隠れキリシタンの悲しい歴史は日本民族の精神力の強さを証明しています。従って隠れキリシタンを精神文化の視点から評価すると日本民族が誇りに思えるような素晴らしい歴史的事実だったのです。
この精神文化は世界的にも高く評価され、国連によって「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に認定されたのです。それは姫路城、古都京都の文化財、白川郷、などと共に認定されているのです。
今日は安息日の日曜日なので、隠れキリシタンの歴史を簡略にご紹介いたします。
長崎県の隠れキリシタンは250年の禁教を耐え忍びました。そして幕末の1865年にフランス人の神父の前に突然現れて、はじめて信仰を告白します。しかしそれは時期が早過ぎたのです。幕府も、その後の明治政府も禁教令を明治6年まで墨守し、その間の8年間にキリシタンが多数捕縛され各地へ流され、拷問され、殺されたのです。それは浦上崩れとか五島崩れと呼ばれるキリシタンの流刑と処刑です。
そして明治6年になってやっと晴れて信仰が公に認められ自由になったのです。
ローマ法王のもとに帰り、カトリック教徒になった信者たちはかつての辛酸をきわめた歴史の反動で熱狂的な宗教活動を繰り広げたのです。それは禁教の250年の間に溜まったエネルギーが一挙に爆発したようなものです。それは長崎県全域で起きました。しかし何と言っても隠れキリシタンが仏教徒を装って多数住んでいた五島列島で激しく燃え上がりました。現在、五島列島には50ケ所ものカトリック教会があるのです。
現在、五島列島の北半分の島々は新上五島町となり下五島は五島市という2つの自治体になっています。
この50の教会はすべて長崎大司教区に属し、その上のフランシスコ法王に直結しています。50もの教会の全てに常住の主任司祭はおけないので幾つかずつに分けて巡回教会のグループをつくり、時間をずらしてミサを行っています。
私どもは2015年にこの五島列島を訪れました。その時撮った写真をご紹介いたします。
1番目の写真は2015年の4月に訪れた五島列島にある堂崎天主堂で、内部は隠れキリシタン関連の展示場になっています。幾万人の足ですり減った踏み絵の青銅のキリスト像があります。ここの祭壇や柳天井、そしてステンドグラスは創建当時のままです。
長崎県の古いカトリック教会は初期に多くのフランス人神父の指導で作られたのでフランスの田舎の教会のような雰囲気を持っています。
2番目の写真は日本最古のルルドの泉の上に立っているマリア様の像です。福江島の井持浦教会の左わきにありました。資料の、http://gigazine.net/news/20111017_lourdes_japan/ よると以下のようです。
「1858年にフランスのルルドで聖母がベルナデッタという少女の前に姿を現し、そこの場所がルルドの泉と言います。バチカン市国も認定したので、現在でも当地を訪れる巡礼者は後を絶ちません。1891年に当時のローマ法王レオ13世が自らバチカンにルルドの泉の模型を造らせたことから、世界中で「ルルドの泉」が造られるようになったのです。五島列島では、その8年後の1899年(明治32年)に、日本で初めて福江島の井持浦教会にルルドの泉が造られました。
3番目の写真は磔にされた聖ヨハネ五島の等身大の彫刻です。堂崎天主堂の入り口の向側にありました。聖ヨハネ五島は日本二十六聖人の一人です。
以下は、http://tenjounoao.web.fc2.com/mysite1/nihontabi/nagasaki4.html から抜粋しました。
ヨハネ五島はこの五島の出身ですが、どこで生まれたのかははっきり分っていません。両親ともキリシタンの家庭で育ち長崎と天草のセミナリヨで学びました。
その後大坂に出てモレホン神父の同宿になり、一緒に暮らして手伝いをしていたのですが、神父を逮捕しようとして役人がやってきた時に、素早く神父を隠し代わりに自分が捕まりました。
モレホン神父は二十六聖人の殉教の報告書と共にこのことをローマへ送ります。
神父はその後追放令にあってマカオに行きますが、そこの修道院で遺骨となって送られてきたヨハネ五島と再会します。
4番目の写真は堂崎天主堂に展示してあった五島列島出身の司祭さんたちの写真です。展示ではこの3倍位の人数の司祭さんたちの写真が並んでいました。一生独身をとおし神に仕え信者の世話をした神父さん達です。それは現在でもカトリック集落の信仰の支えになっています。
観光バスの車窓から見るとキリシタン墓地もあります。五島列島で多数見られるのは仏教風の墓地です。江戸時代から目立つところに作られ仏教徒を装う必要があったのです。幕府の役人が検分しやすいように道端や丘の上に仏教風の墓場がありました。江戸時代のキリシタンはお葬式を仏式とキリシタン式の2回したそうです。
5番目の写真は頭ケ島教会の下にあったキリシタン墓地です。
世界遺産に認定された「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」は日本民族の精神力の強さを示すものとして高く賞賛され世界の文化遺産として 認定されたのです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
この精神文化は世界的にも高く評価され、国連によって「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に認定されたのです。それは姫路城、古都京都の文化財、白川郷、などと共に認定されているのです。
今日は安息日の日曜日なので、隠れキリシタンの歴史を簡略にご紹介いたします。
長崎県の隠れキリシタンは250年の禁教を耐え忍びました。そして幕末の1865年にフランス人の神父の前に突然現れて、はじめて信仰を告白します。しかしそれは時期が早過ぎたのです。幕府も、その後の明治政府も禁教令を明治6年まで墨守し、その間の8年間にキリシタンが多数捕縛され各地へ流され、拷問され、殺されたのです。それは浦上崩れとか五島崩れと呼ばれるキリシタンの流刑と処刑です。
そして明治6年になってやっと晴れて信仰が公に認められ自由になったのです。
ローマ法王のもとに帰り、カトリック教徒になった信者たちはかつての辛酸をきわめた歴史の反動で熱狂的な宗教活動を繰り広げたのです。それは禁教の250年の間に溜まったエネルギーが一挙に爆発したようなものです。それは長崎県全域で起きました。しかし何と言っても隠れキリシタンが仏教徒を装って多数住んでいた五島列島で激しく燃え上がりました。現在、五島列島には50ケ所ものカトリック教会があるのです。
現在、五島列島の北半分の島々は新上五島町となり下五島は五島市という2つの自治体になっています。
この50の教会はすべて長崎大司教区に属し、その上のフランシスコ法王に直結しています。50もの教会の全てに常住の主任司祭はおけないので幾つかずつに分けて巡回教会のグループをつくり、時間をずらしてミサを行っています。
私どもは2015年にこの五島列島を訪れました。その時撮った写真をご紹介いたします。
1番目の写真は2015年の4月に訪れた五島列島にある堂崎天主堂で、内部は隠れキリシタン関連の展示場になっています。幾万人の足ですり減った踏み絵の青銅のキリスト像があります。ここの祭壇や柳天井、そしてステンドグラスは創建当時のままです。
長崎県の古いカトリック教会は初期に多くのフランス人神父の指導で作られたのでフランスの田舎の教会のような雰囲気を持っています。
2番目の写真は日本最古のルルドの泉の上に立っているマリア様の像です。福江島の井持浦教会の左わきにありました。資料の、http://gigazine.net/news/20111017_lourdes_japan/ よると以下のようです。
「1858年にフランスのルルドで聖母がベルナデッタという少女の前に姿を現し、そこの場所がルルドの泉と言います。バチカン市国も認定したので、現在でも当地を訪れる巡礼者は後を絶ちません。1891年に当時のローマ法王レオ13世が自らバチカンにルルドの泉の模型を造らせたことから、世界中で「ルルドの泉」が造られるようになったのです。五島列島では、その8年後の1899年(明治32年)に、日本で初めて福江島の井持浦教会にルルドの泉が造られました。
3番目の写真は磔にされた聖ヨハネ五島の等身大の彫刻です。堂崎天主堂の入り口の向側にありました。聖ヨハネ五島は日本二十六聖人の一人です。
以下は、http://tenjounoao.web.fc2.com/mysite1/nihontabi/nagasaki4.html から抜粋しました。
ヨハネ五島はこの五島の出身ですが、どこで生まれたのかははっきり分っていません。両親ともキリシタンの家庭で育ち長崎と天草のセミナリヨで学びました。
その後大坂に出てモレホン神父の同宿になり、一緒に暮らして手伝いをしていたのですが、神父を逮捕しようとして役人がやってきた時に、素早く神父を隠し代わりに自分が捕まりました。
モレホン神父は二十六聖人の殉教の報告書と共にこのことをローマへ送ります。
神父はその後追放令にあってマカオに行きますが、そこの修道院で遺骨となって送られてきたヨハネ五島と再会します。
4番目の写真は堂崎天主堂に展示してあった五島列島出身の司祭さんたちの写真です。展示ではこの3倍位の人数の司祭さんたちの写真が並んでいました。一生独身をとおし神に仕え信者の世話をした神父さん達です。それは現在でもカトリック集落の信仰の支えになっています。
観光バスの車窓から見るとキリシタン墓地もあります。五島列島で多数見られるのは仏教風の墓地です。江戸時代から目立つところに作られ仏教徒を装う必要があったのです。幕府の役人が検分しやすいように道端や丘の上に仏教風の墓場がありました。江戸時代のキリシタンはお葬式を仏式とキリシタン式の2回したそうです。
5番目の写真は頭ケ島教会の下にあったキリシタン墓地です。
世界遺産に認定された「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」は日本民族の精神力の強さを示すものとして高く賞賛され世界の文化遺産として 認定されたのです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)