阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

「自転車屋の直さん」-活動中に聞いた祖父の足跡

2007年12月25日 23時48分33秒 | 政治
 今日は、海南市の野上新、九品寺、溝の口地区の訪問活動を行いました。

 この地域は私のルーツであり、私の父親や、その兄弟が育った場所でもあります。この地域でずっと生活・仕事をしてきた78歳の叔父や、和歌山大学卒業後、約50年ぶりに地元に戻ってきた私の父親が、一軒一軒歩いて支持をお願いしてくれたのですが、私自身は全軒を訪問できていたわけではありませんでした。しかし、何としても年内に挨拶回りをしたかったため、昨日、今日の2日間で徹底的に歩きました。

 自分自身のルーツに向き合う大変興味深い活動になりました。

 まず驚いたのは、思っていた以上に親戚が多かったことです。中には、殆ど親戚として意識したことがなかった人たちが、私の選挙を通して血縁を意識した人もあったようです。また、この地域で生活をしていた父やその兄弟、また、私の祖父や祖母について様々な声を聞き、本当に懐かしい思いでいっぱいになりました。

 私の祖父・阪口直次郎は、明治27年12月25日に生まれ、平成元年に94歳で亡くなりました。冬になると毎年ミカンを送ってきてくれたので、私は「おみかんのおじいちゃん」と呼んでいました。私は、野上新の祖父の家に行くたびに昔の話をせがみ、戦時中の話や、祖父が子供の頃の話などを熱心に聞いていたのを今でも覚えています。特に、祖父が和歌山中学まで自転車で通っていた話や、海草中学で甲子園全国制覇を達成したエース嶋清一投手の話などに心躍らせました。また、テレビドラマ「ルーツ」を観た私は阪口家の家系についてもしつこく聞きましたが、7代ぐらい前まで遡って、知っている限りの話をしてくれたこともありました。

 そんな祖父の話が訪問活動の中で頻繁に出てくることに驚き、「自転車屋の直さん」として、今も地域のお年寄りの心に生き続けていることを誇らしく、嬉しく思いました。

 「直さんにはお世話になったよ」「いつもここへ来てお茶を飲んでいってくれたんよ」昨日お会いした方は、お茶を飲みにきた祖父が有吉佐和子の「恍惚の人」を持ってきて、「この本あげるから読みなさい。将来ご両親の世話をする前の心の準備になるよ」と勧めてくれたんよ! と懐かしそうに語って下さいました。

 私が唯一「直」の字をもらった孫であること、また、この地域を何度も自転車でまわって活動していることもあって、在りし日の祖父の印象が、私自身の存在によって蘇ってきたとおっしゃる方もいました。

 この地域の訪問は、あと少し残っていますが、次回の訪問がとても楽しみです。



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