はじめから個人的経験で恐縮ですが、3年ほど前に美しいウクライナ人に会いました。諏訪の湖畔に立つホテルでの夕食の時、我々にサービスをしてくれた人です。
聞くと日本人と結婚し、渡辺さんという名前だと云います。そしてウクライナの素晴らしさを話してくれました。
最後にウクライナは言語も文化もロシアと違いますと決然と言ったのです。
その時の表情を思いだしながら最近のウクライナとロシアの軍事的対立のニュースを読んでいます。
ところでウクライナ国家の領土に下の写真のように風光明媚なクリミア半島があります。
上はクリミア半島にあるヤルタの街の写真で、第二次大戦終期に米英ソ連3国によるヤルタ会談の行われてた場所です。
下は黒海に突き出た岬にある古城で、現在はレストランになっているそうです。
この2枚の写真の出典は、http://www.dtac.jp/caucasus/ukraine/entry_137.phpです。
黒海につき出たようなクリミア半島 は大きな山がちな土地です。古くから一つの地域文化を育ててきたような地形で、大平原のウクライナとは違います。
今回の抗争で、私はロシアがクリミア半島だけは早急に軍事占領するだろうと思っていました。
理由は2つです。
一つはソ連の黒海艦隊の巨大な海軍基地がクリミア半島のセバストポリ港に存在しているからです。
そうしてもう一つの理由は第二次世界大戦中にドイツ軍と戦いの歴史があるからです。
ドイツ軍はソ連の激しい抵抗を撃破し1941年にクリミア半島に上陸し、陣地を確保したのです。しかしその後ソ連の黒海艦隊に反撃され窮地に陥ります。
最終的にはドイツ軍が黒海艦隊基地を制圧して、ウクライナ平原、そしてモスクワ攻撃の海上からの補給基地として使用したのです。下の写真はドイツ軍によって破壊されたソ連軍のセヴァストポリ要塞の写真です。
ドイツ陸軍に撃破されたソ連のセヴァストポリ要塞の30.5m二連装砲塔。(戦後復元され三連装砲塔に改修されている。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84_(%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6))
このドイツ軍の基地も1944年4月のソ連軍の決死の攻撃で陥落します。
これでドイツの敗北が決定的になり、独ソ戦の決着がついたのです。ですからこそこのクリミア半島のヤルタで米英ソの3国会談が開催されたのです。
さて今回のロシアのクリミア半島制圧の本音は、「独ソ戦でロシアが悲惨な戦闘の代償として手に入れたクリミアを手放してなるものか」ということなのです。
ロシアは血を流した戦闘で手に入れたものは絶対に手放しません。それはロシア領の飛び地のカリーニンングラードを見れば明瞭に判ります。
最近のクリミア半島の抗争のニュースを見ながら、私は北方四島返還の困難なことを想像しています。
ロシアの暗い怨念を理解しないとウクライナとロシアの抗争の事情は分からないと思う今日この頃です。
それにしても第二次大戦の負の遺産の大きさに心が痛みます。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)