後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

3つの泉に心魅かれ写真を撮って来ました

2017年01月22日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は、午前中は教会のミサに行きました。
午後は国分寺崖線の下に湧き出ている3つの泉に心魅かれ写真を撮って来ました。

武蔵野台地とは荒川と多摩川に挟まれた広大な台地です。そこには美しい雑木林や畑が広がっています。
この武蔵野台地は決して平らでなく丘や崖があちこちに散在しています。
その丘や崖の下には泉が湧いているのです。
昨日ご紹介した善福寺池や武蔵関公園の富士見池は皆湧水で出来た自然の池です。

泉とか湧水には何かロマンを感じます。
滔々と湧き出る清い泉は必ずや昔の縄文時代の人々を支えて来た筈です。奈良、平安、江戸と時代が流れ人々が農業をするようになると、これらの湧水はかけがえの無いものになりました。そのような泉の周りに集落が出来たに違いありません。

それではまづ姿見の池をご紹介します。
かつて付近の湧水や恋ヶ窪用水が流れ込み、清水を湛えていました。 現在の府中街道とほぼ同じ道筋にあたる東山道武蔵野路や鎌倉上道の宿場町であった恋ヶ窪の遊女達が、朝な夕なに自らの姿を映して見ていた ことから、「姿見の池」と呼ばれるようになったと言い伝えられています。
恋ヶ窪という地名の由来の一つとも云われ、傾城・夙妻太夫が武将・畠山重忠を慕って 身を投げた池といわれています。「武蔵野夫人」(大岡昇平著)など文学作品にもよく登場する名所です。
平成10年度東京都と国分寺市は、池周辺地域を東京都指定「国分寺姿見の池緑地保全地域」 として整備しました。かつての武蔵野の里山風景を見ることができます。

1番目と2番目の写真が「姿見の池」の風景です


次はお鷹の道にある「真姿の池湧水群」です。
 1748年(寛延元年)から国分寺は徳川御三家尾張藩の鷹狩の狩り場となりました。
武蔵野台地の崖下の泉と清流の脇に小道が整備され、これを「お鷹の道」と呼ぶようになったのです。

3番目の写真は「真姿の池」の風景です。下流で野川に流入し多摩川へ流れ出ています。

次は小金井貫井神社の裏手で幾つかの泉から湧き出している貫井神社湧水群です。
国分寺崖線が小金井まで延び、その崖下からコンコンと湧き出しています。

4番目の写真は神社の裏で幾つかの泉からの湧水を集めて流れている水路です。

5番目の写真は神社の前の湧水で出来た深い池の風景です。

このような泉の写真を撮って歩き回っていると古の人々のことが偲ばれて楽しいのです。
縄文時代はこの泉の付近に環濠集落があったそうです。
そして畑作や稲作の時代になると湧水群の周囲に農地が出来、集落も出来ました。
国分寺でも小金井でも崖線の下側に昔から農村が出来ます。崖の上の台地には開発されない時代が長く続いたのです。

泉や湧水に感謝しながら写真を撮って来ました。そして今日も平穏に日が暮れて行きます。

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