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美味しいものがあれば幸せ♪

信州へ~旧三笠ホテル

2013-05-02 16:13:05 | お出かけ

軽井沢タリアセンに名残りを惜しみながら、次に向かったのが旧三笠ホテル。



三笠ホテルは明治39年、実業家の山本直良(明治製菓や日本郵船の重役)が創業しました。
アメリカで設計を学んだ岡田時太郎が設計し、すべて日本人によって建てられた純西洋式木造ホテルということで、国の重要文化財に指定されています。
ホテルの建設に当たっては、万平ホテルの創設者・佐藤万平が監督をしたそうです。




シャンデリアや英国製のカーペットや家具・・・
鎖国で長いこと内向きになっていた日本の小さな山村に、こんなハイカラな西洋文化が入ってきたことは大きな驚きだったのではないかしら。

 
 

各部屋には暖炉が置かれ、トイレとお風呂は部屋付きではありませんが、タイル張りの水洗トイレ、西洋式のバスタブなど当時の最先端の設備だったようで、外国人だけでなく、近衛文麿・渋沢栄一・大隈重信など政財界人もよく滞在したそうです。




明治19年に、カナダ人の宣教師A・C・ショーと文化大学(今の東京大学)の教師J・M・ディクソンが初めて軽井沢を訪れ、その時ディクソンは、万平ホテルの前身「亀屋」に滞在しました。
西洋料理の知識は無いに等しいので、食事の用意も悪戦苦闘したに違いありません。
言葉だってわかりませんから、ディクソンに「ダイニングは?」と尋ねられ、「大便所」へ案内しちゃった・・・なんて失敗もあったそうです(^_^;)
それでも、懸命なもてなしにディクソンとショーは大変感激したそうです。

そんな経験から、佐藤万平は外国人向けの旅館経営を模索し始め、明治27年には「亀屋ホテル」を開業します。
畳の上にベッド(木枠に縄で編んだクッションの^^;)を置き、仕切りは襖。それでも相部屋で布団という当時の日本旅館よりは良いと、それなりに喜ばれたそうではあります。
2年後に、「亀屋ホテル」を「万平ホテル」と改名します。 (万平ホテル創生期の記憶より抜粋)

それから10年後に、三笠ホテルの建設が始まりますが、現場監督を務めたのが万平ホテル創設者の初代佐藤万平と言いますから、ライバルホテルになるだろうに、万平さんていい人ですね。




明治・大正・昭和と日本の大きな変革期とも言える時代に、外国人、政財界人、文化人が癒しの場所として訪れ発展してきた軽井沢。
素敵な建物がたくさん存在するのも頷けます。


雪に見舞われ、建築物探訪の軽井沢になってしまいましたが、それもまた楽しいものでした。


次回は万平ホテルのお食事です。





                           
                                 ozさん


Comments (6)
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