スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

ポーカーブーム

2006-07-30 17:01:29 | スウェーデン・その他の社会
他のヨーロッパの国々でもそうだと思うけれど、スウェーデンでもここ1、2年、ポーカーが大流行。ネット上のポーカー・サイトに実際にお金を入金し、それを元手にプレイして稼ぐのだ。

もともと外国系のサイトが主だったけれど、スウェーデン国内の利用者は増える一方。そのうち、スウェーデン系の民間サイトも登場したり、国営のロト会社もサイトを開設して、外国や民間のサイトとしぶしぶ競争する羽目になっている。


私の友人の弟も、昼間は大学に通いながら、夜は数時間、ポーカーをプレイして、その稼ぎだけで何ヶ月か食べていたらしい。彼に限らず、こういう噂はあちこちで聞いてきた。コツは何でも、スウェーデン時間の夜中に、外国系サイトでプレーすることらしい。理由を聞いて爆笑した。ちょうど、そのころはアメリカ時間は夕方から夜にかけてで、リッチで暇をもてあましたアメリカ人が、損得をあまり気にせず、むやみやたらと賭けまくるからなのらしい。そんな彼らを相手に、スウェーデンの若者が真剣にプレーすれば、結構簡単にお金をさらい上げることができるとか。

EuroSportsというスポーツの中継を主に放送しているテレビ・チャンネルも、夜中にポーカーの中継をやったりしている。(見ている側は退屈じゃないのかな・・・?)

一方で、ポーカー中毒者も急増していて、国の国民健康機関は頭を悩ませている。さぁ、降って湧いたようなポーカー・ブーム。日本のパチンコや麻雀のような娯楽として定着するのだろうか・・・?

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それはそうと、先日、大学の博士課程の数人とその知り合いなど計10人で、友人宅に集まりポーカーの決戦をやった。この彼もブームに乗って、ポーカー・プレイ用の賭けチップ一式を買っていた。

いざゲームが始まると、男どもは早々に退散。辛抱強さがないのか、まったく弱い手なのに、がんがん仕掛けてきて、ごっそり持っていかれる。気づくと女の子4人と私1人に。一進後退が続きながらも、4時間の末にゲームを制したのは、以外や以外、私だった。それまで、小学生の時以来、ほとんどやったことがなかったのに・・・。

行動経済学が示すところだと、女性のほうが辛抱強く、男性はむしろリスク・テイカーだ、という傾向が強いのらしい。今回のマッチも、まさにそれを証明してくれた。(って、私自身は男ですが)

武力行使に対する考え方の違い

2006-07-29 16:27:53 | スウェーデン・その他の政治
スウェーデンとは直接関係はないのだけれど、スウェーデンもしくは北欧を通して見る世界観とアメリカの世界観との大きなズレを感じさせてくれる出来事なので、書いて見ます。
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世界のどこかで戦争や紛争が起こったとする。テレビのニュースや新聞報道が、現地からの生々しい映像を伝え、どれだけ大きな被害が出たのか、どれだけの人々が家を追われ難民としてさまようことになったのか、日々刻々と伝えてくれる。そのうち、まとまったルポタージュなども伝えられるようになり、たとえば、バラバラになった家族の悲劇や、前線に借り出される少年兵のことがテレビや新聞、雑誌に登場するようになる。

こういったものを見聞きするにつけ、反射的に「戦争が早く終わればいいのに」と思う。ニュースを現場から伝える特派員や、被害にあった家族に実際にインタビューしたりするジャーナリストも、おそらく同じ気持ちなのではないかと思う。
現在続く、イスラエルとレバノン・パレスチナの紛争に際しても、国連のアナン事務総長は紛争の当事者双方を批判し、一般市民への攻撃の禁止と、即座の停戦を強く求めている。特に、先週火曜日にはレバノン南部に駐屯していた国連監視団の要員4人がイスラエルの攻撃を受けて殺害されたため、怒りをあらわにしながらイスラエル政府を批判した。

スウェーデン政府も、過去にわたって紛争仲介を長くおこなってきた経験から、今回の紛争にも大きな関心も持ちながら、即座の停戦を訴えている。一方が攻撃し、攻撃された側が報復としてやり返す。それによって死者を出した側は、またやり返す。そうやって、双方に出る新たな被害は、さらなる報復の大義名分を当事者に与え、悪循環はエスカレートするばかりだ。このように、当事者同士では停戦や和解の道を見つけるのが不可能な場合に、第三者が進んで両者を取り持って、解決への糸口を探る手助けをすることには意義がある。その役を“国際社会”が進んで引き受けなければならない、それは言わば“国際社会”の責務だ、という考え方は、北欧諸国で特に強いように感じる。

武力による争いが生じ、一般市民も含めて被害が出ているのを目の当たりにして、即座の停戦を主張する、もしくは願うのは、なかば当然のことだと、これまでずっと考えてきた。スウェーデンの新聞各紙を読んでいても、同じように考えていることが伝わってくる。

しかし、それが当然とは思えない人々もいるようだ。今週半ば、ヨーロッパとアラブ諸国の代表がローマに集まり「持続的な即時停戦」を要求した際、アメリカは加わらなかった。また、国連要員4人の殺害に対して、国連安保理がイスラエルに対する非難決議を出そうとする際にも、アメリカが強く反対した結果、「深い衝撃と悲しみ」という骨抜きされた議長決議になってしまった。

即時停戦に消極的な態度を見せるによって、アメリカは現在続くイスラエル・レバノンの紛争の続行にゴーサインを出している。アメリカがなぜ即時停戦に反対するかというと、軍事行動を続けるイスラエルにもうしばらく時間を与えてやれば、イスラエル軍がレバノン南部を制圧するなり破壊するなりして、レバノン国内の危険要因であるヒズボラを壊滅させてくれる、和平を求めるのはそれからで十分であるし、それからのほうがレバノンとイスラエルの間に緩衝地帯を設けることができて、その後の和平構築が楽になるから、と考えているからのようだ。「戦争がもう少し続けば、中東和平の可能性に光が見えてくる」と、一見すると逆説的なコメントをアメリカ外相ライスは記者団に漏らしたという。イスラエル軍が使っている武器の一部は事実アメリカの支援だ。

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(国際法を犯した)軍事行動は非難すべき、というのが、北欧を含めた多くの国の考え方だとすれば、アメリカのそれは、軍事行動は必ずしも非難するべきものではなく、むしろ、外交問題を解決するための一つの有効な手段である、ということなのだろう。

ボスニア内戦の時のアメリカの関与も同じ考えを反映していると取れる。次第に激化していくボスニア内戦に対して、フランスやオランダなどの国々が国連部隊を派遣していた。ただ、規模は小さく、紛争当事者に停戦を強制させることは到底無理で、目の前で続く殺し合いを傍観しているに過ぎなかった。外交による和平案も何度か作られるが、紛争当事者(セルビア・ボスニア・クロアチア)がなかなか納得せず、失敗に終わっていた。特に、内戦で優勢だったセルビア勢力が和平案の受け入れを拒んでいた。当初、この紛争に手を出しかねていたアメリカは、その後、NATO軍を使ってセルビア勢力の基地を爆撃したり、セルビア勢力と戦っていたクロアチアやボスニア勢力に武器の密輸などをおこなって、内戦に間接的な、そして偏った介入をして、当事者間の力のバランスを取ろうとしたのだった。最終的にクロアチアやボスニア勢力が勢いを盛り返して領土回復を図り、セルビア勢力が後退を余儀なくされてから、和平案を提示し、停戦合意に持ち込んだのだった。

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スウェーデンのある映画で、敏腕の警察官が、捜査中に法を犯したり、同僚との協調関係を崩したりしたために、上司にこっぴどく怒られる場面があった。この警官は言い返す。「結果がよければ、それまでの過程は正当化されてもいいんじゃないか」それに対して、上司は言い返す。「あなた、そういう考え方がどんな帰結をもたらすか分かる?ファシズムよ。」

アメリカのやり方も、これに似ている。一方で、アメリカに言わせれば、今の時点で即時停戦を履行させるのは無理なので、戦争の続行を黙認し、さらには一方的に加担して、最終的に停戦に持ち込むのだ、ということなのかもしれない。ただ、続く戦争の渦中にいるのは兵士だけではなく、無数の一般市民がいて、彼らが傷ついていることはお構いなしなのだろうか。

どちらが正しい考え方なのか。北欧諸国の考え方がナイーブで、アメリカのやり方が現実的なのか。ともあれ、戦争・紛争に対する見方が大きく違うことを見せ付けてくれる。

複雑な電気料金制度

2006-07-27 07:08:00 | スウェーデン・その他の社会
今まで、ウプサラ・ヨンショーピン・ヨーテボリで、いろんな寮やアパートに住んできたけれど、学生寮に住んでいたときは、家賃に電気代が含まれていたから良かった。でも、アパートで一人暮らしをするようになると、自分で電力会社と契約を結ばなければならず、学ぶことがたくさんある。

スウェーデンでは、電力の配給を行っている会社と、電線網を維持している会社別々なので、電気を使うためにはそれぞれの会社と契約を結ばなければならない。

電線網の維持会社
基本的に地域独占なので、選ぶ余地はない。私の場合は、Göteborgs Energiという会社。この会社に、
①電線網の使用量、という固定料金
アパートの場合、年間356クローナ(5700円)
一戸建ての場合、年間856クローナ(13700円)
②伝送した電力に応じた従量料金
1キロワット(kW)あたり、0.205クローナ(3.28円)
の二つを支払わなければならない。

地域によって電線網の維持にかかる費用や効率が異なるので、地域ごとに値段が違ってくるが、国の電力市場監視委員会(Energimarknadsinspektionen)が値段の妥当性を監視している。

電力供給会社
実際に電気を買うのはこの会社から。基本的には地域ごとにそれぞれの電力供給会社があるものの、必ずそこから電気を買う必要はなく、別の地域の配給会社と契約を結んでもいい。スウェーデン中に100を越える電力配給会社があり、様々な価格制度を提供しているので、値段の比較はかなり複雑。

数多くあるこれらの配給会社のうち、自分のところで原発・風力・火力・水力など発電設備を持ち、電気を直接供給しているのは一部であり、それ以外は、北欧諸国によって形成されたNord Poolという共同電力市場で買って供給している。

選ぶのがめんどくさいと、半ば自動的に地元の電力配給会社と契約を結ばされるようで、私は今のアパートに引っ越して以来、数ヶ月ほどPlusEnergiと契約してきたた。

この会社に、
①基本料金(固定料金)
年間300クローナ(4800円)
②消費した電力に応じた従量料金
1キロワット(kW)あたり、0.56クローナ(8.96円)
③エネルギー税
1キロワット(kW)あたり、0.326クローナ(5.22円)
④「再生可能な電力」支援金
1キロワット(kW)あたり、0.363クローナ(5.81円)
<任意>「再生可能な電力」購入費
1キロワット(kW)あたり、0.188クローナ(3.01円)

を納めなくてはならない。最初に登場した電線網の維持会社にも、固定料金と従量料金の二つを払っているのに、この電力配給会社にも固定料金と従量料金を払わなければならない。

ここに上げたのは「変動料金制度」の場合の料金。つまり、水不足や原油価格の高騰などにより、電力市場における価格が変動するのにつれて、②の部分が変動する料金制度なのだ。この場合、Nord Poolでの取引価格に少し上乗せした値段が付けられる。これではなく「固定料金制度」を選ぶこともできる。こちらは1年、2年、もしくは3年、という長い期間で契約を結び、この間は②の料金が変化しない。どちらが得か、一概には言えないようだ。

③の「エネルギー税」は、エネルギー消費を抑えるために導入されている国税。予算折衝の度に、毎年のように上がっている。(主に環境党が押し上げている)

④の「再生可能な電力」支援金(Elcertifikat)は、スウェーデンならではの面白い制度。これは改めて説明します。

⑤は、風力発電や太陽発電など、環境によい方法で発電された「再生可能な」電力のみを使いたい場合に、少し上乗せされる料金。再生可能な電力は、通常よりも料金が高いけれど、意識のある人はあえて選んでいる。私も、二酸化炭素の放出と大気汚染をもたらしかねない火力発電よりは、風力やバイオマス発電の電力を買いたいと思うけれど、まだまだ貧しい研究生の身分。もうちょっと収入が増えたら選びたいと思っている。

「再生可能な電力」が選べるスウェーデンの制度。俗に「スウェーデンの電気には“色”がついている」と言われる。つまり、「再生可能な電力」は「緑色」というわけだ。

しかし、これまた面白い話だけれど、この「緑色」の電気だけを選ぶといっても、なにも風力発電所から自宅まで、特別な電線が新たに引かれるわけではない。電気が流れてくるのは、今までどおり、隣人も使っている電線網。だから、どれが環境にやさしい電気で、どれが石炭を燃やして作った電気かなんて、区別がつかない。隣人のドアを叩いて「おい、“茶色”の電気がうちに間違って流れてきてしまったけれど、これお前んちのだろ」なんて、ことにもならない。

大事なことは、電力配給会社が、そのお客が消費している分の電気をちゃんと風力発電所などで作っていますよ(もしくは買っていますよ)、ということを保証している、ということなのだ。

以上の電気料金をまとめてみます。
電線網維持会社へ:
年間 356kr、1kWあたり 0.205kr
電力供給会社へ:
年間 300kr、1kWあたり 0.56kr+0.326kr+0.363kr
合計:
年間 656kr(10496円)、1kWあたり 1.454kr(23.26円)

私のアパートでは、一人暮らしでだいたい年に1800kW使うらしいから、全部で3273kr(52368円)也。日本と比べて高いですか?

ドイツに留学していたスウェーデン人の友達の話だと、スウェーデンは大陸ヨーロッパの国々よりも電気が高いらしい。

Att vara sig sjalv

2006-07-25 06:08:50 | Yoshiの生活 (mitt liv)
フライ・フィンシングの最終日。

宿泊していたユース・ホステルの自室に、釣竿を忘れたことに気がつき取りに戻る。再び教官Svenのもとに行って、「フィッシングに一番大切なものを忘れていたよ」と私が言う。

すると、Svenが“そうじゃない”という意味深な笑みとともに、静かにこう言った。「Det viktigaste är att vara dig själv.(一番大切なのは、自分自身で(自分らしく)いることだよ。)

スウェーデンのナショナル・チームの監督をやっていただけあって、説得力ある言葉。“無理せず自分なりのフィッシングを楽しめ”ということだと受け取った。


私にエサを命中させようと必死のSven。針は付いていないのでご心配なく。


5泊もしたユースホステルの私の部屋からの眺め。雲の流れが速く、雨が上がったかと思うと青空が顔を出し、その直後にまた雲がノルウェー側から流れてくる、そんな繰り返しだった。

自国民救出-福祉国家の新たな役割?

2006-07-23 22:09:00 | スウェーデン・その他の社会
イスラエル・パレスチナの紛争はここ1、2週間で隣国のレバノンに達している。当初は、パレスチナの武装組織によって誘拐されたイスラエル兵の救出を目的にした、といわれる軍事行動。だが、このような戦線の拡大を見ると、周囲の危険要因を武力によって排除したいイスラエルが、以前から周到な計画を立て、それを実行に移すための格好の口実をみつけて、今回の行動に出た、とも見られるようだ。

自然災害や紛争が起こると、西側諸国にとっては自国民の救出が大きな問題となる。2004年暮れの東南アジアの津波災害では、数千人のスウェーデン人旅行者を運搬するために、スウェーデン外務省がチャーター機を用意したり、スウェーデン軍のC-130輸送機を遺体運搬のために派遣している。このときの対応の遅れが問題となり、現政権は世論の批判を一斉に浴び、当時の外務大臣は辞任に追い込まれた。

レバノンにも多くのスウェーデン人がいる。地中海沿岸でバカンスを楽しむものもいれば、レバノン出身のスウェーデン国籍取得者で里帰りしているものもいる。スウェーデンの外務省と救助庁(消防庁)は、彼らの国外脱出を助けるために、レバノン国内で数十台のバスをチャーターして港まで輸送し、そこから、輸送船をチャーターして、ひとまずキプロス島まで輸送した。この形で6800人のスウェーデン人がこれまでにレバノンを脱出し、キプロスからは、これまたスウェーデンがチャーターした大型ジャンボでこの週末中にスウェーデンに降り立つという。

津波災害では初動が遅れたスウェーデン政府も、今回は素早かった。なんでも、奥さんがレバノン人で、たまたまレバノンに家族でバカンスに来ていたスウェーデン外務省の職員が、リゾート地を素早く後にして、現地の領事館に赴き、脱出活動の指揮を執ったのが大きかったと言う。

ともあれ、これだけの輸送力をスウェーデン政府が確保するにはもちろんお金がかかる。しかも、平時ではない。例えば、レバノン国内でチャーターしたバスも、通常の10倍の値段だったと言う。そのため、この費用が誰が払うのか、が問題となる。

スウェーデン政府は、政府がチャーターした輸送手段で脱出した者は、費用はすべて政府が持つ、と先週の段階で言っている。なんとも寛大な措置だと思うけれど、脱出した人の中には自分で手段を見つけて、自腹を切ったものもいる。例えば、隣国まで陸路で向かい、そこから高い航空券を買ったりなどだ。そういう人の費用はどうなるのかと言うと、政府の見解では、それは旅行保険会社が払うべき、ということ。それに対して、保険会社のほうは、それでは不公平、と言うなど、物事はなかなか簡単では無さそうだ。

かつては国外で働く者が大部分で、人数も少なかった自国民救出も、国外旅行がこれだけ一般的になった現在では、規模は比べものにならない。企業の人間やお金持ちであれば、緊急時でも青天井にお金を使って、なんとか手段を見つけて自分で帰国することもできるかもしれないが、現在の国外滞在者のほとんどは一般の旅行者。そう簡単にはいかない。もちろん、いくらお金持ちがあっても、紛争地から自力で脱出するのは容易なことではない。

国外旅行がこれだけ大衆化した時代。見知らぬ国で自然災害や紛争に巻き込まれる可能性は多かれ少なかれ誰にもある。だから、自国民救出はそのようなリスクを国がシェアする、というある意味、福祉国家の新たな役割ともいえるかもしれない。(海外に行くつもりがない人にとっては、これは納得できないかもしれないが・・・)

ただ、国がすべての面倒を見るのも限界がある。旅行先での不測時は、そもそも旅行保険でカバーすべきなのかもしれない。スウェーデンでも、国(外務省・救急庁)・ツアー企画会社・旅行保険会社・旅行者、の間でどのように責任の線引きをするのかが、議論されつつある。具体的には、緊急時に、自国の大使館や領事館がどこまで面倒を見られるのか。国民は自国の政府にどこまで期待できるのか。そういう事態に、ツアー企画会社や保険会社はどこまで費用を負担すべきなのか。個人の責任はどうなのか。そういった曖昧な部分を、しっかりと明確にしておくのはよいことだと思う。
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ニュースを見ていて面白かったのは、キプロスに輸送船で到着したある人が「船が臭かった。蠅がたくさん飛んでいて気持ち悪かった。」とインタビューに答えていた。これに対して、スウェーデンの外務大臣は新聞のある記事で「そういわれても、うちは航空会社でも旅行会社でもないし、“お客様”にすべてのサービスと心地よさを保障できるわけでは無いんでね・・・」と暢気に答えていたこと。

夜行列車の嬉しいちょっとしたサービス

2006-07-22 17:51:56 | スウェーデン・その他の社会
スウェーデン北部からの帰り、夜行列車を使うことになった。
Östersund(21:00) → Stockholm(03:37) → Göteborg(08:37)
というダイヤだ。つまり、ストックホルム経由でヨーテボリが終点なのだ。このときはストックホルムで降りるつもりだったのだけれど、朝の3時37分に早朝のプラットホームに放り出されるのは気が重い。

でも、ご心配なく! スウェーデン国鉄(SJ)は面白いことをやっている。列車の3分の1ほどをストックホルム止まりにして、その部分をストックホルムで切り離す。車両はそのまま7時までホームに停留したままなので、乗客は最長7時まで寝ることができる。

SJの夜行列車の座席には3つのカテゴリーがある。
・Sovvagn:寝台個室
・Liggvagn:3段寝台(一つのコンパートメントには3段×2=6人)
・Sittvagn:通常座席

値段は上から順に安くなっていくのだけれど、ストックホルムで切り離されるのはSovvagnとLiggvagnのみ。

なので、普段は一番安いSittvagnを使うのだけれど、私が今回乗ったのはLiggvagn。まず3時半過ぎに列車がストックホルム駅に入ってくる。ここで、ストックホルム止まりの部分とヨーテボリ行きの部分を切り離すので、その切り離しや機関車の付け替えで、私の寝ている車両もガクンと揺れるのが分かる。ストックホルムで降りる乗客も、マイカーなど、自宅までの足がある人はとっとと降りて帰宅してしまう。

朝5時半になると、同じコンパートメントの寝台で寝ていた家族連れが、ストックホルムからマルメ行きの始発特急に乗るといって、降りていく。私はそのまま寝続けて、6時半ごろに車掌に起こしてもらう。そして、7時に降車。

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私もヨーロッパや東南アジアなどでバックパッカー旅行をするときは、時間が稼げて、ホテル代が浮く夜行列車をよく使っていた。でも、困るのは、朝早く目的地に着いてしまって、眠い目をこすりながらその日一日行動しないといけなくなること。だから、終着駅についたあとも、しばらく停車してくれる、このような夜行列車は大助かりだ。できれば、8時くらいまで停車していて欲しいけれど。

この路線の他にも、この「もうちょっと寝ていてもいいよ」サービスがあるかと思って調べてみると、例えばストックホルム・オスロ・マルメのそれぞれの区間を走っている夜行列車が、終着駅に到着後、だいたい30分ほど停留してくれるようだ。

・Stockholm(22:30) → Malmö(06:42):その後07:15まで停留。
・Stockholm(23:00) → Oslo(06:34):その後07:00まで停留。
・Oslo(22:53) → Stockholm(06:30):その後06:50まで停留。
・Oslo(22:03) → Malmö(06:42):その後07:15まで停留。

でも、たった30分ほどなら、あまり変わりませんね。
ちょうど朝のラッシュ時に差し掛かる頃なので、国鉄としても早くホームを空けてしまいたいんだろうけれど。

フライ・フィッシング講座

2006-07-20 05:10:29 | Yoshiの生活 (mitt liv)
魚釣りなんて、小学校の時に中海に行った「ゴズ釣り遠足」以来だけれど(注:ゴズ=ハゼ)、スウェーデンでは至る所に渓流や沢、川に湖があり、魚釣りも面白そうだと思った。ちょうど、自転車関係のホームページを見ていると、スウェーデン北部の辺鄙な村の観光案内サイトにたどり着き、読んでいると3日間のフライ・フィッシング講座があるという。初心者大歓迎、装備は借りられるとのこと。講座のコーディネーターというKristerという人に電話で連絡を取ってみると、案の定、北部の方言Norrlänskaでのんびりと喋ってくれる。電話で話すたびに「Det är trevligt.(こりゃ楽しくなりそうだ。)」とお気楽ご気楽。これは行ってみるしかない、と思った。

夜行列車と内陸部列車(Inlandsbanan)、さらに過疎地バスを乗り継ぐこと22時間。辿りついたのはTärnabyというスウェーデン北部の村。ノルウェー国境まであとわずかの所だ。


バスを降り立ち、Kristerが迎えに来てくれるのを待つ。バス停がTärnaby郵便局と併設してあり、郵便局の黄色い車2台が忙しく出入りしているな、と横目で見ていた。すると、ある時、その中の一台がバックしたかと思うと、そのまま、土手の側溝に真っ逆さまに転落してしまった。慌てて駆けつける。運転手の姿見えず。あたりを見回すも、誰も目撃者なし。郵便局に駆けつけ、事情を説明すると、そこにいた職員4人が顔色を変え、転落したという車の元へ駆けつける。どうも、職員がハンド・ブレーキを掛け忘れた為で、けが人なし。皆で胸をなでおろす。私にとっても、とんだスタートとなった(笑)。

そうやって、郵便局のおじさん・おばさんと大騒ぎしていると、Kristerが登場。電話の声から想像していたよりも若々しい。スウェーデンに劇作家・コメディアン・北欧言語学専門家という異色なキャリアを持つFredrik Lindströmという人がいるが、第一印象はその彼にそっくり。(こんなマニアックな話題分かる人、一報ください!)この作家の本はいくつか読んでいたので、なぜかしらこのKristerにも親近感が湧く。

Krister

講座の開講に先駆けてこの村を探検しながら分かったのは、Kristerはこの村で「魚釣りのOracle」と呼ばれる人。「Oracle」とは「神主・巫女」という意味だから、つまり、川・湖の流れや温度、風の流れから、魚釣りの知恵や秘密を読み取る人、言い換えれば「この村の魚釣りのことなら、彼に聞けば間違いなし」といわれる長老的存在らしいのだ。しかも、この講座のために駆けつけてきたもう一人の“教官”は、フライフィッシング世界選手権でスウェーデンのナショナル・チームの選手と監督をしたことがあるSvenという男性。こんなプロ2人に、私みたいな初心者が教えを説いてもらっても良いものなのか。ちょっと、気が引けてしまった。

教官Svenと参加者のLars

幸い、ヨーテボリ市立図書館で、専門書や入門書を借りて、道中の列車の中で読んでいたので、理論や装備のABC、専門用語はマスターしてきていた。なんたって、普通の魚釣りですら初心者。しかも、今回の講座はスウェーデン語。このくらいの準備をしてきておいてよかった。

1日目は、擬似エサの種類の説明と、投げの練習。通常の釣りのように重りをつけるわけでなく、紐の重み自体が投げの際の引力になることを習う。地元の小学校の体育館で練習したあとは、河原へ出て練習。まだ、針は付けさせてもらえない。

2日目は、あいにくの雨模様。実際に針を付けて、流れのある程度速い流れで釣りをする。膝から腰にかけて水に浸かる。まだまだ慣れないものの、投げがだんたん様になってくる。投げのタイミングが悪く、擬似エサを4つも無くしてしまった。おうこうしているうちにKristerが焚き火で昼ごはんを作ってくれ、豆をそのままやかんに入れたコーヒーを振舞ってくれる。他の参加者とキャンピングの話に花が咲く。この日はその後、数時間粘るけれど、獲物は獲得できず。鱒が飛び跳ねるので、仕留めてやろうと、必死に竿を振るけれど届かず。そんな所に“教官”Svenがやってきて、ひょいと一投げ。あたかも簡単に鱒を釣り上げてしまった。悔しいけれど、その日はSvenが釣った鱒2匹をもらい、夕食にした。

3日目、流れの速い沢と湖がぶつかるところで、鱒を狙う。たまに魚が跳ねるので、一生懸命に擬似エサを飛ばすけれど、あたりなし。昼食はKristerが焚き火で作ってくれたトナカイの肉の炒め物と鱒の燻製。自然の中で食べるので、味がひときわ際立っている。他の参加者は船の上から、鱒を狙うものの、私は沢から投げるのが楽しくて、少しずつ上流に登りながら、夢中になって投げる。黄色い羽虫Gul forsländeという擬似エサをつける。結局、この日も釣れなかったけれど、何だか楽しめた。たまに通りがかる地元の人とのコミュニケーション、典型的な「調子はどう?」的な会話が面白くて、いろんな知恵を教えてもらえた。

こんな風景のところで実践練習。またもやKrister

ホント、なんと変哲もない、小さな村なのだけれど、話をした地元の人がみな口々に「魚釣りやスキーなど、自然が大好きで、この村に居付いてしまった」と誇らしげに、そして嬉しげに話してくれるのが印象的だった。それからKristerの少し恥ずかしげな照れ笑いが、いかにも北部の人的で、憎めない。「Vi kan hålla kontakten. (We will keep in touch)」と言ってくれたので、これからも遊びに行きたい。近いうちにフライフィッシング入門講座の修了証書(diplom)を送ってくれるとのこと。

ノルウェーの鯨見物ツアー

2006-07-12 20:12:51 | コラム
ノルウェーと日本の共通点といってもあまりないけれど、あえて言えば両国では漁業が盛んなこと。それから、捕鯨の拡大も主張している。

国際的な厳しい規制の中で、ノルウェーも日本も毎年、一定の数の鯨を捕獲することが認められている。ノルウェーの場合、今年は1052頭。

かつては盛んだった捕鯨も、現在ではこれ以上の数を捕獲できない。一方で「鯨サファリパーク」という新しい観光業が盛んだ。ヨーロッパ中から鯨見たさにやって来る観光客を船に乗せて沖合いに乗り出し、鯨の群れを見つけて観測するというツアー。毎年夏には10000人以上の観光客が集まるという。ノルウェー北部のTysfjord, Andenes och Tromsøなどが拠点だ。

でも、たまに思いがけないハプニングも起こる。

自然好き・動物好きの80人の観光客を乗せた観光ボートReineが、長い捜索の末に、一匹の鯨を発見した。待ちに待ってましたと、心躍らせる観光客ら。カメラやビデオカメラを構える。

しかし、その鯨の後ろから突然現れたのは、捕鯨船!! ちょうど操業中で、たまたまこの鯨を追っかけていたのだった。鯨を射程に入れる。すぐ近くに観光ボートがいることにもお構いなく、“もり”撃ち砲を発射させる。銛(もり)は見事に命中。鯨から鮮血が噴出す。

開いた口がふさがらないのは観光ボートの上の観光客。せっかく“かわいい”鯨たちを見物に来たのに、あたりの海面は鯨の血で赤く染まっている・・・。ガーン、こんな話は聞いていなかったよ・・・。これを見るためにわざわざ海に乗り出してきたわけじゃないのに・・・。

静まり返る観光ボートの客ら。顔は青ざめる。ツアーの時間も残り少なく、ボートは帰路につくが、その途中に通りがかった別の捕鯨船の上では、捕獲された鯨の解体作業中。それを目にした観光客のテンションは下がる一方。

こんなハプニングはいつもいつも起こるわけではないらしいけれど、鯨見物のためには、鯨が多く生息するところに来なければならず、そういう場所はたいてい鯨の狩猟区域だったりするのらしい。

捕鯨船団のリーダーは「我々はこれで生計を立てているのだよ。私たちは、捕鯨に反対の観光客が鯨サファリに参加することを拒否したりしない。それと同じように、我々が合法で行っていることを否定しないで欲しい。」と苦言を呈している。

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なんだか、漫画のような話だったので、紹介してみました。捕鯨の是非の議論はよく知りませんが。おいしいものなら食べてみたいけれど。
去年、ノルウェーのロフォーテン諸島を自転車で旅行している最中に、バイクで旅行中のスウェーデン人の若者と、キャンピング場で飲み交わしましたが、彼もちょうどこのツアーに参加し、面白かった、といっていました。

一つ上手(うわて)の戦術

2006-07-11 06:30:02 | Yoshiの生活 (mitt liv)
先々週に、ヨーテボリ地域交通の窓口でもめた。しかも、一度ならず、3日続けて連続で。職員の言い分も理解できない訳ではないので、最初のうちは引き下がっていたが、3度目はもう我慢できなかった。窓口の職員では話にならないので、本社のお客様サービスセンターに苦情のメールをすぐさま書いておいた。端的な状況の説明と、こちらの主張。乱暴な言葉を避けつつも、読む側としてはやはり嬉しくない内容になったと思う。

もしこれが個人同士の喧嘩だったら、売り言葉に買い言葉の悪循環になるかもしれない。言われた相手は、言われたことに腹を立て、自分のメンツを守るために言い返してやらないと気が済まない。親切な言い方をされるのならまだしも、乱暴な言い方をされたのでは、こちらもそれ相応の“乱暴さ”で反撃しないと、相手に“一人勝ち”の優越感を与えてしまうからだ。だから、やり返す。その結果、どちらかの個人がメンツを失う、という損失は避けられつつも、双方が嫌な気分になる、という、いわゆるゲーム理論でいう所の「囚人のジレンマ」ゲームにおける「ナッシュ均衡」に陥ってしまう。

それが個人ではなく企業なら、お客に対して好き勝手なことを言い返せないにしろ、「そんなことウチの知ったことではありません」という呆気ない返事を書くこともできただろう。

ところが、今日もらった返事には、唖然とした。「窓口の職員は、もっと丁寧な対応ができたはずだ。」との反省の言葉とともに、問題の背景について説明した上で、なぜ私の望む通りにはできなかったのか、技術的なことを一つ一つ説明してくれていた。その上で、今後はそういう問題が生じないように、各窓口に知らせておく。それから、お客様からの意見や希望は、地域交通のサービスをよりよくしていくために欠かせないので、今後とも意見を寄せて欲しい。と締めくくられていた。書き方も、型にはまった「行政文書」ではなくて、一人一人に宛てて書いたことを感じさせる書き方

この返事を読んで、こちらのほうが気が引けてしまった。私のちょっと乱暴な苦情に対して、ここまで懇切丁寧に返事をくれるとは。かえってこちらのほうが申し訳ない気になってしまった。「丁寧な返事をありがとう。そちらの主張は良く分かった。前回のメールで不適切な言葉遣いをしていたとしたら、申し訳なかった」と返事を書いておいた。

地域交通の側がどこまで、この心理効果を予期して、こういう返事の書き方をしたのかは分からない。もしかしたら、対人コミュニケーションのとり方をしっかりとマスターして、担当職員に教育しているのかもしれない。ともかく、この戦術には一本取られた気がする。つまり、“キレた”相手に“キレて”やり返すのではなく、全く正反対のやり方でやり返して、意表を付かれた相手から“申し訳なさ”を誘い出す戦術。言い換えれば、相手の攻撃にまともに応戦しないで、一歩引いた上で、全く予期しない方向から意表を付いて、まるく納める方法。

人間同士の感情のぶつかり合いは、泥沼化してとかく不毛な結果に終わることが多いけれど、こういう対応の仕方もあるのかと、何だか嬉しくなってしまった。

Vatternrundan 2006 (4) やる気みなぎり絶好調

2006-07-07 06:52:57 | Vatternrundan:自転車レース
Hjoの町に近づくと、市の観光局が掲げた「I Love Hjo」という看板が見える。Hjoとは綴るものの、発音は“ヨー”とHを発音しない。なので「I Love You」をもじったダジャレなのだ。

Hjoでは第二チェックポイントがあり、コンピューターが参加者の通過時間を記録する。この記録は、すぐさまオンラインのデータベースに転送するため、誰でもネット上で家族や知り合いの途中経過を見ることができるのだ。

※動画(音が出ます)

Hjoのデポ(7時12分) こうやって、大会ボランティアが食べ物や水分の補給を助けてくれている

毎年、Hjoのデポでは、お弁当が出ることになっているのだけれど、食べたことがない。自転車を置く場所から離れていて時間がかかるし、そもそもそれほど腹は減っていない。今年も、トイレと水補給だけで済ます。自分の息子を応援しに来たという中年夫婦に写真を撮ってもらう。ゼッケンの番号から、息子は私よりも早くスタートしたと分かるけれど、まだ姿を見せないと、首を長くして待っていた。

10分弱の休憩の後、再び自転車に跨る。漕ぎ出してすぐに、真っ赤なお揃いのウェアを来た20人近いグループと一緒になった。Kungälvの自転車クラブと背中に書いてある。結構、乗りなれている人たちの集団で、こういうグループについていれば、安心だ。

今年の大会に先駆けて、大学の同僚が、このVätternrundanのコースのどの区間が好きか、と尋ねてきた。私のお気に入りは、まずGränna – Jönköping、それからFagerhult – Hjo、そして、このHjo – Karlsborgなのだ。JönköpingからFagerhultまでは毎年、辛くてしょうがないのだけれど、不思議なことに、その後FagerhultからHjoを抜けてKarlsborgまでは、一転して絶好調で漕げる。ちょうどこの区間を漕ぎながら何故か、と考えてみて気がつくのは、どうも追い風になるからなのだ、ということ。それに見晴らしも開けてきて、黄色の花が一面に広がる菜の花畑が両側に眩しいくらいに輝いている。

こうして隊列を組んで自転車を漕いでいると、守らなければならないマナー、というかルールがある。当然のことだけれど、隊列の変更や減速などをするときは後方の確認をする。自分じゃなくても、前の人が左右の後方をチラチラ見始めたら、何らかのアクションがある、と思って構えたほうがいい。それから、何らかの理由で、自転車のビシッと詰まった隊列の間に割り込みたいときは、手で必ず合図を出す。

ここからは、この大会に参加し始めて知ったこと。プロになればなるほど、みな前傾姿勢で漕いでいる。視線も前の自転車のタイヤに釘付けになる。そうすると、前方で何らかの危険が生じても、なかなか気がつかないことがある。例えば、前方で衝突事故があったり、障害物があったり、遅いグループがいたりして、左側に出て迂回しないといけない場合など。こういうときは、隊列の前の人が「前方注意、右によけろ」の合図を左手で、すぐ後ろの人に伝えるのだ。するとその人は、またその後ろの人に、同じように伝える。まるで、伝言ゲームのようだ。左折や右折のときも同じ。

しかし、手の動きだけでは、対応しきれない事態も発生する。例えば、水を飲んで、そのボトルをサドル下のボトル受けに戻しそこなって、路上に落とす人がたまにいる。すると、気づいた人から一斉に「AKTA!! (=Watch out!!)」と叫ぶのだ。いきなり路上に穴が開いていたりしたときも同じ。ただ、こういう状況では、自分から除けるのは難しく、運に任せるしかない。

我々の「特急」集団を追い抜いていく「新幹線」集団は、一列になって、左側の対向車線にはみ出して、すり抜けていく。そんなときにスリリングなのは、前から対向車が接近してくるとき、そんなときは「BIL(車)!!」「LASTBIL(トラック)!!」などといって、注意しあう。傍(はた)で見ていると、ちょっと危なっかしいのだけれど、いつもうまくクリアしている。後から聞いた話だけれど、父親は英語しかできないので「CAR!!」と叫んでいたという。確かに、この大会に参加する外国人はかなり多いので、英語の使用をもうちょっと意識すべきかもしれない。

そういえば、ゼッケン「11531」の父親はどこを走っているのだろう。もうそろそろ追い越してきてもいいのだけれど。200km地点を過ぎるにつれ、12000番台の人も見かけるようになるのに・・・。

走りやすく車も少ない田舎道から、大きな国道に出る。ここから鉄道橋を越えればKarlsborgのデポまでまっしぐら。

さて、デポへの曲がり角に来たけれど、一緒に走ってきた自転車クラブの集団は止まらずに先に行く様子を見せる。一緒に走りやすいグループだったので、敢えて付いて行くことにする。ここまでいいグループに、そう簡単に巡りあえるものではない。しかも、次のデポまでは22kmと短いのだ。

Karlsborgのデポの直後に大きな落とし穴が待ち構えている。「落とし穴」というと、隠れた穴の底に竹やりでも突き刺してありそうな感じだけれど、サイクリストにとっては、それと同じくらい痛い待ち伏せだ。何のことかというと、道の途中に横断歩道があり、車を減速させるために、一段高くなっているのだ。それだけならまだいいのだけれど、路肩から3mほどの路上に、大きな反射板が設置してあるのだ。かなり大きく、しかもサイクリストがなぎ倒せるような代物ではない。そんな障害物がいきなり路上に現れるのだ。上に書いたように、サイクリストはすぐ前の自転車に視線を集中させているので、気がつくのが遅れれば大事故になる。幸い我々のグループは声を掛け合って、避けることができた。しかし、これも後で聞いた話だけれど、父親の少し前を走っていたサイクリストは気がつかずに、自転車もろとも正面からこの反射板に突っ込んだという。彼の前のサイクリストが手で合図しなかったのかもしれない。走りなれていそうな参加者だったらしく、それまでせっかく200kmも走ってきたのに、リタイヤせざるを得ない。大会の時は一時的に撤去するように、大会本部にメールを書きたいと思っている。

ザリガニ食べるなら、これがなくっちゃ!

2006-07-06 03:37:23 | スウェーデン・その他の政治
過去の選挙ポスターのいくつか掲載したついでに、これも載せちゃえ!


- NEJ! -
「ザリガニには、この飲み物が不可欠!
8月27日(の投票日)に “NEJ”票を投じないなら、今後ザリガニを食べる資格なし!」


って、何のことか分かる人は鋭い。

1922年、禁酒法の導入の是非を問う国民投票に先駆けてのキャンペーン・ポスター。もちろん、これは反対勢力のキャンペーン。20世紀初頭から、アルコール消費の増大にともなう、国民健康や家庭での弊害が、大きな社会問題になっていた。そこで、アルコールを法律によって全面的に禁止してしまおう、という声が、禁酒運動グループの間から叫ばれるようになった。

1921年に、スウェーデン国会は、結果が拘束力を持たない国民投票を実施できるように、法改正を行った。その第1弾として行われたのが、この禁酒法の是非を問う国民投票(Folkomröstningen om rusdrycksförbud)だったのだ。

このポスターのオッチャン、かなりマジです。スウェーデンの伝統であるザリガニ・パーティー。ザリガニはあれど、強酒(ウオッカ)が無ければ、それはもうザリガニ・パーティーと呼べない、といわんばかり。私もザリガニを食べながら飲むsnaps(俗称nubbe)は格別だと思う一人なので、気持ちは分かります。

投票率は55%と低く、そのうち51%が反対票を投じた結果、否決される。スウェーデンは全面的な禁止、という方策は採らず、Systembolagetを通じた国による流通の独占によって、お酒の流通を管理する、という道を選ぶことになる。面白いのは、男女間の賛否の違い。男性の投票者の63%が反対票を入れている一方で、女性の投票者で反対した者は37%に過ぎなかった。やはり当時のスウェーデンでも、男性が家庭の内外で酒を飲みまくり、お金を使い果たしてしまったり、家庭で暴力を振るったりする者が多くて、女性はうんざりしていたのだろうか。

議員職はあくまでも社会奉仕

2006-07-05 02:54:14 | スウェーデン・その他の政治
今年、2006年9月17日はスウェーデン総選挙の日。スウェーデンは一院制で、任期は4年。選挙制度は、中選挙区制の下での比例代表制。どこかの政党に属さなければならず、無所属での立候補は無理。選挙権・被選挙権ともに18歳以上。前回、2002年の総選挙では、史上最年少の18歳の議員が誕生した。

今回の選挙での争点については、これから9月にかけてじっくり(のんびりと)書いて行きたいと思っています。

各党の比例代表の候補者名簿はだいたい決まりつつあるようだ。私の同僚で、同じく博士課程所属のNiklasは実は、某党のヨーテボリ選挙区の名簿に名を連ねている。順位は低いほうなので、その党が予想外の大躍進でもしない限り、当選は無理だと思うけれど。

ところで、最近の傾向として、国会議員の職を1期、もしくは2期という短い期間だけ務めて、辞める、つまり、次の選挙に立候補しない国会議員が増えてきているという。(落選したのでやむを得ず、というのは別)70年代、80年代は、平均して5期(当時は1期は3年)務めた後に次期の立候補を辞退していたが、今では2期(1期は4年)で辞める、という。年齢で見ると、特に若い政治家が、短期で国会を去るという。

理由はいくつか考えられる。
①長年にわたって国会議員をやってきた“エリート”集団が威張っていて、新参者はなかなか影響力を行使できず、自分が思い描いていたイメージとのギャップに落胆して去る者。これは、スウェーデンでも多かれ少なかれあるようだ。ただ、国会議員という職が長年の経験とネットワークを必要とするものであれば、ある意味、仕方がないのかもしれない。

政治家、という職務に対する若い世代の見方が変わってきつつある。つまり、古い世代の政治家は、政治家、というのは、一つの仕事であり、政党に必要とされる限り、長い間、続けてやっていくものだ、と考えているのらしい。一方、若い世代にとっては、政治家として有権者に選ばれる、というのは、ある一定の期間に行う社会奉仕に過ぎず、あくまで本職とは別。なので、その期間が終わったら“普通の”市民生活に戻るのが当然だ、と考えている、というのだ。

以前のブログに書いたように、18歳で当選したGustav Frödinも、エリート政治家、という概念には反対で、政治家は実生活や実社会に根ざしていなければならない、と言っていた。そういう理由から、彼も1期努めた後は普通の職に就きたい、と去年の秋の段階で、早くも表明していた。さらに言えば、比較的若い議員で構成され、彼も属している「環境党(miljöpartiet)」自身のポリシーにも、政治家は3期以上、国会に居座り続けるのは望ましくない、と書かれている。

エリート代議士、世襲代議士、元官僚の代議士が幅を利かせ、特権階級を形成している日本の政治。②にあるような、政治家はあくまで、ある一定の期間に行う社会奉仕に過ぎない、という考え方を、少しは見習うべきではないかと思う。

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最後に。2002年の総選挙では、18歳のGustavだけでなく、当時ちょうど20歳になったばかりのAxel Darvik(自由党)も当選している。この選挙で、自由党(folkpartiet)は大躍進を遂げ、候補者リストの下のほうにいた人まで“地すべり的に”当選したのだった。

この彼も、今年の総選挙には立候補しないと言っている。以下は、新聞DNとのインタビューの一部です。

「僕の若さでは、4年という任期は驚くほど長かった。この任期が終わったら、ヨーテボリの工科大学で勉強に打ち込もうと思っている。この4年間、学生や若者に関わる問題に携わってきたけれど、実感するのは、しっかりとした仕事を国会でするためには、実体験にもとづく自らの基盤が必要、ということ。」

-Q. 当選した当初はどうだったか?
「それまでの生活が一変した。1年目はフラストレーションの連続だった。頭に思い描いていたこともなかなかできず、無力感に悩まされた。あれにもこれにも首を突っ込むのではなく、まずは特定のことがらに集中することが重要だと、そのうち気がついた。国会内の、教育問題委員会のメンバーとして活動した。」

-Q. 実際の政策に影響を与えることができたと、思うか?
「はい。学生補助金、高校教育、エンジニア教育に関する自らの提案を、委員会で推し進めていけた。」

-Q. 所属する自由党の方針に忠実に従ってきたのか?
「いや。例えば、党の主張してきた“盗聴”法案には、以前から反対で、議決では反対票を投じた。」

「あと言えることは、国会での仕事の仕方は時代遅れだということ。いつも大量に配布される書類の山。なぜあれをデジタル化できないのか。他にも、錆付いた“慣習”がたくさんある。」

国会議員の仕事は若さだけでやっていけるものではないと思うけれど、こういうしっかりした若者が少しでもいれば、政治の風通しも良くなって、若者もより関心を持つに違いない。ちなみに、彼は国会での職からは退くものの、地元ヨーテボリで大学に通いながら、市会議員として活動しようと考えている。(スウェーデンの市会議員の多くは、通常の職との兼職

「有給休暇の拡大を!」

2006-07-02 19:39:57 | スウェーデン・その他の政治
スウェーデンを始め、ヨーロッパの国々の夏休みは長い。スウェーデンの場合、だいたい夏至祭(midsommaren)の前後から7月いっぱいは、職場がガランとしている。

スウェーデンの法令の中にもわざわざ「休暇法(Semesterlag)」という項目があり、休暇をとる権利の規定や、その長さと数え方、休暇中の有給の規定、労使交渉による休暇の上乗せ、次年度への繰越の規定、など細かく規定されている。

現在の休暇法では、労働者には1年間に25日間の有給休暇を取ることができる、とされている。
"Semesterlag (1977:480)
4 § Arbetstagare har rätt till tjugofem semesterdagar varje semesterår utom i fall som avses i 5 och 27 §§.
Under semesterledighet skall arbetstagare ha semesterlön i den mån han har tjänat in sådan under intjänandeåret. ……"

この場合、土・日を含まないので、続けて有給休暇を取れば、実質5週間、ということになる。これに加え、業界ごとに企業と労働組合の間で特別な取り決めがあり、25日にさらに上乗せされることも珍しくない。(たいてい賃上げ交渉の時の取り決め事項の一つ)

でも、最低5週間の有給休暇も最初から当然のこととして与えられていたわけではなく、20世紀、特に戦後の政治論争の中で獲得されたものであるようだ。過去の選挙キャンペーンのポスターを眺めていると、面白い発見がある。


1948年の社会民主党のポスター
「3週間の休暇を! - 社会民主党に投票しよう」
当時、ホワイトカラーは既に3週間の休暇を獲得していた。それを、ブルーカラーの労働者にも拡大しろ、ということらしい。


1950年の農民同盟(現・中央党)のポスター
「働く人全員に休暇を! - 農村(landsbygd)の政党・農民同盟に一票を」
ホワイトカラー、ブルーカラーだけではなく、農民も負けてはいません。


1960年の社会民主党のポスター
「4週間の休暇のために社会民主党に投票しよう」
海や湖のそばにサマーハウスを持って、のんびりとヨットやボートでくつろぐ。そんな、スウェーデン人が休暇に対して持っている一つの理想がポスターに現れています。


1976年の社民党のポスター
「5週間の休暇を! 社会民主党と一緒に、住みやすいこの国をさらによくして行こう」
また来たか!と言わんばかりに、人々の休暇への願望は留まる所を知りません。実は、この年の総選挙の争点は“原発問題”で、原子力発電所の拡大・存続・廃棄が激しく議論されていた。社会民主党は原発の存続を主張。しかし、これは国民には不人気。そこで、有権者のウケが良いと思われた“休暇の延長”を使って、争点をすり替えようとしたのではないかと、私は思う(定かではありませんが)。総選挙の結果は、原発の廃棄を訴えた中央党の勝利。しかし、5週間の休暇は1977年に上記の条文の形で法制化されます。


歴史的に社会民主党と協力関係が強かった農民同盟(中央党)は別として、右派政党のポスターには休暇を訴えたものが見つからない。労働者一般への休暇拡大にはあまり関心が無かったでしょうか。

そろそろ「6週間の休暇を!」の時期でしょうか?(笑)