ちょっと本題に入る前に。
目まぐるしく変わっているんですが・・・またも緊急事態宣言で五輪も無観客が濃厚っていうかほぼ決定事項?になりつつあり、来日しているバッハがどんな顔をするやらと思ったりするのですが。
西村宮内庁長官は、皇族方の五輪参加について「調整中」とのことで、例の「拝察」については「感染対策を徹底して欲しい」と今度こそ自分がそう思っている風に発言。
でも天皇は「開会宣言」をする筈ではないのですか?
だけど、いわゆる「拝察」発言を西村長官にさせた事でいわば公然と「反五輪」のイメージを植え付けてしまいました。
さらに天皇はワクチンを接種したけど皇后はしていない。
宮内庁の見解は「天皇は公人として公表した方がいいという見解に至ったけど、皇后が接種したかどうかについては公表しない」とわけがわからない事を言い出す始末。
医師から「接種しない方がいい」と言われたのであれば、そう言えばいいだけの話。
何も言わずに一人だけ接種しないとなると、「ファイザー不信、ワクチン不信」を公にした事になり、これまた自ら「国のやってる事は信用できない」と言っているようなもの。
(ちなみにふぶきの部屋では「陰謀論」は受け付けません)
ゆえに、天皇皇后とも現政権に反旗を翻しているように見えてしまう。(本当にそうなんだろうけど)それって政治活動の何物でもないでしょう?
昭和の頃なら絶対に宮内庁長官に言わせたり、ワクチンを拒否したりは出来ない筈なのに、「ご意思」をあらわにし、週刊誌を使って喧伝し正当化し政府を攻撃するやり方はまさに平成流を受け継いだことに他なりません。
まさに天皇は上皇の息子だなと感心しますが、天皇の愚かなことは用意周到ではなく感情に振り回されてしまうことです(雅子皇后に?)
もし本当に宮内庁長官が更迭されたら責任とれるんでしょうか。
他人を思いやることの出来ない天皇、家族カプセルに入って楽な方向しか向かない天皇と気ままにしたい皇后に日本は貶められているのです。
天皇が五輪開会式に出るかどうかすら調整中なら、なぜなのか?そこを明らかにしてほしいです。リモートなんて事になったら無様以外の何物でもありません。
本題と無関係2
眞子様についての週刊誌の見出しは過激を極め、個人攻撃も甚だしい状況で、それでも一切抗議しない宮内庁に呆れるやら悲しいやら。
「全部眞子さまが悪い」と思っている人達も多いでしょうけど、だからって架空の話をでっち上げられたり予測されたりしていいとは言えません。
女性宮家に引っ掛けて、元々皇族でもないKKを「皇族資格はく奪」なんてタイトルを付けたり、「小室母に心酔「眞子さま小室家へ養子へ」とかありえないでしょう?
ちょっとカレシの母に親切にしたらもう「心酔」で、小室佳代氏の養子になってKKと兄妹婚なんて気持ち悪いことを考えるんじゃないよ。名誉棄損です。
そうまでして「眞子さまは皇室を出たいと思っている」という根拠はどこに?
眞子様は一度でもそんな事を発言しましたか?仮にそうならなぜ?
平成の時から「仮面一族」を演じさせられて来た秋篠宮家の姉妹。
エリザベス女王と孫たちのような温かい風景が一度でもあれば別だったのに。
そういう意味では上皇も上皇后も本当に「身内への愛に乏しい」人達だと思います。
いや、現実的には美智子上皇后は雅子皇后が一番大事だったんでしょうね。
本題です。
上皇の80年来の学友である明石氏が週刊誌を通して「絶縁」宣言しているんです。
「'16年8月、上皇さまは実質的に生前退位の意向を表明するビデオメッセージを公表されましたが、私はその約2週間前にお電話を頂戴しました。
私が学友としてマスコミの取材を受けることを踏まえられたのか、“誤った情報を伝えてほしくないので、明石には自分の考えを知っておいてほしい”というニュアンスだったと思います」
それでどうなの?って読者は思うでしょう?その時、明石氏は電話で何を言ったのか?と誰もが思うでしょう?
ところがっ
話は突如2019年の学習院の同窓会まで話が飛び、会の準備はしたけど出席はしなかったというのです。
なぜなら「自分が怒っていることを(天皇に)伝えたかったから」だそうです。
読者はここで「じゃあ2016年の電話の時に反対をしたのかな?どんな事を言って反対したのか?なぜ?」と聞きたくなるじゃないですか。
ところがっ
「長い間、私が敬愛してきたのは、ご自身たちを犠牲にして国民のこと、そして世界平和のことを第一に考えてくださる皇室でした。
ですが、今の皇室に対して私はそうは思いません。
皇室は変わってしまった。
その顕著な例が、眞子さまと小室圭さんの結婚問題です。
国民がコロナ禍に苦しんでいる中で、“公”より“私”を優先している皇室のことは信じられません」
といきなり眞子さまの結婚話に話は飛び、眞子様を「公」より「私」を優先したと責めるのです。
は?ってなりませんか?
眞子さまの結婚問題はコロナ前からあったこと
眞子さまは公務や祭祀をおろそかにしているわけではない
なのに「公」より「私」を優先していると断罪している。
そして眞子さまの結婚問題が上皇と明石氏の友情決裂の原因とまで書かれています。
元々「譲位」に関しての電話がきっかけではないのか?
なぜそこにいきなり眞子さまが?
「このような皇室をつくられたのは上皇ご夫妻だと思うのです。
おふたりはご結婚後に“ふつうの生活”を送ろうとなさった。
“国民の気持ちを知るには、皇室も一般家庭と同じような暮らしをするべきだ”とお考えになったのでしょうが、その努力が結果的に逆効果をもたらしてしまったのです」
乳母制度の廃止
東宮御所にキッチンを作ったこと
そもそも当時の皇太子に美智子妃が嫁いだのは国民がもろ手を挙げて歓迎した事ではないのですか?
明石氏もその一人だった筈です。散々称賛しておいてこれかい?
「上皇ご夫妻も私も、子どもたちが結婚したころの冬の晩、同級生夫婦4組で皇居にお邪魔しました。
久々の世間話で盛り上がる私たちに、美智子さまは手料理のお鍋をご馳走してくださったのです。
鍋物を選ばれたのは、私たちのふだんの食事を意識されたからなのかもしれません」
・・・・美智子さまは皇居にもキッチンを作ったのか?
そんな話あったっけ? 雅子妃の東宮御所改築の際の「なくなく諦めたL字キッチン」なら知ってるけど。
それにしても明石氏はちゃっかり鍋物を食べて世間話をしていたんじゃないですか。
「皇室の方々は生まれながらにして特別な存在で、そのような方々が国民に近づきすぎてはならなかった。
皇族として我慢を強いられるところや、“ここまで行っては、ふつうの人になってしまう”という一線を、上皇ご夫妻は越えられてしまわれたのです」
それはつまりどこがどんな風に「一線を越えたのか?」
という点について明石氏は明らかにしません。
いきなり秋篠宮家を責め始めるのです。
「思い返せば眞子さまの父親である秋篠宮さまも同様です。
秋篠宮さまと紀子さまとの婚約内定が報道されたのは、昭和天皇が崩御されてから約半年後の'89年8月。
そのころはまだ喪中で、国民が経済活動を自粛していた時期でした」
「言い換えれば、秋篠宮さまは結婚を我慢できず“私”を優先されたということです。
秋篠宮さまは幼いころから宮内庁に干渉されることを極力避けられ、“自由でいたい”というお考えでした。
秋篠宮さまのご結婚から、皇室の変化が露わになり始めたように感じています」
秋篠宮の結婚の当時を知らない人も増えている中でミスリードも甚だしいのですが。
「眞子さまのお相手である小室さんの身辺調査が不十分だったのも、秋篠宮さまの考え方によるものだと思います。
“宮内庁という公的機関に依存したくない”というお気持ちが強すぎたのではないでしょうか。
その結果、小室さんへの不信感が高まるような情報が、メディアによって次々と明かされることになってしまった」
腹が立つけど・・・我慢してこのまま読み進んでいくと明石氏は飛んでもないことを言い出す。
「おふたりは早く結婚なさって、一般の方として暮らすのがよいと思います。
私が考える問題の本質はそこではありません。
皇室の方々には“どのように働きかければ日本のため、そして世界平和のためになるのか”という点に目を向けていただきたい。
長い目で見て、皇室のあるべき姿をもう1度よく考えていただきたいのです」
ああっもうダメ。明石氏の自分勝手な「皇室像」に惑わされてはならないと頭をしゃきんとさせます。
そもそも皇室が「世界平和」を考える必要があるのか?
天皇が真っ先に考えなくてはならないのは「日本」の事ですよ。
明石氏は偏見を持ち、勘違いしている部分が多いと思います。
秋篠宮の結婚は喪中ではない
昭和天皇が病気で倒れた時、日本中が「自粛」ムードに包まれました。
お笑いもダメ、結婚式の出席者も減る・・でもそれは強制されたものではなく、国民が自発的に始めたものです。中には文句を言う人もいたと思います。その「不満」が平成になって「何で自粛したんだ?」的な話になったのはあります。
上皇が譲位したのも「天皇崩御にまつわる儀式が多くて国民に負担を強いる」ことを上げていますが、私達国民は迷惑というより静かに一つの時代の終焉を味わっていたのです。昭和天皇という存在はそれだけ大きく、崩御された時は本当に悲しかったし、大きな歴史の波が押し寄せたような感じでした。
昭和64年の1月7日に崩御され、2月に大葬の礼が行われたのですが、こう言ってはなんですが日本文化の粋をこらした素晴らしい葬送だったと思っています。
テレビとはいえ、そういう場面を見ることが出来てよかったと思います。
しかし、じゃあ、この年、国民は自粛していたのか?
平成元年になった途端に空気は変わりました。
大葬の礼が終われば、あとは皇族方の行事であって国民には何の関係もないのです。
ゆえに明石氏の「経済活動を自粛していた」というのは嘘です。
さらいに言うなら、喪期間は1年ですがもっと細かい規定に伴って「喪」は明けていたからこそ礼宮の結婚が発表されたのです。
それは貞明皇后の喪中に発表された池田厚子さんの結婚を先例としていました。
では礼宮が平成元年の夏に婚約を発表した理由は何だったか。
昭和63年頃から礼宮の「恋人」が存在するということでマスコミ報道が過熱していたこと。
浩宮の結婚が暗礁に乗り上げていたこと
これ以上川嶋家をマスコミの標的にしてはいけないと思ったこと
即位の大礼において皇太子妃不在で筆頭宮家の夫妻が必要だったこと
等々です。
そりゃ週刊誌では「身分違い」だのなんだのと書かれましたよ。
でも国民は「こんなに可愛らしくて素晴らしい川嶋紀子ちゃん」にすっかり魅了されてしまって祝福ムード満載だったのです。
明石氏は
・礼宮は宮内庁に干渉されるのを嫌った
・公より私を優先して結婚した
と主張しますが、宮内庁の干渉を嫌がったのは浩宮・・つまり皇太子です。
宮内庁全部が「小和田雅子さんは反対」といってお妃候補から外したのに、激怒して「それなら僕は結婚しない」と言ったのも皇太子です。
後に紀子妃はお妃として完璧で、礼宮がただ単に恋愛結婚で紀子様を選んだわけではないことを国民は認識させられます。
結婚してすぐに眞子さまと佳子様を授かり、そのまま言ったらきっと親王も1人2人生まれて子だくさんの宮家になっていたでしょう。
一方皇太子はどうか。
小和田雅子と結婚する為に彼女の出自すらごまかした
小和田雅子に言質を取られ言いなりに
小和田雅子の為に秋篠宮家には産児制限がかけられる
その他もろもろ、ディズニーランドあり、オランダ静養あり、不登校付き添いあり、ハシゴ静養あり、「公」より「私」を優先してきたのは東宮家であり、宮内庁からの干渉を拒んだのは東宮家です。
ネット上では「さすがに今上と皇后になった人達には言えない」んだろうという話。
で、明石氏が本当に言いたかったことは
「美智子さまは、いろいろなことに神経を使われるお方です。
私が考えている“新しい風”がうまくいかなかったということも、お気づきになっているのではないでしょうか。
本来、皇室はどのような立場で、どのように国民に対して役割を果たすべきなのかをお考えになり、皇室の未来がこれ以上悪い方向へ赴かないように、危機的状況に向き合っておられると思います」
こんな皇室にしたのは「美智子さま」と言いたいらしいのです。
皇太子がごねた時にはっきりと「小和田さんはダメ」と言えなかった美智子さま。
あとはもうやられっぱなしで自己保身と「慈愛」イメージを作る為に必死だった美智子さま。それが皇室にモラルハザードを起こしたことは事実でしょう。
眞子様をどうのこうのいう前に「公」より「私」を優先して譲位し、また赤坂の東宮御所に住みたいという上皇夫妻を何とかすべきですよね。
今頃そんな事いって何になるのか?
明石氏は秋篠宮家を侮辱しているのです。これはいくら上皇の学友といえど許されないことだと私は断言します。
反対を押し切って結婚していただかなくてもよかったのにね。
皇統を秋篠宮家に移せば済むだけのこと。東宮家に気を遣って産児制限させられなければ、悠仁さまのお兄さまもいらしたかもしれません。くだらない議論など不要で、安泰で正当な皇室が継続できたのでは?
自分の意見だとすれば、随分皮相な見方しか以前からして来なかったんですね。
いつも代弁していたあの床屋さんも、ピンボケでしたよね。明仁上皇のお仲間は、脳みそのレベルも、似てる?んでしょうか。ガッカリです。
あと、陰謀論に与しないとキッパリおっしゃったのにも賛同します。
きちんと読み解いて記事を挙げて下さること、本当にいつもありがとうございます。
お体まだ整っていらっしゃらないことと存じます。どうぞご自愛ください。
崩御の頃は卒業も就職も決まって私的に楽しい時でしたが、自粛ムードだからといって、我慢した記憶はありません。卒業旅行に海外にいくことにしていて、大喪の礼が見られなかったことは悔やまれました。
だから秋篠宮の婚約が喪中だのなんだのと非難されるいわれはないと思ってました。国民になんら迷惑をかけてないし、むしろ明るくなりました。
浩宮が独身時代に「ベルばら」の貸切公演を観劇し、その時私も劇場にいました。当時は人気があったし、お振舞もよく客席は盛り上がりましたよ。あのまま学習院卒の元華族のお嬢様とかとお見合い結婚なされば今頃は…まあ、宮内庁がしっかりしてないのは確かでしょうがね。
今回の明石氏の発言は、明石氏が本気で何かを訴えたかったのなら、女性週刊誌という売れて何ぼの与太もんではなくて、月刊誌のほうでその論を展開すべきだったと思います。
私は今回のこの記事を読みましたが、論理が飛躍するんですよ。それは多分、内容を要約しているからじゃないかと。本人の話を1時間分録音したとしても、15分ぐらいなものに記者は縮めてしまいます。だから話があっちへ行ったりこっちへ行ったりで、ご本人が本当は何を言いたいのか分からないありさまになっているのではと。
まあもう一つの疑惑は、明石氏御自身が若干認知入っておられて、自己満足的持論のみ展開してしまっていたかもしれませんけどね。このご年齢の方ですから。絶縁といったって、上皇陛下は明石氏のことを認識しているかどうか、もはや怪しいのではないかと私は思っています。
この方は、天皇陛下のご学友として、例えば生前退位のとき、安倍首相が特措法で対応したことについて、上皇から特措法とはけしからんという電話をもらったという話を出していましたね。平成天皇のメッセンジヤーであるという自負を持っていた気がします。
またこの方の長女は浩宮のお妃候補でした。たしか明石氏の父親が台湾の総督だったからという理由で、明石家側の辞退でしたが、本当のところ明石氏としては納得していなかったかもしれません。我が娘こそ皇太子妃にふさわしかったのにという思いは、雅子様が入内してからもずっと続いていたかもしれないと、これは私の憶測です。
当時の記憶は朧ですが、明石氏の長女は美人で、浩宮もかなりその気になっていたのに、横やりが入ったということだったかと。元華族の明石家のほうが当然家格が上です。
今回の文章を見ると、なぁんとなくその縁談のシコリが残っているような気もしてきます。もし我が娘が皇后だったら、皇室はこんなにはならなかった、というような。
蛇足ですが、ウィキによると「有力候補には今上天皇の学友で元華族・男爵の明石元紹の長女がおり、1988年(昭和63年)秋の秋篠宮文仁親王のダブル婚約の動きがあった」とあります。殿下の婚約時期云々の話は時折出ますが、昭和63年には既に秋篠宮殿下の婚約は既定路線だったことが分かります。
と同時に、今のこのありさまを見ると、明石氏の御長女が皇后になったほうが良かったんじゃないかなぁ~と。歴史は巻き戻せません。残念です。
上流階級の部類でしょうけど、一般市民が上皇に対し、自ら「絶縁宣言」する。昭和天皇の時だったら、畏れ多くて絶対に言えなかった事、考えられなかった事。皇室の権威も堕ちたもんだ。
荷物席でニタニタ笑っている天皇と上席に平然と座っている妻と娘。情けないの一言なんだから、秋篠宮さまの事より、天皇一家の方に苦情を言ったら?
明石さんいったい何を訴え、言いたいのか、考えが拡散して、よく分からない。
御成婚当初から美智子さまが気に入らなかったのが、年寄りの偏屈の固まったのが爆発したのかも。最初から付き合わなきゃいいのに。
上皇・上皇后が子供や孫の結婚、子孫繁栄などを目配りして考えて来なかった。KK問題の後始末もしないし。これが皇室衰退の原因。(紀子さまは、皇室に相応しい奇跡の女性で、皇后と違って皇室の為に尽くされています)
週刊誌の見境ないタイトルは悲しいばかりです。明石さんの記事も同じようなもので、コロナと災害で正直オリンピックどころではない日本にさらに痛手はいりません。
「1989年の9月に公表するに至りました。
これはいわゆる結納に当たる正式な婚約ではなく,皇室会議の議を経て婚約が内定したということを発表する機会でした。
服喪中のこうした発表は異例なことと思った人がいたようですが,1951年7月の順宮(現池田厚子)様の発表は貞明皇后の崩御から約2ヶ月後で,しかも当時参考としていた旧皇室服喪令によると,私たちの発表時期より一段階重い服喪期間中でしたので,手続きを終えたという発表は前例にもあり問題ないと宮内庁は判断したわけです。」
服喪中ではあったようです。
しかし宮内庁の判断で、前例があるから差し支えないということで。
明石氏の今回の談話は、意図的に上皇夫妻並びに秋篠宮殿下ご夫妻、天皇家全体を貶めているような。改めてよく読むと、明石氏の恨みつらみのような気もしてきました。そういう意味では女性週刊誌が身の丈に合うわけかな。
(週刊文春2019.5.30 「兄より先に結婚」と宣言していた秋篠宮 : 「秋篠宮・紀子さまご成婚秘話」初公開)
89年8月26日朝日新聞朝刊トップで「礼宮さまご婚約固まる」の大見出しで朝日が単独スクープだったようですが、宮内庁の正式発表を待たず美智子さんのリークって今回の眞子さまの件に似ているような。
サーヤの帝国ホテルでのお着物同様、結婚の準備には親が関わるのですから、もし喪中だとか問題があったのなら批判されるべきは礼宮殿下ではなく両親つまり美智子さん夫妻なのではと思います。