直島の次は、富士山に行きたいとのことだった。
三島文学館のある山中湖に滞在希望だったので、民宿を探したが、観光案内所の紹介のところへ電話したら「外国人は断わります」と言われ、がっかりした。
大の日本びいきの彼が、「なぜ?今日本は観光客が減っているこの時期に外国人だからという理由で?」とショックを隠せない。
「言葉が通じないとコミュニケーションがとれない、また外国人の中でもドタキャンするような人がいるからだと思う」と説明したものの、宿の主人は説明もなく「NO」でした。
世界のどこに「言葉が通じないから」と断る宿があるだろうか?
このような対応に情けなく、恥ずかしい思いだった。
こういう宿は日本人にとってもいいはずはないのでは?。
宿、特に小さな民宿の信条であるはずのホスピタリティって何だろうと考えさせられました。
直島の民宿とえらい違いです。言葉ができないと伝えても「何とかなるでしょう」。彼のことも「実に感じのいい子で、育ちの良さを感じ、こちらが勉強になります。田舎料理だけど、食べ物も何でも食べてくれて」
正直、直島のアートには興味がない私でもこのおばちゃんに会いにいつか行きたいと思っている。
ここからが、本題。
山中湖の別の民宿も最初は「困る」でしたが、一件だけ、再度電話がありました。
一転して「電話を切ってから申し訳なく思い、夕食は出来ないけど泊まるだけなら」と言う申し出があった。
もちろん、それで十分だ、と彼は言った。
そして、到着時間などを知らせ、彼を送り出したのだった。
しかし、到着したころ、奥さんから電話があった。
「彼をバス停に迎えに行って、三島記念館に送りに行ったのよ。そうしたら、外国人を案内している高齢のご婦人たちがいらしたので、慣れているだろうと思って彼のことを頼んだのよ」ということだった。!!!!!!!
これは、いったいどうなっているのか、まず彼に電話を代わってもらえないか、とお願いした。
「大丈夫?断ろうか?」と私は言ったが、彼は心細そうな声で、「わからないけど、こんなことになったが、とりあえず、言うようにしてみる」とのことであった。
帰ってきてからの話だが、奥さんが文学館で見つけた外国人を連れた三人の日本人マダムに温泉に連れて行ってくれるよう彼を託したそうだ。(一つ間違えば怖いことで、彼も初めは不安だったとか)
そして何と、その後マダムの別荘で夕食をいただいたんだそうだ。ちょっとしたパーティーだったそうだ。
個人の家では、私の狭いマンションしか知らない彼は、東京在住で、休暇を過ごしに別荘にやってくるマダム達と優雅なひと時を過ごし、別の日本人の生活スタイルを発見する貴重な機会になったのだ。
お礼の代わりにと「お皿洗い」をしてきたそうで、こういうこともなかなか私たちには思いつかないことかも知れない。
何度か電話でやりとりして、体育会系の?奥さんは初めて迎える外国人を前に緊張と嬉しさがあったようだが、「引き受けてよかった」と言ってくれました。
五合目に行くバス停まで送ってくれたり、おにぎりを持たせてくれたり、人形やたばこケースで作った傘なんかもお土産にと下さったそうで、どちらにとってもいい経験になったようで、ほっとした。
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