後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

外国体験のいろいろ(41)アメリカの個性教育とその問題点

2008年04月17日 | 旅行記

@アメリカの学校における個性教育

日本の学校で個性教育の重要性が叫ばれて久しい。しかし個性教育の具体的内容の議論が無く、抽象的な理想論だけがまかり通っている。個性教育の具体的な方法を考えると、そのそのマイナス面や危険性がおのずと明らかになる。

日本と同様にアメリカの学校でも集団で生徒を教育している点は同じである。

日本の学校では総平均点のみが重要視されすぎている。また暗記力を重視し知識の多さだけをもって成績を決がちである。知識の暗記は個人の独創性を殺す。

一方アメリカの学校では総平均点の他に、科目毎の優等賞、絵画コンテスト、ボランテア賞、スポーツ部活でのマネージャー賞などなど色々な賞を与え、個性の優れているところを引き出そうとする。したがって生徒間の競争が多種多様になる。

多様な自由競争こそが重要視される。これは一見良いように見えるが知識の暗記のみを重視する日本人には受け入れられない。

意外に日本ではあまり知られていないが、アメリカの大学には入学試験が無い。その代わり高校の時の総平均点(GPAと呼ぶ)で大学入学の可否を決めている。書類選考だけである。取得科目数が多くて総平均点が高ければどこの有名大学へも入学できる。このように総平均点で選ぶので結局は日本と同じように見えるが入学試験が無い事実は大きな違いになる。入試向け専門の暗記勉強や予備校・塾の類が無い。普段の高校の勉強を熱心にして成績を上げていれば自然に希望の大学へ入学できる。

また大学入学の場合総平均点が低くても、数学や物理のみが優秀であれば有名大学の数学科や物理学科へ入学出来る。生物系の学科が特に優秀であれば医学部への入学も可能である。従って高校以下の学校では好きな学科目だけ勉強しても良いことになる。個性の輝きを尊重して入学を認める。

これが個性教育の実態である。そうすると社会的常識の欠如した人間が出来てしまう可能性がある。また日本では学校の優劣を全生徒の総平均点でランクづけをする。従ってアメリカ式教育をすると、その学校の順位が下がってしまう。学校の順位が下がれば優秀な生徒が集まらない。それでは困ることになると考える人が多い。

知識の記憶を強要しないので常識的な知識も有さない大学生が出来てしまう。

日本的に言えば玉石混交の大学生が出来てしまう。これが個性教育の危険性である。

日本人はこのような学校教育を期待しているのであろうか?

「個性教育」の危険性を具体的に検討しないで重要性のみを叫ぶ。教育評論家はもっともらしい論理を展開する。個性教育は綺麗事だけでは無い。そのマイナス面も多いと考えられる

 @アメリカの大学には何故入学試験がないか?

日本では毎年一回だけの筆記試験で入学者を決めている。アメリカでは個々人の異なる才能を1回の入学試験で決めるのは不可能であり、不公平と考える。その代わり大学の1年生から2年生へ進級するとき成績の悪い2割くらいの学生を強制退学させる。以下2年から3年、3年から4年への進級の折に、更に卒業の時にと毎回成績の悪い1割くらいの学生を強制退学させている。この強制退学の制度は一回の入学試験を4回に分けて行うのと同じである。学生の勉強の成果に従って大学の卒業者を選んで行く。個人の成果を尊重した選別方法である。

この強制退学制度は大学内の教育効果を決定的に向上させている。大学は勉強しないと卒業できない。この当たり前の考え方を一番有効に実現する方法である。

日本の大学ではこれが実行できない。もし毎年2割もの強制退学者を作れば社会的に大問題になる。アメリカでは当然のこととして社会からも広く歓迎されている。

アメリカの大学は2学期制と4学期制があるが2学期制では120単位を取得すると卒業できる。4年に分けると1学年30単位であり、それを取れば1年ずつ進級する。

しかし120単位を3年で取得すればその時点で卒業出来る。このような飛び級の制度が一般である。しかし5、6年かけて卒業する人も居る。一流大学で取得した単位はどこの大学へ転校してもその大学の取得単位として認められる。転校が自由である。日本の例で言えば、北海道大学の経済学部の2年後期を終了した学生が東京大学の経済学部の3年生として転校出来るような制度である。筆者は東北大学の工学部の修士課程で取得した28単位をオハイオ州立大学の工学部の大学院の取得単位として認定された。到着直後にいきなり博士課程へ受け入れてくれた。これがアメリカの自由主義の一端である。

しかしアメリカの自由主義と個性教育を具体的に日本に導入する場合には社会全体がアメリカ型に変革している必要がある。社会の変革なしに個性教育を具体的に導入すればギクシャクしてその弊害ばかりが拡大される。どんな場合も変革の内容を具体的に議論することが肝要ではなかろうか?(続く)


櫻吹雪と八重桜

2008年04月17日 | 写真

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東京都立、小金井公園の西端には櫻の園がありソメイヨシノが散った後にゆっくり咲き出す山桜、薄墨櫻や濃いピンクの八重桜系統の櫻が440本あります。ウスズミ櫻を見に行きましたが、まだ蕾が開いていません。桜吹雪のしたを散策しながら色々な八重桜を見ました。花見客の集まりる季節は過ぎて、公園に静かさが帰ってきました。撮影日時:4月14日午後3時頃。