ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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天皇陛下 イギリス訪問記者会見 2

2024-06-21 07:05:00 | 皇室報道

 日英の王室皇室の21世紀のあるべき姿について

皇室の在り方や活動の基本は、以前からお話ししているとおり、国民の幸せを願って、国民と苦楽を共にすることだと思います。

 完全に言葉だけじゃないですか?気が付けば静養ばかりで。

また、時代の移り変わりや社会の変化に応じて、状況に対応した務めを果たしていくことが大切であると考えています。

英国の王室も同様に、英国の、その時々の状況に応じた活動をされているものと理解しております。

更に言えば、それは、英国という国がこれまで歩んできた歴史や、培ってきた文化や社会に根差したものではないかと思います。

英国に限らず、それぞれの国の王室の在り方を知る上では、その国の歴史や文化についての理解も大切なのではないかと思います。

今後も、皇室と英国の王室が世代を超えて交流を積み重ね、友好親善を深めていくことを願っております。

 建前論がすごいとしか・・・

 

 安定的な皇位継承について

現在、男性皇族の数が減り、高齢化が進んでいること、女性皇族は結婚により皇籍を離脱すること、といった事情により、公的活動を担うことができる皇族は、以前に比べ、減少してきています。

これは皇室の将来とも関係する問題ですが、制度に関わる事項について、私から言及することは控えたいと思います

 女性皇族は結婚により皇籍離脱するんだよね。ね。

 

 オックスフォードの思い出 二人で行きたい場所

「オックスフォードの2年間は、私たち二人にとって、本当にいろいろなことがあって、一言ではとても表現できないような日々でした。

オックスフォードでのそれぞれの学生生活について、楽しかったこととか、研究の話、あるいはどういった方々とお会いしてどのようなことをしたかとか、そういった話をすることがあります。

雅子からは早朝に起きてボートの練習に参加した話などを聞くことがありますし、私自身も回数は限られていますけれども、テムズ川でマートン・コレッジのボート部の人たちと一緒に練習をしたことがあり、そういった共通の話題もあります。

雅子は、先ほどもお話ししたように、オックスフォードでは国際関係論を研究しており、私はテムズ川の水上交通について研究していたので、研究分野は違いますけれども、研究に対するアプローチとか、先生と学生とが1対1で対面するチュートリアルの授業とか、あるいはセミナーとか、そういった話題もあります。

ただ一つだけ避ける話題としましては、オックスフォードで私はマートンに行って、雅子はベイリオルに行ったわけですが、どちらのコレッジが古いかという話があります。

これはお互いが自分たちの方が古いと主張していて、なかなか結論が出ないところのように聞いております。

 どっちのコレッジが古いかって?これ、冗談?まるで雅子さんの物言いそっくりですけど。

 留学したけどライフワークにならなかったというのが真相なんですね。

 現地に思い出の品を持って行くのか

共通の思い出の場所というのは、いろいろありますので、そういった話はよくします。

それから、私は、オックスフォードの街の中を散策するときとか、あるいは研究に出掛けるときなど、いろいろな写真を撮っていましたので、今回どのくらい写真を持っていくかは分かりませんけれども、私がいた当時と今で、どのようにオックスフォードが変わってきているか、そういったところは、是非確認してみたいと思っています。

やはり、二人ともオックスフォードで学び、2年間という非常に貴重な時間を、それぞれ時期は違いますけれども、過ごすことができて、いろいろな経験をすることができたことは、二人で会話をしていく上でもとても役に立つと思いますし、また、お互いを高め合っていく上でも、オックスフォードでの経験というのは、大きなものがあったのではないかと思っています。

先ほどの質問に関して付け加えたいのですけれども、例えば、思い出の場所としては、今回は行く機会がありませんが、オックスフォードの郊外のコッツウォルズという場所があります。

最近日本でも有名になっているところのようですけれども、蜂蜜色の石の建物などが非常に印象的で、雅子も、コッツウォルズに度々行っていたようですので、共通の話題となっています。

また、オックスフォードのクライストチャーチ・メドーという場所が、マートンから近いところにありますけれども、ここを散策した話なども、二人の間でよく出るところです。

 オックスフォードというワード連発。これは雅子さん作?

自慢する事が「留学」しかないって、年とるとこういう事になるんですね。

コッツウォルズくらい知ってらあとうそぶきたくなります。

 

全体的に観光旅行の様相が強い。目的が見えないから。

やっぱりセンチメンタルジャーニーかなあ。

テレビでは「外交官として留学していた雅子さま」って言ってますけど、違います。

「外務省職員」としての留学で外交官ではありません。

一人だけ修士を取れなかった記憶はトラウマにならないのですね。都合がいいわ。

 

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天皇陛下 イギリス訪問記者会見 1

2024-06-21 07:00:00 | 皇室報道

いよいよ22日からの英国訪問に関して、天皇陛下が単独で記者会見しました。

 英国訪問の意義・豊富

令和2年に英国より御招待を頂いたものの、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により延期されていた私たちの英国訪問が、この度、改めて頂いた御招待により、実現の運びとなったことを大変うれしく思っております。

御招待いただいた英国政府に対して、雅子と共に心から感謝しております。

この間、御招待を頂いていたエリザベス2世女王陛下が亡くなられたことは本当に残念なことでした。

御存命中に伺えなかったことが心残りです。

 能天気だなと思います。

「雅子とともに」というセリフはもう命令で言わされている?

無理に葬儀に行ったのにね。

 

私自身は、昭和61年、平成3年、平成13年に訪問を行ったほか、一昨年には、エリザベス女王陛下の御葬儀に参列するために二人で訪問いたしました。

上皇上皇后両陛下には、数度にわたって同国を御訪問になっており、それぞれの訪問先のことや、心のこもったおもてなし、お会いになった方々の心遣いなどについて、折に触れて伺っております。

このような背景の下、今回の英国訪問において、私が特に関心を払っていきたいと思っている点についてお話ししたいと思います。

第一に、今回の訪問を通じて、我が国と英国との間に培われてきた交流の歴史に思いをはせたいと思います。

両国間では、長きにわたり、王室と皇室の間、両国の政府・国民の間で幅広い交流が行われてきました。

1600年、英国人のウィリアム・アダムスは、オランダ船リーフデ号で航海していたところ、現在の大分県に漂着し、江戸に招かれて徳川家康の外交・貿易の顧問となりました。

その後、幕末から明治にかけて、1858年に日英の外交関係が開設され、1902年には日英同盟が締結されるなど、両国間の交流が活発になり、関係が深まりました。

20世紀の両国の関係には困難な時期もありましたが、現在の日英両国は、経済、文化、科学技術、教育など、幅広い分野において緊密な協力関係を有しています。

王室と皇室の間でも、明治以降多くの交流が積み重ねられてきています。 

昭和50年にエリザベス女王陛下御夫妻が国賓として来日されたことや、昭和61年に当時のチャールズ皇太子殿下御夫妻が公賓として来日されたことは、その時代を知る人々の心に今でも残っていると思います。

最近では、平成27年に、ウィリアム王子、現在の皇太子殿下が、我が国を訪問されて東日本大震災の被災地である福島県と宮城県で被災者をお見舞いくださいました。

また、令和元年には、チャールズ3世国王陛下が、皇太子として私の即位の礼に出席してくださったことは有り難いことでした。

このように長きにわたる日英の交流の積み重ねを踏まえながら、今回の訪問では、チャールズ国王陛下御夫妻始め英国王室の方々と旧交を温めるとともに、在留邦人や日本とゆかりのある英国の方々などから、両国の交流の歩みなどについてお話を伺い、我が国と英国の人々との友好関係が更に深まる機会になればと思っております。

 申し訳ないのですが「友好」を崩す結果になりそうです。

がんの治療をしている国王、皇太子妃に加え、さらに選挙期間中に無理に訪問するのに「友好」もなにもないのでは。

 

また、今回視察するフランシス・クリック研究所では、日英の研究者が協力して医療・生命科学分野の研究を行っていると聞いており、がんやインフルエンザワクチンなどの最先端の研究についてお話を伺う予定です。

さらに、今回訪問するジャパン・ハウス ロンドンは、多くの文化行事を開催するなど、文化を中心に日本の魅力を発信していると聞いており、現地の展示を見ながら、英国でどのように日本文化を発信しているかなどについて実際に見たり、お聞きしたりしたいと思っています。

 国賓としての訪問というより、お勉強と観光が目的かな?事前に勉強せずに行くのか?

第二に、我が国と英国の若い世代の交流についてです。

昭和62年以降、JETプログラムには、英国から約1万2千人が参加しているとのことで、このプログラムにより日本に派遣され、各地の学校での語学指導や、地方自治体での国際交流支援などを行った青年たちが、英国への帰国後、閣僚、下院議員、大学教授、政府職員、日本企業の社員などとして活躍していると聞いております。

私自身、以前に雅子と共にJETプログラムの記念式典に出席した折に、JETプログラムに参加した方々にお会いしたことがありますが、今回、お会いする方々からも、日本での滞在の印象や両国の交流についてお聞きしたいと思っています。

また、今回の訪問中に、Ⅴ&A子ども博物館で、日英両国の小学生と直接交流することも雅子と共に楽しみにしています。

こうした日英の若い世代が、今後も交流を深めながら有意義な経験を積み、活躍していくことを期待しています。

 また「雅子と共に」ですか・・・・妻を強調せずにいられない病なんでしょうか?

 何だか全ての言葉が「ときいております」「楽しみにしています」「思っています」が多くて、また聞きみたいに聞こえるし、さらに社会見学っぽいんですね。

 

また、私が関心を寄せている「水」問題について言いますと、水の恩恵を享受しつつ、災害に対応することは、歴史を通じた人類共通の歩みでもあり、各国の水を巡る問題を知ることは、それぞれの国の社会や文化を理解することにもつながります。

今回訪問する予定のテムズバリアは、1953年に発生した北海の高潮被害を教訓として建設され、1982年に完成した可動式の洪水バリアです。

現地を訪問し、テムズバリアの構造や運用状況、そして、高潮被害の防止のためにどのような取組が行われてきたかなどについて理解を深めたいと考えています。

 陛下のいう「水」の研究は一向に成果をあげていませんね。水災害が多い日本において、なんら解決策を出すでもなく、それなのにテムズ河に関心があると?

当時は「運河」の研究だった筈。

また、今テムズ河は非常に汚れていることをどうとらえているのでしょうか?

これまた社会見学ですよね。

 

私たちにとって、英国は、それぞれ留学生活を送った思い出の地であることもあり、今回の訪問を楽しみにしています。

雅子も、英国より御招待いただいたことを有り難く思っており、オックスフォード大学で過ごした2年間を懐かしく思い出しながら、今回の訪問を楽しみにするとともに、日英の交流の歴史に思いをはせつつ、これまで築かれてきた日英間の友好関係が更に深まっていくことを願っています。

また、愛子も、高校生の時にイートン校に短期留学した時のことを懐かしく思っており、その時の滞在中の思い出などについて家族で話をすることもあります。

 雅子が、愛子が・・・といってもね。愛子内親王は留学じゃなくて合宿みたいなものだったと記憶しておりますが。いかにもこうやって印象操作をしていくんですね。

 

 イギリス留学の思い出

私がオックスフォードに滞在したのは、昭和58年6月から60年10月に至る2年4か月間でした。

その間のことについては、私の著書である「テムズとともに」にも書きましたように、一口では表現できない数々の経験を積むことができました。

 寮で洗濯機に洗剤を入れ過ぎて泡が噴出したとか、パブにノーネクタイだったから入れなかったとか、そんな話ばっかりでしたよね。秋篠宮殿下と違って、研究している姿が全然ない。報道されていないので、2年4ヶ月、本当は何をしていたのかわからないです。

オックスフォードでは、様々な人と出会え、また、研究という一つの柱を通じて数々の貴重な経験をし、研究者であればこそ味わえる感動を覚える日々でした。

私の研究テーマは、18世紀におけるテムズ川の水運の歴史についてでした。

今でも、留学から帰国した後にまとめた研究論文を読み直すと、テムズと共に過ごした日々の記憶がありありとよみがえってきます。

 水運の歴史と水の研究にはかなり距離があると思うのですが。

テムズ関係の史料集めに奔走したこと、ピーター・マサイアス、ロジャー・ハイフィールド両先生を始めとする多くの方々の御指導や御協力を頂いたこと、研究で疲れた私を癒やしてくれたテムズの緩やかな流れと周囲の美しい景観、テムズを見ながら川沿いをジョギングした日々など、数え上げたらきりがありません。

マートン・コレッジの寮生活では、専攻分野や出身国を異にする学生が共に生活する中で、多くの貴重な経験をすることができました。

例えば、コレッジでは食堂での食事が大切な交流の場となっていました。

食堂での席は自由であり、近くに座った者同士が自己紹介し、握手し合っている光景をよく目にしたものです。

コレッジの食事の場は、他の学生との会話を通して、自分の専門外の話や広範な知識を身に付けられる貴重な機会となっており、当時、私が弦楽四重奏のグループを作ることができたのも、朝の食堂での一学生との出会いがきっかけでした。

このように、寮生活を通しても、多くの友人や知り合いを得ることができたことは有り難いことでした。

 気が付けば食事の話と音楽のこと、何を勉強しに行ったのか正直わかりませんでした。

一年くらいいたのかなと思ったけど、入学式から4ヶ月だったんですね。で、その間、ご両親が外遊のさいに立ち寄ったりして。

礼宮殿下の時はそういう事が一切なかったんですけど。かなり過保護にされてましたね。

 

留学の経験から、英国では、伝統を重んじながら、古いものと新しいものを対立させることなく見事に融合させており、柔軟性のある社会が形成されているという印象を受けました。

例えば、オックスフォード大学の入学式での服装や、ラテン語で行われる式の進行を見ても、数百年にわたって継承されている伝統を感じたものです。

このように伝統が重視されるオックスフォードの街で、ガウンを身にまとい、学帽をかぶって歩く学生と、パンク・ファッションの若者がすれ違っても特に違和感がなく、両者がうまく街に吸収されているかのように思われたものでした。

 うーん・・・そうなのって感じで。イギリス最高の学府とパンクを並べなくてもね。

ご自分は伝統を全部無視しているんですけど、何を学んだんでしょうか。

 

留学中にも、英国王室の方々から、様々な形でお心遣いを頂きました。

英国に到着した翌々日、エリザベス女王陛下からバッキンガム宮殿でのお茶に御招待いただき、女王陛下御自身で紅茶をいれてくださるなど、くつろいだ雰囲気の中で、楽しいひとときを過ごさせていただきました。

女王陛下からは、日本訪問時のお話や今後の私の英国での生活についてのお尋ねがあったことを覚えています。

その翌年、女王陛下の御招待でスコットランドのバルモラル城を訪れた際には、女王陛下、フィリップ王配殿下を始め、王室の方々と数日間御一緒する機会に恵まれました。

滞在中、女王陛下が車を運転してくださり、敷地内の建物でのバーベキューに御招待いただいたり、フィリップ殿下が自ら馬車を操って敷地内を御案内くださったりしたことはとても有り難く、懐かしい思い出になっています。

また、当時のチャールズ皇太子殿下とは、バルモラル城近くの川で毛ばりで魚を釣るフライフィッシングを御一緒しました。

私自身フライフィッシングは初めての経験でしたが、皇太子殿下から毛ばりの付け方や毛ばりの投げ方などを丁寧に教えていただきました。

二人そろってウェーダーという胴付長靴を履いて川の中に入り、近くで大きな魚が跳ねるのを見たのですが、二人とも収穫はありませんでした。

このように、女王陛下を始めとする英国王室の皆様に家族の一員であるかのような心温まるおもてなしを頂いたことが懐かしく思い出されます。

そして、このことは長年にわたって、日英の皇室、王室の皆様が培ってこられた温かい交流の歴史のお陰と深く感謝しております。

 あちらは「昭和天皇の孫」だから大事にしたんですよ。

自分が皇太子になってからは、雅子さんのせいでダイアナ妃の被災地訪問をダメにしたり、衣装被りしたりとめちゃくちゃな事をやってますけど、何も思わないかな?

 

雅子も、昭和63年から平成2年にかけて、当時勤めていた外務省の研修生としてオックスフォード大学のベイリオル・コレッジに留学し、大学院で国際関係論を学びました。

オックスフォード大学の歴史や伝統、荘厳な建物や庭の美しさなどに感銘を受けるとともに、先生方や友人たちからも多くのことを教わり、かけがえのない貴重な経験ができたということです。

また、英国各地の美しい風景や人々の親切も深く心に残り、私同様、思い出深い2年間になったようです。

今回の訪問で、初めて雅子と一緒にオックスフォードのマートン・コレッジやベイリオル・コレッジなどを訪れ、市内を散策することを心待ちにしております。

 イギリス留学は天皇にとって最高に楽しい人生の思い出だという事はわかります。なんせ「お妃候補」が沢山いて、自分に注目が集まって、さらにイギリスでは遊んだ経験の方が多いでしょうし。センチメンタルジャーニーなのでは。

 皇后にとっては、決していい思い出ばかりじゃないと思うんですけど。自分がはりきって「浩宮様とは結婚しません」と啖呵切った事は全部忘れてる?そういう事を言われた経験があるのに「心待ち」にするほどなのね・・・天皇陛下って感じです。

私が留学した経験から言いますと、実際に外国に行き、自分自身で様々なものを見て、そこに暮らす人々に会い、経験を積むことによって、テレビやインターネットでは知り得ない多くのことに触れることができるように思います。

さらに、一つの国に一定の期間滞在することは、日本の外に出て日本を見つめ直すまたとない機会となると思います。

今後とも、我が国の若い世代の人々が外国への関心を持ち続け、留学などを通して、世界中の国や人々との友好を深める機会が増えていくことを期待しています。

 ですからそういうの、今は流行らないって。この円安で給料が上がらないのに、「洋行」経験こそキャリアと言ってしまえる天皇の頭の中を見たいです。

正直「留学しても何も実にならなかった」見本が天皇陛下ですから。

チャールズ国王陛下が、御病気の御治療中にもかかわらず、私たちをお迎えくださることを大変有り難く思います。

また、キャサリン皇太子妃殿下も御治療中にありながら、少しずつ御公務にも復帰されると伺いました。

お二方ともいろいろと大変でいらっしゃると思いますが、御治療が順調に進み、お早い御快復がお出来になるようお祈りしております。

 ニュースではキャサリン妃とも会うと言われています。

まさしく療養中の人と会うのか?全く意味がわからない。

 色々大変・・ってバカにしてる?他人事?あまりにもひどい言葉です。

 

 先の大戦のこと 愛子内親王等に対する期待

先の大戦においては、世界の各国で多くの尊い命が失われたことを大変痛ましく思います。

我が国と英国も、不幸にも戦火を交えることになったことは、誠に残念なことでした。

私と雅子は、戦後生まれであり、戦争を体験していませんが、亡くなられた方々や苦しく、悲しい思いをされた方々のことを忘れずに、過去の歴史に対する理解を深め、平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと思います。

 今更戦争の事を質問する記者も記者です。もう70年以上経っているのに。

「我が国と英国も」の一文は余計でした。

上皇陛下からは、お若い頃にジョージ5世伝を読まれたことやエリザベス女王陛下の戴冠式に出席されたことなど、また、両陛下で英国を訪問されたときのことなど、英国王室との交流について折に触れて伺ってきました。

また、両陛下の戦時中の御体験のお話など、平和を大切に思われるお気持ちについて伺う機会が幾度もあり、私もそのようなお気持ちをしっかりと受け継いでまいりたいと思っています。

戦後、我が国は、英国を含む各国と共に、国際社会の平和と繁栄のために力を尽くしてきました。現在、英国とは、経済、文化、科学技術、教育など、幅広い分野において緊密な協力関係を構築するに至っていますが、その陰には、戦争の傷を癒やすために両国の人々が地道に積み重ねた努力があったことを忘れることはできません。

今回の訪問を契機として、日英両国がこれまでに重ねてきた交流の歴史を踏まえながら、友好親善が更に深まることを願っております。

外国訪問は、国際親善の増進のために皇室が果たすべき役割の中で、大事な柱の一つであると考えています。

昭和天皇並びに香淳皇后も、上皇上皇后両陛下も、外国訪問に当たっては、相手国と我が国との歴史を心に留められると同時に、両国間の相互理解と友好親善をどのように更に深めていくのが良いかということを深くお考えになりながら、御訪問先での諸行事に臨まれたと思います。

こうしたなさりようとお気持ちを、私たちとしても大切にして国際親善に努めていきたいと考えており、今回、雅子と共に英国を訪問できることをうれしく思っております。

 ここらへんは小和田節ですかね。

進講1回でそこまで勉強出来るものなんですかね。

愛子については、社会人としての生活を通じて知識や経験を広げていく中で、将来の公務の方向性などについても考えていくことになると思います。

2月には、ケニアの大統領御夫妻をお迎えしての宮中午さんに出席しました。

今後は、公的にも私的にも、海外の方々と接する機会が増えてくると思います。

そのような機会を通じて視野を広げるとともに、国際親善に努めていくことができるよう願っております。

 22歳にもなって「将来の公務の方向性」ってなんですか?まるで幼稚園児みたいじゃないですか。ケニアの宮中午餐会は親としての自慢ですか?

国際親善なんてありえないわ。

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