後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

苗場のゴラドンゴラと雨にけぶる紅葉

2013年10月28日 | 写真

昨日、乗った苗場のゴラドンゴラは確かに特筆に値いします。紅葉の谷を登ったり、降りたりを繰り返して5Km以上の紅葉のパノラマを見せてくれます。

雨や霧に霞んだ紅葉も良いものです。下に写真をお送りします。

尚ゴラドンゴラの詳細は、http://www.princehotels.co.jp/ski/kagura/ropeway/autumn.html に出ています。田代ロープウエイと組み合わせると苗場山を周遊できます。

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林間に酒を煖めて、紅葉を焼(た)く・・・苗場、谷川岳の紅葉

2013年10月28日 | 日記・エッセイ・コラム

人間の記憶力とは不思議なもので、幼少や少年の頃に覚えたことは一生忘れません。忘れていても必ず、フッと鮮明に思い出すのです。

少年のころ学校で習った白楽天の詩の一節、「林間に酒を煖めて、紅葉を焼く」は何故か心に焼き付いていて、毎年紅葉の季節になると思い出します。

そして紅葉を求めて遠くへ旅をします。

昨日は三国峠の向うの新潟県の苗場と群馬県側の谷川岳の麓に行ってきました。

高崎、前橋、渋川までは美しい青空でしたが苗場と谷川岳は風雨が荒れています。

下に苗場のゴラドンゴラという日本一長い5キロメートルもあるロープウエイに乗って撮った紅葉の写真をお送りします。全山が黄、橙、茶色に彩られ、起伏のあるゴンドラからの俯瞰は今まで見たことも無いすばらしさでした。しかし窓が曇り、外側には水滴がついて鮮明な写真が撮れませんでした。

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苗場山を降りてバスに乗り、水上温泉、湯檜曽温泉を抜けて谷川岳の天神平へ上がるロープウエイの下駅まで来ました。

ところが風雨がますます強くなり屋外を歩けません。

仕方なくて、林間に酒を煖めて、紅葉を焚くことにしました。

焚火禁止で、紅葉を焚くことは出来ませんが、酒を温めることは出来ます。

と言っても昼間から熱燗の日本酒はいけません。かわりに生ビールを飲みました。

紅葉した山の見える大きなレストランの窓際に座って悠然と飲みます。

肴は何もありません。家内が下仁田ネギを入れたポテトチップスの大袋を買ってきてくれたのでそれが良い肴になります。そうして2時間も、下の写真のような窓の外の紅葉を眺めていたのです。 

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2時間も他愛もない夫婦の話をしていました。家内は家ではポテトチップを絶対に食べないのに、この下仁田ネギの粉末がまぶしてあるチップスは食べていました。食べながら、疎開していた下仁田の山川のことなど楽しそうに話しています。

しかし、私は白楽天の詩の全文を思い出そうとして考え込んでいました。

確か寺の裏の林間で友人と酒を飲んだはずだと思い出しました。それは若い頃のことで年老いた現在は、遥か遠方の寺へは行く体力は無くなったと若い頃のことを懐かしんでいたはずです。

そこで帰宅後、調べて全文を見つけました。なんとそれは3年前のこのブログに掲載されていたのです。その記事は、林間に紅葉を焚き、行く秋を惜しむ(2010年11月20日掲載) です。

その全文はこうです。

寄題送王十八帰山仙遊寺   白居易(白楽天)

曽於太白峰前住
数到仙遊寺裏来
黒水澄時潭底出
白雲破処洞門開
林間煖酒焼紅葉
石上題詩掃緑苔
惆悵旧遊復無到
菊花時節羨君廻

訳:その昔、私が太白峰の麓に住んでいた頃はよく仙遊寺へ出かけたものだ。
水が澄む秋の季節には、川淵の底まで透けて見え、白雲が切れた辺りに
仙遊寺の山門があった。また仙遊寺の林間では散り落ちた紅葉を焚いて
酒を煖めたり、緑苔を払った石の上に詩を書いたりしたものだ。
ああ残念ながら、昔遊んだあの地に私はもう二度とは行くことはないだろう。
菊の花の咲くこの季節に、そこに帰っていく君が羨ましいよ。

以上の出典:http://plaza.rakuten.co.jp/1492colon/diary/200812110000/

白楽天のことは、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%B1%85%E6%98%93にあります。

今回の旅は悪天候でしたが、こうして白楽天の詩を改めて深く鑑賞でき、悠久の唐時代の風流に思いを馳せることが出来ました。

それに家内が苗場のゴラドンゴラという長大なロープウエイから見た紅葉に長い間憧れていたので、夢がかなってうれしそうにしているので良かったと思いした。

そして年老いた私にとっては、「ああ残念ながら、昔遊んだあの地に私はもう二度とは行くことはないだろう。菊の花の咲くこの季節に、そこに帰っていく君が羨ましいよ。」(惆悵旧遊復無到、菊花時節羨君廻)」の最後の2行がこの詩のメイン・テーマであることに初めて気がつきました。この2行がしみじみ心に沁みます。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)