1995年1月1日 天皇一家
1995年1月4日 佳子内親王のお名前おお印「ゆうな」が決まる
1995年1月6日 紀子妃殿下・佳子内親王退院
女性自身1995年1月17日・24日号
「紀子さま第2子も女児で雅子さま「男の子を!」の重圧」
1995年2月22日 アイルランド大統領夫妻を招いての晩さん会
1995年2月23日 答礼レセプション
1995年3月12日 阪神淡路大震災の被災地訪問
1995年3月16日 佳子内親王・賢所・皇霊殿・神殿に謁するの儀
1995年5月5日 葉山の海岸で「うみへび~」の眞子さま
1995年5月14日 赤十字大会
1995年6月7日 産経児童出版文化賞贈賞式
1995年6月22日 ナイチンゲール紀章式
1995年 結核予防会全国大会
1995年7月8日 阪神淡路大震災お見舞いの為、神戸~阪神間を訪問
1995年7月8日 須崎御用邸で静養
佳子さまが生まれて安定の秋篠宮家。
でも1月17日に起きた阪神淡路大震災が暗い影を落とし、3月には地下鉄サリン事件と世間が何かと暗い感じです。
退院の時には笑顔の紀子様の表情が、どんどんはかない感じになっていくのが気になります。公務復帰が出産後わずか2か月後というのもすごすぎて。
どこかの皇太子妃は8年も出産せずに、産んだら産んだで1年の育児休暇を要求したんでしたっけ。
秋篠宮夫妻は震災後、一番先に被災地入りし、夏にも訪れています。そういう事が東宮家のカンに触ったのかもしれませんけどね。
秋篠宮家の働きは、皇太子家をはるかに凌駕していました。
そして、内部事情に詳しい人、という触れ込みのネットでは「秋篠宮家の活躍は妃殿下の努力の賜物」と。私もそれ、大いに認めております。
がしかし、今になると思います。
紀子さま、本当に頑張られた、努力された。
でも、もしかしたらもう少し、緩く生きてもよかったのかもしれない。
頑張っていただき国民は感激していたけれど、頑張れば頑張るほど、こちらは立つがあちらが立たない状態のジレンマに陥っていかれたのかも。
秋篠宮殿下のお写真のお姿と一番最近のものを見ると、幅が半分ぐらいに減ってしまわれている。やせてしまわれました。
今一番大切なのは、殿下の健康かもしれません。
悠仁殿下につなぐためには、殿下が長生きしてくださらないと、皇統はまた混迷を極めてしまうことになるでしょう。
やっつけ仕事の公務の方は、何だか営業の作り笑顔のようです。
お手振りを感激する人も知っていましすが、この世知辛い世間を、渡って行けるのか不安に思っています。
日本が地上の楽園であっても外国に目を付けられないかとそれも心配です。もう遅いのでしょうか。
マスコミは産経新聞だけ報じたそうですが、テレビ・ラジオともに全く無視だったため、私は気づくのが遅れました。
せめて、こちらのブログで、せっかく秋篠宮殿下の過去記事を御紹介なさっておられるのですから、「真珠婚 結婚30周年おめでとうございます!」と、ブログ内にあって、皆様に広報できたらよかったのになぁ~と後から思った次第です。