スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

スウェーデンの非同盟中立の変遷(2)

2007-05-23 06:18:33 | スウェーデン・その他の政治
ヨーテボリのハーフマラソン大会「Göteborgsvarvet」が開催された同じ週末、ヨーテボリの港に見慣れない軍艦があちこちに集結していた。NATO加盟国の海軍が寄港していたのだ。なぜかというと、NATOの共同軍事演習がバルト海で企画されていたためだ。


デンマークとスウェーデンの海峡での小規模な演習をしたあと、バルト海で大規模な軍事演習「Noble Mariner 2007」を行う。バルト海における有事を想定した演習で、民間の商船の保護も含んだものだという。そのために大小43のNATO艦艇とスウェーデン海軍の駆逐艦が、演習を控えてヨーテボリに立ち寄っていたのだった。

そのため、ハーフマラソン大会と同じ日に、ヨーテボリ市内では大きな抗議デモが繰り広げられた。その上、ハーフマラソンのコース上のあちこちには何者かが「NATO kommer. Spring för livet!(NATOがやって来るぞ。命が惜しければ走って逃げろ!)」と書いていた。(マラソンと掛けた機転の利いたジョーク&抗議に思わず笑ってしまった)

スウェーデン人の一部がNATO軍の寄港に大きく反発したのも無理はない。公式には非同盟・中立を維持しているスウェーデンの領海に、軍事同盟であるNATOの艦艇を入れてもいいのか、疑わしいからである。また、集団防衛行動のための共同演習を目的としたものであり、これまで行われてきた国連ミッションにおけるNATOとの協力とは、わけが違う。特に、抗議に加わった多くの人が「こうして共同訓練を重ねることで、NATO加盟のための既成事実が作られてしまうのではないか?」という恐れているようである。

さらに挙げられた問題は、今回寄港するNATO艦艇の中には核兵器を搭載している疑いがあるものが混じっていたことであった。スウェーデン政府としては、「スウェーデンの国内法が核搭載艦、および原子力推進艦をスウェーデンの領海に持ち込むことを禁じている」ということを演習参加国に通達するだけで、それ以上の手は打ったなかった。各国がこの法律を遵守してくれることを信じる、に留めたのだ。

ただ、今回のヨーテボリ寄港で注目されることになったNATOとの共同演習は、どうやら氷山の一角に過ぎないようだ。国連のマンデートの下での平和維持軍の活動(コソボ、アフガニスタン、レバノン沖の地中海など)は90年以降、NATOとの協力が欠かせなくなってきていることは、前回書いたとおりだが、それ以外にも協力関係は強まっている。例えば、スウェーデン空軍はアメリカでも訓練の一部を行っているし、その他にもスウェーデン海軍の潜水艦を乗組員付きでアメリカ軍に長期的に貸与し、浅海における索敵演習の標的として使わせたりもしている。(アメリカを始めとするNATOとのこれらの連携は、スウェーデン国防省がどんどん推し進め、政府が追認する、という形で進んできたようだ。)

そのため、NATOとの密なる連携が既成事実として出来上がっているのなら、パートナーシップ協定に留めず、正式な加盟国になるべきではないか?という声も強い。現在の中道右派政権を構成する保守党と自由党は、まさにこの立場である。彼らが言うには「今のような協力関係だけでは中途半端。加盟国との情報共有が保証されているわけではないし、NATOの政策決定における影響力もない。今後さまざまな国連ミッションでNATOの協力がますます強まるのなら、それならいっそのこと正式加盟国になって、影響力を持とうではないか」ということである。さらに「近年の国防軍縮小でスウェーデン軍には自国防衛の能力はなくなった。可能性が小さいとはいえ、起こりうる外的脅威に対抗するためには、スウェーデンだけで国防軍を組織するよりも、NATOの集団安全保障の枠組みの中で国防を行うべき」という論拠もある。

ただ、去年の選挙戦では、この事項は大きなテーマにはならなかった。今でもこの点に関する世論の関心は低い。そのため、風もないのに余計な波を立てたくない国防大臣は、NATOとの協力関係は今後も強めていくが、NATO加盟は今の時点で議論すべき問題ではない、との立場を取っている。

スウェーデンにおける様々な意見を整理すると以下のようになる。

従来のような大規模徴兵制によって、非同盟中立を裏付けられる 規模の国防軍を維持すべき・・・ 左派の論客(作家)であるJan Gillouなど

国防軍を縮小し、なおかつ非同盟中立を今後も維持すべき・・・左党、環境党、社会民主党(?)

国防軍を縮小する一方で、NATOへの加盟を実現していくべき・・・保守党、自由党、それに加え、社会民主党(?)


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統一通貨ユーロへの参加の是非を巡る論争と同じように、非同盟中立の理念とNATOへの加盟をめぐる論争でも、「wait & see」の立場で傍観するか、積極的に加わっていくべきか、が問われている。

私が思うに、本当にその必要がないならば、これまでの方針(つまり、非同盟中立)を変えず(つまり、NATOには加わらず)、刻々と変化する日々の情勢(つまり、国連ミッションにおけるNATOとの連携増大)には、解釈の変更などで対応していく道もいいのではないか、と思う。

スウェーデンの非同盟中立の変遷(1)

2007-05-16 07:49:39 | スウェーデン・その他の政治

日本で繰り返し繰り返し巻き返される問題が、憲法と第9条の問題であるように、スウェーデンでも終わりの尽きない論争がある。

非同盟中立、の問題である。

スウェーデンの安全保障政策は、非同盟中立に基づいてきた。正確に言えば、平時に非同盟主義(alliansfrihet)を貫くことで、戦時に中立(neutralitet)を保てるようにするのである。

第二時世界大戦後はヨーロッパは冷戦に突入する。東西両陣営のどちら側にも属さないのではあるが、西側がスウェーデンに攻め込んでくることはほぼありえないので、仮想敵国は常にソ連とワルシャワ条約機構軍。

ソ連と国境を接し、しかも第二時世界大戦では2度もソ連に侵攻され領土を奪われたフィンランドほどの切迫感はないにしろ、スウェーデンでもヨーロッパが再び戦場になることを想定して、徴兵制のもとで国の規模に比して大規模な国防体制を確立させる。ちなみに、中立非武装中立はもちろん同義ではない。中立をいくら掲げてはいても、それを裏付ける実力がなくては、絵に描いた餅、だとスウェーデンでは考えられた。そのため、国防軍の役割は非同盟中立をもっともらしく仮想敵国にアピールするための抑止力であった。

兵器の調達も自国で行わなければならず、自国での生産が始まる。小さな国のため、自国での必要分を賄うためだけに兵器の開発・生産を行っていたのでは、多額の開発費の元が取れない。そこで、兵器の輸出が始まるが、次第に主要な輸出産業の一つになっていてしまうのである。それから、東西両陣営が核兵器を突きつけてお互い睨み合っている真っ只中にいる恐怖から、スウェーデンでも核武装論が50年代にもっともらしく論じられたという。

さて、非同盟中立の建て前ではあるが、次第にNATOとの協力関係が始まっていく。始めは兵器開発の技術交換という形で始まる。スウェーデンだけで自国の兵器開発をしていても、国際的な最先端からは遅れを取ってしまうので、主にアメリカの技術協力を必要としたのだろう。(その一方で、アメリカのベトナム戦争や帝国主義的態度をスウェーデンは大きく批判していた。兵器技術協力とは別問題、と割り切った外交を展開していたのがスウェーデンの面白い所) 政府の解釈は、非同盟中立と兵器技術協力は両立する、ということだった。

冷戦の終結ともに、スウェーデンを取り巻く環境は一変する。それと共に経済危機に見舞われたため、90年代には次第に国防軍の縮小が行われた。国防軍の任務は ①侵略に対する防衛、②国連軍といった形での国際平和活動、であったが、次第に②のほうへ重点が移っていく。

95年に停戦合意に至ったボスニアには、国連の要請を受けて平和軍(SFOR)を派遣するが、実際の指揮権はNATOが握っていた。また、その後、同じく旧ユーゴのコソボにも平和軍(KFOR)を派遣するが、これもNATOの指揮下。2003年のアフガン戦争後はこれまた国連のマンデートのもとで平和維持軍を派遣するが、これまたNATO指揮下。こういった現実を前に、スウェーデンの国防軍は、装備や指揮系統、要員教育など、NATOスタンダードに合わせる努力を既にしてきている。このようにNATOとの関係がますます強まっている。そういえば、2006年夏のレバノン危機の後に国連マンデートをもとに、スウェーデンは駆逐艦をレバノン沖に派遣したが、この指揮もNATOだった。

一方、国防軍自体の規模はこの間もドンドン縮小されていき、事実上、国防のための兵力は国内にほとんどない。総動員をかけても、数ヶ月で10000、1年かかって最大の65000の兵力が召集できるのらしい(2006年時点)。ただ、外的な脅威がない今日、それでも別に構わない、というのが世論の大勢だ。むしろ、躍起になっているのは国際任務以外に存在意義がなくなってしまった国防軍のほうで、盛んにPR作戦に出たりしている。

むしろ、可能性が小さくなった外的脅威に対抗するためには、スウェーデンだけで国防軍を組織するよりも、NATOに加わって、集団安全保障の枠組みの中で備えをしたほうが現実的、と政府は考えつつあるようだ。1994年にNATOと「平和のためのパートナーシップ」を締結し、情報の共有や共同軍事演習などを行ってきている。(つづく)

Goteborgsvarvet ヨーテボリ・ハーフマラソン

2007-05-13 05:33:49 | Yoshiの生活 (mitt liv)
去年の大会は見ていただけで悔しかったので、今年は自分でエントリーして走ることにした。とはいっても、21kmなんて長い距離、生まれてから一度も走ったことがない。練習を始めたのも3月になってからで、しかも毎回5km走ればいいとこ。

それでも、大会の1週間前に12km、3日前に17kmを走っておいた。一人で走っても音を上げて歩いてしまうのがオチなので、友だちに自転車で伴走してもらった。この成果が本番で響いてくることを後に知ることになるのだ・・・。

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大会のスタート地点は、Slottsskogen公園の裏。うちのアパートから歩いて10分。毎年参加する300kmの自転車大会のスタート地点は、電車を4時間も乗り継いで行った所にあるのとは大きな違いだ・・・。

参加者は何と43000人。それだけ、スウェーデンでは有名な大会なのだ(自転車の大会Vätternrundanよりは歴史が浅いものの、参加者はこちらのほうが遥かに多い)。大体3000人ずつのグループに分けられ、5分間隔でスタートする。一番最初はエリートグループ。その後、一般参加者がスタートする。中には、警察官やVolvoの従業員だけのスタート・グループもあった。私はアホなミスで登録し間違えたために、一番最後のグループ13でスタートすることになった。だから、一番最初のグループが15:00出発するのに、私は16:15のスタート。

一番最初のスタートを見に行こうと、早めに会場に足を運んだけれど、肝心のICチップを家に忘れてきたことに気付いて、引き返す。ICチップは各選手のタイムを記録するために使われる。スタート、5km地点、10km地点、15km地点、20km地点、そしてゴールのそれぞれで、選手がセンサーの仕掛けられたマットの上を通過すると自動的にコンピューターに記録されるのだ。こうやって、43000人の動きを把握する、すごい合理的なシステム。

ともかく、家との往復でちょっとしたウォーミングアップになった。案の定、私がスタートする直前に、15:00にスタートしたエリート集団がゴールした。ちょうど今頃は21kmにわたるコース上に、絶え間なく参加者がひしめき合っているのだろうな、と想像する。

16:15、我々の最終グループがスタート。だいたい、応募が早い順にスタートが早くなるので、最終グループで走る人たちというのは、そんなにやる気はなくて、締め切りぎりぎりになってから申し込んだ人たちと考えてもいいのだろうか・・・?

最初の2kmほどはSlottsskogenの公園の中を走る。遅い人たちをとにかく追い越す追い越す。3000人の一斉スタートなので、すんごいかたまり。ちょっと隙間を見つけては、前に出ようとするけれど、横走りでペースを乱されてしまうので、ほんとは良くないのかもしれない。で、公園を出た後も調子がいいので、ひたすら前に出る。4.2km地点で水をもらったけれど、口に入るよりも顔にかかるほうが多くて、しかも飲もうとしたら気管に入って咳き込む。とにかく最初の5km区間は、以前5kmのマラソン大会を走ったときと同じくらいのペースで走った。

最初の大橋、Älvsborgsbron。上り坂は調子がよかったのだけれど、下りに入る直前に右の膝が痛み出す。最初はジワリジワリと痛み出し、その後次第に着地の度に痛みがヒドくなる。5kmを過ぎた時点でこれだから、後が思いやられる。

私の当初の戦略はいたって簡単。前半は頑張って体力で走り、後半は気力で走る。300kmの自転車大会の時はいつもそうだし、受験勉強のときもそうだったのかな?でも、右膝のおかげで、いきなり5km地点から気力で勝負になってしまった。この先持つのか?

橋を降りてからは運河の北岸に沿った平坦な道。着地のたびに痛む右膝を左足でかばいながら走る。当然、ペースは落ちる。歩いている参加者を見るたびに何度も歩きたいと思ったけれど、今歩けば、再び走ることはできないだろうから、残りの15kmを歩いてしまうことになる。それだけは避けたい。だから、ゆっくりでも止まらず走った。右膝は痛みが軽くなったり、また痛くなったり。でも、そのうち慣れてきた。次第にペースが上がっていく。気付いてみると、呼吸も乱れていないし、脈もそこまで速くない。頭もいろいろと考え事ができるくらいの余裕。コンディションとしては絶好調。右膝を除けばね。

そんな時、右手に大きな軍艦が見えてきた。巡洋艦、駆逐艦、軽空母。ヨーテボリ港はもはや軍港でもないのに・・・。しかも、これらの艦艇はスウェーデンのものでもない。なぜかは、また別の機会に・・・。

さて、二つの目の大橋、Götaälvbron。調子よく登っていく。自転車でもそうだけれど、登りには強い。それまでよりも少し速いペースで登りきり、下りでエネルギーを回復する。橋のてっぺんで、博士4年のSvenを見つけた。彼は私よりも5分はやくスタートしていた。お先に!、と叫んで、軽やかに追い越していく。

橋を下りると、ヨーテボリの目抜き通りAvenyに突入パリのシャンゼリゼ通りを100分の1に縮小したようなこの通りのど真ん中を走ることほど、爽快なことはない。最初の5kmと同じ猛スピードになる。待てよ。この通り沿いで友だちが応援してくれているんだった。うまく見つけ出し、一瞬だったけれど、手を振って「Jättebra(絶好調)」と叫んだ。友達を見つけられて嬉しかった。ポセイドン像でUターンして、その後はVasa通りに入り、経済学部前で左折する。そこからは少し坂道だけれど、あと3km、右膝も持ってくれるに違いない。

そして、最後は競技場に走りこんで、ゴール。1時間46分だった。2時間を切ることを目標としていたし、右膝の故障も考えれば、上出来だ。その後、足が痛くて歩けないので、路面電車とバスで帰宅。
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初めての参加で思ったこと。
ヨーテボリの美しい風景を走り抜けるこのハーフマラソン。素晴らしい!
・ 参加者がなるべく公共交通で会場まで来るように、ゼッケンをつけていればバスも路面電車もタダで乗れるというシステム。うまく考えたものだ。
3kmおきくらいに、生のバンドが待機していて、通り過ぎる参加者を元気づけていた。まるでお祭り気分。
・ 人が多すぎ! しかも、ペースもまちまち。だから、ちょっとした隙間に目をつけては機を逃さず前に出た。たまに器用に追い越せなくて人とぶつかった。大会の規定では「左側は追い越し車線だから、ゆっくり走りたい人は右側を走るように」なのだけれど、誰も守っていない。二、三人の横列でチンタラ歩いて、コースをブロックしている人々もいた。マナーは守ろう!
・ 今回は最終グループだったから、前にスタートした遅い人を最初から最後まで追い抜き続ける21kmだった。次回は、スタートを早くしたい
コースを横断する観客の多いこと! たまに見切りが甘くて、私と衝突しそうになる人もいた。向こうも一瞬で渡り切りたいものだから突進してくる。だから、こちらも瞬間的に手を出して「来るな」の合図。乳母車と共に渡ろうとするトンでもない人も。

とにかく、来年も出ます!

去年の大会

イラン外相のスウェーデン訪問

2007-05-10 07:43:03 | スウェーデン・その他の政治
日本を取り巻く国際情勢では、北朝鮮の核開発が大きな問題であるように、ヨーロッパにとっての大きな関心事とは、イランの核開発である。国連による核査察を拒否し、ウランの濃縮を進めており、核兵器の保有も時間の問題ではないか、と見られているのだ。

また、イラン革命以降の厳格な宗教的統治のもと、基本的人権が大きく侵害されていると言う。特に、女性の権利が、男性のそれよりも半分以下しかなく、多くの女性活動家が監獄に入れられている。
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そんな中、今週月曜日にイランの外務大臣Manouchehr Mottakiが、スウェーデンを公式訪問した。様々な問題を抱えるイランだけに、この公式訪問を受け入れることにはスウェーデン内でも異論が上がっていたが、スウェーデン政府としては「対話を続けることが大切」という立場から受け入れた。副大臣であるMaud Olofssonとの会談、外交問題研究所での講演と、外務大臣であるCarl Bildtとの夕食が訪問の日程。首相Fredrik Reinfeldtは、面会しない、と予め表明していた。

案の定、いくつかの抗議活動が沸き起こった。スウェーデンにはイランから政治亡命をして逃れてきた人が約9万人いるが、彼らが抗議活動の中心だった。

ニュースはそれだけではなかった。スウェーデンの副大臣Maud Olofsson(女性)との会談のあと、彼女は握手を交わすために手を差し伸べたのだが、イラン外相はこれに応じなかったというのだ。女性と握手することは、彼の宗教的信条に反するためだらしい。そして、その信条の背後にあるのは、女性の地位を卑しんで見る宗教的戒律だと言われる。イラン外相は握手で応える代わりに、自分の胸の上で手を交差させて、挨拶を返したらしい。

もともと、このイラン外相(そしてイラン政府)のこの宗教的信条は、スウェーデン政府の知るところであった。それでもなお、スウェーデンの副首相は、西側世界のスタンダードである基本的人権と男女同権のプリンシプルをイランが受け入れてくれるかを試すために、敢えて手を差し出したのらしい。

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単なる「カルチャーショック」として片付けられがちな一つの出来事だが、ここに西側諸国とイランを始めとするいくつかの中東諸国との対立の、大きな根源が潜んでいるようにも思える。宗教や文化・伝統を隠れ蓑にして、女性への迫害を続けるイラン。一方、基本的人権と男女同権の保障は現代のユニバーサルな価値観と信じて疑わないスウェーデン。

宗教的戒律のために彼が握手に応えないだろう、ということを知った上で、敢えて手を差し伸べたスウェーデン副首相の行動は、見方によれば「嫌がらせ」として映りかねない。でも、多くの政治犯を抱え、女性だけに適用される「投石処刑」と呼ばれるような不当な処置など、国際社会としても見過ごすことができない大きな問題を抱えるイランの政権を、思うがままにはさせておけない、というスウェーデン政府の意思表明かもしれない。

もしくは、そういったことをすべて抜きにしても、ホスト国の挨拶に同じやり方できちんと応えることは、外交の場では常識であるようだ。

エタノールへの懸念

2007-05-06 20:18:26 | スウェーデン・その他の環境政策
ガソリンに代わる新しい燃料として注目されるエタノール。エタノールの生成にはトウモロコシやサトウキビ、麦類などが使われる。太陽の光をたっぷり浴び、光合成の過程で二酸化炭素を吸収し、糖が作り出される。その糖をエタノールに変え、燃料として使うと、再び二酸化炭素に還元する。だから、大気との二酸化炭素の出し入れは、プラスマイナス0、というわけだ。

スウェーデンの自動車メーカー、VolvoSaabエタノール車エタノール含有率85%のガソリンE85を燃料として使える)に力を入れてきた。例えば、Saabの主力である乗用車Saab93(ガソリン車モデルとエタノール車モデル[BioPower]がある)の宣伝文句は「Släpp loss naturens krafter.」(自然の力を解き放とう)だ。

政府の補助金のおかげで、E85の価格が通常のガソリンよりも低く設定されていることは以前に書いた通り。スウェーデン各地のガソリンスタンドの多くで、E85が給油できるようになっている。
<以前の書き込み>
スウェーデンにおけるバイオ・エタノールの普及(2007-04-09)

しかし、エタノールに対して大きな期待がもたれる一方で、既にスウェーデンでは悲観的な声も上がり始めている。少なくとも今の技術水準では、大きな弊害をもたらしかねない、というものだ。

本来、食料のために栽培されてきたトウモロコシなどの穀物が、エタノール生産のために投入されるため、特に、インド・メキシコ・ペルーなどの貧困国でトウモロコシの価格が高騰している。そのため、これを主食としている人々がまず貧困に陥りかねないという。さらに、このトウモロコシ価格の上昇を受けて、これまで大豆や米など他の作物を栽培していた土地を、トウモロコシ栽培に転用する動きが進んでいるため、他の食用作物の価格も上昇し始めているという。

途上国の貧しい農民は、食用作物の高騰から生活を守るために、自ら栽培を始める。一方、豊かな農民は、新たなビジネスチャンスと見て、トウモロコシの栽培を拡大させる。その結果、南米の熱帯雨林伐採が加速しているという報告もあるらしい。

本来、二酸化炭素排出を抑えるため、そして、化石燃料の使用を抑えるために、考案されたエタノール燃料。しかし、その生産のために、二酸化炭素の大きな吸収源である熱帯雨林を切り崩しているとしたら、本末転倒だ。もちろん、穀物の価格上昇による貧困の深刻化も、見過ごせない問題だ。

では、エタノールを食料以外から生産できないのか? 実は、可能だ。木材や藁など、いわゆる廃材を利用するのだ。この場合、糖からエタノールに直接変えるのではなく、植物の細胞膜を構成するセルロースを分解し、糖に変えてから、エタノールを生成するのだという。しかし、現在の技術水準では、この方法だとコストがかかる。トウモロコシからエタノールを作るのに、リットル当たり2クローナ(35円)かかるのに対し、セルロース・エタノールは3.5クローナ(61円)と7割ほど高くつく。

だから、エタノール利用の鍵は、このセルロース・エタノールのコストをいかに下げていくか、にかかっているようだ。日本でも、最近このセルロース・エタノールの製造工場が建設されたらしい(たしか、大阪?)。今後の技術進歩に期待したい。

学生の風刺パレード(ヨーテボリ・シャルマシュ工科大学)

2007-05-01 06:28:58 | スウェーデン・その他の社会
4月30日はスウェーデン各地で学生の祭りが行われる。最大規模のものは、やはりウプサラだが、ここヨーテボリでもシャルマシュ工科大学の学生が、1ヶ月もかかって作ったという山車(だし)と一緒に市内を練り歩く。

山車に使われるテーマは、最近起きた出来事やニュースの風刺。結構、政治ネタが多い。政治主張、というより、どちらともいえない、単なる風刺が多かった。(下の写真をクリックすると、拡大されます)

ラインフェルト新政権の風刺。「嘘をごまかす(白くする)ために保守党は糞の始末をしなければならない。トイレの掃除のためにはエチケットも必要。」「働いているのは俺たち金持ち」「“らいんふぇると”は左寄り」


「アルコールと麻薬が好きなら、一緒にForsmark原発で働こう!」
「Här brukar vi supa till
Då stannar reaktorn still」
(俺たちいつも酒盛り、すると原子炉は停止したまま)(←韻を踏んでいるところが面白い)
相変わらずトラブルが絶えない原発の風刺


現在、スウェーデン東海岸沖に敷設が予定されているロシアからドイツへの天然ガスパイプの風刺。どうせ引くなら、安いロシアのビールを西欧に!と言っている。
「Han tyckte det var toppan
att dra ett rör på botten」
(パイプを海底に引けば、そりゃ最高!)(←これまた韻を踏んでいる)


メディアが注目したのがこの山車。
1ヵ月半前に、Göran Perssonの10年間を記録したドキュメンタリーが放送されたが、その中で彼は自らの同僚や政敵を鋭い批判によってメッタ切りした。それを指して“つい口が滑っちゃった”と風刺している。スウェーデン語で、口から蛙が飛び出す、という。


一見普通に見えるSAAB

だけど、二つに分離して、それぞれで走りだす。


この間、倒産した格安航空会社“Fly me”。チケットをさんざん売り出した上で自己破産を申請したので、多くの人が被害に遭った。


去年の夏、洪水のために水没した路面電車4番線(Mölndal行き)。これからは、潜水艦が必要・・・?