@南ドイツのワインの飲み方
最近の日本では世界中のワインが輸入され気楽に飲めるようになった。しかし以前は輸入ワインが非常に貴重であった。1969年、ドイツに住んだ時は「貴重な」という先入観もあってワインを良く飲んだ。ローテンブルグという中世の田舎町でのことである。
ガストフという古い食堂に入る。木目が美しい内装で、中は暗い。すぐに帽子、コートを脱ぎ、入り口近くの帽子掛けに掛ける。「グリュ-スゴット!」(神のお加護を!)と 主人へ声を掛けて座る。日本の学校ではグリュ-スゴット!などという挨拶は習ったことが無い。南ドイツの方言である。奥の左手のテーブルは男だけの地元常連客のテーブルであり、座ってはいけない。
田舎の店ではコートの脱ぎ方、挨拶の仕方、その後の仕草を地元の人々がジーッと見ている。作法通りにしないと露骨に嫌な顔をする。アメリカ人観光客は地元の作法に無頓着。どうしても嫌われてしまう。
ワインを注文する。渋みの効いた地元のワインを注文する。行く度に注文の銘柄を変え 味を比較する。次第にドイツワインの深みが分かるようになる。ドイツワインだけを飲んでいるとフランスワインは不味いと感じるようになる。
あるとき2週間の全国旅行へ出た。フンボルト財団の主催した団体旅行で色々な国の人々15人位であった。旅行中の全ての宿は伝統的な民宿。地下室にケーラーというワインの貯蔵倉を持っている。夕食時には必ず年代物のワインの栓を2,3本抜く。栓を抜くのは民宿のご主人。重々しい顔でラベルの年代を読み、コルクを抜く。始めに一杯だけグラスに注ぎ、団員が交代で務める「主客」が一口飲む。しばし考えて、「美味い。少しドライだがそこはかとない葡萄の甘味もあり結構じゃないですか」などと誉める。主人が満足げに全員のワイングラスに注いで飲み始める。ワインに使った葡萄の品種やその年の天候などが主人から説明がある。それが終われば儀式が終わる。この部分はあくまでも伝統的な作法であり、間違っても少し味が良くないなどと言ってはいけない。始めの頃、決まった作法と知らない日本人が自分の好みの味ではないと言ったために主人と大激論になった。その後、交代で、自分が主客になったときは「美味い!深い味だ!」などと言うようになった。儀式が終われば、味の批判や評価をしても良い。南ドイツではワインの飲み方にも伝統的な儀式が出てくる。
@アメリカでのバーボンの飲み方
アメリカに1998年から2年間単身で在住した時は良く外の店にお酒を呑みに行った。アメリカでは酒は楽しく飲めば良いので儀式は一切ない。ビールは小瓶や缶のまま飲む。
いかにもアメリカらしい酒場には磨き上げた厚い板のカウンターがある。男だけの飲み屋である。カウンターに座ったらまずコインを出して、バーボンダブルなどと注文する。
男主人がカンターの端から私の手元へグラスをスウッと滑らせてくる。丁度手元で見事 に止まる。その勢いでついバーボンを一気に飲み干す。何回か調子良くグラスを空けると、お金を払わないのにグラスがスウッと手元に滑ってくる。男主人のおごりである。
何度も行ったので主人と仲良くなる。時々は常連の若者のグループへ私を車で家まで送って行けという。若者は実に礼儀正しく家まで送ってくれる。この店には暫く通ったがバーボンのストレートは胃を壊すのでやめた。
その後は日本人が板前をしている寿司店へよく行くようになった。馴染みの白人の男が 寿司を手でつまみながら、熱燗を手酌で楽しんでいる。見事な仕草である。
色々な話をした。「アメリカには酒を飲むときの特に作法が無いのでは?」「大部分のアメリカ人は無頓着です。でもあったほうが美味しく飲めるのです。味だけではありません。その国の文化がしみじみと想像出来るのが楽しいのです。」彼は本で読んだというヨーロッパ諸国、中国、韓国などの酒の飲むときの作法を丁寧に教えてくれた。色々な国々には種々のお酒がある。そしてお酒の飲み方にも違った作法がある。
郷に入れば郷に従うように飲み方もその地方の方法を遵守した方が良い。礼儀の基本である。
しかし要注意。中国では宴会のとき乾杯の応酬が何度もあり、「飲み干すのが礼儀」という。よく聞いてみると、それは始めの一杯だけのことらしい。乾杯の応酬の仕草だけで良いそうである。これを間違ってフラフラになっている日本人をよく見かけた。でもそんな時代ももう遠い昔になった。酒の飲み方の作法も時代とともに変わるに違いない。南ドイツでも面倒な儀式は消えたであろうか?あれから40年近くなる。 (この稿の終わり)