2004年11月5-11日 御料牧場静養
雅子様の静養な私的な外出には必ず「治療の一環により」という枕詞がつくようになりました。
しかし、何の治療で、どのように役に立つのかは誰もわかりません。
いつ公務に完全復帰するのか、今後どうしていくかについてまるっきりわかりません。
女性週刊誌は友納尚子が毎日のように
「雅子様は男子出産のプレッシャーで病気になった。精神的にひどい時でも精神科を受診させてくれなかった。育児休暇をくれなかった。香淳皇后の葬儀を欠席したのは科学的流産だった。産後の肥立ちが悪い雅子様を酷使した宮内庁。いじめたのは宮家。愛子様の育児に集中したいと雅子様は考えている。
皇室が悪い、国民が悪い」と呪文のように続けるので、当然それを鵜呑みにする人がいて「雅子様は私と同じ」と考える人が出て来ました。
世の中の「嫁」という人々がみな、姑にいびられ、夫からは冷たくされ、自分の自由を認めて貰えない。そんな自分を雅子さまに投影して同情するのです。
そんな流れになっていくので、「雅子さまは可哀想」と思う人も増えます。
そうなると、どんな時でも国民を味方につけてきた皇后さまの立場が危うくなります。
皇后様は自分が責められないように、沈黙するしかありませんでした。
2004年11月15日に紀宮清子内親王のご婚約が発表されました。
お会いての黒田慶樹さんは秋篠宮さまと同い年でご学友でした。
民間の企業にお勤めでしたが、東京都の試験を受けて受かり、地方公務員となられました。
実は、このご婚約は秋篠宮さまが紀宮様の為に一肌脱いだのです。
全く知らない誰かに嫁ぐより、小さい頃から「お兄様のお友達」として馴染みのある男性の方がいいだろうと思ったから。
無論、この時、紀宮様は34歳。当時としてはお子様を望むのは大変な事と思われました。
黒田さんにしても40になるまで独身を謳歌してきたのです。今更結婚を受け入れるかどうか。
でも秋篠宮さまは、皇室の内部が段々変化していくことにより、これ以上妹が両親の側にいると傷つくだけではないかとお考えになったのです。
黒田さんには「どうか承知してくれないだろうか」とお頼みになりました。
大恋愛もない、お見合いというわけでもない。
黒田家が紀宮様を受け入れるというこのご結婚。それでもお二人は感謝してお兄様殿下に「ありがとうございます」とおっしゃったのでした。
しかし、この結婚に反対だった人がいます。
それは皇后様でした。
皇后様にとって紀宮様は常に側にいるべき内親王です。
立ち居振る舞い、言葉遣い、礼儀作法なんでも完璧な娘は母の作品です。
30歳を過ぎたあたりから皇后さまにとって紀宮様はいなくてはならない存在になりましたし、もし嫁ぐとしても実業家や外務省の誰か、大使クラスなどを考えていたのです。
それがまさかサラリーマンの妻になるとは。
黒田さんとの結婚話が出た時も、小さく無視を決めておられた皇后さまでしたが、まさかそれが本当になるとは。
そして紀宮様の結婚に「蚊帳の外」にされた皇太子様も大層怒っていらっしゃいました。
別に妹君の結婚を決めてあげようと思ったわけではありません。
しかし、婚約にいたるまで一切が秘密とされて来たこと。その「秘密」に自分は混ぜて貰ってない事に腹が立ったのです。
婚約記者会見でも紀宮様も黒田さんも「秋篠宮両殿下には感謝申し上げます」とはっきりおっしゃっていました。
皇后陛下の予想外の所で動いた秋篠宮、そして妹の結婚に対して仲間外れにされた皇太子様。どちらも秋篠宮家には小さな恨みを抱えるようになってしまったのです。
2004年11月20日 雅子様の祖母江頭寿々子死去
江頭寿々子氏はチッソの江頭豊氏の妻です。
本来なら皇太子夫妻も葬儀には参加すべきではなかったのですが、東宮家はわざわざ3人で駆け付けたのでした。
11月30日は秋篠宮さまの誕生日で、いわゆる「人格否定発言」等に対してこのような発言をされています。
殿下「5月の発言について,私も少なからず驚いたわけですけれども,陛下も非常に驚かれたと聞いております。私の感想としましては,先ほどお話しましたようなことがあるのでしたら,少なくとも記者会見という場所において発言する前に,せめて陛下とその内容について話をして,その上での話であるべきではなかったかと思っております。そこのところは私としては残念に思います。
もう一つありましたね。
東宮御所での生活の成り立ちに伴う苦労ですね,これは私はどういう意味なのか理解できないところがありまして,前に皇太子殿下本人に尋ねたことがありました。
東宮御所の成り立ちに伴う様々な苦労とは,皇太子妃になって,つまり皇室に嫁ぐとふだんの生活においていろいろな人がその周りで働いている,近くで生活している空間においてもいろいろな人が周りにいる,そういう人たちに対する気配りというか,配慮ということであったり,なかなか容易に外出することが難しい,そういうことだそうであります。
そういうことを前提として私たちにそのような苦労があったかというと,主に私というよりも家内に関係するのかなと思います。
確かに東宮御所という大きい組織に比べれば,私の所はかなり周りにいる人たちの数も少ないので比べるというのは非常に無理があると思いますけれど,それを踏まえた上でどうでしょうね。
妃殿下「結婚してからの生活は,新しく出会う務めや初めて経験する慣習などが多くございました。
どのように務めを果たしたらよいか,至らない点をどのように改めたらよいかなど,不安や戸惑いなどもございましたが,その都度人々に支えられ,試行錯誤をしながら経験を積み,一つ一つを務めてまいりました。
両陛下は私たちの考えていることや感じていることを静かにお聞きくださり,私たちの務めや娘たちの成長を温かく見守ってくださいましたことに大変ありがたく思っております。
また,宮様が私の考えや気持ち,おかれている状況を的確にとらえて導いてくださったことは生活する上で大きな支えとなりました」
この発言は、皇太子様がもっとも触れてほしくない点だったので、もう言葉がありません。弟殿下に裏切られたような気がして大変ショックを受けました。
けれど、秋篠宮が内親王の状態について変に暴露しなかっただけいいではないかと必死にご自分を慰めました。
雅子様は紀子様の、こういう「いい子ぶる」所が大嫌いで、記者会見を見たあとはひとしきり不機嫌で部屋に閉じこもってしまいました。
紀子様のような学歴もないくせにいい子ぶって姑に好かれる次男の嫁、ほっとけばいいのに、負けたと完全に思ってしまうご自分が嫌です。
2004年12月1日 愛子内親王3歳
愛子様はすくすくと3歳を迎えたかにみえました。
音楽に合わせて踊って見たり、木の上に登らされてみたり・・・でもどこか幼い印象がぬぐえません。
2004年12月9日 雅子さまの誕生日
「体調は少しずつ快方に向かってきているように感じます。本格的に公務を再開するのにはまだしばらく時間を要するかもしれませんが、早く元気姿をお見せできますよう、関係者皆さまのお力添えを頂きながら引き続き回復に努めていきたいと思っております」
2004年12月19日 高松宮喜久子妃殿下薨去
2004年12月26日 「皇室典範に対する有識者会議」が始まる。
そしていよいよ、小泉内閣による「愛子天皇」擁立の動きが始まりました。
勿論、後ろには小和田の父君、外務省、そして大鳳会がいるのです。
首相は正直、女帝と女系の違いをしりませんでしたので、「愛子さんが天皇になってなんで悪いの?」っていう感じでした。
その無知な所に父君は付け入ったのです。
所詮、あれだけ世間から異例だといわれた、初の民間妃。生まれながらに皇族の娘を、嫁がせるなら家柄に配慮のないところとは。そりゃあ、自分の出自を超えるのは許せないのかも…。秋篠宮家冷遇の発端は、恋愛にもかかわらず川島家という正田家を超える家柄の令嬢を殿下が射止めてしまったからでしょうか。現に、自分のことを「粉屋の娘」としか見ていなかった宮家のお妃方は、すべて紀子さまをかわいがられたのですから…。
秋篠宮殿下が、黒田家を選んだのも気に食わなかったのでしょう。
因縁というのは、怖いですね…。
人前で殿下に言葉をはさむような紀子様は初めて見たので印象的
このことの善意、優しさ、理解できるのかな、あのお二人に
愛子さんを敬宮様と呼んで差し上げることも
この後の紀子様発言を見ながらワイドショーのコメンテイター、誰だったかな、悔しいけど思い出せない「今頃(雅子さん)歯ぎしりしてんじゃないですかね」って言ったのよ
痛快だったなぁ、皇室関係でコメントしている人だった
最近みないな
恐らく秋篠宮殿下は美智子さんがダメだと言えば眞子さまも周りも結婚を諦めるかもと時間を稼いだのに、美智子さんどころか、長男夫婦まで後押しをしてしまった。上皇と今上が反対し認めないと言えば小室ごときがどうこう出来る訳が無い。
そこで殿下の決断として、結婚は認めるが内親王としての全てを捨てさせたのです。本当に眞子さまとは仲の良い父娘でありましたから、殿下のお気持ちは察するに余りあるものでした。
眞子さまが内親王だから近付いて来た小室、それが分かった殿下はそれを捨てさせた。今、何とかアメリカで暮らしていけるのも、御両親の堅実で慎ましやかな暮らしぶりをみてきたからこそと気付いているでしょうか?
世間に放り出されても生きてゆける術を御両親は眞子さまに教えて来られたのです。改めて素晴らしい子育てをされたと思います。
これには、陰謀を巡らせたあ奴らも想定外だったのでしょうね。
紀子さまが入内された時の決心と全てを捨てた時の眞子さまの決心。
こんなにも似ておられるとは…
それにしても今上夫妻も国民は承知している愛子さまの状態を隠せていると思ったのでしょうかね?
公然の秘密として、国民は見守っていたのに【ご優秀】設定なんてするから(笑)
1番の被害者はやはり愛子さまなのかも知れませんね。
雅子さんも【ご優秀】設定にされて全く機能しなかった恥ずかしさが少しでも有れば、愛子さまも摂食障害等にならずに健康的でにこやかな内親王になっていたかも知れません。
母娘のご旅行はミテコ夫人が浮気をするための目くらましと書かれていました。(その都度、お相手が先乗りだそうです)
ミテコ夫人が失声症になったとき同乗した清子様の口角が上がっていたのが印象的でした。
あれは学生時代にミテコ夫人の命令で美容整形手術を強いられたと噂になっていました。
ミテコ夫人は美容整形が当たり前の国の出身、お風呂に毎日入らない習慣の国の出身なので、清子様に入浴をさせなかったとも。
むごいです。
黒田様は騎士だと思いました。
学生時代から性根がわかり最も信頼できる方に妹宮を託されたのですから、秋篠宮ご夫妻の御賢明さに拍手しておりました。
毒母から逃がされたのだと。
また秋篠宮後嗣ご夫妻はそれぞれ博士でいらっしゃいますよね。
皇族で一番ご多忙のなか、粛々と勉学をかさねてこられました。
ラドクリフ卒なのに同窓のケネディ駐日大使とご歓談を避けられたのは何故でしょ?
伺ってみたいものです。
いままでたっぷりとあった時間をどう過ごされたのかも。
このころ、いつまでたっても清子様がご結婚なさらないのはなぜなのか?とずっと不思議でした。
そして、焦るでもなし、お相手を探しているでもないような美智子さん。
いつまでも手元においておこうとするのが不思議でしたね。でも、こういう風に書かれると段々見えて来るものがありますね。
「科学的」と付ければ何やら確定した根拠のように見せられると思ったとしたら、浅はかですね。
医学的には何ら根拠の無いことなのに。
隣国議員の処理水に対する「科学的誠意を示せ」の「科学的」と変わりない薄っぺらさ。