後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

クリスマスは何故そんなに楽しいのでしょうか?・・・理由は2つあります

2011年12月12日 | 日記・エッセイ・コラム

第一の理由:

美味しいものが沢山食べられるのです。美味しいシャンパンやワインや日本酒やビールが沢山飲めるのです。街中に楽しそうな音楽が流れています。

何時も忙しくてなかなかゆっくり会えない家族が一緒になって夕食の御馳走を食べることが出来ます。

家族が一緒に旅を楽しんだり出来ます。恋人同士は2人だけで静かにディナーを楽しむことが出来ます。

そうです。クリスマスは昔のお正月のように家族が一緒に団欒する楽しい機会なのです。

ちょっと隣の中国のことを考えてみましょう。中国では2月の旧正月を春節と言って、国民全員が故郷の実家へ帰ります。年老いた祖父母が久しぶりに孫達と会えるのです。北方の中国では家族が一緒に餃子を作り、思う存分食べます。餃子は昔から家族団欒の象徴です。日本の餃子とまったく違う意味を持っています。

欧米のクリスマスは丁度、中国の春節のような楽しさがあるのです。

第二の理由:

キリスト教では神様が人々を愛しています。あなたを愛しています。その神様が地上へつかわせたイエス様も人々を愛しています。あなたを愛しています。あなたはイエス様を愛しています。そのあなたが愛ししているイエス様が生まれた誕生日が12月25日なのです。愛している人の生まれた日だから楽しくなるのです。

例えばあなたの妻や夫が生まれた日には夫婦で誕生日を楽しく祝います。愛する子供の生まれた誕生日には一家で楽しく祝います。それと同じなのです。

それではイエス様は本当にあなたを愛しているのでしょうか?疑わしいものと感じる人々もいます。当然です。イエス様は約2000年も前に亡くなった人です。天上で神様の右の座に坐っている方です。私を愛しているかどうか分かりません。それが人間の本音です。

話はいきなり飛びますが、四国のお遍路参りでは同行2人と言います。自分と弘法大師様が一緒に歩くから同行2人と言います。歩いているあなたはそれを信じていますか?疑わしいと思いますね。それが人間の本音なのです。

しかし一瞬、私はそばに弘法大師様が居る感じがする事があります。

そうです。一瞬で良いのです。それが信ずるということなのです。

私は時々、一瞬ではありますがイエス様が私を愛していると感じる時があります。その他の時はそんな荒唐無稽なことは信じていません。なにせ私は輝く理性を持っているのです。

多くの人々は無宗教と言います。本当に無宗教かどうかは誰にも分かりません。

さて、それはそれとしてイエス様が愛してくれるから自分も愛すためには訓練が要るのです。「私はイエス様を愛しています」と何千回も言う訓練をするのです。その訓練は礼拝式やミサでも行えます。そうすると疑い深い人間でも時々一瞬ではありますがイエス様が愛してくれていると実感出来るのです。

我々、日本人が明治維新以来、尊敬している欧米人のキリスト教の信仰も同じようなものなのです。人間は皆疑い深いものなのです。

しかし、そんな人間をお互いに許し合えるようになれるのもクリスマスの時なのです。「お互いに許し合える」ということは「お互いに愛し合える」と同じことなのです。これは驚きです。全くの他人を愛せるようになるのです。それがキリスト教の愛なのです。神と人間の間の愛。イエス様と人間の愛。家族同士の愛。他人同士の愛。その向こうには「汝の敵を愛せ」という教えが見えてくるのです。

そんな事を考えながらクリスマスを楽しく過ごそうと思っています。皆様もこのシーズンを精いっぱい楽しく過ごしますように祈っています。(終り)


都立浅間山公園の雑木林の風景をお楽しみ下さい・・・先程撮って来ました

2011年12月12日 | 写真

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雑木林の中の散歩は独りが良いのです。落ち葉のカサカサ散る音や梢の吹く風音がよく聞こえます。家内は男声のアリアをがんがんかけながら、台所の大掃除をしていました。

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渡辺修治著「どんがめ物語」の内容(3)和船と欧米の船の決定的な違いを明快に書いている

2011年12月12日 | 日記・エッセイ・コラム

これまでの記事:渡辺修治著「どんがめ物語」の内容(2)船を造る船大工の技を知りつくした天才的な船の設計者 と、渡辺修治著「どんがめ物語」の内容(1)造船技術者としての幅広い活動

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この本の第9章、「大型ヨットのカストムビルト」の内容には非常に驚きました。驚いたというより大変なショックを受けました。ああ、欧米と日本の考え方はこんなにも違うのかというショックです。著者の渡辺修治さんもショックを受けたのです。

終戦後、就職した東造船での初仕事はアメリカ人監督のもとで大型ヨットを注文に応じて製作することです。設計図はアメリカから送られて来ます。設計図を見て潜水艦を作っていた渡辺さんにとっては難しい仕事ではありません。

監督のキルケニーさんはいかにもアメリカ人らしく陽気で親切な人です。その下で働く渡辺さんは設計図を読みこんで、形を作って行きます。

ところがいつも穏やかなキルケニーさんが3日に一度くらいに烈火のように怒るのです。日本人の船大工達のいい加減な仕事ぶりに呆れ果てるのです。

船の外板や内部の木材をネジで止める仕事が雑過ぎると怒るのです。船大工は日本の和船建造の伝統に従って作っていて、手抜きなど一切していないのにキルケニーさんが怒るのです。

和船では木ネジを埋めるとき、ドリルで穴を掘り、ネジをハンマーで叩いて入れ、最後にドライバーで数回ねじ込んで終了します。これがキルケニーさんから見ると、とんでもないインチキ仕事に見えるのです。欧米の船大工はドリルで穴を開けるとき成るべく細く開け、ハンマーは使わないでドライバーの回転だけで木ネジをキチンと埋め込みます。その木ネジへも防腐剤をたっぷりと塗ります。木ネジの上には使用した材木と同じ木で栓をして、木ネジが海水で腐食しないようにします。

簡単に言えば和船の船大工は、す早く小奇麗に船を仕上げる事に徹しています。板と板の繋ぎ目の木ネジが腐食しても気にかけません。和船は数年使えばそれで良いと考えられていたのです。

これに対して欧米の船大工は完成した船が30年、50年、100年と使い続けられるように丁寧な仕事をします。この造船思想の相違を知った渡辺修治さんは分かり易い例え話で説明しています。「和船は1日で縫い上げる浴衣。西洋の帆船は三つ揃いの背広。完成には多くの日数をかける。」

そして次のように説明しています。

和船の外板は杉のような柔らかい材木で作り、所々を鉄の船釘で縫い合わせて作ります。材木は白木のままで一切防腐剤で処理をしません。ですから和船は舟の形をした木製の風呂桶のようなものです。従って元来外洋の激しい波浪に耐えるようには出来ていないのです。伝統的な技法で短時間に建造出来るが、柔らかな白木の寿命とともに一生を終えるのです。

これに反して大型ヨットは昔の欧米の帆船のように外洋の激しい波浪にも耐えられように重くて頑丈な材木を使います。そして一旦完成したら100年は使えるように防腐処理を徹底的にします。船の寿命は材木と材木のい継ぎ目の強度によって決まります。したがって継ぎ目につかう木ネジや船釘の埋め込み方には細心の注意を払います。欧米の船大工の職人としての誇りは木材の繋ぎ方とその耐久性にあるのです。

伝統文化が欧米と日本はこのように違うのです。船の作り方はその一例に過ぎません。日本はいろいろな分野で明治維新以来欧米の文化を導入して来ました。しかし本や設計図だけから理解出来ない肝心の隠れた部分が欠落していたのです。

戦争中、潜水艦を設計図に従って、多人数の技師と協力して作っていた渡辺さんにとっては彼我の造船思想の大きな相違に気付いていませんでした。

それが戦後、アメリカ人のキルケニーさんの下で働いたお陰で初めて知ったのです。

渡辺さんは旧制下田豆陽中学校から旧制静岡高校を経て、東京大学工学部の造船学科を卒業したエリートです。海軍に技術中尉として入ったのは軍艦の建造で欧米に追い付き、追い越すことを考えていたと思います。

終戦はシンガポールの海軍工廠で受けました。その海軍工廠はほとんど無傷だったのです。

渡辺修治さんが欧米に本当に負けたと実感したのは戦後大型ヨットをアメリカ人のキレケニーさんの下で作っていた時ではないかと私は想像しています。

後に渡辺さんが日本オーシャンレーシングクラブ(NORC)を設立し外洋のレースに乗り出すようになったのは自然なことでした。その辺の話は続編でいたします。(続く)

下の挿絵は諏訪湖マリーナのヨットの風景です。先週撮って来ました。

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ローマ皇帝の勅令のおかげでイエス様は馬屋で生まれる羽目になったのです

2011年12月12日 | 日記・エッセイ・コラム

占領軍はいつの時代でも横暴です。もともと中近東のシリア地方(現在の地中海東沿岸一帯)はヘロデ王が支配していましたが、ローマ帝国が完全に占領します。ヘロデはローマへ忠誠を誓い、王権を認められます。

当時のローマ皇帝はアウグストウスでした。彼はローマの全領土の住民に、登録せよとの勅令を出したのです。全住民は急いで出身地へ戻って、登録しなければいけません。多くの人々が急に旅をするので当然、宿屋が足りなくなります。ナザレで大工をしていたヨゼフと、身ごもっていた妻マリアが出身地のベツレヘムの町に着いた時はすでに宿屋が全て満員でした。寒い野外で夜を明かすよりは馬屋の中の方がまだましです。その馬屋の中でマリアがイエス様を生むのです。そして飼い葉桶の中に藁を暖かくしき、生まれたばかりの赤子を寝かせるのです。

この一人の赤ん坊が、その後の2000年の間に全世界に広がるキリスト教の教えを説くのです。教えはイエス様の死後80年くらい経ってから弟子たちが「福音書」として記録に残しました。これが新約聖書です。なお、旧約聖書とは当時のシリア地方のユダヤ民族の信じていたユダヤ教の聖書をほぼそのまま引きついた文書です。

イエス様の生まれたのは約2000年も前のことです。正確な月日など分かる筈が有りません。そこで次第に冬至の頃と設定して誕生を祝う人々が増えて12月25日に定着したのです。

その時、シリアの東方の砂漠の部族の3人の賢者が星に導かれて拝みにきます。これが後に、「東方の三賢者」と伝わっています。

イエス様が生まれた頃はヘロデ王の晩年でした。占星術師や占い師がイエス様の誕生を「世の指導者になる赤子」が生まれたと言います。

そこでヘロデ王は自分の領地の2歳以下の全ての赤子を殺したのです。ヘロデ一族の権力をイエス様に奪われのを恐れたのです。勿論、イエス様はこの現世の権力など問題にしていなかったのです。しかしヘロデ王にはそれが分からなかったのです。

ところで、クリスマスに一度教会のミサへ参加してみませんか?クリスマスの聖歌が聞けて楽しいものです。1時間で終わります。何事も経験です。キリスト教の感じが一歩深く分かります。欧米の文学作品をより深く理解出来るようになると信じています。無理して信者になる必要は一切ありません。一つの教養として経験するのも良いと思います。

今年の12月24日(土)には、カトリック小金井教会は2回のクリスマス・イブのミサを行います。

夕方6時、夜の9時です。一般の人々も歓迎しています。毎年クリスマスのミサには多くの一般の人々も来ます。ミサは全て1時間ほどで終了します。

夕方6時からは子供を中心にした楽しいミサです。勿論大人も大歓迎です。

夜9時のミサは普通のクリスマス・イブのミサで聖歌を歌います。神秘的な美しさをお好きな方へお薦めのミサです。

12月25日(日)のミサは午前7時と午前10時からの2回あります。

カトリック小金井教会はJR中央線武蔵小金井駅下車、北口から小金井街道を北方向へ歩いて、桜町病院入口の信号のある交差点を右へ曲がります。徒歩15分程度です。参加される方は少し早めに行って、受付で挨拶すると聖書と聖歌のパンフレットをくれます。席は自由ですのでお好きなところへお座り下さい。

下に小金井駅北口から歩く道順を矢印でしめします。写真が不鮮明なのでYahooの地図で小金井市を出してご覧になると、もっと鮮明です。尚、広い駐車場(100円)もあります。お早めに駐車場へお出で下さい。

今年も皆様がご家族とご一緒に楽しいクリスマスを過ごされますようにお祈りいたします。 

  シルベスター後藤和弘

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