ミッシェルさん夫妻とは、今回は一緒に行動する時間がたくさんとれた。
シャルトル以外には、パリ近郊にある複合商業施設、大きなスーパー(巨大なスーパー・Hypermarcheという)と流行りの?アウトレットモールがあるところへ連れて行ってもらったり、マルチーヌも含めてパリの東の方にある中世の町・プロヴァンへも車で行った。もちろんこちらも世界遺産である。
この二か所に関しては、迷うことはなく辿り着いた。
「まっすぐな道だね」と何度も言うくらいわかりやすいプロヴァンへの道のりではあったが。
お分かりのように二年前と違って送り迎えをされないからと言って、決して不親切になったわけではない。
むしろ前回よりより遠出であちこちに一緒に連れて行ってもらえ、より親交を深めることになったこの旅である。
しかし彼の方向音痴?のエピソードは終わらない。
パリでの最終日、20時発のフライトまでの時間をパリ散策に充てることになった。
「どこか希望はある?」と聞かれ、「オランジュリー美術館に行きたい」と言った。
何やらネットで検索され、「大丈夫、今日は開館している」とにっこり。
そしてメトロに乗り、コンコルドで降りた。
地上に上がり美術館らしき建物を目にした。
しかし、閉まっていた。
ミッシェルさんは「おかしいな。ネットで確かめたのに、こんなことがあるなんて。これがパリさ!!」
さしずめ「C‘est la vie(セ・ラ・ヴィ)」と言ったところか。
フランス人はよくこの言葉を、さほど深刻でない不可抗力の事態に陥った時、「仕方ないね」と言う意味を込めて、「ケ・セラ・セラ」(なるようになる)のように使う。
なかなかあきらめきれない私を見て、少し離れたところにいたおじさんに尋ねに行ってくれた。
「午後から開くと言っているが、そんなに悠長に待つ時間はないね」と。
諦めるしかないのか?と思った私の目に、向かって右側にほとんど同じような建物がもうひとつあるのが確認された。
「ミッシェルさん、あっちにも何か」と言うと(確信していても面目をつぶさないように言うのはちょっと難しいこともある)、「えー?ほんとだ。あっちなのかもしれないね」。
ガイドブックによると、初めの建物は「ジュ・ド・ポーム美術館」であった。それにしても建物はそっくりなので間違えるのも無理はないが、もちろん建物に記されているからすぐわかるはずではある。普通なら。
奥さんは無言だった。
パリ生まれミッシェルさんの面目丸つぶれで、ご機嫌斜めであった。
それはオランジュリー美術館の中までも続き、彼女は一人で見ていた。
彼女とはぐれてしまい、慌てたミッシェルさんは「Jクロードはどこに行っちゃたんだろう?困った。困った」
ミッシェルさんが迷子になるともっと困るので、「探してくるからじっとしていて」と言って探しに行ったのはもちろん私である。
美術館を出たところでマルチーヌが待っていて、やれやれであった。
奥さんのご機嫌はなおり、チュイルリー公園やルーブルを抜けながら、マルチーヌの家でランチをご馳走になって、また空港まで皆で見送ってくれた。
方向音痴の話だけ取り上げると申し訳ないので、最後にミッシェルさんの名誉のために付け加えたい。
方向音痴と矛盾するのは、彼が脳の働きなんかを研究している学者であるらしいことだ。
よくわからないが、医学系の学者でもないらしい。
ネットで見ると彼の何やら難しい論文などが、たくさん出てくるし、友人のマルチーヌ宅でミッシェルさんが著した立派な本を見せてもらったりした。
私にとってはプライベート運転手でなくなっても、やっぱり一番信頼のおけるパリジャン・ミッシェルさん。
奥さんとのカップルとしても大人で上品な素晴らしい夫婦であり、私の自慢の友人である。
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