鐘が鳴ったとたんに何者かに火をつけられ、炎上してしまう。

その後、ほとんど毎年のように、クリスマスや新年を待たず、火をつけられてしまう。焼くのは免れたとしても、代わりに何者かによって殴り倒されたり、車が突っ込んで倒壊した年もある。ある年は、建てられてからわずか6時間後に炎上、灰と化したこともあった。犯人が捕まることもある。この場合、器物損壊という罪の立派な犯罪である。

このような妨害行為にもかかわらず、Gävle(イェヴレ)市の根気の良い人々の手によって、毎年12月になると建てられ、年を追うごとに規模拡大が図られた結果、1985年には高さ12.5mにまでなり、ギネスブックに登場するなど、国際デビューを果たす。1993年には16mに達し、再びギネスの記録を塗り替える。

しかし、ギネスブック以上に、このGävle(イェブレ)のヤギ人形を世界的に有名にしたのは、今年は燃やされるか? 新年まで生き残るか?、という駆け引きである。噂が噂を呼び、1988年にイギリスのギャンブルを皮切りに、ギャンブルで実際にオッズが付けられて賭け事が行われるにまでも至っているのだ。

市民としては、街のシンボルであるこのヤギ人形を新年まで残したい。ということで、有志による見張り番が1990年から登場している。1996年にはウェブ・カメラも取り付けられ、厳しい監視体制に置かれる。

それでも、妨害行為は続く…。(12月13日のルシア祭以前に破壊された場合は、再建されるということに今ではなっている)
1997年:花火をヤギ人形に向かって射撃する者がおり、部分的に炎上するもの生き残る。
1998年:12月11日、雪模様にもかかわらず放火炎上。再建。
1999年:設立後、2時間で放火炎上。再建。
2000年:新年を2日に控え、放火炎上。
2001年:51歳アメリカ人旅行者が放火。このイェブレ市のヤギ人形と放火の伝統を聞きつけてやって来て、犯行に及んだらしい。
2002年:生き残る。
2003年:12月11日、放火炎上。再建。
2004年:12月21日、放火炎上。

そして、2005年が大爆笑! 防犯カメラの厳重なる監視にもかかわらず、ある夜、サンタクロースと、ジンジャー・クッキー男(Pepparkaksgubbe)の着ぐるみを着た2人組がヤギ人形にある一定距離まで近づいたと思ったら、彼らは突然、弓矢を取り出し、矢の先に火をつけて、発射。見事命中し、炎上。大きな全国ニュースになる。犯人は不明。

というわけで、今年2006年は、防犯カメラ以上のハイテク技術に頼ることになる。航空機の機体の炎上防止にも使われる防火剤をヤギ全体に使ったのだ。今年も例年のごとく、12月15日の時点で放火行為があったものの、このおかげで部分的炎上に留まり、いまだに生存。

さて、新年まであと1日。果たして、生き残るのか・・・?

空前の宇宙フィーバー

2006-12-29 06:12:00 | スウェーデン・その他の社会
私がちょうど小学生だった1990年に秋山豊寛さんが、当時のソ連の宇宙船ソユーズに乗り込んで日本人初の宇宙飛行士となった。続いて1992年には、毛利衛さんがアメリカNASAのスペースシャトル、エンデヴァーで宇宙へ旅立った。このときは日本で大きな宇宙フィーバーが沸き起こったことを思い出す。宇宙科学に関することがニュースや雑誌で取り上げられたり、それぞれの宇宙飛行士が旅行中には、テレビで特番が組まれ、日本と生中継が行われたりした。

それとまさに同じことが今年も12月に入ってからスウェーデンでも巻き起こった。スウェーデン発の宇宙飛行士が誕生する!ということになったのだ。彼の名はChrister Fuglesang(クリステル・フーグレサング)49歳。彼はアメリカNASAの宇宙船ディスカヴァリーに搭乗することになったのだ。しかし、ここまでの道のりはあまりに長かったのだ・・・。

彼はもともとストックホルム大学出身(学部時代はKTH(王立工科大学))の量子物理学の科学者だった。1990年にsvenska Rymdstyrelsen(スウェーデンの宇宙開発事業団)を通じてESA(ヨーロッパ宇宙機構)が宇宙飛行士を募集していることを知る。幼いころからの夢を実現するために応募するものの1000人を超えるヨーロッパ人の応募者が競うことになる。500にわたる各種検査を経て、幸い、彼はこの中から選りだされた6人に含まれることになるのだ。1992年からロシアの宇宙飛行士養成所(モスクワ郊外)で3年にわたり特訓を重ねるが、結局、宇宙に行くチャンスは同僚のドイツ人候補生に持って行かれる。

気を入れなおして、1996年夏からはアメリカのヒューストンのNASAのもとで訓練を続けることになる。毛利氏と同じように、アメリカの宇宙開発プログラムの一員としてスペースシャトルに乗る機会を待つのだ。彼はミッション・スペシャリストとして訓練をつんで行く。スウェーデンの新聞もこの頃から「初のスウェーデン宇宙飛行士の誕生も時間の問題」と書き始める。

しかし、そうはいかなかった。彼の後から訓練を始めた候補生が次々と彼を追い越して、宇宙飛行を果たして行くのだ。なぜか…? 実は宇宙飛行士の選定には候補生の能力だけでなく、政治が絡んでくるからなのだ。つまり、出身国の政府の働きかけとNASAに対する研究開発費拠出が大きな鍵を握っているのだ。大きな国であれば、宇宙開発に注ぐ研究公費の絶対額も大きくなる。それを武器にNASAに対して外交的圧力もかけられる(日本もそうだったのかもしれない)。一方、スウェーデンもそれなりにNASAの宇宙プログラムに拠出しているとはいえ、国が小さい分、影響力も小さい。彼は、しまいには初の「宇宙旅行者」(数千億円を対価にした商業宇宙旅行)にも先を越されてしまう。しかし、彼は辛抱強く待った。

2004年あたりにスペースシャトルに乗れる、という話になったが、2003年にスペースシャトル、コロンビアが地球帰還の際の大気圏突入時に、断熱材に亀裂があったために、爆発炎上、乗組員全員が死亡する事故になった。そのため、Christian Fuglesangの初飛行も延期されることになった。

そして、2006年に再びチャンスが到来した。出発は夏に決まった。しかし、何かのトラブル(機械系統?)のために、打ち上げは延期。そして、新たな日程が11月終わりに決まった。しかし、天候不良のためにまたもや、打ち上げが延期されることになった。

そんな不運続きの彼。世間では「彼は永遠に宇宙には行けないだろう…」という声まで聞かれるようになった。「夢を実現してそれで終わり、というよりも、その夢をいつまでも追い続けていられるほうが人間は幸せだとしたら、彼にとってはそのほうがいいのかもしれない」などと、私の同僚のNiklasも言い出すようになった。

だが、今月10日、彼を載せたディスカヴァリーは無事地球を飛び立った。毎日のように彼は日刊紙DNに日記メールを送ったり、船内から北欧上空に舞うオーロラの写真を撮って送ったりした。また、彼は3度にわたる船外活動(宇宙遊泳)を通じて、国際宇宙ステーションの補修をしたり、自身の乗ってきたスペースシャトルの断熱材に亀裂がないかを赤外線センサーを使ってチェックしたりした(この亀裂が大気圏突入時に命取りになる。ちなみに赤外線センサーはスウェーデン製)。宇宙食にスウェーデンの食材も持ち込んだ。当初はトナカイの肉を持って行くつもりだったが、クリスマスの直前に控えて、サンタクロースのそりを引くトナカイ(ルドルフ)の肉を食べるなんてアメリカ人には考えられないということで、ムース(ヘラジカ)の肉に代わった(クリスマスの直前だから云々…は、マジの話らしい)。ブルーベリーとハッロン(赤いベリーの一種)味のヨーグルトも宇宙食に加わった。

さて、11日間の宇宙飛行の後、無事に地球に帰ってこれるのか? 出発するまでにあれだけ不運が続いたなら、今度は帰ってこれないのでは? なんて、ジョークもあったけれど、今度は定刻どおり降りてきた。

足掛け15年にも及ぶ、スウェーデンの宇宙飛行士の長くて短い11日間。スウェーデン中もこのニュースに沸いた。

日本の死刑執行

2006-12-26 02:17:13 | コラム
日本が死刑執行を1年3ヶ月ぶりに行った。1度に4人の執行は9年ぶりだという。日本の国内ニュースに過ぎないと思われるかもしれないが、実は私がこれを聞いたのはスウェーデン・ラジオの朝のニュース。しかもトップニュースとしての取り扱いようだ。

「安部新政権の下での初めての執行。杉浦前法相は自らの仏教的な信念に反するという理由で、執行のための署名を拒否していた。先進国の中で死刑制度を保持しているのは日本とアメリカだけである。」とニュースは続く。現在、スウェーデンはクリスマス休暇中の真っ最中で、とりわけ大きなニュースがないためでもあるが、それでも他の内外のニュースの中から、トップニュースに選び出されるほど、スウェーデンもしくは海外のメディアにとっては注目すべき出来事なのだ。

人権団体であるアムネスティーもすぐさま、抗議の声明を発表している。日本の死刑制度は以前から国際的に大きな批判を浴びてきている。判決がいつ執行されるか分からないまま、死刑囚は何年も何十年も待たされる。そして、ある日突然言い渡され、すぐ執行に移される(これは決定撤回を求める請願が出されるのを避けるため)。親族に対する事前通告もない。制度自体もであるし、このような点も、非人道的、と批判されている。

日本のニュースによると、今回、執行に踏み切った背景には、執行されていない死刑囚の100人越えが目前に迫っていた、ということがあるのらしい。ある法務省の幹部は「一度に4人というが、(杉浦前法相が拒否した)前回との2回分だから」と話したらしい。政治的問題になることを避けるために、国会が閉会した後で、しかも、天皇誕生日の前には避けたい、しかし、今年の執行数の統計でゼロとされるのを避けるために、ちょうど今が選ばれたのらしい。

死刑制度の是非に関する議論は、双方に言い分があり、簡単にはイェス・ノーが言えないことかもしれない。しかし、議論はもっと盛んに行っていかなければならないと思う。死刑という制度は、犯罪を犯した人に対する懲罰だけでなく、「見せしめ」にして他の人に同様の重大な犯罪を起こさせないようにする、という抑止力も根拠になっている。果たして、この抑止力が機能しているのか? さらに、人間を性善説で見るか否か(つまり、“ダメ”とされた人間を消し去ることで片付けるのか、犯罪を犯した人間でも更正の可能性を信じてそれを社会的に助けるべきか否か)?、基本的人権をどう捉えるのか(つまり、被告には人権はあるのか)? などなど論点はたくさんありそうだ。(抑止力に関しては、少年犯罪が起こるたびに聞かれる、未成年者に対する刑罰をもっと厳しくしろ、という議論を考える際にも、ポピュリズムに流されずに熟慮しなければならないと思う。)

さて、スウェーデンの話。スウェーデンでは、他の多くの先進国と同様、死刑は撤廃されている。凶悪事件が起こるたびに、死刑はやはり必要ではないか?という声が突発的に聞かれたりするが、大きな社会テーマになるほどには至っていない。それよりも、むしろ議論されるのは、無期刑を受けた被告でも、比較的早く(10年か20年か、詳しい数字は分からないが)仮釈放の処置を受け、出所し、再び犯罪を起こすというケースがあるため、終身刑をもっと厳しくして、仮釈放を難しくしたり、文字通り「終身刑」にすべきだ、という主張である(もっともだと思う)。スウェーデンでは、議論はこの程度なのである。(“終身刑”ではなく“無期刑”だとの指摘、ありがとうございます)

さて最後に。日本人として、比較的短期間のうちに近代化を成し遂げ、基本的人権に基づく民主法治国家をヨーロッパ諸国に劣らないレベルにまで発達させてきた日本を、私も誇りにしたい、とはやはり思いたい気もするが、日本のこの死刑制度は、私にとっては大きな汚点である(ス語で”black om foten”)。スウェーデン人をはじめ各国の人々と話をする中で、このことを議論するたびに、誇りも何も吹っ飛んでしまう気がする(もちろん、この点だけではないが)。

師走のスウェーデン

2006-12-22 05:45:47 | スウェーデン・その他の社会
年末年始を控えた12月に、日本では職場の忘年会が次々と行われるが、スウェーデンでも似たようなことがある。Julbordと呼ばれるクリスマス・バイキングだ。グリルした鮭やスモークサーモン、各種ハム・ソーセージ、漬け込んだニシンなどが大きなテーブルに並び、好きな分だけ自分で取って食べるというスタイルのもの。たいていは、企業が一年の労をねぎらうために、従業員をレストランに招待してパーティーをする。相場は一人300~700クローナ(5000円~10000円強)など様々。時期によっても異なり、12月のはじめだと安いが、クリスマスが近づくにつれて高くなっていく。ヨーテボリ大学の経済学部でも職員や研究者をレストランに招いて大きなJulbordを行った。私が日本語を教えるヨンショーピンのFolkuniversitetetでは、11月末に早くも済ましてしまった。



この年末の時期に見られる日本とスウェーデンの共通点は、これだけではない。こちらには年賀状の習慣はないが、その代わりクリスマスカードを送る。クリスマスイヴ当日に届くためには、12月16日までに投函しなければならない、というところなんかも日本の年賀状に似ている。11月末には各家庭に、クリスマスツリーの絵柄の封筒が配布される。これに入れてポストに投函して!ということ。(普通にバラで投函すると、きちんと分別されずに、クリスマスより早く着いてしまうことも…。私のところにもおととい既に一通届いていた。) もちろん、郵便局の分別作業には多数の人手がいるので、高校生などがアルバイトをするところなんかも日本と似ている。
最近はEメールでクリスマス挨拶を済ます人も多いが、それでも郵便局が扱うクリスマス・カードの数のほうも増えているとか。


郵便局のホームページには、サンタクロースの住所も。彼宛にクリスマスカードを書くと、どうなるのだろう…?


話は、クリスマス料理に戻るが、今年は冷凍食品になったクリスマス料理も見つけた。

Prinskorv(ソーセージ)、Köttbullar(ミートボール)、ヤンソン氏の誘惑、brunnkål(キャベツの料理)、そして、Tomtegröt(牛乳がゆ)だ。冗談半分で買ってみて、大学の喫茶室で同僚に見せびらかしながら食べたけれど、箱の写真との対比があまりに大きくて、みんな大爆笑だった。

アナン事務総長と国連

2006-12-20 07:39:52 | コラム
ガーナから来た博士課程の研究生Wisdomはこの夏に博士号を取得して、国に帰って行った。と思ったら、この秋から別のガーナ人の研究生が博士課程に入ってきた。名前はKofiという。

そう、これまで10年間にわたって国連の事務総長を務めてきたKofi Annan(コフィ・アナン)と同じ名前だ。Kofi Annanも実はガーナの出身なのだ。(ちなみに奥さんはスウェーデン人Nana Lagergren。そのため、スウェーデンへは何度も足を運んでいる)

今回は、このアナン事務総長国際連合について。

------
コフィ・アナンが事務総長に就いたのは、1997年。前任者はガリ(Boutros Boutros-Ghali)だったが、このガリ事務総長の任期中には、ルワンダと旧ユーゴスラヴィアで大きな内戦が勃発した。彼は積極的な手立てが打てず、しかも旧ユーゴ内戦に至っては「金持ちの戦争」、つまり、アフリカの貧困国の問題に比べたらたいした問題じゃない、と言って、情勢が深刻になるまであまり動こうとしなかった。

彼にとって何よりも決定的だったのは、アメリカとの関係を悪くしたことであり、1996年に次期の事務総長を決めるときには、アメリカによって拒否権を発動され、再選は不可能となった。そのアメリカが代わりに推したのがコフィ・アナンだったのだ。

アナン事務総長が1997年に国連で仕事を始めたとき、課題は山積していた。冷戦が終わり、それまでは東西陣営に分かれていがみ合っていた世界諸国の間で協力がより容易になり、世界平和が可能かと思えた。多くの旧共産諸国が民主化を進めつつあった。しかし、1990年代前半には既にアフリカと東欧で内戦が既に勃発していた。冷戦終結後に、民主主義と民族自決の掛け声の下、旧ユーゴでも内部共和国が独立機運を始めるが、モザイク国家の内部対立を考えずに、分離独立を急いでしまったために、大きな内戦と発展した。さらには、冷戦が終結したことは、国連を中心に新しい国際秩序を形成していく良いチャンスでもあった(そもそも国連の平和に対する考え方とは、国家間の幅広い集団安全保障によって新たな戦争を不可能にする、というものであった)のだが、実際に起こりつつあったのは、対抗相手を失ったアメリカが世界の警察として、ますます力を強めていたことであった。「Pax Americana」(アメリカによる平和)の下では、冷戦のもとでいがみあう2大国のバランスを取る機関は必要ないとされ、国連不要論も叫ばれ始めた。

それでもアナン事務総長は、国連改革に取り掛かった。肥大化した国連のアドミニストレーションの効率化のほか、もともと加盟国間の調停機関に過ぎなかった国連の活動対象に、次第に加盟国それぞれに住む個人をも包括するようにしていったのだった。つまり、それまでは加盟国それぞれの主権は絶対とされ、ある国でいかなる人権侵害が行われようと、それはその国の内部のことなので、国連は手が出せなかったのだが、今後は迫害を受ける個人の保護にも国連は積極的に外交や、必要とあれば強制力を使って、活動していくべき、としたのだった。実際、今年に入ってからスウェーデン出身のJan Eliasson(ヤン・エリアソン)国連総会議長(9月まで)のもとで、それまでの国連人権委員会が改められ、国連人権理事会として再スタートを切ることになった。また、ルワンダや旧ユーゴでの反省から、国連安保理が世界の平和と安全保障に積極的にイニシアティブを発揮すべきことを明確にしたのだった。それから、アナン事務総長はガリの時代に冷え切っていた国連とアメリカの関係の改善にも努めた。平和構築のために新たな委員会も誕生した。

彼の活動は、2001年のノーベル平和賞受賞という形で、大きく評価されることになる。(このとき、彼だけでなく、国際連合という機関自体も平和賞を受賞している。)

だが、アメリカの同時多発テロ以降、アナン事務総長はさらなる挑戦を受けることになる。アメリカ・ブッシュ政権のもと、新保守主義が勢いを増していく。彼らはアメリカの国益と、自称「テロとの戦い」のためなら、多国間協調などに構わず、一方的に行動を起こしていくべき、というunilateralism(一方的行動主義)の考えをあからさまにしていったのだ。イラク戦争を前に、足並みを揃えてアメリカに都合のよい決議を行えなかった国連に対し、ブッシュ政権はその正統性(legitimacy)を崩していく作戦に出る。また、新保守主義の論客であり、国連の存在に否定的だったボルトン外交官をアメリカの国連大使に任命したりもした(露骨!!)。アメリカの傍若無人な振る舞いに対して、アナン事務総長は「イラク戦争は“違法な”戦争だった」と批判すると、アメリカはスキャンダルを使って彼への信用を貶める作戦に出た。

アナン事務総長が任期満了のため退任する今となっても、国連は様々な問題を抱えている。常任理事国による拒否権の発動で議論が麻痺しがちな安全保障理事会の改革だけでなく、それを含めた国連システム全体の改革は、まだまだ先が長い。特に途上国と先進国の間で対立が起きている。この混沌とした状況を前に「やはり国連は無用の長物」というシニカルな意見を口にする人もたまにいる。たしかに、国際協調と多国間協力は任意の国同士でも行うことができる。アメリカはunilateralismといえども、イラク侵攻の際にはイギリスやデンマーク、スペイン、ポーランド、日本など、有志の国々を巻き込んでいった。しかし、ここに決定的に欠けているのは、他国や国際世論を納得させるための正統性(legitimacy)だ。それを考えると、世界のほとんどの国々を加盟国としてカバーし(現在192カ国)、そこでの決定に正統性を持たせることができる機関は、現在のところ国連でしかない。(もちろん、国連の決定が5つの安保理常任理事国の手に握られ、しかもそのうち少なくとも2カ国が非民主国という現状では、その決定が持つ正統性もまだまだ十分とはいえないが…)とすれば、まだ不完全な機関ながらも、世界平和の実現や国際問題の解決を国連に託した上で、その機能を今後も継続的に改善していくよう努力する道しかないと私は思う。

また、国連システムは問題だらけといっても、それは今に始まったことではない。冷戦中は東西両陣営の対立のため、絶えず機能が麻痺していたし、さらにさかのぼれば、創設から間もない第2代事務総長のハマーショルドの時代ですら、既に「国連無用論」が唱えられていた。それでも、60年にも渡って生き延びてきた。そして、国連憲章に掲げられた理想の下、常に変化する国際状況に合わせて自らを変化させてきたのだった。

さて、次期事務総長への就任が決まっている韓国のBan Ki-Moon氏は頑張って国連改革を成し遂げてくれるだろうか…? 一説には、彼はあまり目立ったところがなく、外交経験は豊富なものの、周りを取り込むような積極的な力に欠けるという。安保理の常任理事国が全会一致で彼を推したのも、彼が大国に忠実に仕えてくれる「行政官」になってくれる無難なカード、と見たからだとも取れる。そもそも事務総長は英語で「secretary general」だが、大国にとってみたら事務総長は、自分たちの言いなりになってくれる「秘書官(secretary)」であってくれるに越したことはなく、彼らから一線を画して、国連自身を一つの主体として強力に振り回す「司令官(general)」であってもらっては困るのかもしれない。

それでも、スウェーデンの日刊紙DNの論説委員はコラムの中で「国際的に無名だったハマーショルドが国連事務総長に任命された時、アメリカもソ連も、自分たちの思い通りに動かせるイエス・マン官僚を選んだものだと思い込んだ。しかし、蓋を開けてみると、彼は事務総長として、強力なリーダーシップを発揮し始め、時に大国の振る舞いに釘を刺すことも多かった」と書いている。今回も、そうなるかもしれない、という期待を捨ててはいないようだ。

P.S.
ちょうど一年前にNHKの地球ラジオで「国連の60年、ハマーショルドの100年」というタイトルで、スウェーデンと国連のことを少し喋りました。過去のブログ

育児保険給付額の算出

2006-12-17 06:55:47 | スウェーデン・その他の社会
男性の育児休暇取得率について書いたときに、キョトンC先生から質問を受けましたので、今回はその中の育児保険の給付額についての質問に答えたいと思います。


給与の80%を保障する場合に、上限が設定されているわけですが、32000SEKが現在の上限であると何かの資料で読んだことがあります。日本の資料は私の論文同様ミスが多いので26100SEKが正しい可能性の方が高いのですが、ご確認いただけると助かります。


制度の細かい説明になるため、多少ややこしくなります。

育児保険の給付額の算出は、それまでの所得が基本になります。基本的に所得の最大80%が給付されるのですが、その額にも上限がある、というところまでは前回のブログに書いたとおりです。これについて、もうすこし頭を突っ込んでいきましょう。

給付額の計算の仕方なのですが、まず給付額算出の際に考慮されるその個人の所得額が計算されます。この額のことを専門用語でSIGといいます。このSIGには被雇用者であれば、通常の給与のほかに、夜間・休日勤務補填(ÖB-tillägg)やボーナスなどもすべて含まれます。自営業であれば、企業の純利益がこのSIGに数えられます。株式会社の経営であれば、その会社から自己の給与として引き出した分がSIGに数えられます。

そして、このSIGの80%が、育児保険の給付額になるのです。が、SIGとして数えられる個人の所得額には上限があるのです。現行法には、「物価基礎額」の10倍が上限と書かれています。

さて、この「物価基礎額(prisbasbelopp)」とは何ぞや!? ということですが、社会保険の給付や年金の給付の額を算出する際の、一つの単位(ユニット)と思ってもらえばよいでしょう。物価基礎、という名の通り、物価の上昇に応じて毎年、この物価基礎額は引き上げられていきます。そのため、給付額を定める法律に書かれた“その×倍が上限”という部分を頻繁に変える必要がないのです。

現在2006年の「物価基礎額」は39700クローナです。給付額の計算の際に対象となる個人の所得(つまりSIG)はこの10倍が上限である、ということは、年収397000クローナまでは、保険給付額の計算の際に考慮されるが、それを越える部分についてはまったく考慮されない、ということです。例えば私の年収が400000クローナだったとすると、SIGの上限である397000クローナ分しか考慮されません。したがって、給付額はSIGの80%、つまり、317600クローナ(年額)、つまり、26467クローナ(月額)となるのです。

おさらいです。
物価基礎額(2006年は39700)×10×80%÷12ヶ月
= 26467クローナ(月額給付額の上限)


私の書いた26100クローナは日刊紙の記事の数字を使ったのですが、少しズレていました。キョトンC先生のおっしゃる32000クローナは、古い数字か、もしくは上の計算で間違えて39700×80%とするとかなり近い数字になるようです。

ちなみに、今年2006年の7月1日以前は、SIGの上限は物価基礎額の7.5倍でしかありませんでした。そのため、

物価基礎額(2006年は39700)×7.5×80%÷12ヶ月
= 19850クローナ(月額給付額の上限)


でした。(7.5倍から10倍への引き上げが行われた理由は、私が推測するに、当時の政権党であった社民党が、総選挙を前にして、中所得階層の支持を集めるためではなかったかと思います。)

物価基礎額の年ごとの変化を見たい方は、スウェーデン統計局をどうぞ。
これをみると、来年2007年の物価基礎額は40300クローナに既に決まっていることが分かります。

SIGの上限は、こうして物価にスライドして毎年変化していきますが、これとは別に、自分の職場の給与水準が、自分が育児休暇をとっている間に引き上げられた場合には、給付額算出の対象となる給与も、賃上げ状況に応じて、柔軟に変化していきます。(もちろん、SIGの上限に達しない限りにおいてですが)

ちなみに、自分が病気にかかったり、子供が病気で学校に行けないために仕事を休んだときに支給される疾病保険の給付額も、下限に若干の違いがあるものの、基本的にこの育児保険の給付額の算出と一緒です。(ここに登場したSIGというのは、実はsjukpenningsgrundande inkomst、つまり、疾病保険給付の基礎となる所得額、の略なのです。)

スウェーデンでの引っ越し事情

2006-12-15 08:41:28 | Yoshiの生活 (mitt liv)
スウェーデンには、クロネコ×マトのような個人を相手にした引越サービス業はほとんど存在しない。引越し屋といえば、たいていは企業を相手にした運送会社などだ。たとえば、ヨーテボリ大学の経済学部でも年度替りに本館と別館で研究室の引越しをするときには、専門の運送会社が手伝ってくれる。しかし、個人を相手にしたものといえば、ピアノや重い家具を運ぶ場合などに限られてくる。

では、個人の引越しはスウェーデンではどうするのか?

たいていは、個人や友達同士でやってしまうのだ。でも、人は身内で集まるとしても、運送に必要なトラックは誰もが持っているわけではないだろうに・・・、どうするのか? 実はそれが簡単。スウェーデンではガソリンスタンドの多くで、レンタカーだけでなく、レンタ・トラックまでもかりることが可能なのだ。さらに、ある程度しっかりした乗用車を持っている人は、レンタ荷車を借りて、自分の乗用車の後ろに荷車を引っ付けて輸送することもできるのだ。

私がヨンショーピンからヨーテボリ沖合いの島に引っ越したときは、レンタカーとレンタ荷車を借りて、それらを互いに引っ付けることで、即席の引越し運送車にした。島から、ヨーテボリ市内に引っ越したときは、レンタ・トラックの借りて、友達に手伝ってもらった(私は免許がないので、運転は彼にお任せ)。

このような貨車をガソリンスタンドで借りてきて、乗用車に引っ付けて・・・


引越し荷物を詰め込む

------

先週末は、一年上の博士課程研究生であるSvenの引越しを手伝った。私だけでなく、他の同僚も数人手伝った。このように、身内で引越しをするといっても、レンタカーの確保や、ダンボール箱の確保、作業中のお菓子の差し入れや、作業後の食事の奢りなど、諸々の経費が掛かるので、日本のような運送会社による引越しサービスに比べてどちらがお得なのか、結局のところ分からない。とにかく、スウェーデンではそのようなサービスは、自分の手近なところで手配して、自前でやってしまうのが普通なのだ。

このSvenは、これまではオンボロだがかなり安いアパートに住んできたのだが、階下の薬物中毒者に対する裁判沙汰で、彼女に対する証言を行うことになったために、今後何か報復でもあっては困ると思い、引越しを決めたのらしい。引越し先は、大学まで少し遠くなるものの、眺めのいい団地に決まった。

私を含め3人の応援によって、大量の家具、および段ボール箱30数箱からなる引越しも無事終了。すべての荷物を新しいアパートに運び終えた後、みなで夕食を食べに行くことになった。

その前に、トイレに! ということで、私が、そのアパートのトイレを一番最初に使うことになった。トイレは風呂場と一緒で、ここにはシャワーだけでなく、バスタブまで付いていた。しかし、窓はまったくない。さて、私がトイレから外に出ようとする時になって、ある重大なことに気が付いた。トイレの取っ手がスッポ抜けていたのだ!

取っ手がないので、中からは開けられない。しかも、鍵が掛かっているため、外からも開けられない。中からの私のノックに気づいて、すぐさま同僚らも駆けつけてくれたものの、どうにもこうにも開かない! 数分が経ち、私もいつの間にか汗びっしょりになっているのに気づく。窓がないこのユニットバスは、ドンドン気温が上がっていくようだ。同僚らも外からどうにかして開けようと努力してくれている。開かない。腹が減っているときにこの有様・・・。

幸い、外側から鍵穴をうまくこじ開けてくれ、20分弱で外に出ることができ、一安心。安堵する私が、Svenにこう言った。「もし、皆が帰った後で、一人でトイレに入り、同じ目に遭っていたら、どうやって助けを求めていたのか?」この一言に顔を青くしたのはSvenだった。そう、このトイレには窓すらなく、叫ぶにも果たして外に聞こえるとは思えない。一つ手段があるとすれば、トイレの通気孔に向かって思いっきり叫んで、同じ建物にいる人が運良く、気づいてくれることを期待するのみだ。誰かが気が付いたとしても、アパート自体に鍵が掛かっていれば、合鍵を手に入れてあけなければならない。そのうち、力尽きて・・・・・・。

ありふれた日常にも、思いがけない落とし穴があることを教えてくれた、引越しとなった。その後、Svenが私に特別サービスでいろんなものを奢ってくれたのは言うまでもない。


彼の新居の地階には、共同洗濯室だけでなく、共同サウナと卓球場も備え付けられていた

ヨーテボリは大洪水

2006-12-13 07:56:48 | スウェーデン・その他の社会
この秋のヨーロッパは過去100年間でもっとも暖かい秋になったという。スウェーデンでもまさにそれが感じられる。しかも、異常なのは気温だけでなく、雨もそうなのだ。近年は局所的な集中豪雨が増えて、スウェーデンの各地で土砂崩れや洪水が発生している。

ヨーテボリも洪水に悩まされている。8月の終わりにも大雨で経済学部の別棟の前の道などが水浸しになったが、今週はじめにも雨が続き、各地で洪水が発生している。

ヨーテボリから南に延びる国道と、東に延びる国道周辺で川が増水し洪水が発生したり、土砂崩れが起きている。車はエンジンに水が入り立ち往生、路面電車の線路も水に浸かり、不通に。国鉄もヨーテボリとストックホルムを結ぶ幹線で、複線の片側が土砂崩れのため、現在は単線のみ。意外とモロかったりする。

ニュースの動画です

ヨーテボリの街を歩いていて思うに、あまり排水溝が整備されていないようだ。もともと雨が一度に降って、洪水になるようなことはあまりなかったのかもしれない。だから、今では、ちょっとでも長雨が続くと、道のあちこちに大きな水溜りができてしまうのだ。経済学部の別棟の前の道も、車がバシャバシャと水しぶきを立てて走っていることがある。

スウェーデンの一戸建ての家では、地下や半地下にも部屋を作ることが多いが、一度洪水になると大変だ。
――――――

一方、スウェーデン中部のスキーリゾート地では、雪が降らずスキー場がさっぱりらしい。

北部のほうでは雪が降らないものの、やはり寒いために、地面が氷に覆われてしまっているとのこと。すると困るのは、トナカイの放牧をしているサーメ人の人々。雪が地面を覆っているのであれば、トナカイたちは雪をかき分けて草を食べることができるが、氷に覆われてしまうと、それができなくなるのだ。だから、飢餓に瀕してしまうとのこと。

このまま雪が降らず、氷が地面を覆い続けるならば、50000頭を越えるトナカイを急遽、餌の食べられる場所まで移動させないといけなくなるのらしい。

ノーベル賞の晩餐会

2006-12-12 09:04:52 | スウェーデン・その他の社会
<晩餐会>


コンサートホールでの授与式は17:45ごろに終了し、参加者はストックホルム市庁舎へと移動する。距離にして1km弱。タクシーで移動するのか、地下鉄で移動するのか、貸し切りバスで移動するのか、はたまた徒歩でぞろぞろと歩道を歩くのか、詳しいことは知らない。

19時には1250人に上る参加者が、貴賓を除いて、市庁舎の大広間Blåhallenに着席している。(“青の広間”と呼ばれるが、設計者は結局、裸のレンガのままのほうが美しいと考え、青く塗られなかった。)

貴賓というのは、広間中央の長机に着席する人々で、7人の受賞者とその配偶者に加え、国王一家や政治家などが席を連ねる。今年は、新首相Fredrik Reinfeldtその妻Filippa(ストックホルム郊外・Täby市市長)、外相Carl Bildt、国会議長Per Westerbergがここに含まれる。その他の人々はよく分からないが、おそらくノーベル財団や科学アカデミー、または王室に関係する人々だろうか? こうして、この貴賓席に着くのは総勢40人になる。男女が交互に座る。

さて、その他の参加者はこの貴賓席の左右の長机に所狭しと座っていく。一人一人の受賞者は自分のほかに16人を招待することができる。両親であったり、子供であったり、友人であったり、同僚であったりする。その他、以前の受賞者の一部はノーベル財団によって招かれている。さらに、大学関係者や大企業の社長(たとえばVolvo)も招かれているし、貴賓席には座らないものの、若干38歳の財務大臣Anders Borgや、新文化大臣(この前任者はスキャンダルのためわずか10日で辞任)もいるほか、スウェーデンの国政政党7党の党首も招かれている(Göran Perssonは手術の直後で欠席)。

さらに毎年限られた数の席が大学生にも割り当てられる。もちろん席の獲得は競争になる。だから、主要大学の学生自治会では「くじ」を販売して、これを買った人の中から抽選で選んでいるようだ。(あるウプサラ法学部の学生はくじを30票近く買って、見事席を得たとか。ちなみに1票は50クローナ) そもそも、このノーベル賞は学問の成果を祝賀するイベントなので、スウェーデン各地の大学から大学自治会関係者が多数、参加している。かれらの正装は、燕尾服に白い学生帽、そして青と黄色(スウェーデン色)のタスキである。

さて、ストックホルム市庁舎を訪れたことがある人なら分かるように、Blåhallenもそんなに大きくない。ここに1250人をギュウギュウ詰めにするのはある種の芸術とでも言えそうだ。

19時過ぎに貴賓が入場する。二階から広間のド真ん中に連なる階段を伝って下りてくる。そして、着席。そして、国王がシャンパンを片手に、ノーベルを讃えた乾杯を行う。

19時も20分ごろを回ると、続々と食事が運び込まれる。白い正装をしたウェーターやウェートレスが食事を片手に、2階から階段を伝って行進してくる。彼らは貴賓席に給仕する。他の席に給仕するウェーターは広間の横のほうから登場して、次々と手際よく1000人を超えるゲストに食事を配膳する。

その隣のちょうだい。そっちのほうが大きそうだから・・・


さて、普段は市庁舎であるこの建物のどこに、これだけの食事を調理したり、盛り付けしたりするスペースがあるのか? 実は、2階にあるGyllene Salen(黄金の広間)が、即席のキッチンとして使われているのだ。調理自体はどこか別のところでやるのかと思うが、配膳する際にはこの黄金の広間で盛り付けなどの準備をして、青の広間に運ぶようだ。(ちなみに、この黄金の間は、食事が終わるとダンス・ホールとして使われるので、デザートの配膳が終わると、この即席キッチンはすぐに片付けられなければならないのだ)

前菜が終わると、主菜が運び込まれるが、合間合間には声楽や演劇などのエンターテイメントが行われる。今年は創作ダンスのようなものが多かった。

テレビ中継は、この間もずっと行われる。ホールでの晩餐会を斜め上から撮影して、今年は誰と誰が隣同士で座ってるか、とか、今年の王室一家のファッションはどうか、とか、今年のメニューのポイントは何か、など、ありとあらゆるネタを紹介する。もちろん、ホールの光景だけでは時間が持たないので、ノーベル賞受賞者に関するさまざまなルポタージュを合間に交える。

22時を回ると、デザートが運び込まれる。受賞者は各部門ごとに代表して謝辞を述べる。そして、22時半を回るころには食事の部が終了するのだ。貴賓は一同に退席し、それに連なる形で他のゲストも少しずつ、席を立って行き、2階の「黄金の間」へと移動する。ここで、ダンスが始まるのだ。(この時、国王は「王子のギャラリー」で、受賞者に対して改めてレセプションを行う)演奏は、ウプサラ大学の学生オーケストラ。


宴もたけなわ、テレビ中継は23時50分をもって終了する。ゲストの多くもこのころには市庁舎を後にしている。しかし、受賞者をはじめ、まだまだエネルギーがある人向けに、二次会も用意されているのだ。今年は、二次会の担当はストックホルム商科大学(Stockholm School of Economics)だったとか。

ノーベル賞の授与式

2006-12-11 08:17:59 | スウェーデン・その他の社会
このブログを始めてから、早2年近くが経つが、ノーベル賞授与式について書いたことがないことに気がついた。そう、毎年12月10日ノーベル賞の授与式と晩餐会があるのだ。今年はたまたま日曜日だが、もちろん12月10日が平日になることもある。


授与式と晩餐会の流れは毎年、ほぼ同じであるようだ。そして両方ともスウェーデンのテレビSVT2で生中継される。

<授与式>
ストックホルムの中心街にあるコンサート・ホールで、16:30から開かれる。ステージには一翼に国王・王妃とその子供3人(うち長女が王位継承者)、そして前国王(故)の王妃の6人が並ぶ。もう片翼には7人の受賞者が並ぶ。

その後ろには、スウェーデン王立科学アカデミースウェーデン(文学)アカデミーのメンバーや、以前の受賞者、スウェーデン国内の著名な教授などが並ぶ。たとえば経済学で言えば、今年はスティグリッツ(2001年受賞)やマンデル(1999年受賞)が招かれて座っていたし、スウェーデン人の教授としてはBertil HolmlundやLars Calmforsの顔が見られた。

まずは、ノーベル財団の代表が英語で挨拶。その後に、各賞の授与が行われる。順番はノーベルが遺書の中で挙げた賞の種類の順番だ(物理、化学、医学・生理学、文学)。1960年にスウェーデン中央銀行ノーベル記念賞として新設した経済学賞は一番最後。

各賞の授与に先駆けて、受賞理由やその研究の背景、その発見の意義などが読み上げられるのだが、ここではなんとスウェーデン語なのだ。だから、受賞者やゲストの多くがポカンとした顔をしている(おそらく内容は事前に伝えられているか、式のパンフレットに英訳が載っているのだろうが)。世界での使用人口が1000万人程度しかないスウェーデン語という小国言語だが、毎年この日だけはノーベル賞の由緒正しき正式言語として「晴れ舞台」に登場できるのだ。

経済学賞の授与の際には、Bertil Holmlundがこれを読み上げた。他の分野の受賞研究にも言えることだが、対象研究のほとんどが主に英語によってなされてきたにもかかわらず、その解説をちゃんとスウェーデン語で行えるところに、スウェーデン語そのもののコクの深さがあるような気がする(←スウェーデン語びいき)。経済学賞を受賞したPhelpsは、期待を取り込んだフィリップス曲線(expectation-augmented Phillips curve)をモデル化したのだが、この用語にもちゃんと「den förväntningsutvidgade Phillipskurvan」という訳語が存在する。

授与はスウェーデン国王によって行われる。式典の合間には、クラシック音楽が流れる。ちなみに賞金は1000万クローナ(1.7億円)。文学賞以外は受賞者がすべてアメリカ人だが、ちょうど今、クローナ高ドル安なので、ドルに換算すると多少多くなる。もしかして、アメリカの陰謀でレートを誘導したのか?(いや、そんなことはない)

さらに余談だが、今年の受賞者の数は例年になく少ない。通常、一つの賞を二人や三人が共同受賞することが多く、ある年は総勢13人になったこともある。しかし、今年受賞したのは7人のみ。(文学賞は分割されず一人に授与されることが慣例になっている)ちなみに、平和賞はノルウェー・オスロで授与されるので、ここには含めていない。

晩餐会については明日書きます。

男性の育児休暇の取得率

2006-12-09 01:53:30 | スウェーデン・その他の社会
父親でも育児休暇が取りやすいといわれるスウェーデンだが、それでも父親が取る割合は、女性のそれよりはるかに低い。他国との比較をするためのデータが今手元にないので、ここではスウェーデンの現状だけを詳しく見てみよう。

まずは、スウェーデンの育児休暇制度の簡単な復習から。
・子供を持つ親は最大480日(16ヶ月)の育児休暇を、子供が8歳を迎えるまでにとることができる。給付は給与の最大80%(最大、というのは、つまり、いくら高所得でも給付額には上限があるということ。現在この上限は月26100クローナ(42万円)。ただ、職種や業界によっては、最大80%の上限にさらに上乗せされることが、集団賃金交渉の際に盛り込まれることもある)。一方で、いくら所得が低くても、月5400クローナ(8.6万円)はもらえる。ただ、最後の90日間は一律に月額5400クローナ(8.6万円)に減らされる
・最大480日の育児休暇のうち、60日分はそれぞれの親に固定されているため、もう一人の親に譲ることはできず、この日数を活用したい場合は、自分で消化しなければならない。
過去のブログより

これを踏まえた上で、スウェーデンの現状について、最新の分析結果(対象は2003・2004年)をみてみよう。スウェーデン国会は2006年5月に、男女平等に向けた新たな目標を採択している。その目標の一つは、給料が支払われない家事(料理・洗濯・掃除・育児)への責任が、男女間に均等に分担されることであるが、育児休暇だけを見た場合、この目標にはまだまだ大きな努力が必要なことが分かる。

一日でも育児休暇を取得する父親は、全体の4分の3。ただ、このうちの多くは父親に割り与えられた60日の一部、もしくは全部を消化しているに過ぎず、60日を超えて育児休暇を取る父親は全体の3分の1に過ぎない。

◎ 結果として、父親が取得する育児休暇の平均日数は52日(中間値(median))は35日)。取得日数全体に占める父親の平均取得率はわずか15%に過ぎないのだ(中間値は10%)。(平均値と中間値を比較すれば、小さいほうに向かって分布が歪んでいることが分かる)

◎ 予想できることではあるが、母親の所得が高くなるにつれ、そして特に、母親の所得が父親の所得を上回るにつれ、父親の取得率は上昇する。その逆のケース、つまり父親が母親に比べて高給を得ている家庭は、父親の取得率は低い。

◎ 両親のうち、少なくとも片方が高学歴を持つ家庭では、父親の取得率が高く、両方が高学歴を持つ家庭では、さらに高くなる(平均21%の取得率)。

◎ 民間と公的部門の職場を比べた場合、父親が民間で働く家庭では、父親の取得率が低くなる。また、母親が公的部門(公務員)の家庭ほど、父親の取得率は高くなる。(つまり、両方の親が公的部門で働く家庭で、一番高い)


最初の点については、42%(=3/4–1/3)の父親が、割り当てられた60日の範囲内でしか取得していないが、それでも、「60日分はそれぞれの親に固定」という制度が、父親の取得行動にそれなりの影響力を持っていることを示唆しているのではなかろうか。それに、一日でも育児休暇を取る父親が全体の4分の3に上るという国は、なかなか無いのではなかろうか。

最後から二つ目については、学歴の高い家庭ほど、男女平等や家事分担に対して理解が高いということを示しているのだろうか。(ただ、父親だけが高学歴の場合には、母親との給料格差が大きいだろうから、男性の取得率に対する効果は相殺されるだろうが)

最後に関しては、スウェーデンでも民間では男性がなかなか取りにくいことを示しているのだろう。

消費税(VAT)

2006-12-07 07:42:42 | スウェーデン・その他の経済
外出先からの書き込みです。戴いたコメントには改めて返事をさせていただきたいと思います。
------

スウェーデンの消費税は高い! なんと25%!ただ、この数字ばかりが一人歩きしているけれど、実際はスウェーデンの消費税にも3段階あり、25という数字はそのうちの一番高い税率に過ぎない。
詳細はこう。
出版物・公共交通: 6%
食料品: 12%
それ以外のもの: 25%


スウェーデンで買い物をするときには、ほとんどの商品で内税表示がされている、つまり、消費税が既に含まれた形で値段が表示されている。だから、この3段階の消費税のことは考える必要はないけれど、実際に清算するときには、総額に占める消費税の内訳が、
6%消費税の分が、××クローナ
12%消費税の分が、××クローナ
25%消費税の分が、××クローナ

と、3段階ごとに表示されているのだ。

だから、朝ごはんの牛乳、雑誌、コーヒーフィルターを買ったとすれば、それぞれに違った税率の消費税を払うことになるのだ。

あるときには、食料品だけを買っただけなのに、12%だけでなく、25%消費税も払っていることに気づく・・・? そう、買い物袋は有料(20円程度)で、これにはちゃんと25%の消費税が課されているのだ。細かい・・・。

ちなみに、消費税が高いのはスウェーデンだけでなく、ヨーロッパは全般的に高い。ただ、これらの国でも、一般消費税と食料品にかかる消費税とに差がつけられているケースが多くある。


食品にかかる消費税を低くする理由は何か?

消費税は、所得水準にかかわらず誰にも同じ税率が適用される定率税だ。これは、所得水準が高くなるほど、税率も高くなる累進課税とは対照的だ。貧しい人も含め誰もが必要とする生活必需品にも、豊かな人が消費しがちである嗜好品と同率の税金が課されるのは、所得分配の観点から好ましくない、ということから、食料品には低めの税率が設定されることになった。さらに、スウェーデンの場合には、公共交通の利用の促進と、文化活動の一つである出版物の購入の奨励、という観点から、出版物にはさらに低い税率がかけられることになっている。

アルコール類のEU内通販は可能か?(1)

2006-12-03 05:40:55 | スウェーデン・その他の社会
日本とは違いヨーロッパでは国々が国境を接しているので、国境を越えた行き来や取引が、日本と海外の間以上に盛んだ。以前も書いたように、ヨーロッパの中でも物価が一番高いノルウェーの人々は、スウェーデンに車で乗り入れて、食品や、特に肉類、アルコール類を買いにやって来る。スウェーデンのとある国境の町には、その町の人口とは比較にならない大きなSystembolaget(スウェーデンの国営酒類流通店)があるし、スウェーデン北部の国境の村では、スーパーICAの客は村の住民よりもノルウェー人のほうが多い、なんて所もある。物価水準(強いノルウェー通貨も含めて)だけでなく、酒税もスウェーデンのほうが若干安いためだ。

逆にスウェーデン人はというと、お酒に関してはデンマークやドイツに行って買うのだ。2000年にスウェーデンとデンマーク間の橋が開通して以来、個人で持ち込まれる酒の量が急増している。デンマークには電車でも車でも買出しに行けるし、ドイツまで足を伸ばすことも比較的簡単(ただ、一般の食品類の買出しはあまり聞かない)。じゃあ、デンマーク人はというと、彼らはさらに安いドイツへ行って酒を買い、ドイツ人は東欧に行く、といった感じ。EU内での個人の持ち込みに対する数量制限は2004年に撤廃された。

お酒やタバコでなければ、自分でその国に直接行かずとも、通信販売によって別のヨーロッパ諸国から取り寄せることもできる。私がSonyのデジタル・カメラを買ったときもインターネット上でフランスの小売店から取り寄せたところ、送料を含めても、スウェーデンで買うより安く手に入れることができた。英語の専門書などは、最近ではスウェーデンのネット書店も品揃えがよく値段もあまり変わらないが、もちろんイギリスのAmazon.co.ukから注文をすることができる。

EUの域内市場なので関税はかからない。個人による使用・消費を目的とした購入であれば、税金(消費税を含む)はその商品が購入された国で払うことになっている。EU内では消費税の税率スウェーデン・デンマークの25%に対し、例えばドイツが16%、フランスが19.6%、イギリス17.5%なのでこの差がスウェーデンとの価格差をもたらす原因の一つでもある(このほかには、競争の度合いなども価格に影響を与える)。これに対し、アメリカのAmazon.comで本やCDを買おうものなら、多くの場合、スウェーデンで受け取りの際に、スウェーデン税関に関税を払わなければならない(私もある語学教材を買ったことがあるが、CD付だったのでかなり払わされ、大損をした)。
------

さて、EUの域内市場が統合されて、こうして商品のやり取りが自由にできるようになった。じゃあ、アルコール類やタバコも、自分で買出しに行かずに、通信販売で取り寄せることができるのか・・・? この場合、酒税は消費税以上に国ごとで差があるから、酒税の安い国から取り寄せれば、かなりお得じゃないのか?

と、考えるほど甘くはない。アルコール類やタバコは特別扱いで他国からの取り寄せは禁止されている。というのも、①それぞれの国にとっては酒税やタバコ税は大事な収入源であるし、②健康への配慮や年齢制限の厳守のために、国によっては流通を大きく制限している国もあるためだ。例えば、アルコールに関しては、スウェーデンでは国営流通店Systembolagetによって小売が一括制限されている(平日は18時まで、土曜は14時までしか買えない上に、20歳以上であることを示す身分証明書が必要)。だから、同じEU内だからといって、それぞれの国の政策や事情を無視して、自由に取引をすることは許されていない。

とはいっても、このアルコール流通の規制に対して、これまでいろいろな挑戦をする人が登場してきた。複数の個人からお酒の注文を受け付けて、デンマークやドイツに代わりに行って、大量のお酒を買い付けてスウェーデンへ戻り、売りさばく人もいた。この場合、捕まると「密輸罪」に問われる。法律で認められている持ち込みは、あくまでその個人の消費のためでなければならず、それで商売をしてはダメなのだ。

他の挑戦としては、ネット上に酒屋を設けて、注文した人にデンマークやドイツから宅配便で直送するというもの。これもスウェーデンの現行法では違法だ(国内の流通はSystembolagetの独占)。だから、ネット注文によって取り寄せられたお酒の多くがスウェーデンの税関で引っかかり、税関の倉庫に山積みにされている。

しかし、こちらのケースでは、ネット業者やその利用者によって裁判沙汰に持ち込まれているのだ。彼らの言い分はというと「通信販売の禁止は、EUの域内市場の原則である、商品とサービスの自由な取引、に反する」というものだ。食品や電化製品など、その他の商品が他のEU諸国で自由に注文できるのに、お酒でそれができないのはおかしい、というのだ。これは同時に、国営流通店Systembolagetによる現在の独占流通体制にも挑戦状を突きつけていることにもなる。ネット業者の中には、現行法では違法であるにもかかわらず、大々的な新聞広告を出して、大損覚悟の破格の値段で注文を集めて発送し、スウェーデン税関の倉庫を次々と満たしていく、という手に出ている業者もいるのだ。そんなにネット注文が増えていけば、スウェーデン政府もついには音を上げてアルコール流通の自由化に踏み切るだろう、と読んでいるのだ。

さて裁判に関してだが、スウェーデンはEU加盟国なので、EU裁判所の決定に従わなければならない。だから、スウェーデンの最高裁がどんな判断をしようが、EU裁判所がそれと異なる判断を下した場合には、そちらに従わないといけないのだ。だから、この件ではスウェーデンの最高裁ははじめからEU裁判所のほうに「さじを投げ」てしまい、彼らの判断を待ってから、それに順ずる形でスウェーデン最高裁としての判断を下す、という手に出た。さて、EU裁判所はどのような判断を下すのか・・・?

EU統合に関しては「加盟国それぞれの決定」と「EUの原則」とが、様々な分野で衝突することが多く、民主主義に反する、といった批判まで聞かれるくらいだが、この件についても同様の対立だと考えられている。(続く・・・)

市バスでの出来事

2006-12-02 07:36:11 | Yoshiの生活 (mitt liv)
友達と映画を見た後の帰り道の話。

バスに乗ると、同じ停留所から小学校中学年くらいの男の子二人が乗ってきた。金髪で野球帽のような帽子を被っている、どこにでもいそうな子供だ。だが、どうも挙動が不審。バスは二両編成だったが、この子供二人はキョロキョロと辺りを見回したり、前後に散らばってみたり、時には固まってコソコソとなにか相談している。とにかく、落ち着きがないのだ。

しかし、10分ほど経っても何も起こらなかった。私のほうも別に気に留めなかった。

ところが、ある停留所にバスが停車してドアが開いた途端、この子供は私の座席のすぐ上にあった、非常時用のガラス・カッターを取り外して、持って逃げようとしたのだ。意表を突かれた。

とっさに、私は叱るよりも先に手が出て、この子供の右手を取り上げて、そのまま放さなかった。子供は必死に逃れようとする。しかし、通路を挟んで向かい側に座っていたイカつい中年男性が、私よりも一瞬遅れて子供の胸を手のひらで突いてくれた。「このガキがー!」と叫ぶ男性。ヨロける子供。

もう一人のほうは、バス前方に同様に付いていたガラス・カッターを外して、無事逃げてしまった。

捕まえた子供のほうはその男性と一緒に警察に突き出すべく、他の乗客に通報してもらおうとしたが、暴れるに暴れて、そうこうするうちに「命からがら」逃れてしまった。惜しいことをした、と悔やんだ。

------
これだけでは何のことか分からないかもしれないので、この背景を少し。

ヨーテボリ市内や周辺を走る公共バスには緊急時、つまり、バスが衝突事故を起こしたり、横転したりして、ドアが開かなくなってしまった場合に、乗客が中から自力で脱出するために、簡易ガラス・カッターが備え付けてあるのだ。たいていは1台に2つほど。

しかし、それが去年から今年にかけて相次いで紛失しているのが、ニュースに流れていた。すぐに取り外せるため、誰かがいたずらで持っていってしまうのだ。バス会社側もその都度、補充するものの、また無くなってしまう。その数、今年に入ってから1000を超える。一方で、盗難されたガラス・カッターが実際に泥棒に使われるというケースもあるらしいのだ。

という話を聞いていたので、多分、若者が自分の度胸を仲間に示すためにこういうことをやっているんじゃないか、と思っていたが、現場を実際に目撃したことはなかった。

今回は、犯人が二人組みの子供だった。どうも、切符なしで手当たり次第にバスに乗り込み、ガラス・カッターを取り外して、収集でもしているような感じだった。ごく普通のスウェーデンの子供だっただけに、正直ビックリした。「もしもの時に乗客が逃げ出せなかったら、責任が取れるのか」と言ってやりたかったが、気が動転してしまった。とにかく、反対側の男性も介入してくれて良かった。