この記事をお読み頂く前に、まず上の写真にある樹木の悠々としたたたずまいをご覧下さい。そうしてお気持を広くして、のんびりと下の文章をお読み下さい。
私はカトリックの信者です。しかしお寺にある先祖や親類、恩人のお墓参りをかなり丁寧にします。カトリック墓地にも行って、お世話になった神父さんのお墓にもお参りします。家内と一緒に行きます。
神社やお寺の仏像の前では手を合わせ、頭を下げます。
それが正しいキリスト教徒というものだろうと思っているからです。
イエス様は「隣人を愛せ」と教えました。私の隣人の大部分は無宗教だったり、仏教徒です。その方々を愛することは簡単なことです。自分の親類、友人、知人など全ての人々を大切に思えば良いのです。全ての人々を尊敬すれば良いのです。
隣人が厭がることをしないことが原則です。もし神社や仏像の前でソッポを向いていたら、それを見た隣人は厭な気分になります。傷つくでしょう。
私はイエス様の教えを信仰の対象としています。しかしお釈迦様を尊敬しています。偉大な哲学者として尊敬しています。インドへ仏典を求めて17年も滞在した唐の玄奘三蔵法師を尊敬しています。同行二人の弘法大師も大好きです。
上の写真にある樹木のようにおおらかな気持ちになると「汝の隣人を愛せ」という意味が広がります。その言葉が人生をより豊かにします。
日本にはキリスト教のいろいろな宗派が運営している学校が沢山あります。
日本へキリスト教をはじめて伝えたザビエルの創ったイエズス会の大学は上智大学です。英国の聖公会の大学は立教大学です。プロテスタントの大学に青山学院、東京女子大などがあります。
しかしそれらの学校の卒業生の極く少数しか洗礼を受けていません。
洗礼を受けると親類付き合いが出来なくなる。先祖の墓参りも出来なくなる。会社に就職するといろいろな目に見えないいじわるや迫害を受けて出世出来ない。
こんな雰囲気が少しでもあれば、無理してまで洗礼を受けないのは当たり前ではないでしょうか?
しかしこのような考え方は根本的に間違っています。親類付き合いをしないのはあなたの心が狭いからなのです。出世出来ないのは会社の求めている才能をあなたが持っていないからなのです。誰もいじわるや迫害をしていないのに、それを受けていると考えるのはあなたの考え方が排他的だからなのです。
そのような人々は真のキリスト教徒でしょうか?「迫害」は自分の心が作る場合が多いものです。
キリスト教の宗派には排他的で、他の宗教へ対して非常に攻撃的な宗派もあります。一時有名だったオウム教ほど犯罪的ではありませんが世の顰蹙を買うような宗派が存在するのも事実です。
それと普通のキリスト教を一緒にしないで、自分の心で感じ、考えて見れはもっと広い心で楽しく人生を過ごせます。
今日はクリスマスの前夜です。キリスト教徒も、仏教徒も神道の人も、そして無宗教の人々も心を豊かにしてクリスマスの夕食やケーキを楽しみましょう。
私はそのようになるようにと祈っています。
今日は特に、この世に対立より融和を、争いより愛が広まり、一層平和で楽しいクリスマスになるようにお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)