1965年9月30日にインドネシアで軍事クーデターが起き、それを鎮圧した軍部が共産勢力の拡大を阻止するために共産党員とその同調者を大量に虐殺した事件がありました。虐殺された人は50万人とも言い、200万人とも言います。
こんな多数の虐殺事件が起きたのに日本ではほとんど報道されません。多くの日本人はこの事件を知りません。アメリカのCIAがアジアの共産化を恐れて実行したという噂も根強くながれています。
この大虐殺でインドネシアの共産党は壊滅し、その後再建されず現在に至っています。
この大虐殺事件は、私も知らなかったのです。それが今週、イスラム諸国の政治体制や民主化の実態をいろいろ調べているうちに偶然見つけたのです。
それ以来、何故、日本では大々的に報道されなかったのかその理由をいろいろ考えています。
1965年はアメリカがベトナム戦争に本格的に参戦する前の年です。後背地の憂いを無くすためにインドネシアの共産勢力を一掃したのでしょうか?
日本の報道機関は何故報道規制をしたのでしょうか?日本の新聞社やテレビ局は自己規制をして真実を報道しないことがよくあります。
これからもいろいろインドネシアの実態を調べて、考えて見たいと思います。
以下にインドネシアの地図と殺された共産党の書記長、アイディットの写真を示します。
===9月30日大虐殺の資料==================
9月30日事件は、1965年9月30日から10月1日の未明にかけて、大統領親衛隊の隊長、ウントゥン中佐率いる部隊が、国軍首脳の6将軍を拉致・殺害するなどした軍事行動である。その日の夜までには陸軍戦略予備軍司令官スハルト少将によって鎮圧されたが、その後、事件に関与したとされるアイディットらPKI幹部は処刑され、党員あるいはシンパを含めてPKI関係者と疑われた人々の集団虐殺が多発した。(20世紀最大の虐殺の一つとも言われ、その数は今日でも正確には把握されていないが、こうした残虐な大虐殺は、1965年10月から1966年3月ごろまでスマトラ、ジャワ、バリで続いたと見られる。犠牲者数についてはさまざまな説がある。たとえば、スカルノ政権が1966年に設置した同事件の真相調査団は、虐殺された人々は7万8000人に上るとしたが、9・30事件直後に設置された治安秩序回復作戦司令部(KOPKAMTIB)の長官を務めたことがあるスドモ(Soedomo)退役元帥は、200万人の人々が9・30事件との関連で虐殺されたとしている。)
この事件によって、PKI党組織は物理的に解体され、殺害を免れた党関係者も長期にわたって流刑に処せられるなど(インドネシアの国民的作家プラムディヤ・アナンタ・トゥールもその1人である)、当時東南アジア地域で最大の規模を誇ったPKIは壊滅した。また、凄惨な大量殺戮をともなったこの事件についての記憶は、その後もながく民衆の恐怖心とも結びつき、共産党をタブー視する雰囲気をこの国に作り上げた。スハルト政権崩壊後の今日にいたるまで、PKIは再建されていない。一方で同じ共産主義政党でも、闘争同盟を率いたタン・マラカの流れを組むムルバ党はスハルト政権に協力、アダム・マサリク副大統領を輩出していた。
その他の資料:
http://range-king.com/blogs/blog/archives/187
http://blog.livedoor.jp/kuroitaiyo888/archives/32267911.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A2