ふぶきの部屋

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誰がために鐘は鳴る1

2011-01-09 12:45:52 | 宝塚コラム

昨日、VISA貸切で「誰がために鐘は鳴る」を見てきました。

なかなか人が入らない公演のようで、評価もまちまち。何でかな・・・・と。

大きな理由は

 作品が暗すぎる

 若手が生かされていない

 しつこい

等のようですが、個人的には「誰がために鐘は鳴る」は柴田作品の中でも1,2を

争う名作だと思っていますし、あの当時の星組の陣容に合わせて作られているの

ですから、今の宙組に合わないのは致し方ないのかなと。

でも、思うのは・・・歌舞伎ファンの場合、新作と同様に古典のよさもきちんと理解する

能力があるでしょう?

忠臣蔵」を見て「何で浅野匠頭は殿中で吉良を切りつけたわけ?部下の事を思えば

ああいう行動は理解出来ない」とか

いちいち大げさだわ

なんて感想は持たないと思うんですね。勿論、古典歌舞伎は時代を超えて人々の

共感を得るように出来ているわけで、一方の宝塚は「ベルばら」がそれに値する

とはいっても、脚本は時代の背景に合わせて作られているので、時代が違えば

共感できない部分も多いと思います。

だからこそ、宝塚は長年新作ばかり発表して来たわけで、今のように深く考えもせず

再演を繰り返してもかえって「宝塚は古臭い」で終わってしまうのではないかと。

とはいっても、見る側も「古典」のよさをきちんと理解する能力が欲しいと思うんです

単に「暗い」とか「しつこい」と思わずに、作者がどうしてこの台詞をここにあてたのか

とか、どういう意味で役者は話しているのか・・・とか、描かれた世界の事を少しでも

知って勉強して堪能して欲しい・・・と、思うんですけどね

 

昨日の舞台を見た感想の前に・・・・私が中学の時に見たテレビ版の感想を

書きたいと思います。

私は「ベルばら」鳳蘭の大ファンになり、「風と共に去りぬ」の

バトラーを生で見てすっかりとりこになって、そして「誰がために鐘は鳴る」

テレビで見た時、号泣して暫くは頭がぼーーっとしました。

そして録音したテープを毎日聴いて、台詞と歌を覚えて場面を思い出していました。

仙台にいたので劇場に通う事も出来ず、見るのはテレビばかりの世界でしたから

当時の舞台が「暗い」とか「老け役ばかり出ている」なんて思い様もなかったのです。

ただ・・・鳳蘭のロベルトが本当に素敵で、素直に「マリアになりたいな」と思いました。

キスのシーンで

鼻が邪魔にならないの?」の台詞を聞いたとき、

私もファーストキスの時は絶対にこの台詞を言おう」って決心して、後年、

うちの旦那とのキスの時に、これを言ったら全然通じなくて、かえってムードを

台無しにされたと思われた事を覚えています。

ロベルトの「僕の兎さん」

「君は可愛い」

「最後の所が一番気に入った」など、ロマンチック

で女性を心から大切にする台詞のオンパレードは、その後の私の人生においての

「男性像」の理想になりました。

マリアが陵辱された話が出てきますが・・・当時は、その意味があまりわかっていなかった

と思います。ただ「ひどい目に合わされた」彼女に対して「ますます君を好きになった

っていう優しさが嬉しくて

彼氏は・・夫は・・・彼女の全てを無条件に受け入れる人じゃないと嫌だ

女としての性的役割を押し付ける人は嫌だ キザだろうがなんだろうが、ロマンチック

な台詞をちゃんと言ってくれなきゃ嫌だ・・・そんな理想を固めてくれたのが

鳳蘭のロベルトだったわけですね。

(無論、うちの旦那様だって昔はロベルトみたいだったのですが・・・いや、

アンドレか。月日の惨さを痛感する今日この頃)

 

宝塚の世界観というのはどこまでも「女性を大切にする心」だと思います。

許容して抱擁して慰めて・・・究極の「愛」です

ゆえに「誰がために鐘は鳴る」は宝塚の真髄なんだと思います。

 

鳳蘭のロベルトは背が高くて台詞回しがゆったりしてて感情を表に出さない

言い方・・それがまた男らしくて頼りになります

しぐさの一つ一つがハリウッド俳優のそれみたいで、またそれが自然なので

ついうっとりしてしまいます。

さらに寺田先生の下から上に上がっていくメロディと、高音が伸びる歌い方がぴったり

合っていました。

専科に囲まれている時は「素敵な若造」で若手の前では「頼りになる兄貴」で

マリアに対しては「包容力だらけで彼」です。

その包容力は今も健在。ついこの間、「COCO」を見た時、ノエルが可愛くて仕方ない

って顔をするココに「いいなあ・・・ノエルになりたいなあ」って素直に思いましたもん。

そんな思いをさせてくれる男役は昨今はいませんね。

 

遥くららのマリアはめちゃくちゃ背が高くて硬い人でしたが、今の娘役にはない

純情」さが溢れていました。

専科のお姉さまの中でひときわ清純な印象を受けるので、「鼻が邪魔にならないの」

の台詞もわざとらしくないし、わりと積極的にロベルトに迫るシーンもありましたが

それは素直さと受け止める事が出来ました。

高宮沙千のローサはどこまでも大人の女性で、悲しみが溢れていましたし、圧倒的な

歌唱力に驚いたものです。

この作品には目には見えない場面を言うシーンや、思い出に浸るシーンが多々

ありますけど、どの役の人もその「遠い目」が上手でリアル。

ゆえに観客もその場にいるような気になれるんですね。

 

圧巻だったのは大路三千緒さんのピラール。

あの迫力とどっしり感は彼女にしか出せないムードでしたよねーー

 

今、見直すと確かにセットも衣装も地味で暗い・・・ひたすら作戦の話ばかり進み

それ以外はロベルトとマリアがいちゃいちゃしているだけ・・って感じですが

みんな戦争を経験していたり、戦後すぐの生まれの人達ですから、常にそこに

緊張感が漂い、たった3日間の恋も納得出来たんだと思います。

アウグスティンの「ああ平和かあ」「戦争なんてくだらねえ」は戦争を経験した

作者ならではの台詞で、実感がこもっていたしだから拍手もおきたのかなあ。

 

ラストシーン、ロベルトがマリアに

別れるんじゃないからさよならは言わないよ」

って言いながらアウグスティンに「さよならアウグスティン」って言うのが秀逸で

さらに「あの坊主あたまを頼むよ・・」で涙がぽろぽろ。

来たな・・・ようし、気を失って倒れるまで撃ち続けてやるぞ

で号泣

ああ・・今も・・・・  

以上、思い出話でした。

正直、原作も映画も挫折した私なんですけど、宝塚版は素敵な出来だったと

思います。

 


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