最近、秘境、秋山郷の紅葉・・・飢饉で全員が何度も死に絶えた山奥の秘境 という記事を掲載しました。
それ以来、日本の秘境とは何であるか?とあれこれ考えています。そうして以下の3つの条件がそろっていれば秘境と呼んでも良いという考えにいたりました。
これは私個人の秘境の定義ですので、違った定義があってもよいのです。
(1)その土地へ行く交通手段が非常に不便です。電車やバスのような公共の交通手段はあってはいけません。道はついていても歩く道か、小型自動車がやっと入れる悪路であること。
(2)自然の風景が厳しくて、人間へ恐怖心を与えるような山奥や海岸であること。奇怪感や神秘的な感じを与える場所であること。心が和むような平和な風景は秘境とは考えないことにします。
(3)多数の観光客が騒々しく訪れない場所であること。歴史的にみて苦難に耐えながら少数の人間が狩りや漁のために出入りしたり、棲みついて居た場所。したがって人跡未踏の場所はあまりにも人間と関係が無いので秘境とは定義しない。
さて秘境と言えば、「日本の秘境100選」というものが有名です。
これは1989年に雑誌、「旅」とJTBが選考委員に依頼して全国の100ケ所の秘境を選び出したものです。
その発想は大変面白いもので私は高く評価しています。
例えば、北海道の「日本の秘境100選」を以下に示します。
北海道
No. | 地名 | 県名 |
---|---|---|
001 | 礼文島 | 北海道 |
002 | 大雪山 | 北海道 |
003 | 北オホーツク海岸 | 北海道 |
004 | 知床 | 北海道 |
005 | 野付半島 | 北海道 |
006 | 釧路湿原 | 北海道 |
007 | 然別湖・東雲湖 | 北海道 |
008 | 渡島半島北西岸 | 北海道 |
009 | サロベツ原野 | 北海道 |
010 | オンネトー | 北海道 |
011 | 積丹半島西岸 | 北海道 |
しかし、私自身は上に書いた3つの条件を全て満たしている場所だけを秘境と考えています。
そうすると礼文島、北オホーツク海岸、知床、釧路湿原、サロベツ原野、オネントー、積丹半島西岸などは電車やバスのような公共交通機関もあり観光客が多数、わいわいと押しかけています。とても秘境のもつ神秘さや自然風景の厳しさが感じられません。第一お土産店やレストランがあり過ぎます。秘境とはほど遠い感じです。
この様な観光開発のいき過ぎた「秘境」を「秘境100選」から取り除き、もう一度、「日本の秘境100選」を選び直しべきだと考えています。
そして秘境は自分自身で探しだすものなのでもあると思います。
北海道の秘境と心からお薦め出来るのは「野付半島」と思いますので以下にその旅日記をお送りいたします。昨年の9月に家内と一緒に訪問しました。
(この野付湾の写真の出典は、http://betsukai.jp/blog/0001/archives/2009/06/images/1245371831.jpgです。)
北海道の東部根室市の北に、多量のサケの遡上で有名な標津川(シベツガワ)があります。
その南に幅が数十メートルから数百メートルしか無い砂洲で出来た野付半島が、湾曲しながら26kmも伸び野付湾を囲んでいます。砂洲の上を野付灯台まで車で入れます。
そして野付灯台の手前にはトドワラとナラワラという枯れたトドマツの原とナラの原が広がっている奇怪な風景があります。地盤沈下で海水に漬かってしまったトドマツの木とナラの木が枯れて、白い骸骨のように立っています。不気味です。
その白骨のような林が野付湾を一層荒涼とさせています。人間の住む世界ではありません。これこそ秘境だという感じを与えてくれます。
下に雨もよいの野付湾の風景写真を2枚示します。小雨が降ったり止んだりで、時々薄日が射していました。
上の写真のような野付湾を右手に見ながら細い砂洲の上の舗装道路をえんえんと辿って行くとやがて右手にナラワラがあります。下にその光景を示します。
よく見ると下の写真のようにナラ林全てが立ち枯れになっている場所もあります。
ナラワラを通り過ぎ、野付灯台の傍まで行くと立派なビジターセンターがあります。
その駐車場に車を停めて、ハマナスの紅い花と実を見ながら、ぬかるみの小道を1.2kmほど歩くとトドワラがあります。下の写真です。
立ち枯れた木が倒れた場面ですが、立ったままの林もあります。
この野付半島の向かい側、16km沖には国後島があります。今回は天気が悪く見えませんでいでしたが、野付港は国後島の町や村に行く船の発着場として昔は賑わっていたそうです。
訪れたビシターセンターの2階には昔の択捉島や国後島の町や村落の写真が沢山置いてあります。丁寧に見て行くと択捉・国後には多くの日本人が住み、鮭やニシンを取っていたことが判ります。
日本人の先祖代々のお墓も沢山残っているに違いありません。ロシアは返還しません。
墓参りくらいは行けるのでしょうか?そんな事を考えながら雨のそぼ降る道を帰って来ました。
暗い淋しい小さな旅でした。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
====樺太、千島の占領完了=======================
(出典は、http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h13/jog203.htmlです。)
24日早朝、アリモフ少将が戦車隊を従えて、豊原に到着し、
日本軍の施設をすべて接収し、樺太庁の行政も停止させた。こ
れにて樺太の占領は完了した。
千島列島に関しては、24日以降、順次、日本軍将校を同船
させて小型艦艇数隻からなる偵察部隊が南下し、各島で日本軍
の降伏を受け入れながら占領を続けていった。
択捉、国後については、当初は「アメリカ軍がやってくるは
ずだから我々は手をつけずにかえるのだ」と言って、上陸しな
かった。この二島はかつてロシア領になった事はなく、日本固
有の領土であった。したがって、ヤルタ協定でソ連に「手渡さ
れる」ことになっていた千島列島にこの2島が入っておらず、
日本本土の一部として、アメリカ軍の占領地域に入っていたと
解釈されても不思議はなかった。
しかし、アメリカ軍が来ていないと知ると、ソ連軍は8月2
8日に択捉島に、9月1日に国後島に上陸した。さらに千島列
島に含まれず北海道根室半島の延長である歯舞諸島、色丹島に
も、ソ連軍はそれぞれ9月1日、4日に占領した。歯舞諸島占
領が行われた9月4日は、降伏文書正式調印の二日後である。