世なおし倶楽部

①ことば遊びから哲学へ②安全な国産の農産物等の生産、流通③人に健康社会に平和④地球環境とエネルギー⑤矛盾の活用

ほくと

2007-08-17 21:02:55 | 自然・環境・生活
お盆休みの最終日に、札幌は南区の石舞台での、
北の出会い・・・

犬は秋田犬のオス5歳

毛並みは3色で、ペットショップでは取り扱わない色気

九死に一生の命を拾った幸運な犬だ

竹音気に反応してくれた

お盆の付き合いと云うことかも

五木の子守唄をツウコーラス披露した

盆きりよ、 盆から先はおらんど。盆が早よ来りゃ、
早よ戻る・・・

おおらかで正義は、争いを好まない
秋田犬はやさしい犬だそうだ

去り際の潔い

2007-08-17 19:39:04 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
花の命は、短くてこその美しさ

パッと光って、パラパラと消えてあとは真っ暗
花火はやっぱり生がいい

花火でなくても、生、実物が一番
と、思いながらも、写真を撮りたくなるのはなぜだろう・・・

コメントと結婚式の挨拶と、鼻毛は短いのがよい。

世なおし倶楽部
http://blog.goo.ne.jp/yonaoshi-club/

陰陽の極意

2007-08-15 16:11:53 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
お盆にちなんで、逆さまの権化である「陰陽」を徒然にと思いましたが、寝不足はお肌の大敵と云うことで毒多ストップ!寝不足すると肝臓が機能をサボるので解毒作用低下と云うわけで夜更かしは「毒多す止ぷ」でイーんだよ。

冗句はこれくらいにして、さわり(イントロ)だけ・・・

この世の軸が三軸・・・上下軸、前後軸、左右軸
あの世への軸を加えて四軸目があり「有無軸」あるいは、「膨張収縮軸=呼吸軸」
これらすべて(四軸)の各軸は「陰陽」で成り立っている。

上下=陰陽
左右=陰陽
前後=陰陽
吸う吐く=陰陽

時空=陽陰
過去未来=陽陰

世の学者が、陰陽道を究めれば、宇宙に対する認識は一気に真実に迫ることになるのに・・・珍奇を恐れ真実から目をそらす愚は、今に始まったことではありません。

ところで、陰陽道の極意は「直角」とのひらめきがありますが、その直角を窮めなければ、陰陽のご利益は得られません。

直角の哲学的認識が完成すれば、人間の進化の終焉を迎えることになりそうです。


無限と哲学070815

2007-08-15 15:55:41 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
お盆が「ウランバーナ」と云う梵語の訛りで、意味は「逆さまに吊るす」でした。「ひもじさの逆転」すなわち沢山の収穫物=食物を先祖の霊前に「お供え」供養する慣わしになっている。

現代の日本人を、未来の子孫がお盆で供養するときには、飽食、残飯投げ捨ての逆の供養つまり「皆で断食」になるのでしょうか。

もっとも、自分の肉体も先祖の始まりと云えますので、実は、先祖供養と称して自分の食欲を満足させるのが本音のお盆の儀礼なのかも知れません。何時の時代にも「お供え」は沢山で生き仏らの欲の充足のための言い訳と考えるほうが、現状認識は正解でしょう。

さて、先日の問題「無限拍子」はどんな拍子か?の解凍・・・

「無限」は限界が無い、終わりが無いというより、「始と終」の一リズムが永遠に繰り返し終わらない!とするほうが、より哲学的です。
で、その現象を象徴しているひとつが、

「おわん」状の鈴の「ふち」を棒状のもので「こすり続ける」と、な、なんと、

オワラン~オワラン~オワラン~オワラン~オワラン~オワラン~オワラン~オワラン~オワラン~オワラン・・・

大発見と思いきや、チベットの宗教の作法の中にあるようでした。

無限と哲学070814

2007-08-14 07:43:17 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
昨日の写真カットは「∞」を工作したものでした。今日のはそれを角度を変えて撮影したもの。

このもの自体は「有限の存在物」です。空気中に物体(紙粘土)として、大きさ、重さ等限りある存在です。が、形で表そうとしたのは「無限」の概念である「繰り返し」のことです。

「繰り返し」というのも実はインチキです。錯覚でした。同じことが何度も現象することを「繰り返し」と云うのですがそもそも純粋に「同じこと・もの」はありえません。同じもの・ことが有り得ないなら、繰り返しもありえません。

「無限」とは繰り返しの回数の無制限のことでしたが、繰り返しが成り立たないのであれば、無限の存立も危ういことになります・・・矛盾することをいかに言い訳けするか・・・

そうなんです。

哲学とは、そもそも「あいまいなことの、とりあえずの言い訳」なのでしょう。

「無限」とは「終わらないこと」「限度の無いこと」というのが、純粋な定義でしょう(広辞苑:限界のないこと) 
ところで、「限界」のないことに「初めとか、終わり」の概念を押し付けるのは無責任ではないでしょうか。・・・

論理的には「同じもの・こと」は有り得ません。しかし、現実には有り得ます。
そっくり、うりふたつのものの存在はが、場所が違えば可能です!時刻が違っていればそれも可能です! まったく同じものが存在可能なのは、場所あるいは時刻が「違う」ということで許されるのです。

「同じ」というより「限りなく良く似ている」と表現するほうが哲学的です。

ただ、面倒なので日常的には、いい加減に「同じ」を使っているのです。
哲学的思考の場合は、微細な意味の違いを使い分けないとダメということです。

そもそも「無い」という表現自体が、軽はずみな表現なのです。「何」が「無い」のでしょうか。「何」かがあるからこそそれを「無い」と否定できる「矛盾」になります。

「限界のないこと」という広辞苑的表現に疑問をもたないようでは、人間としてもったいないことです。宇宙・自然の諸現象で「限界」とは一体どんなことでしょう。「限界」を「境目」と言い換えて考えて見ましょう。宇宙に「境目」が無いと想定することは非現実的です。今日と明日の境目は「厳然として有ります」物と空間(空気)の間に「境界・境目」があればこそ、物の認識が出来ているわけです。
ただ、現在の哲学、科学界の「境目」の定義がいい加減なのが問題です。

世なおし倶楽部・披露聡秘は「境目」を明確に定義しています。

結局「無限」は「繰り返しの回数の無制限であること」に落ち着きます。
限界のないこと、ではダメです。

哲学の究極の結論は「宇宙は存在し続ける」です。
真の哲学に「無い」で終わるセンテンスはタブーなのです。

「存在」とは「時存・空在」でしょう。

つづく

無限の正しい概念定義・初公開070813

2007-08-13 04:51:14 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
哲学は「珍奇」であってはならないそうです。それで、珍奇っぽいものは「披露聡秘」のカテゴリーに差別しております。

今日の「無限」の定義は結構珍奇に受け取られると思いますが、まじめな考察の結論と自負してますので「哲学」のカテゴリーに分類しました。

さて、「無限」の定義ですが、「宇宙・自然界における繰り返しの回数の制限はない。その繰り返しの回数について、説明する概念を無限」という。(ところで繰り返しの定義も問題ありなのですが、そのことについては改めて語ります)


ちなみに、空間、と時間は「有限」です。であるからこそ限と限の「間」があり得るのです。無限とは限りが無いのです。

ところで、宇宙は「時間・空間」で出来ている、と考えている学者がほとんどであり、世の常識になっています。であるなら、宇宙の無限性をどのように考えたらよいのでしょう。

宇宙はなくなりそうもないので、「無限だろう」という適当な、無責任な学者、庶民感情もバカには出来ません。特に「わからないこと、確認のしようの無いこと」は研究のしようのない科学者に「無限」について考えろと云うのは無理ではあります。

わからないことが気になって、寝ても覚めても考えるセンスが「人間の条件・哲学」だとすれば、科学者が人間の自覚を失わず、哲学者でもあればよいことになります。実際、偉大な発見をするような科学者は、学業の成績の良し悪しはともかくとして「夢を追いかける」哲学性を失っていない人だったように思います。

わからないことを考える時に「常識のしがらみ」に縛られすぎると、ひらめきが出にくくなるようです。

「無限」を考えるセンスは、いわゆる理性、形式のしっかりした有限思考の学者や、俗な目先の現物・有限物や世間のしがらみ付き合いに律儀な庶民には、ありえないのでしょうか。

しかし、人間なら、「無限」が気にならない人はいないと思うので、世間体は気にするが根がいい加減な庶民のセンスに期待したいと思います。同じ人間でも、特に頭が固くなりがちな学者に「無限」の考察を期待するのは酷なことなのかもしれません。

難問中の難問「無限」をかんがえるには、スーパー柔軟な頭が必要です。初めに持っている「無限」のイメージに囚われずに考えなければなりません。

問題が与えられたとき、その問題の主旨と、その問題の問いかけ方の正しさを「判別」する作業を先にやることの大切さにまず気づくことから始めます。ここが最大のポイントです。世なおし倶楽部のポリシーはこのセンスです。

つづく

音のたましい・・リズムとして

2007-08-10 21:35:11 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
お盆の時節にちなんで「梵鐘」についての考察です。梵鐘つまり「釣鐘」のことです。
梵鐘はお盆の季語ではないかもしれませんが、云ってしまったものは引っ込みがつきませんので、考察をつづけます。

さて、音楽の世界では「リズム」が大切です。といって、リズムを明確にしないと音楽にならないかと云えばそうでもないのです。日本の音曲ではリズムのはっきりしないものが沢山あるようですし、あえて、リズムを無視するセンスが、らしさをかもしたりします。しかしここでは、「リズム」についての薀蓄を語ります。

8拍子、6拍子、4拍子、3拍子、2拍子などは、一般に知られていて、それぞれに生理的、身体によく共鳴しそれなりの味わいの刺激になります。
2拍子は「行進曲」に使われていて、なぜか「闘争心」を鼓舞する力を感じます。
3拍子はワルツで優雅さを自然に感じてしまいます。なぜなのか、細胞に聞いてみましょう。

さて、2拍子までは音楽的に、聞いたり体験いたりしていますが、一拍子、0拍子はどんな風な拍子なのでしょうか。具体的な例を考えてみました。

すると、どちらも「宗教」がらみなのでした。1、0と聞けばそれは「有無」の世界、白黒の筋っぽい世界のような気配がしますが、案の定そうでした。
1拍子の音は「木魚」を叩く音です。0拍子は・・・鈴、梵鐘を叩く音でした。

1、0はデジタルの象徴です。

そこで問題なのは「無限拍子」を思わせる音は何か、ということです・・・

OTAMAJYAKUSHI

2007-08-10 11:50:17 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
otamajyakushi(無粋な論理マン人の言語体系)
おたまじゃくし(ゆきさんの玩具)
音魂字訳師(音霊字訳師:テレパシーを文字化する名人) 
御魂尺師(一音成仏尺八名人)
お玉杓子(厨房、いわゆる台所用品のあれ)
お珠爵子(セレブのお嬢さん、と思ったら横丁の庶民の娘)
尾球釈子(●~ ヨガで悟りを開いたデジアナ量子 )
etc.

お盆

2007-08-10 04:47:19 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
「お盆」とは、サンスクリット語「ウランバーナ」の省略訛りでした。
うらぼんになり、盆、お盆となったと云うことです。
意味は「逆さまに吊るす」 「逆転する」

ひもじい思いをしたご先祖の霊前に「沢山の収穫物」をお供えすることで、そのひもじさの慰めにする儀式がお盆となったものでしょう。
「飢餓から大逆転の飽食」の日本の現状は年中お盆のようです。飽食状態の日本でお盆を祭るということは・・・飽食の逆で「飢饉」を招来することになります!

ええっ!!??

カエル君:2013年、日本人は絶滅していなかった!
ウシ君:2013年、日本人は絶滅して、居なかった!


原爆被爆と戦争反対

2007-08-10 03:59:32 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
戦争のテーマはどのカテゴリーか迷います。究極は哲学のテーマなのでしょうが、入り口はやはり政治ということで。

近代の戦争は、「代理戦争」「商売戦争」の色合いが濃いようです。しらけ戦争です。まじめな命のやり取りの真剣な「聖戦」とは思えません。戦争は「国と国の争い」というような解説ならぬ怪説があります。国と国とが戦えるわけはありません。戦っているのは「ニンゲン同士」です。この辺から摩耶かしのからくりを暴かなくてはいけないのでしょう。個人的な殴り合いのレベルで戦えば、集団的戦争は不要です。やくざに脅迫されて泥沼に陥るのと比較するとわかりやすいでしょう。

日本の政治家や経済人は、やくざ的一部のアメリカ人に脅迫されて、政治をやっているように思えて仕方ありません。

良く「戦い」を正当化する説明に「生体の生命防御システム」のたとえ話が引き合いに出されます。政治家の下手な詭弁です。浅学さが見えみえです。

生体の生命防御システムは「命がけで、一個一個の細胞が、敵を食べて守る」のが主です。敵を矢鱈に殺戮するのではありません。まして、自分の身体に副作用のでる「ランダム撃ち」は少ないのです。不特定の大量殺戮もほとんどありません。しごく効率の悪い手作り防衛体制なのです。近代の原爆や水爆他の大量殺戮型兵器は生体防御システムには見当たりません。

現代の戦争は、兵器販売の商社が設けるための「商戦」なのでしょう。語るに堕ちている、恥ずかしい話なのです。テツガクに疎いお人よしは騙され、お人よし同士が代理人となって「お互いに殺しあって、身内、家族が悲しんでいる」のが近代戦争の実態です。人間の生きる尊厳、生活を命がけで守っていると思い込まされている愚かさに気づかないで人殺しを実行している「お人よし庶民」こそ糾弾されるべき対象「隠れ敵」なのです。そのお人よしは、自分の家族だったり友人だったり、隣人だったりするので、攻撃できない矛盾を露呈させます。生体反応ではそれを「免疫不全」と呼びます。

社会現象としての免疫不全は「若者のニート現象」がそのひとつでしょう。選挙の棄権もそうです。いじめもそうです。
また、政治家の政治屋化、商人化など、本来の使命、役目、仕事を忘れてか、まったく認識できない専門家がほとんどという現代の社会現象は、社会の免疫不全症です。特に政治家は命がけで職務を全うすべきです。自死は職務放棄です。
教育者の幼児化もおぞましい。
先生とは「先に生まれて経験、体験を後輩に伝承する立場」のはず。いまどきの先生は人間としての経験がなさ過ぎる。子供の指導が出来るわけが無い。大人は皆、0子供に対しては「責任もって経験を伝播するべき先生」なのです。学校の先生だけに教育の責任を問い、負わせるのはまったく哲学をしらない、「完熟して腐りかけた猿」といいたくなります。ちなみに由緒ある「真の人間」とは「猿の未熟児」で哲学を志す者、というのが世なおし倶楽部の主張です。

商人の経済音痴。環境循環を破壊する節操ない開発は不経済であることを理解できない商人は、真の商人ではない。

医者の商人化。病人を改心させ、真に病気を治すのではなく、病人を、医薬品、機ってなんぼの医療費によって利益を運ぶ「商品」とみる医者ならぬ、「毒多」が多い。
総合的であるはずのヨガ指導の「部分矮小化」不健康ヨガになってしまう。健康とは健体康心で、心と身体の総合のはず。何々健康法は不健康法です。

芸術の技術化も未来に霞をかける。芸術は「刺激」が命でしょう。技術はマンネリが命。技術は大いにマンネリ(規則的)でよいのですが、芸術には破天荒が求められます。などなど。

原爆だけが殺戮犯罪なのではありません。自然な命の営みに反するあらゆる殺戮行為は犯罪になり得ます。
農薬、化学製品の乱造などで病人を増造し、医薬品の販売拡大で私産を肥やす者の営みは、隠れた緩慢な「殺人犯罪」と云うべきです。規模の大きなものが戦争犯罪なのでしょうか。
原爆に限らずいとおしい命の営みを妨害するあらゆる、人権否定的殺人的行為について、毅然と命がけで対抗するべきでしょう。HIV訴訟で実名で戦った川田氏の参議院当選は未来に大いなる希望があることと、日本人の良識の健在を象徴していると感じます。

食糧自給を妨害する政治的行為は、明らかに「戦争犯罪」と認識すべきです。
(アメリカの日本に対する食糧政策で感じます!)今まさに、太平洋戦争がくすぶり続いているのです。食糧自給なくして国の独立はありえません。
アメリカとの安全保障条約(実はインチキ詐欺です=ビル・トッテン著作参照)による日本不沈空母基地や自衛隊の軍備だけで国の独立が防衛出来ると考えている人が居るとしたら「基地外」です!?

ちょっと息抜き。

現状を正しく冷徹に認識し、自己反省することから、真の平和の道が開けるのだと思いますが。その筋の話ではアメリカの政治、経済戦略は「マッチポンプ」といわれています。どういうことかと云えば「マッチで放火しておきながら、消火器を売りつける」と云うものです。紛争を起こして燃え盛っている国や地域に「油を注ぐように武器を提供し紛争を拡大させ、軍需景気を煽って儲ける」仕組みです。

友好、同盟と称して、相手国の自立を破壊し、自国の経済を肥やすインチキマジック政策に世界の多くの発展途上国は翻弄されています。真の友好関係なら、相手国の経済的自立に協力するはずです。日本に対するアメリカの友好政策はどうでしょうか。日本人の体質にマッチしない「牛肉の多食」をなかば脅迫のように押し進める政策は「友好」といえるでしょうか。
見えみえの愚策であることがいたってアメリカ的お粗末が、せめてもの救いでしょうか。アメリカ人すべてを非難否定するものではないのです。

純粋な戦争は「互いの、思いやり、相互理解の欠如」による民族間の争いでしょう。しかし、近代の戦争は「経済活動化」していることに、解決のややこしさがあります。それであっても、解決の道が無いわけではありません。

まじめに、世界の安全、平和、人の健康を考え、情報を共有するなら、さほどの時間をかけずに、「世界の平和」は実現するでしょう。
インターネットの普及にのってそれは実現すると予感します。
いずれにしても、一部の人、国の責任で解決できるものではないでしょう。

「ペンは銃より強し」

ポケットの中のカエル、世界を知らず、
披露聡秘によって、真実の世界へ飛び出そうではありませんか!

世なおし倶楽部の主張・披露聡秘が広まることによって多少ならぬ影響が、出るものと思います。

どら焼き

2007-08-09 16:50:29 | 自然・環境・生活
甘いものに目のない甘党は、年をとっても、やっぱり甘党だ!
「どらやき」と聞いただけでミラーノイロンが振るえてきます。

母親の愛情こもった「甘み充分」の栗きんとんを、正月にたらふく食べた。40年近く前の話だ。健康とか、医療についての見識のほとんどない若造のときです。
はっきりとした感覚で「胃」のうしろあたりがザワザワしているのです。

「砂糖」に胃がやられたのでした。

そのときはそれでうやむやに。

数年後、食と、心と身体のバランスが健康に大いに関わりがある、というごく当たり前のことに気づく機会に恵まれ、「愛のこもった甘い栗きんとん」は要注意という、なんとも、切ない矛盾研究にこころ奪われることになりました。

ところで、どらやきと云えば、もなかを無視できません。最中は、江戸のむかし、酒飲みの酔い覚ましに食べた「汁こ」のインスタントバージョンだったとか。経験で、アルコールに疲れた肝臓の機能回復に多少の甘みは効果がある、ということが知られていたのでしょう。特に甘みの中でも「果糖成分」が効く。江戸の庶民は「果糖」などの知識は無かっただろうが、当時は「砂糖の代わりに干し柿の甘み」を活用していたので、必然的に果糖成分の効用にあやかっていたということになります。

最中といえば、最中に、蜂蜜をかけて食べたら、考えている最中に胃がザワツイテ着ました。もなかは、そのまま食べたら甘さが強いはず。湯か水でのばしていただいてちょうどの甘みになるはず。・・・

おいしいものを腹一杯食べたい、という生き物としての本能的欲求があり、一方では、生き物を殺生して自分がのうのうといい気分に浸っている。その、大いなる矛盾と葛藤、人間存在の悲哀、切なさを克服したいとの思いが高じて現在に至る。

披露聡秘との出会い・・・

ダチョウどら焼き・・・
【すがの商店】は
●大空町東藻琴353(東藻琴市街)
●電話番号:0152-66-2723
●営業時間:朝8時~夜7時まで、
  定休日は日曜日です。だそうです。

飛棒

2007-08-09 15:26:39 | 自然・環境・生活
大和の象徴でもある「とんぼ」は「あきつ」ともいう。実りの秋、黄金色の田んぼの上をスイスイ飛ぶ光景は、いかにも豊かさと平和を感じさせます。

写真はかぼちゃの葉に停まるとんぼですが、明らかに「棒状の飛行物体」であることがわかります。

ところで、カサカサ感の強いトンボの羽の水分はどんな割合かと、ふと思って調べたら、なんと、あのカサカサで、60%が水分と言うことでした。意外と水っぽいのです。

飛行機なら機体の構造体の60%も水だったら、飛べないと思いますが、生き物は違うのですね。生き物と金属機械の大きな違いは「水の活用」だということです。
水博士の平井孝志師は、水こそ命とおっしゃっていました。水原弘は君こそ命と歌っていましたが。

ついでに、トンボのあの硬そうな「目玉」の感触はいかに、と思い食べてみましたが(35年前のことですが!)、これも意外、ふわっとしたソフトな感じでした。

自然界は「意外」が多いものです。「自然」を意の外と感じるのは「人間の意」が狭い了見だったということの裏返しですね。反省。

世なおしは、ニンゲンの謙虚な反省から・・・

二進法

2007-08-08 20:42:04 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
苦手なひとには、聞こえたくないカテゴリーの話です。が、な、なんと何それといっていたペコちゃんが、急速解凍して、理解してしまった。秋の夜長のお伽ばなしです。

おさらい:

十進法と二進法と三進法の比較

十進法     二進法         三進法
0         0           0
1         1           1
2        10           2
3        11          10
4        20          11
5        21          12
6       110          20
7       111          21
8      1000          22
9      1001         100
10     1010         101
1+1=2  1+1=10       1+2=100
3+9=12 11+1001=1100 10+100=110

さて、一般に1+1=2あるいは10、100のように「増え増す!」が、増えない足し算があります。さて何のことでしょう? 

カット写真は、仲間たちと作っている大根の葉に停まって冥想しているもんしろちょうです(蝦夷しろちょうではありませんでした)。無農薬大根はすがすがしいとか感じているのでしょうかねえ。

にしんもさっぱりの北海道で、羽も胴も白い、尾もン白い蝶が、北海道の将来を憂えるように、二進法コンピューターで冥想しているはずはないかな。


立秋の田んぼ

2007-08-08 10:55:55 | 自然・環境・生活
狭いながらも、田のしい和のルーツ・・・

「和」とは、米・麦などの禾本科の穀物を口にする、を意味する字R
<わ> は輪、把、我に通じ、唯一無限の宇宙を象徴する
<音霊字訳師>

「米」を主食にするということは、限りなく「世界平和の根拠」になります。
①太陽エネルギーをでんぷんに固定するエネルギー効率が、作物中最高ランク。
   次席に「芋類」があります。南の地方は芋を主食にしています。南の文化は「芋文化」でしょう。
②収穫量が、面積あたり、「ダントツ」沢山収穫出来るということは、奪い合いの争いが起き難いということなのですが・・・中途半端に豊作だと、奪い合いや、値崩れの問題の種になりますが、それは、進化途上の人間の問題です。現在の多くの「ニンゲン」はまだ「人間」にまで進化していないと考えられます!<ムカイ説>
③保存性が優秀
④味が淡白で食べ飽きない
⑤栄養のバランスが食物中「最高ランク」人体生理にもっともマッチングしている。
⑥栄養成分で、ガンマオリザノール、V-E等、子孫繁栄、老化予防若さ維持作用が大きい(特に玄米)
⑦季節を問わず「通年」食べられる。
⑧生玄米食をすれば「がん・ウイルス性疾患対策」で予防、治療効果が大きい。
⑨多収穫で「コストが低い」有機栽培 で環境にやさしい。水田連作。保水。
⑩料理のバリエーションが多い
⑪良くカムことで「腎腰、決断力強化 脳波安定冥想効果」・・・
限りない特典が続きます・・・

欠点・・・
①カルシウムが足りない(対策:食養ごま塩)
②うますぎる(ぺこちゃん言)
③蛋白質アンバランス(対策:納豆・とうふ大豆製品)
④未熟ニンゲンの権力抗争の具になる

穀食中心の「心身食のバランス食養法」によって、健康管理はいたってリーズナブルに簡単にできます。誰にでもできて簡単ですが、難しい面も・・・コツは、

人類は、「穀物のカム食」で進化のゴールに到達するらしい・・
秋は、そんな季節です


「知らぬが仏」の真意

2007-08-07 19:24:09 | 哲学/ヨガ/芸術/宗教/政治経済
徒然なるままに、ひょうたんから駒が出てきます。披露聡秘の霊験でしょうか。

世に親しまれていることわざの深さにいつもながら感心するのですが、だいたい反対の意味のことわざがあるようです。しかしながら、ひとつのことわざ(格言も含め)でも意味が複数解釈できるものが時々見かけます。

その代表が「知らぬが仏」でしょうか。
一般的意味は、①余計なことは知らないほうが、悟りを開いて悩みのない慈悲深い仏様のような気分でいられる、ということでしょう。
いまひとつのウラ意味は②宇宙のルールを知らないと、知らぬうちにお陀仏になっちゃうぞー と云うもの。

続くー

8/8 1:30am
知らぬが仏・・・ 
「見ぬ善し」他人の失敗失態や欠点は見えなかったふりをするほうが、相手を思いやることになる、ということか。女房や亭主の浮気の噂話は聞かないほうがいい。ニンゲン、過去世を知られて安穏として居られる人はいませんよね。・・・神様の過去世、いや現世の残酷な所業を知ったら、セコイニンゲンはいっときも生きて居られないでしょう。仏様はのうのうとして居られます。

ただ、仏様の「のうのう」は「悟り」のお陰ですが、まったくいらいら悩まないわけではないらしい。ヨガ師の説法によれば「一瞬イラッ」と反応はするが、直ぐに「収まる」のだそうです。イラッは良いが、いらいらいらいら・・・の執着がよくないのでした。そのはず、ヨガの極意は「非執着」でした。

知らぬうちに仏・・・
およそのニンゲンは「ヒトの寿命」と「平均寿命(余命)」を同じと思ってごっちゃに認識しているようです。無知ですね。ヒトの寿命は少なくとも120歳はあります。一人でも120歳のヒトが居たら120歳がヒトの寿命です。
ムカイ節披露聡秘の考察によると、人は30年6期の180歳寿命です。その仕組みを知らぬと、知らぬ間に仏になっていた、ということです。「仕組みを知る」ということは「理解体得実行」ということですが。

蛇足:「般若心経」の意訳本がたくさん出ていますが、本物が見当たりません。
心経の主旨は「ギャー痛え ギャー痛え 腹ギャー痛え 腹大層ギャー痛え 凡人さんわかったか」ではありません。「知り、実行し、知行合一したところに本との悟りが得られる」と云う意味です。

トカゲの尻尾:汁だけではだめなのです。具がないと! Good Night!

zzzzzz///z!?zzzNNNzzz!!
実と汁・・・zzz・・・SoS・・・明日は夢のはなしを徒然に・・・

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今風活動写真