三鷹の不動産屋社長のブログ

創業平成7年。今年で23年目を迎えるミタカホームズ代表。三鷹青年会議所OB。超プラス思考男で南国大好き!

忠綱寺

2010-02-22 15:14:43 | 世の中に思うこと
今日、私の親戚のご葬儀に参列してきました。
私の母の系列になりますが、母の実家は千葉県の佐原にある「浄土寺」という浄土真宗のお寺で、今は母の弟がついでいます。
今日行って来たのは、上野の池之端にある「忠綱寺」渡邊家は、浄土真宗大谷派(東本願寺)の宗派になります。
その他に、調布にある「長専寺」伊東家も親戚の寺になります。

久しぶりに行ったお寺の中に、お寺の由来が書いてあり、日本史にもその名前が登場する「徳川家康」の三河以来の部下で渡邊守綱という武将の子供の「渡邊重綱」の子「渡邊忠綱」が1623年に20歳の年でなくなったことをともらう為建立した寺だったので「忠綱寺」と名づけられたそうです。
親戚だけのお葬式でしたが、いいお葬式でした。

渡邊守綱について

渡辺守綱」(わたなべ・もりつな 1542 ~ 1620)とは、徳川家(松平家)の譜代家臣にして、徳川家康の主要な戦いに参加して優れた槍働きによる数々の戦功を上げた事から徳川十六神将に数えられる勇将。

通称は「槍の半蔵>」「槍半蔵」で、「鬼半蔵」こと服部半蔵と並び称された。 渡辺守綱が参加した主な戦い
八幡の戦い 1562年
三河一向一揆 1563年
姉川の戦い 1570年
三方ヶ原の戦い 1573年
長篠の戦い 1575年
小牧・長久手の戦い 1584年
関ヶ原の戦い 1600年
大坂冬の陣 1614年
大坂夏の陣 1615年
槍の半蔵
三河・松平氏譜代の家臣であり、渡辺綱(源綱)の後衛を称する渡辺氏の渡辺高綱の子に生まれる。

※徳川家康とは同い年。

16歳で今川義元の下で人質生活を送る徳川家康のもとに出仕し、桶狭間の戦いで今川義元が戦死して徳川家康が三河にて独立した後は、三河平定の為の戦いに参加し、今川氏真の将・板倉重貞との「八幡の戦い」では、徳川軍の先陣が崩壊する中で踏みとどまり、今川軍の攻勢を凌ぐ奮戦振りを見せた事から徳川家康より

今回の合戦に勝利できたのは、半蔵の槍一本の力である
とその勇戦ぶりを称ええられて以降「槍の半蔵」と呼ばれるようになった。



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