後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「冒険の連続だった私の人生(1)徒手空拳でアメリカへ留学」

2024年05月23日 | 日記・エッセイ・コラム
自分の性格を考えてみると結構冒険好きだったと思います。東北大学在学中から冒険の人生が始まりまりました。北アルプスや南アルプスを単独で縦走したのがその始まりでした。
そしてその後アメリカ留学に挑戦したのです。アハイオ州立大学のセントピエール教授にいきなり手紙をだしました。月謝と生活費を出してくださいと頼みました。OK!という返事がきました。 
1番目の写真の左側の人がセントピエール教授です。私どもの結婚式の後のレセプションヘの客を迎えるレセプション・ラインです。それにしても妻は若かったものです。
留学先の大学はオハイオ州のコロンバス市にありました。感動したことはアメリカ人の先生方と同級生がとても親切だったことです。
もう少し正確に書くと、フルブライト留学生として1960年から1962年までオハイオ州立大学の金属工学科に留学したのです。そしてPh.D を頂きました。
アメリカ人はいつも私を励ましてくれ、好意溢れる支援を惜しみなく与えてくれたのです。
例えば指導教授のセント・ピエール先生や学科主任のフォンタナ教授が「頑張っているね」「良い成果をあげた!」などと励ましてくれたのです。
2番目の写真はオハイオ州立大学の ロードホールという建物です。この建物の一階の右端の部屋に私が自分の実験装置を作りました。
3番目の写真は親切だった学科主任のフォンタナ教授の部屋のあった建物です。彼がオハイオ州立大学へ寄付をした建物なのでフォンタナ実験室と言う名前がついていました。
玄関を入ってすぐ右側に彼の部屋があり、ヘレンという秘書がいつも親切にしてくれました。経験豊富で優しさに溢れた女性でした。
そしてもう一つの忘れ得ぬ経験は、指導教官のセント・ピエール教授夫妻が我々の結婚式の仲人をしてくれたことです。私は 妻を日本から呼び寄せ、オハイオ州のコロンバスで結婚式を挙げたのです。1961年のことでした。
結婚式は大学付属の質素な教会でして披露宴はコロンバスの中心街のディッシュラー・ヒルトンホテルでしました。アメリカ人の先生方や同級生がみんな出席してくれました。
1番目の写真がその披露宴のレセプション・ラインです。
 
結婚式の前には友人の奥さん達が集まって、家内にシャワーという結婚生活に必要な日用品をそれぞれ心を込めたカードを付けて贈ってくれました。コロンバスは我々の新婚生活の地なのです。
アメリカ人の親切さは留学した大学の人だけでなかったのです。見ず知らずの人も困っている私共を助けてくれたのです。
4番目の写真はオハイオ・キャバーンという鍾乳洞の入り口です。右の建物の中のエレベーターで降りると巨大な鍾乳洞がありました。
そこへ生後6か月の長女を家内が抱いて行った帰り道で車が故障しました。周囲はぼうぼうたるトウモロコシ畑です。人っ子一人いません。すっかり途方にくれていたら一台の車が通りがかったのです。
ここでオハイオ州の田舎に似た風景写真を示します。ネットで「アメリカの風景写真」を検索してお借りした写真です。
5番目の写真はオハイオ・キャバーンという鍾乳洞へ行く道によく似た風景です。トウモロコシ畑の収穫後の風景です。
写真のような茫漠たる大地で途方にくれていたら一台の車が通りがかったのです。運転していた若い男が下りてきます。私の車のボンネットを開け、これは重症だと言います。そしてロープで私の車をかなり遠方の町の修理屋まで引っ張って行ってくれたのです。奥さんと小さな子供二人が乗っていました。家内が後でお礼状と心ばかりの品を送りました。
この様にオハイオでは知らない人が助てくれるのです。このようなことは数回経験しました。
こんな体験をすると何時までもアメリカ人への感謝の気持ちが残るのです。アメリカのことは全て好意的に見てしまうのです。私の偏見です。
ベトナム戦争の時もアメリカ側を心情的に応援していました。枯葉剤の散布や村落を焼き尽くすような残酷な戦争行為には心を痛めましたが、ベ平連の反戦運動には賛成出来ませんでした。しかし私は戦争には絶対反対です。
以前この欄に狩猟の趣味について好意的な記事を掲載しましたが、それも狩猟が普及しているアメリカの影響です。私の考え方はアメリカの影響を無意識に受けているのです。
もう一つの重要な影響は私が愛国心を持つようになったことです。私はアメリカに留学した影響で終生変わらない日本への愛国心を持つようになったのです。
日本に生まれた幸運に感謝しました。祖国日本を懐かしみ大切に思うようになりました。どこの国より愛しています。そのような愛国心を終生持つようになった原因は多数の民族が混じっているアメリカに住んだからです。アメリカで生活していると自然にそんな気持ちになるのです。
 
老境に到ると世の中の悪いことは忘れます。良いことだけが記憶に残ります。私はアメリカの良いところだけを憶えています。幸運でした。
 
 
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

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