ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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皇室ウイークリー

2023-03-26 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

3月17日・・・天皇陛下 → 通常業務

      両陛下・愛子内親王 → 人事異動者に会う

3月21日・・・天皇陛下・愛子内親王 → 春季皇霊祭・春季神殿祭の儀

3月22日・・・天皇陛下 → 通常業務

 

皇嗣家

3月17日・・・佳子内親王 → 人事異動者に会釈

3月18日・・・両殿下 → 第10回国際アビリンピック(フランス・メッス大会)日本選手団に会う

3月21日・・・両殿下・佳子内親王 → 春季皇霊祭・春季神殿祭の儀

 本当に愛子内親王が春季皇霊祭に出席したかどうかは謎ですが。

 3月21日~22日 「第6回国連水と災害に関する特別会合」

 天皇陛下がビデオで講演

 「『巡る水』-水循環と社会の発展を考える-」

 「江戸における水循環の諸要素は、近代を経て現在の東京にも息付いています」

 気候変動問題や水問題の解決のヒントは「水循環」にあると指摘

 「人類はその歴史を通して、自然と共に歩み、災害に対応し、水の恩恵を享受してきた」

 なんだかね~私的活動とはいえ、国連に関わるのはまずいと思うし、この人は元々文系だし。知識も偏って狭いし。得意気に講演する度胸が怖い。

 

 3月2日 上皇夫妻 お忍びで美術館に。

お忍びのわりには大々的にマスコミを呼んでいます。

手をつないでいるのは、どこかに勝手にいかないようにする為でしょうけど、上皇陛下はまだ天皇のつもりじゃないのか?と。

 

 3月24日 天皇一家 美術館へ

いわゆる「私的」な美術館。ゆえに見ている所は報道されず。

前回と同じ美術館。この先には有名なレストランがあるんだそうで。

午後7時に美術館を訪れるなんてかなり遅すぎるし、夕食ついでだろうなと思います。

「お忍び」の手を使えば、どこへ行くのも可能になりましたね。

私は上皇后陛下の着物は好きです。嫌いではありません。

美智子妃として入内のおりには白羽二重をどれくらいかな~~~足袋100足とかいうのは覚えているんですよ。

で、結婚するのに何でそんなに足袋が必要なの?って母に聞いた事があります。

母は「足袋はすぐにダメになるんでしょう」と言ってました。

結婚された時から着道楽で、着物も洋服もモデル並みにとっかえひっかえしてて、国民は楽しかったけど皇室内ではどう思われていたのかあと。

上皇后は極端ななで肩なので、それにコンプレックスを持ち、次第に「肩パッド」が大きくなっていき、最後はガンダムになってしまわれた。

着物はそんな欠点を補うのによかったんでしょう。

しかし、日本には昭憲皇太后が示された「洋装令」があります。

これを受け継ぐ事も大事だと私は思っています。

21世紀の日本は洋装が当たり前で、むしろ和装に重きを置かなければという考えもあり、それにも私は賛成です。

最近では劇場でも若い人が着物を着てくる事が多いです。

しかし、素人の私が見てもその着物が「場にふさわしい」かというと中々そういう人が少なく、着付けが出来る我が家の姫は文句ばかり言ってます。

成人式の着物が廃れず、卒業式の袴姿はみんなではいからさんに。

そんな若い人達が、着物本来の着方をリーズナブルに学べたらもっといいのになと思います。

 

では、上皇后の何がいけないのかというと、彼女の和装はわりと「独りよがり」な所があるんですよね。

特に「洋装令」を考えると、自らそれを改革しようというのであれば全皇族にそれを求めなくてはいけない。

自分の価値観だけで自分の考えだけで自分だけというのがひっかかるところ。

戦没者慰霊祭の時の美智子さま。

着物を着ると陛下がよろめいた時に助けやすいから・・という理由を女性週刊誌に書かせていましたが、これこそ雅子さんと同じ「後付けの理由」なんです。

本来は洋装で行かないといけない場でわざわざ和服を選ぶあたりがあざとい。

喪服の階級わけっていうか、そういうのはよくわかりませんが本当にこの色でいいのかどうかっていうのもわからないんですよね。

美智子様がいいんだから日本中これでいいって事になるのかもしれませんが。

上皇の姉君、東久邇茂子さんが亡くなって3年目。皇族方が勢ぞろいしています。

この時はみな洋装でした。

ところが皇太子妃のみ和服だったのです。

回りはびっくり。え?何で?って。

指輪してていいの?とか思うけど、この頃って和服にアクセサリーをとがめる事はあまりなかったんですよね。

だから、今見ると変だけど和服にティアラもありね~~~みたいな感じ。

この写真の皇太子は徳仁さんのようになってますね。親子そっくりです。

 

紀宮が着用した美智子皇后の和服。

これは紀宮のたっての願いだったんですけど、元々地味好みで遠慮がちの紀宮はお母さまと違って着道楽はなさらなかった。

でも、この着物、帯が短くて着付けが大変だったと聞きます。

実は私の娘も私が成人式に来た振袖を着用したのですが、帯が短くて華やかさにちょっと欠けた部分がありました。そっか、今風は長いんだと思いました。

紀宮の場合、美智子様がもう少し気を遣ってあげたら、せめて帯くらい新しくしてあげたらよかったのになと思います。

 

元々皇族の正装は着物ではありません。

元皇族や元華族の家には伝わる小袿がない為、正田美智子さんは大変悔しい思いをした筈です。それゆえに着物に執着したのかとも思います。

でも21世紀の今、悠仁親王が袴を着用して参内する時代ですからこれも流れなんでしょうね。

皇居に袴をはいて行ってはいけない・・・なんて慣習は昔の話です。

 

 


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13 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (こうこ)
2023-03-26 09:04:20
>皇居に袴をはいて行ってはいけない・・・なんて慣習は昔の話です。

これはいつ頃の慣習なんですか?
初耳なんですが…

ご存知だとおもいますが、皇族の方々は着物をお召しになっていますよ。
昭和天皇、三笠宮殿下、高円宮殿下、秩父宮殿下、高松宮殿下…今上もお正月には羽織袴を召されてる写真がありましたね。

悠仁親王殿下の羽織袴を見て「武家の装束だ、相応しくない」と言われる方がいらっしゃりますが、己の無知をさらけだしてますよね。
女性の着物はいいのか?とは、ならない不思議…
元々着物は町人だって着てたし、御所風の着物もありますもんね。
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Unknown (エア)
2023-03-26 12:46:44
美智子さまが香淳皇后から婚約時代に贈られた帯を紀子さまと雅子さんに贈ったようですが、レプリカだったようでおそらく丸帯を袋帯にして同じ柄を織ったものだと思います。
紀宮さまの披露宴の帯も長くするなり、全通柄にするなりレプリカを作れば良かったと思います。
返信する
Unknown (さば助)
2023-03-26 13:28:34
皇居に袴をはいて行ってはいけない・・・なんて慣習は昔の話です。

ふぶき様そうですよね、鎌倉時代から江戸時代まで将軍は袴で朝廷には上がらず
公家と同じ装束に身を包んでいました。
でも悠仁殿下は貞明皇后 香淳皇后 皇嗣妃殿下から武家の血を継いでいるので良しとしても良いかと
返信する
Unknown (ふぶき)
2023-03-26 13:38:25
昭和天皇が羽織袴なんてお召しでしたか?
上皇が最初だと思います。

森光子さんが叙勲された時です。
裏方はジャニーズが取り仕切ったそうです。
東宝の関係者も一緒に参内。
その時に宮内庁から「羽織袴はダメ」と言われたそうです。
小泉元首相も羽織袴で参内しようとして止められたというエピソードがあります。
返信する
Unknown (佐保)
2023-03-26 13:39:12
ふぶきさんの着物に対するお考えを聞かせてくださってありがとうございます
人様のお庭先で物申すのもなんですが少々疑問がございます

洋装令、これは鹿鳴館の時代の話ではないでしょうか
西洋のものが入ってきて和洋入り乱れのおかしな格好、これでは西洋人に未開の国とみなされる、まず形を整えたのが日本人らしいと思います、しかし時代は変わりました
皇室内の方々の話ですよね
美智子様御一人が着物を御召しの画像ありがとうございます
これを見た途端、何年か前、美智子様が皇室に上がられた当時の再現ドラマ的なもの(さすがに牧野女官長をメインにしてましたが)そのシーンを思い出しました
儀式?にのぞまれるまえ、和装でのお支度を済ませてお待ちの美智子様に女官が駆け込んできて「皆様洋装をお召です」
こんな意地悪もあったんですよ的な、和装洋装逆だったかもしれませんが、御苦労を支えた女官長偉い的な
このお痩せになった頃の面差し、しのばれます

戦没者慰霊祭、これはやはり年数がたってますからね、鈍色も段々薄くなってもよろしいかと思います
陛下を支えるための理由が後付けと言うのがわかりません
ここが最も疑問を感じたところです
その通りに受け取ってはいけないでしょうか
前回も書き込みましたが、東日本大震災慰霊のときの黒紋付き喪装は、正式な礼装も整わない遺族に代わってまとってくださった、庶民に寄り沿ってくださった皇后陛下として説明抜きに素晴らしい御姿とおもいました
陛下をお支えするというお考えとともに、総合的判断ではないでしょうか

紀宮様はふくら雀に結ばれてましたね
長さが短かったというより変わり結びのせいか、結んだとき模様に欠けがでてしまったのでなかったかしら
そんな記憶があります、確かじゃないですが
そもそもこんな細身の方が結べないってwどんな帯
また、皇居に袴がいけない?
叙勲受章の方々の第一礼装紋付き羽織袴はどうしましょ

不明こともあるとは思います、こちらの勘違いでしたらお許し下さい
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Unknown (ふぶき)
2023-03-26 13:53:34
佐保さま
美智子様への思いはよくわかります。
当時はテレビなどでも「悲劇のヒロイン」としてとられられ、報道されていました。
虐めたのは女官や香淳皇后、宮妃たちと。
しかし、それは大きな勘違いなのです。

そもそも入内の経緯からして怪しい。
詳しくは私の過去記事をおよみ下さい。

「着物の方が・・」云々はネットでも盛んに議論されましたが「支えるなら洋装の方がいいんじゃないか」という事と、言い訳を出したのはそこに多少なりとも「罪悪感」があったからです。
美智子妃の納采の儀の時、小袿を持っていたなかった、ローブを持っていたなかった為、振袖を着用し、それが当たり前になってしまいましたが、本来は「妃」は五摂家や皇族から娶るもので、正装はやっぱり小袿などではなかったかと。

「洋装令」は明治の話ですが、昭憲皇太后のご意思を大切にしようという皇室の考え方なのです。
昭和36年当時は旧皇族・華族の方も多く、東久邇茂子さんも元宮妃です。
ゆえに参列される方はみな洋装。
それは伝えられていた筈です。
意地悪されたのではなく、庶民感覚で「こっちが正しい筈」と思い込んだ結果なのだと思います。
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Unknown (みやこ)
2023-03-26 15:33:36
美智子さまは、皇室に入って初めての誕生日に、訪問着姿で、昭和の両陛下に挨拶に行ってます。御懐妊5ヶ月くらいなんですけどね。今は、皇族方が誕生日に両陛下に挨拶行かれるときは、洋装ですよね。
華子さまは、納采の儀、振り袖でした。
美智子さまは、初めて海外訪問でアメリカに行ってませが、この時用意した訪問着は17着です。晩餐会以外の行事は、全て訪問着で道中は洋装だったとか。結婚わずか2年で、和服17着は凄いなと思います。
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Unknown (みやこ)
2023-03-26 17:35:01
続いてのコメント失礼します。
袴は、やっばり花村紅緒からでしたか。私も、短大の謝恩会は袴でした。ほとんど袴姿でしたね。平成生まれの姪っ子も、袴姿で卒業式でした。京都市は、毎年1月に、新成人の女子が三十三間堂で弓矢をするので、その影響もあるのかも。振袖に袴姿で弓矢、凛々しいです。
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Unknown (ロクサーヌ)
2023-03-26 19:18:16
「水」は中国が喉から手が出るほど欲しいものでしょう。
皇太子時代から、きな臭いから「水」には手を出すなとあれほど言われていたのに。しかも国連。
どうせ側近の言葉など聞かないでしょうけど
「あんまり水、水言ってると、大好きなイギリスから嫌われて行けなくなりますよ」とでも言えば考えるかな。
それとマサコさんファンがよく言う「アイコさまおキレイ~!」って言う時のアイコさんって
なぜか北朝鮮風味ですよね。
返信する
Unknown (キンポウゲ)
2023-03-26 19:59:52
いくら皇太子妃で、初めての海外訪問とはいえ和服17着はすごいですね。とてもいじめられている妃のできることではありません。
しかもそれらの和服が内親王や親王妃に譲られた話は、黒田清子さんの婚儀のものしか目にしたことがありません。どこへいっちゃったんでしょうねえ。
弟の嫁さんへいっているといわれたことがあります。2015年です。イギリスのウィリアム王子(当時)が来日なさり、悠仁さまに会いたいと希望したのに会わせませんでした。秋篠宮殿下(当時)と佳子さまを弟嫁の実家の大原美術館へやって、親が公務だから云々を言い訳にして。そのときそんな話がネットにでまわりました。
真偽のほどはさだかではありませんが。
美智子さんのものと似た着物を着ているという弟嫁の写真がアップされていました。
返信する

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