スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

今年のスポーツイベントの結果報告 (2)

2015-07-01 19:36:58 | Vatternrundan:自転車レース

さて、スウェーデンで二番目に大きなベッテルン湖(Vättern)を一周する300kmの自転車レースだが、今年は50回目の開催となる記念すべき大会だった。1966年に第一回目の大会が開催された時には344人が参加したのだが、それ以降、参加者が毎年のように増え続けており、最近ではエントリー枠がすぐに一杯になってしまうほどの人気だ。


コース。水色ポイントはスタート&ゴール(Motala)および時間計測ポイント。
赤色ポイントは今回、休憩したエイドステーション。ピンク色ポイントは今回、通過したエイドステーション

私と父が初めて参加したのは2003年大会だった。この頃はその年の3月に申し込んでも、まだ空きがあったのを覚えている。しかし、人気の高まりとともにエントリー枠が一杯になる時期が毎年早くなっていった。2008年大会頃にはもう前年の暮れまでには一杯になっていたように記憶している。大会主催者側もできる限りエントリー枠を増やしているのが、人気に全く追いつかないのである。

近年では、秋のある日午後7時申し込み受付がオンラインで開始される。2013年大会では受付開始から1時間ほどですべてのエントリー権が完売した。その次の2014年大会では受付開始からわずか12分で完売。この時、私は開始から1分以内に申し込みを完了させたものの、第一希望であった朝3時以降のスタート枠は逃し、朝2時50分のスタートになってしまった(朝3時以前のスタートだとライトの点灯が義務付けられているため)。

そして、今回の2015年大会の申し込み。11月のある月曜日の夜7時が申し込み開始日時と告知されていた。私はその晩、大学の研究室でたまたま日本の雑誌の取材を受けていたが「10分だけインタビューを休憩してほしい」とお願いして、自分のパソコンの前に陣取り、猛烈な集中力を発揮して夜7時が来るのを待った。そして、夜7時。所定の手続きにしたがってオンラインで参加申し込みを完了させたのは、おそらく7時00分20秒くらいだっただろうか。しかし、この時も第一希望であった朝3時以降のスタート枠を逃し、朝1時46分のスタート枠が割り当てられる結果となった。わずか20秒でも第一希望を逃してしまうのか、と驚いたものだが、次の日に大会主催事務局から発表されたプレスリリースを読んで仰天した。なんと申し込み受付開始からたったの45秒でエントリー枠が完売したというのである!

そんな貴重なエントリー権を手にして挑んだ今回の2015年大会であるが、第50回大会であるだけでなく、父と私にとってはこれが10回目の出場となる記念すべき大会だった。私たちに加え、父の友人であるDavidもイギリスから参加(彼は4回目)。

以前にもこのブログで書いたが、2万人を超える参加者が一度にスタートするわけではなく、60人ほどのグループに分かれ、2分ごとに順次スタートしていく。第1グループが6月12日(金)の午後7時30分にスタートし、第2グループが7時32分にスタート、第3グループが7時34分に、といった具合だ。日が変わって13日(土)朝1時46分にスタートする私たちは第189グループ。最後のグループがスタートするのは朝の06時16分。

(通常のスタートとは別にSUB9と呼ばれる9時間以内のゴールを目指すエリートグループのスタートは、通常のスタートが終了してしばらく経った土曜日正午~午後1時に順次スタートしていく。非エリートのサイクリストの追い越しを極力避けるためである。)


真夜中1時過ぎなのにモータラの街は、自分のスタート時間を待つサイクリストで溢れている。(筆者撮影)

初夏とはいえ夜中のスタートなので寒さへの備えは例年通りきちんとしているが、今年は天気にも恵まれ、気温も高かった。スタート地点であるモータラ(Motala)の街は夜中でもむしろ熱気に包まれているように感じた。


01:48と書いてあるのは「この次のスタートグループは1時48分発」という意味。(sportografより購入)

朝1時46分に私と父とその友人のDavidが50人ほどのサイクリストとともにスタート。最初の500mほどの区間をバイクに先導された後、国道に出た時がレースの始まりだ。最初の10kmほどは父とDavidに付いていこうと努力したけれど、このペースでは300km持たないと諦めた。モータラ(Motala)の次にはヴァードステーナ(Vadstena)という街を通過するが、ここも町中には生ぬるく暖かい空気が漂っていた。しかし、一たび街を抜け、開けた農場が広がる地帯に出た途端、急に気温が下がるのが肌で感じられる。そこはかとなく漂っている馬糞の香りが妙に懐かしい(私の通っていた小学校の通学路の両脇にはいつも肥料用の馬糞が積まれていた)。

そのうち、Umeåのサイクリングクラブのグループ(8人)に加えてもらい、しばらく走っていたけれど、何度目かの先頭交代の時に私がスピードを出しすぎてしまい、気がついたらそのグループが遥か後ろにいた。せっかく親切に仲間に入れてもらったのに申し訳ないが、そのペースで先を急ぐことにした。


(大会主催事務局のプレス用写真)

3時を回るとかなり明るくなり、4時を過ぎれば東の地平線から太陽が昇り始める。朝日を浴びながら長ーい影を地面に引きずりながら、国道を滑走するのはとても気分がよい。農地にはところどころに朝靄が立ち込めている。83km地点のエイドステーションまで一気に走り抜けた。


ヨンショーピンの街を後にした直後の写真(大会主催事務局のプレス用写真)

その後、丘陵地を一つ超えるとヨンショーピン(Jönköping)の街。私が修士号を取得したヨンショーピン大学がある街だが、ここを境に南下をやめ、北上を始めることになる。例年はここから向かい風になるものの、今年はほとんど風がなく、133km地点にあるファーゲルフルト(Fagerhult)のエイドステーションまで何の問題もなく到達することができた。この時点で朝6時20分。スタートから4時間半余りが経っている。


ファーゲルフルト(Fagerhult)のエイドステーションにて。朝の日光浴をしている人がたくさんいた。(筆者撮影)

ここで10分ほど休憩した後に出発しようとしたところ、10mほど先にどこかで見覚えのある人が佇んでいた。あまりに意外だったのでそれが誰かを特定するまでに数秒かかったが、なんと父だった。私はもうとっくに先へ行っているかと思っていたので意外だったのだ(しかし、後で分かったことだがこのエイドステーションへの到着時点で5分ほどしか差がなかった)。実力で父に追いついたのは初めてのこと。この後は二人で走ることにした。二人で走るといっても、他のサイクリストと一緒に大きな集団が自然発生的に形成される。風の抵抗を避けるためだ。昔、国語の教科書にあったスイミーのようである。


ヨー(Hjo)のエイドステーションはヴェッテルン湖のすぐ側にあり景色が良い。今回はこのエイドステーションを通過。(大会主催事務局のプレス用写真)

171km地点にあるヨー(Hjo)のエイドステーションでは大部分の人が休憩をとってしまったが、私たち二人は休憩なしで北上を続けた。今年は風が穏やかなので体力の消耗が少ない。Hjoを出てから周りに適当なグループがおらず、父と二人の単独行になったため、私は「申し訳ないが私は体力がないから、先頭に立って引っ張っていくことができない」と父に言ったものの、その後、前に出てかなり長い間、先導した。それでも体力の消耗は少なかった。今回の大会でもう一つ気をつけていたのは、水分とエネルギーの補給をしっかりとすることだった。エネルギードリンクもきちんと用意し、実際に口に入れていたので、このおかげかもしれない。204km地点にあるカールスボリ(Karlsborg)のエイドステーションに到達。

ここまで来れば、残りは「たったの」100kmほどだ。この感覚が自分でも少し滑稽に感じる。ハーフマラソン(21km)のときは、残り5km地点に来た段階で「あと少しでゴール」と感じる。フルマラソン(42km)では、残り10kmのところで「あともう少し」と感じる。そして、150km自転車レースの時は残り50kmのところで「あとひと踏ん張り」と思う。そして、今300kmのレースでは、残り100kmがその精神的安堵の壁になっている。距離のスケールがどんどん大きくなっているのである。

カールスボリ(Karlsborg)は冷戦中、有事の際の臨時首都にする施設が用意されている街で、毎年、陸軍基地の横がエイドステーションになっているが、今年は少し場所が異なっていた。カールスボリ(Karlsborg)のもう一つの特徴はヨータ運河の架橋があること。300kmのこの大会の全行程中、止まらせられる可能性がある唯一の場所がこの架橋だ。30分に一回の頻度で橋が上がるので、運が悪ければ停止させられる。

今回は、上がっていた橋がちょうど降りた時に私たちが差し掛かった。だから、待たされていた数百人のサイクリストによる一斉スタートになった。片側車線をはみ出しながら6列か7列縦隊になって、最初のうちはごった返していたが、そのうち、ペースごとにグループが自発的に形成されていく。ここからの区間は丘陵地のアップダウンが何回か続くのだが、今年は私は疲れをほとんど感じず、むしろ、太ももやふくらはぎにエネルギーが湧いてくる感じがした。自転車に関しては練習不足だったので意外だが、ランニングの効果もあったのだろうか。

257km地点にあるハンマルシュンデット(Hammarsundet)のエイドステーションで最後の休憩。この時点で父が「この調子だと11時間を切れるかもしれない」と言う。私は時間のことを全く考えていなかったので驚いた。私の自己記録は11時間31分(2009年大会)なので、11時間を切ることができれば大幅な時間短縮となる。

Hammarsundetを出発した後、丘を3つ越える。今年はこの区間で一般車の通行量が多く、少しヒヤッとすることもあったが何とかクリアし、例年は気力だけで走っている最後20km区間の林道でも他のサイクリストを次々と追い越しながら軽快に前に進んでいった。同じ日の早朝にスタートしたモータラ(Motala)の街に戻って、父とともにゴールしたのは土曜日の昼過ぎ。タイムは10時間40分で自己記録更新となった(父の自己記録は9時間46分で、今回はそれに次ぐ記録となった。)。二人とも10回目の完走なので特別メダルをもらうことができた。


(大会主催事務局のプレス用写真)

今回の大会は、これまでの10回の出場の中で一番、満足度の高いものだった。天気にも恵まれ(かなり日に焼けた)、風も穏やかで、しかも、初めて父に追い付くことができ、自己記録も更新できたからだ。

この大会の凄いところは、公道を使った全行程300kmのうち、交通規制をかけたり近隣住民以外の車を排除している区間は80kmほどであり、残りの区間では一般車も通過するが、それでも自転車が我が物顔で走ることが事実上、公認されていることだ。2万人の参加者と共に夜中にスタートし、公道を10時間以上も走り続けるレースがどんなものか、想像がつかない人には次の動画を見ていただきたい。これは昨年の2014年大会で私がアクションカメラで撮影した動画。初出場の弟と私と父の3人で一緒に完走する様子を撮影した。少し長いかもしれないが、5分頃に登場する日の出はとても綺麗。



今年の大会では撮影しなかったことを後悔している。今年は昨年よりも1時間半近くタイムを短縮したので、動画に映っている、ビュンビュン追い越しをする側に自分たちがいただろうから。

今年のスポーツへの意気込み

2014-04-05 12:24:08 | Vatternrundan:自転車レース
今年はかなりの暖冬で、スウェーデンの冬らしい冬を経験することなく春が来てしまいましたが、今年もこれからスポーツ・イベントが目白押しです。

今年も例年のように、

5月半ば: ヨーテボリ・ハーフマラソン (Göteborgsvarvet)
5月終わり: ストックホルム・フルマラソン (Stockholm Marathon)
6月半ば: 自転車300kmレース (Vätternrundan)

に出場します。

自転車300kmレースは、昨年は3年ぶりに参加しましたが、やはり楽しいものです。昨年の大会のダイジェスト映像を(かなり前に)作ってみたので下にリンクを貼ります。(父は単独、私はヨーテボリのサイクリング・クラブの人たちと一緒に走りました)


スウェーデンの自転車300kmレースのダイジェスト動画。雰囲気が伝わることを願い、10数時間に及ぶレースを25分にまとめました。公道を使っていますが交通規制はほとんど掛けていません。今年は特に天気がよく景色が綺麗でした。参加者の中には、タンデムの自転車(2人乗り)や、横たわって漕ぐ自転車、一輪車で参加している人もいました。それから、若い兵士数人が重装備で歩兵自転車を漕いでいる映像もあります。

(BGMを付けてあるため、著作権などの関係で上の動画が見られない場合は、BGMのないバージョンを御覧ください。)


それから、昨年のヨーテボリ・ハーフマラソンのダイジェスト映像も作りました。


2010年 ヴェッテルンルンダン(300km自転車レース)・2

2010-07-12 07:14:18 | Vatternrundan:自転車レース
グレンナ(Gränna)から次のヨンショーピン(Jönköping)までの26kmほどの区間は、ヨンショーピンにかつて住んでいた時にトレーニングで何度も走ったことのある道だ。ヨンショーピンに向かう場合、全体的に下り坂が多く、しかもたいてい追い風なのでスピードが出せる。速いグループを見つけて付いて行こうと思ったものの、見つからなかったため、自分で先へ先へと急いでいたら、気づいたときには後ろに次第に金魚の糞のように隊列ができていった。列の先頭で走るのは大変。風の抵抗をまともに受けるし、プレッシャーを感じて自分のペースよりも早く走ってしまいがちだ。この段階で力を出し切ってしまっても大変だが、幸い追い風に助けられた。


しかし、忘れてはならないのはヨンショーピンの町の直前にある大きな丘。ここが一つの難所だが、これをクリアすると大きな下り坂が待ち構えている。私はスピードを出しすぎるのが怖いので慎重に下っていると、私の横を50~60km/hでビュンビュンと追い越していく人がたくさんいた。


ヨンショーピンのエイドステーションではソーセージなどの食事も出る


ヨンショーピンのエイドステーションは3時過ぎに立ち寄った。この町に住んでいる友人が「応援するよ」と言っていたけれど、やはり朝早すぎて沿道に立ってはいなかった。3時過ぎだが空はすでに明るい。実のところ、この大会においてライトの使用が義務付けられているのは午前2時50分までだ。

ヴェッテルン湖の南端に位置するこのヨンショーピンという町は、周囲を丘や峠に囲まれ盆地のようになっている。この町に入るためには峠を越えなければならないが、この町から出るときにも峠を越える必要がある。今年は道路工事のために、まさにその峠越えの部分でコース変更があった。例年は国道から左折すると長い上り坂が待ち構えているが、今年はその左折ポイントを直進しろ、と指示が出ていた。さてどこに行くのかと思いきや、目の前に現れたのは、勾配の非常に急な上り坂だった。まるで「壁」のように立ちはだかっていた。

そして、その壁を乗り越えると今度はなだらかな下り坂が果てしなく続いていた。次第に加速していき、猛スピードを出してしまいがちだが、沿道には横断幕で「徐行」「スピード落とせ」とスウェーデン語で何度も書いてあった。その理由が間もなく分かった。延々と続く下り坂の最後に、何とロータリーがあったのだ! これは危険。スピードの出しすぎだと急にハンドルを操作したとたんに転倒する恐れもあるし、大怪我になる。大会開催者側もこのリスクは十分に認識していたため、徐行を呼びかける看板や横断幕が出ていたものの、サイクリストにどこまで届いていたのか? 実際に、今年の大会ではこのロータリーで何人か転倒したらしい。特に雨のために路面が濡れている時にスリップしたケースが多いようだ。病院に運ばれるほどのケガをした人は幸い一人に留まったとか。


長く続く下り坂を果てには・・・


ロータリーが待ち構えていた!


その後、少し起伏のある部分を走っていると、高台に差し掛かったとき視界に広がるヴェッテルン湖の向こうから朝日が昇ってきた。時刻は朝4時13分。昨年と一昨年はまさにこの時間にモータラをスタートしていたのだった。




2010年 ヴェッテルンルンダン(300km自転車レース)・1

2010-07-09 00:07:12 | Vatternrundan:自転車レース
今年で7回目の参加となるこの大会だが、今年はあまり乗り気ではない。300kmを問題なく完走するために、大会開催者は出場者に最低でも合計1000kmのトレーニングを大会までに積むことを推奨している。しかし、私は冬の間、屋内でのトレーニングをほとんどしなかったし、実際に自転車で初めて屋外を走ったのもわずか3週間前だった。トレーニングの総量はせいぜい100kmだろう。こんな状態だったから、300kmを走ろうと思えば並大抵のことではなさそうだ。

昨年と一昨年は、ヨーテボリのサイクリング・クラブの人たちと隊列を組みながら、目標タイムを目指して頑張ったが、今年はそれ以前のように一人で走ることにした。一人で走ると言っても、自分とペースの合いそうな人を見つけてその都度まとまって走ることになる。私の個人記録は昨年の11時間半というものだが、今年は14時間? 15時間? それともそれ以上かかるだろうか? とにかく、今年はタイムを目指すのではなく、完走を目指したい。時間的なプレッシャーを感じずに走りたかった。

この大会は、昨年よりもさらに規模を拡大し、21000人の枠を確保した。60人~70人ずつのスタートグループに分かれて、金曜日の19:30から土曜の朝6時頃にかけて2分間隔でスタートしていく。今年は、9時間以内のゴールを目指す「新幹線」集団のために、土曜日の朝9時~10時に特別グループのスタートが認められることになった。

私の当初のスタート時間は土曜日早朝の01:48だったが、余裕を持って走るために金曜日23:00に変更してもらった。私のこれまでの出場の中で一番早いスタートだ。スタートはモータラ(Motala)という小さな町。ここでは毎年お世話になっているスウェーデン人家族の家に泊めてもらう。

天候は金曜日日中は雨だったが、大会が始まる夕方から夜にかけては雨がやんだ。22:40頃にスタート地点に到着したが、曇り空が広がり、まだ薄明るい。




スタートグループごとに順序良く「檻」に入れられ、スタート



スタートはこんな感じで、2分間隔で続いていく


23時ちょうどにスタートすると最初の700mはバイクに先導されるが、まもなく国道に出ると好みのペースで自由に走れるようになる。最初はみんな慎重だ。通常はすでに最初から高速で走る超特急グループ新幹線グループがいるが、私のグループにはほとんどおらず、みんなゆっくりと走っている。たまに後発のグループの中から速い人たちが隊列を作って追い抜いていくが、その頻度は以前に比べたら遥かに少ない。なるほど、タイムを競いたい速い人たちは深夜のスタートではなく、明け方4時以降のスタートを選んでいるのだ。だから、私がスタートした23時台は比較的ゆっくりの人が多い。

最初のエイドステーション(デポ)までの40kmは30人くらいで一緒に走った。時間は深夜1時ごろ。夏至が数日後に迫っているので本来なら空は薄明かりのはずだが、雲が多いために暗い。





次のエイドステーションは78km地点にある。そこまでの区間の大部分は片側に丘や絶壁がそびえ立っているため風がなく走りやすい。毎年ここでは平均30~35km/hで飛ばす。自然発生的にできた10人ほどのグループで、次々と追い越していく。公道にもかかわらず、片側一車線をいっぱいに使って自転車が駆け抜けていく。一番端っこは鈍行の人たち。その横を快速の人たちが追い抜いていく。そして、その横をわれわれ急行グループが一列渋滞で追い抜いていく。すると、後ろのほうからさらに速い特急グループが一列渋滞で軽やかにすり抜けていく。

真夜中の公道で、耳に聞こえてくるのは「シャカシャカ」という自転車の音だけ。この不思議な感覚、そして、軽やかに追い越しを繰り返していくこの快感というのは、おそらくその渦中にいたことのある人しか分からないと思う。


丘の上からグレンナ(Gränna)の町へ向かって駆け下りていくと、低いところに貯まった冷気のおかげでヒヤリと感じる。町の中には石畳の区間が1kmほどあるが、それが思ったよりも早くやってきた。ガタガタと振動が激しく、水のボトルやライトを落とす人がたくさんいる。非常に走りにくい。おまけに、土曜日の早朝のバーやディスコが閉まる時間帯とあって、酔っ払いやタクシーが多い。それでも問題なくクリアして、グレンナの町の外れにあるエイドステーションに到着。

300kmのサイクリング大会・ヴェッテルンルンダン (終)

2009-07-02 08:46:42 | Vatternrundan:自転車レース
これから少しはゆっくりできそうな予感・・・

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最初の100km区間で悩まされた小雨は、ヨンショーピンを過ぎた頃から止み、その後は曇り空が続いていた。

今年は結局、ストックホルムSUB12グループに救われた。てきぱきと指示を下す隊長のボッセに従いながら、このグループについていった。私の後ろには、再び何十人もの「ただ乗り」サイクリストが連なっていた。あるカーブでは、我々の隊の先頭が最初にカーブを曲がり始めてから、それに連なっていた「尻尾」の最後がカーブを曲がり終えるまでに32秒もかかった。130人は超えていただろう・・・。

たまたま隣同士になり、しばらく話し相手になってくれたマッティンは私よりも2時間半前にスタートして、一人で走ったり、いろんな集団に引っついたりしながらかなりゆっくり走っていたが、私が一緒に走っているこのストックホルム隊を見つけてからは絶好調だと言っていた。それから別の男性は70歳近い人で、この大会には30回目の出場だということだった。「走るのと違って、自転車は歳を取ってもできるからいい。若い人につられることなく自分のペースで行くのさ」と言っていた彼も、このストックホルム隊の快調なペースが気に入ったようで「ゴールまで付いていってやるさ!」とゴール前の50kmで意気込みを語ってくれた。


ハンマルスンデット(Hammarsundet)のサービスステーションで休憩してから、いくつか丘を乗り越えて、最後のサービスステーションであるメデヴィ(Medevi)は素通りした。この先は狭い道が曲がりくねる林道に差し掛かる。他のサイクリストと入り混じってしまい、グループのまとまりがなくなりがちな区間だ。そういえば去年一緒に走ったグループは、この区間で一部が離脱して、先にゴールに行ってしまった。

今回はとにかくストックホルム隊とはぐれないようにしようと、思いっきり走った。まるでF1のレースのように、サイクリストの流れの中に隙間を見つけては追い越しを繰り返していった。結局、この区間はこれまでの出場経験の中で一番短い記録となった。

そして、ゴール直前の直線区間でストックホルム隊と合流して、猛スピードで走りながら隊列を整え、15時41分に見事ゴールインした。スタートが4時10分だったので、記録は11時間31分。途中でいろいろあったけど、結局これまでで一番早い記録となった。(昨年は11時間43分


隊長ボッセ

ゴールでは、私が一緒にスタートして途中で脱落したSUB11グループ隊長クリステルが出迎えてくれた。あのグループは私が離脱したあと、例のアンドレアスに加えて女の子が2人脱落し、3人とも途中でリタイアしてしまった。残った24人はその後も順調に前へ前へと進んで行ったものの、男性2人が遅れを取り始め、隊から離脱した。副隊長のクリスティーナもゴールの手前30kmで後輪のギアが壊れて変換ができなくなり、ゴールまで一番重いギアのみで走らざるを得なかったために彼女も離脱した。結局、28人中21人が一緒にゴールしたのだった。(クリスティーナは20分遅れでゴール)


私を拾ってくれたスサンヌ

ゴールのあとに飲むビールが最高だ。美味しい! てっきり普通のビールだと思っていたが、実はlättöl(light beer:2~3%の薄いビール)だということを去年知った。ゴール後はそれだけ喉が渇いているから、普段はまずく感じるそんなビールでも美味しく思えるのだ!


ストックホルム隊と完走を祝う

私と同じ6回目の出場である私の父も、無事ゴールしていた。今回は事故などのためにかなりトレーニング不足だったものの、11時間以内でゴールしていた。父の友人であるイギリス人のデーヴィッドは9時間15分でのゴールだった。

300kmのサイクリング大会・ヴェッテルンルンダン (3)

2009-06-28 07:24:36 | Vatternrundan:自転車レース
本当はもっと頻繁に更新したいのですが、ここのところ非常に多忙でほとんど時間がありません。

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140km地点にあるファーゲルフルト(Fagerhult)のサービスステーションでは8分間の休憩となった。体力が多少は回復したようだ。グループとともに出発したものの、グループの「尻尾」の部分に引き続き身を置くことで、風の抵抗から身を守りながら体力の消耗を抑えることにした。

それから走ること10km。足の膝の部分が限界に達していた。体力も限界だ。グループの他のメンバーは石炭を満載した機関車のように、疲れを知ることなくひたすら前へ前へと進んでいく。最後尾にいる私との距離が少しずつ開いていく・・・。ついに観念した。最後に力を振り絞って再びグループに追いつき、副隊長のクリスティーナにこう伝えた。「もう限界だ。グループから離脱する!」

右側に出ることを手で合図して離脱した。我々のグループSUB11の後ろには、クラブ以外の一般のサイクリストが何十人も「ただ乗り」していた。尻尾のように連なる彼らも私を追い越してSUB11グループに続いていった。その長いこと長いこと。100人はゆうに超えていた。それを見送るのは、何とも悲しいものだった。


ユニフォームを着た私

離脱してからというもの、ペースが全く乱れてしまった。一人で漕ぐこととグループで漕ぐことの違いを実感させられた。風の抵抗の違いだけでなく、精神的な支えのあるなしも大きい。

11時間以内のゴールという目標がもはや達成できないとなれば、このままダラダラと目標もなく走っていてもしょうがない。もう何もかも面倒くさく感じられて、このままリタイアしてしまえば、あとは大会の貸切バスがゴールまで無事に送り届けてくれる。それでも構わない。そんな気持ちが芽生え始めていた。

一人で10kmほど走っていくと、前のほうに同じクラブのユニフォームを着ている男性を見つけた。私と同じクラブからこの大会に出場しているメンバーは全部で150人くらいで、そのほとんどがお揃いのユニフォームを着ている。だから、そのユニフォームを着た人が目に入ると、それがたとえ見知らぬメンバーでも、まるで仲間を見つけたかように嬉しくなる。そして「友軍」同士、声を掛け合うのだ。

後ろから少しずつ接近してみると・・・、何とアンドレアスだった。彼はグレンナで転倒して背中を打ち、救急班のもとへ運ばれたものの、それから再び自転車に乗って、我々のグループに追いついてきたという恐るべきメンバーだ。そんな彼も、やはり背中が痛むためにグループから離脱せざるをえなかったそうだ。彼は次のサービスステーションであるヨー(Hjo)までたどり着いてリタイアするつもりだという。

ヨーまでは二人で走った。そして、アンドレアスはそこでリタイアした。これは大会後に聞いた話だが、リタイア後に「背中の痛みがひどい」と訴えたアンドレアスはすぐさま救急車で最寄の大きな町であるフヴデ(Skövde)の県立病院に運ばれ、レントゲンの結果、あばら骨が3本折れていたことが明らかになったという。そんな状態で、彼はほぼ100kmも猛スピードで漕いでいたのだった。


さて、再び一人になった私はどうしようかと考えていた。沿道に呆然と立ちながらエネルギーバーをかじり、「また走り出すのは面倒くさいな」などと思っていたそのとき、私よりも先にグループから脱落したスザンヌという女性が見たこともないユニフォームを着た一群のサイクリストと一緒に通り過ぎていくのを目にした。私は思わず自転車に飛び乗り、彼女に追いついて問いかけた。

「このグループは何?」
「これはストックホルムのサイクリングクラブのSUB12グループ。何人か知り合いがいるんで、私はこのグループに付いていくことにしたよ。一緒に来るかい?」

私は「Ja!」と返事した。SUB11は早すぎて無理だったが、SUB12ならついていけるかもしれない。ともかく、少し試してみよう! そんな気になったのだった。


ストックホルム隊。緑の靴下を履いているのが隊長のボッセ

このストックホルム隊は12人ほどのグループだ。回転運動をしながら私にはちょうどいいペースで前に進んでいる。210km地点であるカールスボリ(Karlsborg)のサービスステーションで彼らと一緒に休憩したあと、ゴールまで一緒に走ることに決めた。

私は足や体力の問題はなくなったものの、別の問題を抱えていた。眠気だ。特にカールスボリまでの道のりは平坦なところが多く、一定速度で単調に走っていくため、ついウトウトとしてしまう。転倒しては大変なので、必死に目を覚まそうと努力している。サービスステーションではこれまでもコーヒーをもらって飲んできた。それでも不十分なので、時には平手で自分の顔を叩いて、ジーンと頬に伝わる痛みを感じながら集中力を保とうとしていた。(続く・・・)

300kmのサイクリング大会・ヴェッテルンルンダン (2)

2009-06-22 08:56:56 | Vatternrundan:自転車レース
前の晩は一睡もできなかった。2時半にベッドから起き上がって、朝食を食べ、着替えをし、装備を取り付けてからスタート地点に向かう。スタートの20分前になるとヨーテボリのサイクリングクラブのユニフォームを着た人が集まってきた。SUB8グループ、SUB9グループ、・・・そしてSUB14グループというように、目指す時間に応じてグループが編成されている。私は眠い目をこすりながら、ようやく自分のSUB11グループを見つけた。

スタートの直前


4時10分にスタート。早朝の寒さに加え、雨上がり特有の冷たい空気が目を覚ましてくれる。SUB11グループの28人は、識別用にヘルメットの後ろにピンク色のリボンをなびかせている。今年はスタート地点がモータラ(Motala)という町の中心部に移されたため、スタートして1分もしないうちに国道に出る。


ピンクのリボンを目印にしながら28人が集まり、次第に二列縦隊を形成していく。ほとんどの人がヘルメットにサングラスをかけている上、曇りのために薄暗いこともあって、誰が誰なのか識別が付かない。初めて一緒に走る人も多い。だから、隣に並んだ人同士で自然発生的に自己紹介が始まっていく。「ヘイ!俺の名はマッティン。そういえば、お前は先日のトレーニングで一緒に170km走ったよな? この大会は今回が初めてかい?」といった具合だ。私が「今回で6回目だよ」と答えると、「じゃあ、もうベテランってことだな」というコメントが返ってきた。

こんな会話が私の前後でも盛んに聞こえてくる。しかし、長くは続かない。二列縦隊で先頭をこまめに代わる回転運動を取っているため、30秒もすれば列がずれて、別の人が隣にやってくる。しかし、28人もの名前を一度に覚えられるわけではない。私の頭の中では、勝手に白タイツ男黄色ジャージのマッティン太りぎみの長髪といったニックネームが出来上がっていった。


スタートから間もなくして足が慣れてくると、巡航速度は35~40kmに達する。最初の60kmは起伏があまりないので走りやすい。エネルギーもはじめは十分にあるので、これだけスピードを出しても問題なくついていける。

しかし、10kmほどしてから雨が降ってきた。小雨だ。いつもの年なら、この時間帯は朝日が顔を出し、十分明るくなっているはずなのに、今回は霧と曇りのせいで薄暗い。雨はそんなに激しくはないものの、前を走る自転車のタイヤから水が跳ね上がってきて顔にかかる(ロードレーサーの多くには泥除けが付いていない)。だから、口の中が砂でジャリジャリし始めるし、頭や顔を伝ってくる水が口に入ると塩辛いことに気づく。汗の塩が溶け込んでいるためだ。そのうち、目の中にも入ってきて、ヒリヒリと痛み始める。


グレンナ(Gränna)の石畳

私にとって雨の中を走るのは非常に稀だ。今回6回目の出場になるこのヴェッテルンルンダンでも今までは天気がよかった。しかし、今回は雨で路面が濡れている上に、今回は今まで以上にスピードを出しているため、急ブレーキを引けばスリップするだろうし、暗いために追突の可能性も高い。

実際、50km地点で我々のグループで最初の追突があった。カーリンという女の子が前の自転車の後輪に接触し、転倒してしまったのだ。即座に「前方で待機」の号令がグループ全体にかかり停止したものの、転倒の様子を後ろで目撃した隊長のクリステルいわく「衝撃をうまく流す、ソフトで美しい転倒だった」らしい。カーリンはすぐさま起き上がり、自転車に乗り、グループは再び動き出した。

80km地点にあるグレンナ(Gränna)という町のサービスステーションで最初の休憩を取る。時刻は6時45分。スタートしてから既に2時間35分が経過している。私は眠気覚ましのコーヒーとバナナを受け取る。背中のリュックにはエネルギードリンクも用意してある。数分後、隊長が笛を2回吹いた。「あと2分で出発」という合図だ。この時、土手の上のほうで悲鳴が聞こえた。何とメンバーの一人であるアンドレアスという男性が、足を滑らせ、段差で背中を強く打ってしまったのだ。サービスステーションには救急班が常に待機している。数人がかりで救急班のもとへ連れて行った。大事ではないようだし、ちゃんと面倒を見てもらえるようだ。副隊長の女性クリスティーナアンドレアスにこう告げた。「あとは彼らが診てくれる。私たちは先へ行かなければならない!」

こうして、アンドレアスを欠いた27人は再び自転車を漕ぎ始めた。


グレンナ(Gränna)のサービスステーション


隊長のクリステルは事後談で、この大きなグループが二列縦隊を組んで前に進む様子を「まるで巨大な石油タンカーが動いているようだった」と語った。つまり、情報の伝達が容易ではないために、一度動き出したら止めようにも止められない、ということだ。隊長の彼は、そんな巨大なグループを一つにまとめながら、11時間以内のゴールを目指すという難しい役割を担っているのだ。

通常は、グループ内の誰かが遅れを取り始め、間隔が空きすぎてしまうと「Lucka!(間が開いた)」と叫ぶ。これを聞いた前の人はスピードを落とさなければならない。しかし、27人も連なっていると、「Lucka!」という言葉が、先頭に届く頃には「Öka!(スピードを上げろ)」に変わってしまいかねない。だから、今回は隊長のクリステルが自ら伝令として、後方から前方へ行ったり来たりして、指示をして回った。彼いわく「まるでヨーヨーのよう」だった。


109km地点のヨンショーピン(Jönköping)という町には大きなサービスステーションがあるがここは素通りする。この頃から、グループ内ではいまだにエネルギーに満ち溢れている人既に疲れを感じ始めている人が分かれ始めていた。そのため、隊長は自らが伝令となりながらこう伝えて回った。「力のある奴はグループの前半分でこれまで通りに回転運動を続けろ。そうでないものは、後半分で尻尾(金魚の糞)のようにくっついて体力の回復を待て!」

私は実はかなり体力が消耗していた。これまでの平均速度は時速31kmを超えていた。これだけの速さで100km以上も走ったことはあまり経験がなかった。足の力が少しずつ抜けていくような感触を覚えていた。だから、グループの後ろ半分に身を置くことにした。私の他にも10人ほどがそうやって「尻尾」になりながら体力の回復を待つことにした(風をまともに受けながら回転運動を続ける前半分と違い、風の抵抗から身を守ることができる)。

130kmほどしたところで、ある奇跡が起こった。グレンナ(Gränna)のサービスステーションで転倒し、担架で横になっていたはずのアンドレアスが後方から忽然と姿を現したのだ。大会のあとに彼が言うには

「横になっていたが、しばらくすると痛みが引いていったようだった。自分の居場所を把握するためにもうろうとしながら起き上がったが、気がついた時にはどういうわけか既にサドルにまたがっていた。背中の痛みを感じながらも無我夢中で漕いだ。これまでの自己最速記録をはるかに上回っていただろう。50キロほど走ったらSUB11グループの背中が見えてきた」

群れから一度はぐれると、風の抵抗を一人で受けることになるため、追いつくのは余計にしんどい。その上、平均時速31kmほどで走る私たちのグループは彼よりも既に数キロも前にいたはずだ。だから、そんな無理をやり遂げたこのアンドレアスカムバックには、他のメンバーも驚かされた。

一方、副隊長の一人であったスザンヌという女性が、グループから脱落していった。大会の前に自転車が故障し、特殊な部品の確保のためにスウェーデン中を駆け巡った末に、大会の前日になってやっと修理できたものの、やはり何か不具合があり、グループについていくのが難しそうだった。

スザンヌに続いて、実は私も脱落しかかっていた。やはり今年はトレーニング不足だった。上り坂になるたびに、ももを意識的に上下しなければ乗り切れなくなってきた。横にいたもう一人の副隊長のクリスティーナが言った。「あともう少しで次の休憩だから、それまでは頑張れ! 脱落はそのあとでもできる!」(続く・・・)

300kmのサイクリング大会・ヴェッテルンルンダン (1)

2009-06-20 07:06:24 | Vatternrundan:自転車レース
スウェーデンのヴェッテルン湖を一周する300kmの自転車レースが先週の金曜日から土曜日にかけて開催された。私と父親は今回が6回目の出場。


昨年はヨーテボリのサイクリング・クラブの人たちとグループを作って参加したおかげで、一人で参加するのとは違って、お互いに助けあい、声を掛け合いながら300kmを楽しく走ることができた。記録も11時間43分と自己最高記録を達成することができた。

実は昨年のグループは、12時間以内のゴールを目指すというSUB-12グループだった。チームワークのおかげで前半は予定よりもかなり速いペースで進むことができ、11時間半をかなり下回るかと思われたものの、仲間の何人かが体力不足のためにペースが落ちたため、グループ全体でゆっくり走ることになり、結局11時間43分という記録となった。私としてはゴールの直前でも体力がみなぎっていた状態だったので、今年は是非とも11時間を切ることを目指すSUB-11グループで参加したい!と長い間考えていた。

さて、今年のヴェッテルンルンダンに応募したのは18000~19000人ほど。そのうち、実際に参加したのは15500人ほどだ。とにかく規模の大きな大会なので、一斉スタートではなく60~70人ごとに1分間隔で時間差スタートをしていく。最初のスタートが金曜日20時。最後のスタートが土曜日の朝5時10分ごろ。

私の所属するクラブから今年のヴェッテルンルンダンに出場したのは150人ほど。そのうち、SUB-11グループで参加したい人を募ってみたら、何と30人近くが集まることになった。通常、一つのグループで隊列(二列縦隊)を作って走る場合20人が限度と言われているようだ。30人で二列縦隊をするとなると先頭から最後列まで15人が連なることになり、意思疎通や情報伝達がしにくくなる。それに、他のサイクリストを巻き込んでしまい安全上の問題もあるし、逆に他のサイクリストが隊列に紛れ込んできて収拾がつかなくなる恐れもある。そして何よりも、人数が多くなるほどパンクなどのトラブルが発生する可能性は必然と高くなり、そのたびに停車すれば、余分な時間がかかって目標を達成できなくなる恐れがある。

(逆にあまり少なすぎると一人ひとりの負担が大きくなる。隊列の一番先頭は風の抵抗を受ける一方で、2番目以降は前のサイクリストの影に隠れるために風の抵抗がかなり軽くなる。グループで縦隊を組む場合、先頭を頻繁に替わることで風の抵抗をみんなで分担するのだが、あまり人数が少ないと先頭に立つ頻度が多くなり、しんどくなる。)


大会の2週間前の長距離トレーニングの様子。この日はヨーテボリから北に向かって170kmを走って戻ってきた。


昨年とは違い、今回はスタート前日の金曜日の晩に、SUB-11グループの全員を集めて1時間にわたるミーティングが開かれた。28人が集まった。この大群をどうやってゴールまで無事に導いていくか? 2つのグループに分ける、という案も出されたものそれでは1グループ14人となり、これでは少ない。結局、最初の70kmほどは1つのグループで走ってみて、それから2つに分けるかどうかを決めよう、ということで合意した。

28人のうち、リーダー格となってグループをまとめ上げる能力を持つ人が3人いた。一人は、40代男性のクリステル(Christer)。彼はサイクリング・クラブの中核的な存在で、他のメンバーの面倒見もとてもよい。私もヴェッテルンルンダンに先駆けての長距離トレーニングでは、いろいろお世話になった。彼が今年のSUB-11グループの隊長だから頼もしい。

それから40代女性のスザンヌ(Suzanne)。たくましい体つきのおばちゃんで、若いときから鍛え上げてきたことが分かる。もう一人は30代半ばの女性クリスティーナ(Kristina)。彼女は実は昨年私が一緒に走ったSUB-12グループで、バラバラになりつつあったグループをうまくまとめ上げたカリスマ的存在だ。実はあのとき隊長を務めていた50代男性ストゥーレ(Sture)も今回はSUB-11グループで参加し、副隊長を務めるはずだったのだが、体調が悪くドタキャン。

ミーティングが終わると、各自は仮眠を取り、早朝4時10分のスタートに備える。私は毎回、間借りして泊めてもらっている民家がある。ベッドに横になるものの、いま寝ておかなければ大会の途中で眠くなって苦労する、と思えば思うほど、焦ってきて眠れない。外では雨が降っている。そう、天気予報によると金曜日晩から土曜日午前中にかけて雨となっていたのだ。(続く・・・)


Vatternrundan 2008 (終) 事後談

2008-06-23 08:02:18 | Vatternrundan:自転車レース
感動のゴールだった。16人もの集団で300kmも走れば、一度くらいパンクがあってもおかしくないのに全くなかったし、接触事故もなかった。天候にも恵まれた。最後に混乱したものの、11人が綺麗に並んでゴールインしたのだ。仲間と抱き合って完走を祝った。Eijaも、足がつってしまったMagnusも一緒だった。

記録は11時間43分
自転車に乗っていた時間:10時間52分
止まっていた時間:51分
平均時速(自転車に乗っていた時間だけを考慮して):27.6km/h
平均時速(止まっていた時間も含めて):25.6km/h

そうそう、ゴールの直後には毎年、パスタサラダビールが振舞われるのだけれど、ビールはとても美味しく感じられ、私はてっきり普通のビールかと思っていた。でも話によると、度数2-3%のlättöl(light beer)だということが分かった。いくら薄くても、乾いた喉には何でも美味しく感じられるのだ。


私とBrian

Stellanと私

隊長のSture

さて、大会のあと、サイクリング・クラブの掲示板(forum)ではメンバーが自由に感想を書いていた。隊長のStureは300kmの行程を彼なりに振り返ってまとめていた。「... 最後の林道の部分でアナーキー(anarki)が発生し、離脱隊が自分たちだけで先を急いだものの ... 」と書いてはいたが、怒りは感じられなかった。

また、司令塔であったKristinaは「.... 最後の部分では、辛抱が限界に達し、自ら先を急いだメンバーもいたが、彼らは彼らなりに正しい、と私は思う。サイクリングというのはそもそも個人のスポーツであるからそれを尊重すべきだし、我々の心の中には誰でもindividualistが宿っているのだから。残った我々11人は、心の落ち着いた2人の先導(!)による綺麗な二列縦隊でパーフェクトなテンポを維持しながらゴールインすることができた。...」と書いていた。個人を尊重しあう、これがやはり基本なのだ。

離脱した人も少し遠慮しながらも書き込んでいた。「私はアナーキーを生じさせた張本人の一人ではあるけれど、みんなに感謝したい。最後のほうになって、自分にはまだ力が温存されていることに気づき、それをゴールまでに使い切ってしまいたい衝動に駆られた。燃え盛る炎が私の心を奪い、先へと急がせたのはまさにその時だった。... でも、来年はおとなしくしているから心配しないでね。約束するよ。」

ちなみに離脱した5人の記録は、我々よりも6分早いだけだった!

それから驚いたことに、クラブとは関係ないあるサイクリストから、クラブ宛にメッセージが届いた。

私は200km地点からゴールまで、あなた方のクラブのユニフォームを着た一団の後ろに付いて走った。この一団はお互いを助け合い、理解を示し、またリーダーもうまくみんなをまとめ、力の弱いメンバーに手を貸していた。一つのチームが共通の目標に向かって一生懸命頑張る姿とはまさにこういうものなのだ、と、後ろから見ながら実感させてもらった。私は今年は練習不足だったが、あなた方の一団に付いて走れたおかげで、楽しいサイクリングをすることができた。サイクリングの芸術を見せてくれたあなた方へ大きな感謝を伝えたい。」

この方は、実名をメールの最後に書いてくださっていたので、その名前で大会の結果を検索してみると、ゴールの時刻が我々のグループと全く同じことが分かった。なるほど、この人は私たちのことを後ろからずっと観察していたんだ! そして、声を掛け合っている姿も、不満や混乱も、そして残った11人の最後の滑らかな走りもちゃんと見ていたんだ! こういうメッセージを読むと、私たちの存在を評価してくれた人がいたことが分かって嬉しくなる。

来年は、sub-11グループで11時間以内のゴールを目指したい!!!

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さて、私がスタート前に気が付いた、大切なものとは何だったのか? それはICチップ。各参加者がこれを足首に付けることで、スタートや途中のポイント、そしてゴールの時刻が磁気によって自動的に計測されるのだ。17000人を超える数の人が参加するのだから、これが効率的な方法だ。

私はそれを付け忘れてしまったために、スタートからゴールまで、全く計測されなかった。ということは、私の5回目の出場は全くの無効となるのか・・・?

実は、一緒にゴールした10人に証人になってもらい、最初から最後まで一緒に走ったことを証明してもらった。スタート前の写真やゴール直後の写真も裏づけの材料になった。なので、大会事務局は後日、私に他の10人と同じ記録を付けてくれた。

ここまで読んでくださった方、どうもありがとう。(終わり)

Vatternrundan 2008 (4) 後半戦のドラマ

2008-06-21 21:40:05 | Vatternrundan:自転車レース
178km地点にあるHjoのデポ(サービスステーション)は通過。その次のKarlsborgのデポ(210km地点)で10分ほど休憩。今回はエネルギー・バーやエネルギー・ドリンクを背中のポケットにたくさん入れて携行しているので、それらを食べて腹を満たす。ミネラル豊富なラムネのような栄養剤も、筋肉がつるのを防ぐためにしっかり摂っておく。

このKarlsborgのデポを出ると、ここから数十kmにわたって起伏が多くなる。これまで上り坂のたびに遅れを取っていたEijaに加えて、大柄なMagnusが足の筋肉をつらせてしまった。そのためペースを落とさざるを得なくなった。我々の隊は12時間以内のゴールを目指すことが目標なのだが、隊長であるStureによるとこれまでの行程でかなりスピードを上げたおかげで、当初の計画より20分ほど時間的余裕があるという。なので、ペースの遅い二人に合わせながら、先を急ぐこととなった。とはいえ、上りでは徐行するものの、下りになると猛スピードで飛ばして時間を少しでも稼ごうとする。

ただ、我が隊の全員が納得していたわけではなかった。既に70km地点で遅れ始めたEijaという女の子に対しては、「足手まとい」という言葉こそ使わないものの、「練習不足のメンバーのために思ったほどスピードが出せず困る」という言葉を使うメンバーもいた。私がもし彼女の立場なら、とっくの昔に隊から離脱していたと思う。しかし、Eijaはそれでも必死に隊に付いていこうと努力していた。

丘陵地帯を抜けると、開けた田園地帯に出て、今度は国道に沿って南下を始める。


今回は眠気をほとんど感じない上に体調もいい。唯一の問題は首から肩にかけての筋肉痛。しかし、これも自転車に乗りながら定期的に腕を回転することで、ゴールまで何とか持ち堪えそうだった。

我々の隊はとにかく声を出す。誰かが遅れを取り間隔が開くと「間隔が発生!」と叫び、前方から対向車が来ると「車!」と言い、我々が追い越そうとする遅いサイクリストが左側に出過ぎている時は「右側に寄るように!」と促す。殿(しんがり)役のKristinaは後ろから皆を見渡しながら、間隔が開くたびに前方のメンバーに注意を促してくれた。体育会系のノリ、とまでは行かないのだけど。

しかし、Hammarsundetのデポ(256km地点)で休憩を取ったときに、我々を上回るサイクリストの一群に遭遇した。デポに着くや否や、指令塔役と思われる人が「我々はここで10分の休憩を取る。その後は時速××kmを維持しながら、××地点を××時に通過し、ゴールには××時に到着することを目指す。以上。集合に遅れないように!」とキビキビとした口調で叫んでいた。上には上がいるもんだ、と思ってよく見てみると、お揃いの彼らのユニフォームの背中には「Försvarsmaktens Cykelklubb」(国防軍のサイクリング・クラブ)と書かれているではないか! 納得・・・。でも、彼らの口調があまりに大袈裟だったので、私たちは思わず苦笑してしまった。


ゴールまで40km余りとなったが、ここからも起伏がいくつか続く。遅れを取っていたEijaと足がつってしまったMagnusが相変わらず苦戦していた。多くのメンバーが彼らにスピードを合わせようとする一方で、上り坂であまりスピードを落としたくない人もいたため、我々の隊のまとまりも悪くなってきた。司令塔であるKristinaが後ろのほうから「スピードを上げすぎないように!先に坂を上りきった人たちは上で停止して待つように!」としきりに叫んでいる。グループの前のほうにいた私も停止して、後方が坂を登り切るのを待つ。

しかし、このようなことを4回ほど繰り返しているうちに、メンバーの一部の不満も溜まっていった。「こんなことをしていてはキリがない」「坂の上で止まって待つといっても、適当なスペースがなかなかないので危険だ」というメンバーも何人かいた。しかし「今のペースのままで進んでいけば12時間以内にゴールするという当初の目標は十分に達成可能だ。それならみんなで一緒にゴールしようではないか」と隊長のStureが言う。これでグループ内の不満も収まったかに見えた。


しかし、当初の目標を達成できると分かれば、それ以上に少しでも早くゴールして自分の記録を縮めたいと思うのが、人間の性(さが)なのだろう。280km地点を過ぎ、幅の狭い林道に入ったところで、我が隊は他のサイクリスト達とごちゃごちゃになってしまい、再びまとまりが乱れてしまった。その時どさくさにまぎれて5、6人が離脱して自分達だけでゴールを急いだのだ。私はというと、実は彼らと一緒に離脱したかったのだけれど、タイミングが悪くてたまたま前に出ることができず、あっという間にその5、6人の姿が見えなくなってしまった。機を逸してしまった! そう思った。

残された10人ほどに向かって、司令塔のKristinaはこう叫んだ。「我々の隊は12時間以内のゴールを目指して、これまで一緒に手を取り合いながら280kmもの長い距離を走ってきた。今のペースで行けば全員が一緒に12時間以内にゴールできる見込みだ。それなのに、ゴールまであとわずか20kmのところで、他の者を置きざりにして敢えて先を急ぐことで、自分の記録をわずか数分縮めることに何の意味があるのか!」 この言葉が決定的だった。残された皆の心が一つになったようだった。その時たまたま隊の先頭にいたのが、私とStellanという男性だった。私たち二人は速度を25km前後に落としながら皆を先導した。「みんな付いて来ているか?」と後ろに向かって問いかけると「ちょうどいい。これなら遅い人たちも無理なく付いて行ける」と返事が返ってきた。

このあとは回転運動をやめ、私とStellanがそのままゴールまで先導役を務めることになった。ゴールにかけての平坦な道では若干スピードを上げながら、二列縦隊で規律よく、整然と自転車を漕いでいく。殿(しんがり)のKristinaが「とても美しい!」と感嘆の声を上げた。「他のサイクリストに手本を示すかのように、このまま笑顔で皆そろってゴールのゲートをくぐろう!」と別のメンバーが言う。「その通り。何かのプロパガンダ映画のように!」と別の誰かがジョークを言うと、我々の隊は笑いに包まれた。

そして、15:55にゴール。お揃いのユニフォームで規律よくゴールインしたので、ゴールで待ち構えていた観客の注目と拍手喝采を浴びた。記録は11時間43分だった。


【続き】
Vatternrundan 2008 (終) 事後談

Vatternrundan 2008 (3) 天気も体調も絶好調

2008-06-19 03:04:11 | Vatternrundan:自転車レース

Grännaのデポにて(07:10頃)

80km地点であるGrännaのデポ(サービスステーション)を出発し、まもなくしてから、63歳のLarsが「先に行ってくれ」と言い残して脱落していった。その代わり、我々よりも2分前にスタートしていたSub-11グループから脱落したKimberlyという女の子が我々の隊に加わることになった。

時間は朝7時半頃。地面と大気の気温差のせいか、国道の両側に広がる農地からは湯気があがり、地表近くに立ち込めている。途中の上り坂を登りきり、下り坂を滑降すると、気温が急激に下がるのが分かる。高地と低地の温度差がもろに肌に感じられるのだ。

ヨンショーピン(Jönköping)の手前に大きな峠があるが、私は今年も上り坂が絶好調だ。そういえば最近何かで読んだのだが、体重が軽い人ほど登りが楽で、逆に重いと大変なのらしい。当然のことなのかもしれないが、考えたことがなかった。そんな考えを頭によぎらせながら隣を見ると、私の2倍は体重がありそうなMagnusという大柄の男性が苦戦していた。「Kämpa på! Bara lite till och sen kommer nedförsbacke hela vägen till Jönköping!(頑張れ、あともう少し! この坂が終われば、あとはヨンショーピンまでずっと下り坂)」と励ます。

その反面、私は下り坂が嫌いだ。スピードが出過ぎて怖いのである。だから、いつも慎重になる。そんな私の横をさっきのMagnusが軽快に追い越していく。なるほど重いとそのぶん重力の効果も大きいのか! と納得。

Jönköpingのデポ(109km地点)は通過。5回目の出場にして始めてこのデポを飛ばした。その直後にもまた大きな峠があり、それをクリアしてから数分のkisspaus(トイレ休憩)道端で取る。その後は高地を走っていくことになる。

それにしても、既に70km地点から上り坂で遅れを取るようになっていたEijaが、ちょっとした坂でもすぐに遅れるようになってきた。彼女の前に間が開くと「間隔が発生!!!」と後の者が声を上げて前方に伝える。すると隊の最前列の者はスピードを落とす。

この辺りの区間では、私は毎年のように睡魔に襲われる。寝不足だし、向かい風と上り坂でなかなかスピードが上がらず疲労が激しいためだろう。しかし、今回はこうしてグループで隊列を組んで走っているので、風の抵抗も少ないし、お互いに声を掛け合っているので、眠気なんて全然感じない

ペースが多少乱れつつも140km地点のFagerhultのデポに到着。8分ほど休んで再び先を急ぐ。


Fagerhultのデポにて(09:31頃)

Fagerhultを出てからは、Kristina(クリスティーナ)という女の子が隊列の一番後ろでgrindvakt(門番)役を務めてくれた。我々の隊以外のサイクリストが隊列に紛れ込むと「我が隊の後に付いてくれないか?」と促すのである。それから、回転運動を取りながら最後尾に達したメンバーに対しては「Du är sist, flytta till vänster!(君が最後だから左列に出るように)」と指示もするのである。門番役は言ってみれば「殿(しんがり)」でもある。それに、隊列が乱れてきたり、間隔が開き始めたりすると、てきぱきと指示を発する、いわば司令塔でもある。

走行速度は、平坦な道であれば時速35km前後で、そして下り坂では時速45kmを超えながら軽やかに進んでいく。あるとき、後方を一瞬だけ振り返ってみると、我々16人の二列縦隊の後ろに50~100人ものサイクリストが連なっていた。まるで「スイミー」のようだ。私は例年この「金魚の糞」の側にいるのに、今回はその先頭部分にいる。機関車のように皆を引っ張っていくのは非常に気持ちがよい。


司令塔であり殿(しんがり)を務めるKristinaと、大柄なMagnus

そんな我々の横をたまに「新幹線」集団が一列で、中央分離線ぎりぎりを走りながら、軽やかに追い越していく。あるときは「アメンボ」のような物体が「Höger!!!(右手に寄って)」と叫び声を上げながら、超高速で我々の横をすり抜けていった。思わずあっけに取られてしまったが、よく見ると体を横にして漕ぐ、車高の低く幅の小さい自転車だった。この手の自転車での出場はてっきり禁止されているのかと思ったけれど、そうではないようだ。しかし、事故になりやすいのではないかと心配だ。

天気が非常に良い。右手にはVättern湖が輝いている。前方には農園と森が果てしなく広がっている。あの地平線の向こうまで、このまま何百キロでも走れそうな、そんな気分がした。



【続き】
Vatternrundan 2008 (4) 後半戦のドラマ

Vatternrundan 2008 (2) 最初の70km

2008-06-18 06:36:46 | Vatternrundan:自転車レース
我々のSub-12グループは、スタートの30分前にスタート会場で集合し打ち合わせ、とのことだったが、私は勢い余って45分前に到着。もちろん仲間の姿はなし。寒い。汗の発散性の高い下着に、クラブのユニフォーム、そして防寒用のベストと3枚も着込み、さらに腕には長袖の継ぎ足し、足にも膝を温めるための継ぎ足しを付けているのに、体がブルブルと震える。0時前後まで雨が降っていたらしく、気温は10度以下だ。

4時前の北東の空

私の指導教官の息子が私の4分前にスタートするとの話を教官から聞いていたので、彼のゼッケン番号を探すけれど、結局見つけられず。そのうち、我々Sub-12の仲間が集まり始める。「12時間以内のゴールを目指しながら、できる限り全員でゴールのゲートをくぐること」という目標とその他の詳細を確認した後、スタートのための柵に入っていく。04:06のスタートグループがスタートし、04:08のグループ、そして04:10のグループも順にスタートしていく。

スタートの直前

我々のスタート時刻である04:12まであとわずか2分の段階になって、私は大変なことに気がついた! この大会の出場になくてはならない重要なものを滞在先の家に忘れて来たことを!!! 「Nej! Jag har glömt det viktigaste!!!」と私が叫んだのを聞いて仲間が驚いてこちらを見つめる。今から取りに戻れば、30分後くらいにスタート地点に再び戻ってきて、遅れてスタートすることになる。しかし、そうすればSub-12グループと一緒に走ることはできなくなってしまう。しかし、私が忘れたものとは、それがなくては大会への出場自体の意味がなくなってしまうくらい大切なもの。私が仲間に事情を話すと「どうにかなるさ。とにかく一緒にこのままスタートしよう」と言ってくれた。さすがヨーテボリ人。くよくよしない楽観的な性格では、スウェーデンには他に勝るものがいない。私は忘れた物のことは考えないようにして、とにかくスタートした。(さて、何を忘れたのか・・・? それは後ほど)

スタートしてから最初のうちはバイクにゆっくりと先導される。そして、国道に出たところから勝負が始まる。周りのサイクリストたちの流れに乗りながら、時速30km近い速さで走りながら、我々Sub-12の隊の16人は次第に二列縦隊を形成していく。そして、先頭交代のための回転運動を30秒から1分間隔で始めていく。その動きの何と軽やかなことか!

同じ隊のメンバーは私と初対面の人がほとんどだった。そのため、二列縦隊のたまたま隣り合わせた人と自己紹介を始める。時速30km以上で走りながら、前方に注意しながら横の人と話をするのは結構大変。

二列縦隊で頻繁に回転運動を取るとは言っても、実は最後列の2人はそのポジションを維持したままだ。実は彼らは「grindvakt(門番)」という役目であり、我々の隊以外の他のサイクリストが隊列に乱入してこないように見張っているのだ。我々の隊の取り決めを知らない人たちが回転運動に紛れ込んでしまうと、動きが乱れてしまうし、前進のペースも乱れてしまう。だから、門番役の二人は、他のサイクリストが我々の隊に紛れ込んで来そうになると「わが隊の前方に抜けるか、もしくは後方に付いて欲しい」と促すのである。

そんな門番役のおかげで、わが隊の16人はまとまりを維持しつつ、最初の40kmを軽やかに走ることができた。しかし、まだ気温が低いので皆それぞれの色の上着を着ている。だから、だから誰が同じ隊のメンバーなのか、なかなか見分けが付きにくい。

最初のデポ(サービスステーション)であるHästholmenは通過。しかし、それから5kmほどしてからÖdeshögで右折したところでkisspausを取る。kissとはスウェーデン語では「おしっこ」(!)の意味なので、つまり「トイレ休憩」のこと。みな適当に道端でする。女の子も草むらに少し入ったところに隠れてする。4分ほどしてから再び出発。

我々の隊は時速30km近くで走っているので、常に追い越し車線を取りながら、遅いサイクリストを追い越しながら快調に前進していくが、我々よりも後にスタートした人の中でも速い人たちは時速35~40kmで一列になりながら、横をすり抜けていく。

しばらくして、広大なVättern(ヴェッテルン)湖とその中央に浮かぶVisingsö(ヴィーシング島)が視界に入ってくる。思わず「Underbart!!!」と言葉を漏らしてしまう。素晴らしいのは何も風景だけではない。このあたりは、起伏の少ない平坦な道が続き、風もほとんどないので、スピードが見る見る間に時速40kmに達してしまう。

私の太ももはスタート直後からズキズキと痛んでいた。どうやら、スタート前に冷えてしまった状態で、いきなり力を入れ始めたためだった。こんなので、300kmも持つのか?と心配だったが、70kmも走ってくると、痛みはすっかり消えていた。

しかし、別の不安要因が出てきた。同じ隊の女の子Eijaが上り坂のたびに四苦八苦し始めたのだ。彼女とは何回か日曜日のトレーニングで一緒だったが、まだ自転車歴が浅いとのことで、てっきりSub-13グループで走るのかと思っていた。しかし、Sub-12に加わったものの、既に70km地点でしんどそうな様子を見せ始めている。さて、どこまで付いて来れるのか?と心配になってきた。

Grännaの町の石畳を1kmほど走り、その後のデポ(80km地点)で7分間の休憩。



【続き】
Vatternrundan 2008 (3) 天気も体調も絶好調

Vatternrundan 2008 (1) スタートに先駆けて

2008-06-16 07:49:47 | Vatternrundan:自転車レース
今年のスタート時間は偶然にも去年と同じく、金曜日の夜23時10分だった。しかし、私の参加している自転車クラブの人たちに「Sub-12(12時間以内を目指すという意味)のグループで一緒に走ろう」と誘われて、彼らと同じ土曜日の朝04時12分のスタートに変更した。スタート時刻の変更は「正当な理由がある場合にのみ認められる」と大会の規定にはあったものの、事務局の窓口ですんなりと変更できた。但し、手数料は100kr。

さて、このSub-12グループには
Pierre Karlsson
Stellan Bondesson
Robert Karlsson
Petra Karlsson
Magnus Kruger
Eija Halonen
Rikard Nilsson
Ulla Stigring
Lars Hedberg
Mats Tjader
Stefan Torkelsson
Karin Torkelsson
Brian Nielsen
Kristina Schultz
Yoshihiro Sato (Yoshi)
Sture Andersson
の16人が加わることになった。男性11人、女性5人だ。リーダーのStureは57歳。私をこのグループに誘ってくれたLarsは63歳。あとは20代から40代まで様々だ。ちなみに、私のこれまでの自己記録は11時間53分なので、Sub-12という目標は「ちょうどいいかな」と思えた反面、今年はあまりトレーニングしていない、という心配や、首から肩にかけての痛みの心配もあった。

私の所属する自転車クラブの中には、このほかにもSub-9からSub-14まで様々なグループが形成されている。

私は木曜日の夕方にスタート地点の町であるMotala入りし、毎年お世話になっている家族の家に泊めてもらい、自転車の手入れをしたり、ゼッケンを受け取りに行ったりして準備する。この家族のもとには、私のほかにもこの自転車大会に参加する人が数人泊まりに来ている。

今回5回目の出場になる私にとって、初めてのことがたくさんあった。まずは、乗る自転車。いつもはマウンテンバイクに似た自転車で参加していたのだけど、今年は初めてロードレーサーで。父親からもらった自転車で、日本から2年前にスウェーデンに運んだものだ。これまで乗ってきた自転車は、通勤用としてや、大きな荷物を前後につけて自転車旅行するのに最適なのだが、タイヤが太く、車体も重たかった。


それから前回書いたように、スタートからゴールまでグループで走るのも初めてだし、明るくなってからスタートするのも初めてだった。

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一番最初のスタートは19:00。これは24時間以上かかって何とか完走する人10数人のための例外的なスタート。正規のスタートは20:00からとなる。毎年書くように、これ以降は2分毎に60~70人が順番にスタートしていく。最後のスタートは05:20頃

天候は「晴れのち曇り時々雨」。金曜日の夕方から夜にかけて時おり雨が降ったようだ。ちょうどその頃、私はベッドの中にいた。

この自転車大会には、しんどい部分が毎年何ヶ所かある。最初の一つは、実はスタートする前のこの時間なのだ。そう、スタート前に十分寝なければいけない、と頭では十分に分かっているのに、なかなか寝付けないのだ。緊張している上に、いろいろな考えが頭をよぎって眠れない。今眠らないと、レース中に眠くなり危険だ。でも焦るほどに眠れない。19時頃に横になったのに、眠りについたのは結局0時前だったのだろうか。しかし、2時半には目覚まし時計が鳴り、台所で腹ごしらえをし、エネルギードリンクを飲む。同じ家族の家に泊まっている他の参加者の何人かも台所にいたので、話をしたり、励ましあったりする。そして、3時過ぎにはスタート地点に向かって、いざ出陣!!


【続き】
Vatternrundan 2008 (2) 最初の70km

自転車レース300km : 準備完了!

2008-06-13 18:39:28 | Vatternrundan:自転車レース

【シリーズ全体】
Vatternrundan 2008 (1) スタートに先駆けて
Vatternrundan 2008 (2) 最初の70km
Vatternrundan 2008 (3) 天気も体調も絶好調
Vatternrundan 2008 (4) 後半戦のドラマ
Vatternrundan 2008 (終) 事後談




出発地点のモータラ(Motala)に昨日(木曜日)に到着。毎年お世話になっている家族のもとで間借りしながら、準備を整えて金曜日深夜の出発に備える。いつものことながら、持ってき忘れたものがたくさんあるので、この家族から借りたり、新たに買い入れたり。

今回は5回目の出場。毎年、一人で気楽に走っていたのだけれど、今年はヨーテボリの自転車クラブの人たち14人と隊列を組んで、12時間以内を目指す。なので、クラブのシャツを購入。同じクラブの中には、9時間グループ、10時間グループ、11時間グループ、そして、13・14・15時間のそれぞれのグループも自発的に形成されている。

それに、毎年深夜の0時頃のスタートだったけれど、今年は朝の4時過ぎのスタート。これも初めての経験。太陽は2時半頃に昇るので、4時を過ぎた頃はもう明るい。

300kmを12時間で完走できれば、到着は夕方4時過ぎ。丸一日自転車に座っていることになる。

不安要因が一つ。ここ数週間のトレーニングに加え、寝違えてしまったせいで、首筋から肩に掛けての筋肉が痛む。一昨日は首も曲げられず、研究室で机に向かっていても痛くてしょうがないので、指導教官である教授の研究室からソファーを借りてきて、一日中横になっていたほど。

大会中にもし肩が痛くてどうしようもなくなったら、隊列から脱落して、あとはマイペースで完走だけはなんとか果たしたいつもり。



【続き】
Vatternrundan 2008 (1) スタートに先駆けて