coffee break おしゃべりしましょ

美味しいものがあれば幸せ♪

被災から5日目

2011-03-16 23:30:11 | つぶやき

たくさんの方から応援・励ましのメールをいただき、ありがとうございました。
感謝の気持ちでいっぱいです。

初めてコメントをくださった方もいらっしゃり、お一人おひとりにお礼を申し上げたいところですが、こちらからで失礼いたしますことをどうぞお許しください。

余震の不安と原発の不安、そして水のない不自由な生活に、気持ちも沈んでしまいがちでしたが、みなさんの温かいメッセージは、みなさんが思っていらっしゃる以上に私たち家族に勇気と元気をくださいました。本当にありがとうございます。


実は大地震が来る前日に腰痛で整形外科にかかったばかりでした。冗談半分に「こんな時に地震が来たら最悪ね」なんて言っていた矢先の地震でした。

11日の午後、2階の自室でブログの記事を書いていた時、傍らの携帯がビ~ビ~と聞きなれない音を立てるので見ると、緊急地震速報。
え?っと思う間もなく突然の揺れが来て、階下にいる母が気になりながらも杖を持って立っているのが精いっぱいでした。
そこへ夫からの携帯電話で、とにかく落下したり倒れそうなものの傍から離れて、むやみに外へ出てはいけないと言われました。
その時法務局にいた夫は、古い建物の天井の一部が落下するのを見て、これは尋常ではないと咄嗟に電話をしたそうです。

周囲で、物が落ち倒れるのを無力にもただ見ているだけ。ようやく揺れが小さくなり、階下へ降りると、母はダイニングテーブルの下に入って私の名を呼びながら、「大丈夫~?」と叫んでいました。
周囲はガラスや瀬戸物の欠片が散乱して、コーヒーテーブルはひっくり返り、本棚の本も飛び出し、シャンデリアはブランコのように揺れていました。
玄関で靴を履き、テーブルの下の母にも靴を履かせ、暫くは目の前に広がっている光景が現実のものとは呑み込めませんでした。
二男から、「僕は無事だけど、そっちは大丈夫?」というメールが入り、ようやく本当に起こったことなんだと実感しました。

長男が休暇を取ってスキーに行っていたのを思い出し、雪崩に巻き込まれないかとこちらも心配でしたが、地震発生後2時間ぐらいでこちらに着き、自分のマンションに戻る前に安否を確かめに立ち寄ってくれました。

11日と12日は、着の身着のまま靴を履いて、家族5人がリビングにかたまり、続く余震に警戒しながらまんじりともせずに夜を過ごしました。
テレビで宮城や岩手の被害の甚大さを知るにつれ、怖さと気の毒な思いで涙が止まりませんでした。
そして、国内外から被災地に赴き、命がけの捜索・救助に当っている方々、ライフライン復旧のため昼夜を問わず作業を続けている方々には頭が下がる思いで、尊敬の気持ちでいっぱいになりました。

今、燃料不足で市はゴミの収集もできない状態。
給水車も出動できなくなっては大変と、我が家もガソリンを節約するため、二男は自宅で仕事をし、長男は自転車で通勤しています。
生協の配達もストップし、買い物は腰痛の私に代わり二男が自転車で行ってます。
役に立たない私は、ご飯を炊くだけ・・・(T_T)

そして今日の夕方、夫から会社の水道が復活したと連絡があり、その30分後には我が家の水道からも水がでてきました。まだ細く、断続的にですけど。
蛇口をひねると水が出る、そんな単純なことがこんなに嬉しいことだなんて・・・
この5日間で、今まで当たり前と思われていたことが実はとても幸せなことなんだと思い知らされました。

しかし、まだまだ不安はつのります。
果たして、この蛇口から出る水が安心して飲める水なのだろうか・・・

今回の大地震で「原発は安全」という神話は脆くも崩れ去りました。
原発の現場で決死の作業をなさっている方々のことを思うと、胸が張り裂けそうですが、今後起こりうる事態を考えると、何としても原子炉のメルトダウンは避けて欲しいと祈るばかりです。
屋内退避区域の中で孤立してしまった人たちも、食料が尽きて深刻な状況です。

我が家もようやく落ち着いた生活になりつつあります。
そんな中、せめて灯油・ガソリン・電気・水の節約に努め、物品の買い占めに走るのだけはやめようと言い出したのは、以外にも息子たちでした。

果たして、自然の力を私たち人間の知恵でどれほど想定できるものなのでしょうか。
原子力発電の現実を知った今、私たちは身の丈に合った生活というのをもう一度考え直さなければならない時に直面したと言えるのかもしれません。










Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする