ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

永遠の乙女 華子妃殿下の肖像6

2021-08-28 07:00:00 | 永遠の乙女 華子妃殿下の肖像

 1971年 新年祝賀の儀の皇族方 

 

 1972年2月 スキーを楽しまれる

 週刊女性 1971年4月13日号

華子さまスキー焼けね・3月13日夜常陸宮ご夫妻は試写会へ

 

 1971年5月サウジアラビアのファイサル国王の宮中晩さん会

 女性セブン 1974年3月20に日号「妃殿下イキな帽子ですね」

 週刊明星 1974年4月21日号

「ぼくらの歌にも拍手を下さった 常盤会のチャリティショーに出席の常陸宮夫妻をフォーリーブスがお出迎え」

 

 時期不明 花を鑑賞する華子妃

 時期不明 園遊会での華子妃

 時期不明 空港で

 時期不明 

 時期不明 パーティで乾杯する華子妃

 時期不明 和服姿の華子妃

 1978年 アメリカ メリーランド州国立衛生研究所臨床センター視察

 1979年 ナイチンゲール紀章授与式で 美智子妃の手袋のボタンが外れないハプニング。どうしたのかと様子をうかがう華子妃と秩父宮妃

 時期不明 香淳皇后と組みひもに取り組む美智子妃と華子妃

 

華子妃の写真はなかなか残っていないのですが、週刊誌には定期的に取り上げられていたようです。毎年冬にはスキーへ行くのが恒例行事。

1975年に新居が完成。動物とのふれあいも多かった華子妃です。


コメント (7)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 聖女か悪女か美智子上皇后の... | トップ | 皇室ウイークリー »
最新の画像もっと見る

7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (かりん)
2021-08-28 14:29:57
華子妃殿下のファンです。
お写真を取り上げてくださってありがとうございます。なかなか拝見できないので、嬉しいです。
妃殿下はいつも皇族らしいおしゃれをなさっていて、拝見するたびに素敵だなぁと思います。お着物も豪華なものが多く、若いかたにもお譲りなさっていらっしゃるようですね。この宮家にお子様がいらしたらと思わずにはいられません。
返信する
Unknown (遠雷)
2021-08-28 20:28:25
いつも貴重な画像をあげていただき、ありがとうございます。
初めて目にする写真に、華子さまファンとしてはワクワクしながら拝見しております。

最初の1971年新年祝賀の儀の皇族方の写真に、若かりし高松宮殿下、三笠宮殿下、お元気そうな桂宮殿下。
それぞれの美しい妃殿下。

皇室にお生まれになった女性、皇室に嫁がれた女性。単純に適応などとは申せませんが…。
畏れ多くも、私の下世話な思考は、例えば島津貴子さまと美智子さま。池田厚子さまと三笠宮信子妃殿下の軋轢はなかったのだろうかと考えていた時期がありました。高貴な方々はそのような感情を表すわけもありませんが、その分の苦悩や孤独を抱えて生きていらしたのだと想像しております。

子供ができない。
男の子が産めない。
出自の確執。
理不尽なことばかりだったでしょう。

こちらも引き合いに出すことは不謹慎かもしれませんが、
「64(ロクヨン)」という横山秀夫氏の県警を舞台にし推理小説の中で、不祥事を起こした県警に警視庁から幹部が配属されることが決定したことを、副署長に抗議する県警の警部補。
「本部長だけは県警の人間にしてほしい。県警の希望の星なんです」
副署長が見据えて言う。
「どんな人間でも、組織に一年もすれば慣れる。3年で馴染む」

「慣れる」「馴染む」
これは強さに昇華できる可能性があります。できた方はより強く磨かれた美しさを備えます。華子さまは持ち得た聡明さ、芯の強さに怠らぬ努力をされて皇室に
「馴染んだ」素晴らしいお姫様です。
返信する
ティアラ姿 (しまき)
2021-08-29 06:59:00
いつも華子様の数々のお写真、掲載されるの結構大変だと思うのですが、見せていただき、ありがとうございます。

他のところから、ちょっとお写真借りてきました。
https://twitter.com/bluemoonstone17/status/1345011170864840705/photo/1

こちら、はっきりいつかわからないのですが、三笠宮のご長女の方がお嫁入する前は、全員ティアラをつけての新年祝賀の儀の写真だったみたいです。
それにしても上記写真の美智子様の頭の盛り様は、今から見ると異様ですね。そして華子様はとても気品あって美しい。他の皆様もです。

ところでこれはふぶき様に回答いただければと思うのですが、遠雷様コメントの「高松宮殿下、三笠宮殿下、桂宮殿下」に、私「あれ?そうだっけ?」と思ってしまって。
このひげを蓄えた方は、寛仁親王殿下だと思うのですが、この方については書かれておられないのと、私が高円宮殿下だと思っていたのが桂宮殿下?
お若いときの桂宮殿下のこと、私余り認知していないようで、よくわからなくなりました。解説お願いできればと思います。(いずれにしても三笠宮3親王殿下のうち、お一人は欠席ですね)
返信する
Unknown (遠雷)
2021-08-29 10:44:02
しまきさま
ご指摘の件、実はとても悩みました。
1971年という年代とネットで入手できる画像から推測いたしました。
写真の上の男性、 高円宮憲仁親王、そのお隣が寬仁親王。このお二方は自信があります。

私が桂宮宜仁親王と書きました理由は、1971年に殿下はご病状がまだ出ていらっしゃらなかったので、このような集合写真に参加できたことは可であったはずとの思いこみからです。

しまきさまのご指摘を受け、改めて検索をしてみましたら、お若い頃は髭がなかったし、写真では年齢より老けている感じもいたします。
従いまして……
どなたでしょう?混乱しております。

50年前の写真をじっくり見ておりましたら、昭和天皇のご兄弟は面影がそっくりで驚きます。お顔の輪郭やパーツの配置。

秩父宮雍仁親王
高松宮宣仁親王
三笠宮崇仁親王

過去のお写真はキャプションが付いていないと判別不能ですね。

秩父市の三峰神社参道の入り口に、三峰博物館があります。秩父宮家の旧別荘敷地内です。主な展示は三峰神社の歴史、ニホンオオカミ、秩父宮殿下のゆかりの品の数々。
お若い頃の殿下と勢津子妃殿下のお写真を見た時、あら?この方は秩父宮殿下ではないわ…。
そんなはずはないのですが(笑
判別不明ながら、大変に不謹慎ですがジグソーパズルのパーツを埋め込むような楽しみもあります。
返信する
Unknown (はらちゃん)
2021-08-29 15:44:07
ふぶき様へご回答をお願いとあるところ、でしゃばりまして申し訳ございません。

71年新年祝賀の儀のお写真ですが、一番左側の宮様は、桂宮さまで間違いないと思います。
71年当時は高円宮様は、まだ学生でいらしたので、お写真はないと思われます。
もし、間違えておりましたらすみません。
返信する
Unknown (はらちゃん)
2021-08-29 16:39:43
補足いたします。

左から、桂宮様、寛仁殿下(髭の殿下、お若い頃は髭はありませんでしたが、この頃はもうお有りでした)、高松宮様、後列右からお二人目のメガネの方が三笠宮様です。

たびたびのでしゃばりをお詫び申し上げます。
返信する
Unknown (遠雷)
2021-08-29 19:50:45
はらちゃん さま
ご教示に感謝申し上げます。
きっかけを与えてくださいました、しまきさま、ありがとうございました。
年代や時代背景などのアドバイス、加えて家系図を見直しつつ、私は楽しい時間をいただきました。

ご指摘を参考にしながら……。
「おっしゃる通りです。でもね、でもね。見て見て。このお顔は違いますでしよ?目もとが別人ですわ。そう思われません?」
などと顔を付き合わせながら、日曜日のお昼にアイスコーヒーを飲みながら、ああだこうだとお喋りを楽しんだ気持ちにさせていただきました。

ありがとうございました。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

永遠の乙女 華子妃殿下の肖像」カテゴリの最新記事