伝統ある英国の10吋ユニットで聴く、音楽の父のJ.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

バッハの演奏は厳格エディット・ピヒト=アクセンフェルトEdith Picht-Axenfeldの奏でるバッハが良い。

2018年10月16日 | クラシック音楽・オーディオ


今回またエディット・ピヒト=アクセンフェルトの紹介をさせていただく、過去にも彼女の演奏が好きで紹介しましたが、今回はエディット・ピヒト=アクセンフェルトのピアノ演奏のラストコンサートが優しいブラームスを堪能できた事でした。

明治の頃は良き時代だと言ううが当時の日本は海外の文化習慣などを武士道と絡ませまさに紳士の国を目指したはずが、今や戦後最低国家になっているようだ、昔から日本には“襟を正す”それまでの態度を改めて、気持ちを引き締める、と言う言葉がある現代の議員の連中はこの言葉の意味さえ理解出来ないのであろう?不謹慎極まりない。

“厳格”、規律や道徳にきびしく、不正や怠慢を許さないこと。また、そのさま。「厳格な教育」「厳格に規定する」いや正にバッハの音楽にこの言葉は合う言葉で特にバッハ鍵盤演奏者のワンダ・ランドフスカ、エディット・ピヒト=アクセンフェルトの奏でる演奏は聴くとこの厳格と言う言葉が当てはまり、背筋が伸びる感じがすきで良く聴く聴いた後の精神的高揚は実に清々しい。

今の世界の政治然り、日本の政治は今正にこの厳格という意味も理解出来ない馬鹿なゴロツキ政治屋が息巻いている、今こそ襟をただし厳格な政治を行い腐ったアジア諸国のお手本となることがチャンスなのに、その辺りを全く理解出来ない馬鹿な連中が今の政治を司り間違った教育を行っている。

いずれにしてもこの国をもう一度作り変え直す時期なのかも知れない?

所詮貧困老人の音楽愛好家と称しているが、最近古きアンプ達も最後の叫び声を上げているように感じる、最近弦楽器、声楽はTEAC社のMA-7、ピアノ、チェンバロはAurex SC-M15/SC-M15KをBTL接続でモノラルパワーアンプとしての使用している、位相反転回路を内蔵しており、通常のステレオパワーアンプとして以外にBTL接続によるモノラルパワーアンプとしても使用できます。

BTL(バランスド・トランスフォーマーレス)接続ではスピーカーコードを出力端子のプラス側だけを使って接続し、前面のBTLスイッチを入れて使用します。

最近電源を入れ最初は音が出るのですが、途中から出なくなり、寿命かと思ったが一応応急処置をしようと思いアルコール度の高い静電気防止剤(コートロン)を綿棒に塗布し接続部分の汚れを落とし後に接点回復剤を綿棒に塗布し隅々まで接続部分まで塗り電源をいれると、別にハム音もなく今まで以上にクッキリ再生出来た、やはりジャック部分の汚れで接触不良のようであった。

1978年頃の製造とありメンテナンスも出来ない状態の製品の管理方法は大変難しい、格安でメンテナンスして頂ける所はないものかと思います。

とりあえずAurex SC-M15の音は回復し今日は筆者の記事にも数回は掲載したcemb, pのエディット・ピヒト=アクセンフェルトEdith Picht-Axenfeldについて、1914年1月1日、フライブルク生まれの鍵盤楽器奏者。

フライブルク大学眼科学の教授であり眼科臨床医の世界的権威テオドール・アクセンフェルトの娘として1914年、フライブルクで生まれた。5歳でピアノの演奏を始め、卒業試験後は当時バーゼルにいたルドルフ・ゼルキンにピアノを、ヴォルフガング・アウラー、アルベルト・シュヴァイツァーのもとでオルガンを学んだ。1935年にベルリンでデビュー、1937年にワルシャワの国際ショパン・コンクールでショパン賞を受賞。

1947年~80年、フライブルク国立音楽大学でピアノと初期鍵盤音楽の教授となる。世界的なピアニスト、チェンバリストとして活躍。オーレル・ニコレ、ハインツ・ホリガー、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、ヘンリク・シェリング、ローター・コッホらとの共演やレコーディングなども数多い。アンスバッハ週間、イギリス・バッハ週間、ルツェルン音楽祭、草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルなどでも重要な役割を果たしてきた。

チェンバロは、フレンチ・ニコラとフランソワ・プランシェによる1730年頃制作の楽器の、ウィリアム・ダウドによる復元品を使っていた。

2001年4月、フライブルク近郊の自宅で心不全のため他界。享年87歳。

やはりエディット・ピヒトの一番古い録音のJ.S.バッハの「ゴルトベルク変奏曲」は、『クラヴィーア練習曲集』の第4部として1741年(1742年とも言われる)に出版された作品で、元々は「2段の手鍵盤をもつチェンバロのためのアリアとさまざまな変奏」と題されていた。「ゴルトベルク変奏曲」と呼ばれるようになったのは、ヨハン・ニコラウス・フォルケルが『バッハ小伝』の中で、あの有名なエピソードを伝えてからである。

すなわち、カイザーリンク伯爵が不眠症に悩んでいた頃、眠れない夜に気持ちを慰めてくれるような作品をバッハに依頼し、それを伯爵に仕えていたヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルクに弾かせたという話だ。当時ゴルトベルクは14歳か15歳。

これだけの変化に富んだ変奏曲を満足のいくように弾きこなせたとすれば、相当の才能の持ち主だったのだろうが、このエピソード自体の信憑性を疑う人は多い。Edith Picht-Axenfeld (19142001)その後録音時(83年)70歳間近。戦前より活躍している人だ。


こうしてEdith Picht-Axenfeldのゴルトベルクのアリアを聴くと最近よく聴くAsako Ogawaの演奏との節回しが実によく似ていると感じた。
格調高く堂々たる演奏。ややロマンティックな演奏。オリジナル指向も定着、様式もふまえすごい技巧と細部を磨き上げた演奏者に不足のない今日、それでも人は何かを求めてこの録音を聴くのだ。

もちろん上記のCDは現在筆者の愛聴CD盤になっています。比較的新しい録音と、円熟した演奏が非常に安定した仕上がりになってどのCDを選んでも、安心してエディット・ピヒト=アクセンフェルトの世界に入ることのできる貴重なCD盤の数々は誠にありがたい。

2枚のパルティータ全集などはバイエルを卒業したお子様の練習曲にエレガントで大変よい曲と思う、ベヒシュタイン・コーナーにも登場したエディット・ピヒト=アクセンフェルト女史は草津国際音楽祭の講師として毎年のように日本を訪れていました。ここでは最後の来日となった1996年のライヴ録音をご紹介。

語りかけるようなニュアンスづけ、慈しむような深い音楽性が聴き手の心を捉えて離しません。遅いテンポで微妙な強弱を表現するのもまた高等技術と言えましょう。

インテルメッツォはいずれも円熟の味わい。ベーゼンドルファー・インペリアル使用。あたたかく豊かな音色。ブラームス晩年の寂寥感が優しい響きで奏でられます。

昔、チェンバロで弾く「ゴールドベルグ」を聞いたとき、そのテンポや強弱の付け方がグールドに似ているなと思ったことがある。これをピアノで弾いたら素晴らしいだろうと。もちろん、女史の録音の方がはるかに早く、その意味では時代を先取りしていた事になる。アクセンフェルトがピアノでも録音していることは随分後に知ったが、本来ショパンコンクールに入賞していたほどのピアノの名手だったのだ。再会は、このCD

親日家であった女史の最後となった録音は草津。齢80を超えた頃だという。そしてそれは、バッハでもシューベルトでもなく「ブラームス」であった。

最近面白い本を発見した、人間の身体はいつから衰えるか?なんと医学的には85歳からは成長はなく衰える又知能は人それぞれで絶えず使う様にすれば維持出来ると言われる、また死亡する年齢も80代が現在では一番多いそうである、その様に言われると音楽演奏者の70歳代は一番脂の載ったら老獪な音楽を奏でる可能性が高い様であるのではないか共言える様です。まさに今や時代は100歳に近づいた様です。その様なことを考えて見ますと、彼女のファンのブログに「フライブルグの秋は、黄金色・・・というより飴色。アクセンフェルトのピアノの音色だ。」とあったが、まさしく女史の晩年の到達した世界であり音色だと思った。

87歳の天寿を全うされたアクセンフェルト女史の凛とした姿が雲の上から見ているような・・・優しい眼差しを感じるブラームスだと感じた、筆者の持つTANNOY(Ⅲ-LZ)AXIOM80で聴くピアノの音色が当にベーゼンドルファー・インペリアルの飴色の音色を感じた、いかにもと言う音かと思う。今後はこの上の上質な音も探って行きたいと願うばかりである。

優しさに包まれたブラームスを体験できました、ブラボー!



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