このブログで取り上げている、漢文や現代中国語の文章や会話は、基本的に私が原文を見ながら訳しています。あまり知られていませんが、私は翻訳家です。
前回取り上げた『中共の黄昏』の中で出てきた、『礼記』の「動かば則ち左史之を書し、言はば則ち右史之を書す」ですが、これは、『史記・五帝本紀』の『史記正義』に出てくる説です。
『史記』(司馬遷)の注釈書に優れた書物が三つあって、唐の時代の張守節(ちょうしゅせつ)の『正義』、同じく唐の司馬貞(しばてい)の『索隠』、宋の裴駰(はいいん)の『集解(しっかい)』で、これは、もし、司馬遷の『史記』を原文で読むのであれば、この三つの注釈は必ず読まなければいけないというか、これを参考にしないと読めないと言うか、兎も角、必ず参考にしなければならない注です。
上記の『礼記』の説は、『史記』の第一巻の『正義』の一番始めに出てくる説です。何が言いたいのかというと、「古代の帝王のおそばには、記録を取る官吏が控えていた」という説は、唐代からある、現代では院試にも登場するような、漢文をやっていてこれを知らないのは、モグリかパクリだと言う学会の定説です。もちろん、『礼記』の原文も確認済みです。
「廉頗(れんぱ)・藺相如(りんしょうじょ)列伝」は、超有名な「完璧」「刎頸の交わり」のもとになった故事の出てくる巻なので、ちょっと気の利いた高校に通えば、国語の先生が教えてくれますし、東洋史に興味があれば、中高生でも知っている話しです。
「澠池の会」の「澠地」は、戦前に生まれた学者は「べんち」と読んでいましたが、戦後に生まれた人々は「めんち」と読んでいます。辞書で引くと「べんち・めんち」と両方の読みが出てきます。「澠」には、呉音ジョウ・メン、漢音ベンと、一つの漢字に三つの音があるからなのですが、私は、漢音で「ベン」とルビをふっています。澠水という河があるのですが、これは「べんすい」としか読みませんし。
っで、何が言いたいのかと言えば、『中共の黄昏』では、『史記会注考証』を使って、「藺相如」の活躍する場面を訳しました。『会注考証(かいちゅうこうしょう)』は日本人の儒者、瀧川亀太郎の力作です。原文は白文で書かれています。この本の『廉頗・藺相如列伝』は、他の版本と原文に違いがあってこの部分は、特に意味が通って訳しやすいので、『会注考証』を使いました。著者の瀧川亀太郎が、何故、この本を底本としたのかを、ちょっと想像しながら訳したところがミソなのでした。アイラブ亀太郎!
前回取り上げた『中共の黄昏』の中で出てきた、『礼記』の「動かば則ち左史之を書し、言はば則ち右史之を書す」ですが、これは、『史記・五帝本紀』の『史記正義』に出てくる説です。
『史記』(司馬遷)の注釈書に優れた書物が三つあって、唐の時代の張守節(ちょうしゅせつ)の『正義』、同じく唐の司馬貞(しばてい)の『索隠』、宋の裴駰(はいいん)の『集解(しっかい)』で、これは、もし、司馬遷の『史記』を原文で読むのであれば、この三つの注釈は必ず読まなければいけないというか、これを参考にしないと読めないと言うか、兎も角、必ず参考にしなければならない注です。
上記の『礼記』の説は、『史記』の第一巻の『正義』の一番始めに出てくる説です。何が言いたいのかというと、「古代の帝王のおそばには、記録を取る官吏が控えていた」という説は、唐代からある、現代では院試にも登場するような、漢文をやっていてこれを知らないのは、モグリかパクリだと言う学会の定説です。もちろん、『礼記』の原文も確認済みです。
「廉頗(れんぱ)・藺相如(りんしょうじょ)列伝」は、超有名な「完璧」「刎頸の交わり」のもとになった故事の出てくる巻なので、ちょっと気の利いた高校に通えば、国語の先生が教えてくれますし、東洋史に興味があれば、中高生でも知っている話しです。
「澠池の会」の「澠地」は、戦前に生まれた学者は「べんち」と読んでいましたが、戦後に生まれた人々は「めんち」と読んでいます。辞書で引くと「べんち・めんち」と両方の読みが出てきます。「澠」には、呉音ジョウ・メン、漢音ベンと、一つの漢字に三つの音があるからなのですが、私は、漢音で「ベン」とルビをふっています。澠水という河があるのですが、これは「べんすい」としか読みませんし。
っで、何が言いたいのかと言えば、『中共の黄昏』では、『史記会注考証』を使って、「藺相如」の活躍する場面を訳しました。『会注考証(かいちゅうこうしょう)』は日本人の儒者、瀧川亀太郎の力作です。原文は白文で書かれています。この本の『廉頗・藺相如列伝』は、他の版本と原文に違いがあってこの部分は、特に意味が通って訳しやすいので、『会注考証』を使いました。著者の瀧川亀太郎が、何故、この本を底本としたのかを、ちょっと想像しながら訳したところがミソなのでした。アイラブ亀太郎!