西郷隆盛 パート2
平成30年11月19日~22日迄九州方面(鹿児島県)に妻と旅行に行きました。
今回はブログ第8弾目、西郷隆盛が城山にて銃弾に有って切腹して部下に首
をはねてもらった場所を撮影しましたので良く見て下さいませ。
◆それでは少し西郷隆盛をお話し致します。
多くの日本人より親しまれる西郷どんに関して、詳しくも解かりやすく年表
も含めてまとめてみる。西郷隆盛は1827年12月7日に、薩摩国鹿児島城下
加治屋町山之口馬場(下加治屋町方限)で生まれました。
西郷隆盛を尊崇する政治家は多い。その中の一人犬養毅がこんなことを述べて
いる。「南洲先生(西郷隆盛)が月照上人と海に入られた迄の先生は学び得られ
るが、その以後の先生は人間離れがしているような感じがします。
1877年、明治政府内の征韓論に敗れた西郷隆盛ら士族が起こした国内最大の
内乱。司馬遼太郎の小説「翔(と)ぶが琶ごとく」でも知られる。
薩摩軍は熊本城を包囲したが落とせずに北上。熊本城への幹線道だった田原坂
(熊本県植木町)で明治10年3月に、政府軍と激突しましたがここでも敗れました。
西郷隆盛は明治10年(1877)9月19日~24日未明に至る6日間、この洞窟で
起居した。しかも、薩摩軍と政府軍との城山攻防戦という西南戦争の最終
段階において、政府軍の城山包囲網の中、西郷隆盛はこの洞窟で過ごし、
最後まで薩摩軍の指揮をとっていました。最後は腰に銃弾か当たり切腹して、
部下に命令して首を落としてもらいました。
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