阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

「国会議員のための世界一大きな授業」を実施

2011年04月26日 22時24分51秒 | 政治

 今日は「国会議員のための世界一大きな授業」を実施しました。今年は「女子教育は世界を変える」というテーマで、教育協力ネットワーク(JNNE)の中学生、高校生が先生になり、国会議員に対して授業を行いました。私の事務所は議員側の事務局として実施協力を行いました。NGOの皆さんが長い時間をかけて準備してくださったので何としても盛り上げたいと思っていたのですが、途中退出された方も含めれば30人以上の国会議員が積極的に参加してくださり、非常に良い会になったと思います。

教育協力NGOネットワークHPにアップされた「国会議員のための世界一大きな授業」の映像


 私自身は生徒として他の国会議員と一緒に授業を受けた後、高校生が進める司会の補佐と、最後にまとめのコメントをさせて頂きました。

 カンボジアやモザンビークの村で活動していた時、子どもたちが働く姿を当たり前のように見ていました。マーケットで、路上で、また家事の手伝いをする姿に、無邪気さと共に尊厳や家族を支える誇りを感じ、その姿を美しいと思いました。一方で、本来勉強するはずの子どもたちが、学校に行けないことで字も読めず計算もできるようになりません。生きる術をより広く身につける機会がないので様々な可能性のあるはずの未来を拓くことができないのです。途上国、特にアフリカ南部や南アジアではとりわけ女の子の就学率が低いのが問題です。日本政府による教育支援は高等教育、とりわけエリート層の日本への留学などに対する割合が高いのが特徴です。しかし、初等教育、とりわけ女の子の教育への投資が社会収益率が一番高いのです。大人になって子どもが病気になった時、薬の処方箋を読めることで救える命もあるのですから。より多くの子どもたちに教育の機会を与える支援にシフトすべきです。国会議員として政策や予算措置に反映させるべく、力を合わせたいと思います。

 教育協力NGOネットワークは、途上国で教育協力を行うNGO27団体のネットワークです。毎年4月には、世界180ヶ国のNGOと協力して「世界中の子どもたちに教育を」キャンペーンを行い、昨年は何と1200万人が参加する授業を行いました。「生徒」がいないと授業になりませんから、復興支援の会議などの合間に議員会館の部屋をできる限りまわって、直接参加を依頼しましたが、沢山の議員が子どもたちの熱意に応えてくれました。多くの協力に感謝したいと思います。


 写真:今日の授業の様子。カードに書かれた自分の境遇に従って集まっているところです。


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苦しい時だからこそ果たすべき責任

2011年04月18日 23時59分33秒 | 政治

 先日、バングラデシュ人の友人、ホーシェンさんが議員会館に訪ねてきました。

 ホーシェンさんは3月11日、大震災が発生した直後から、自らが経営する日光のホテル「アジアンガーデン」を東日本大震災の被災者の方々に無償で提供することを決意。寝たきりの高齢者などを中心に、福島第1原発事故で避難を余儀なくされた福島県南相馬市の住民の方々を受け入れています。

 実は当初、ガソリンと車両の不足のため、部屋を提供する強い意思がありながら被災者を受け入れることができませんでした。ホーシェンさんの依頼を受け、私も交通手段を提供していただくよう福島県や日光市に電話して働きかけを行いました。行政機能も大変な状況で、なかなか上手くいかなかったのですが、外務省のバングラデシュ担当官も巻き込んで交渉してもらったところ事態が急展開。交通手段も確保できました。介護が必要な方が多いこともあり、ホーシェンさんは市内の医療機関とも連携し、医療や介護が必要な方へも万全の体制で臨んでいます。


 http://asiangardenjapan.com/(アジアンガーデンのHP)


 外務省が「霞クラブ(外務省の記者クラブ)」に情報提供を行ったこともあり、メディアも関心を持ち、これまで4度にわたって報道番組でも特集して頂きました。 

 先の見えない状況で長期にわたって無償で支援するのは大変なことです。しかし、「日本に来て25年間、苦しい時にも日本の皆さんには本当にお世話になったので、今度はその恩返しがしたいんです」と話すホーシェンさんの思いがより多くの方々に伝わっていく様子には感動します。

 ホーシェンさんは今、バングラデシュに一時帰国し、ダッカ大学で講演するなどして日本とのビジネスや交流を途絶えさせないよう後押しをしてくれています。

 さて、復興支援のための第一次補正予算の財源確保のため、政府は途上国への政府開発援助(ODA)の2割に相当する約1000億円の削減を検討しています。私はこの考えには反対です。ODAに存在する無駄を引き続き徹底的に省くことは当然ですが、外国政府にすでに約束している案件の予算もあり、「はじめに2割削減ありき」という考え方はODAには馴染まないと思います。国連によれば東日本大震災発生後に世界中から日本に届いた義援金と物資の合計額は支払い表明済み分を加えると864億円に達しているそうです。支援は感謝の気持ちとともに有効活用させて頂き、苦しい時だけど、苦しい時だからこそ、国際約束をしっかり果たすことが世界の友情に応え、日本への信頼を確かなものにする上でも重要だと思います。


 写真:議員会館を訪ねて来たホーシェンさんと。バングラデシュの刺繍ノクシカタ(右下)も写るように立ったのですが、私自身が隠してしまいました。




 
 



 


海南市の浮上式防波堤について近畿整備局にヒアリング

2011年04月14日 18時45分13秒 | 政治

 和歌山下津港海南地区では、世界初の浮上式防波堤が建設される予定です。

 この件に関しては、何度も地域の要望を聞き、近畿整備局とも意見交換をしてきました。地元は「とにかく早く完成して欲しい」との要望が大半です。昨年10月には岡田幹事長に視察に来て頂くなどして働きかけた結果、H22年度の当初予算に比べると、今年度は3.19倍もの予算を付けることができました。

 しかし、東日本大震災では想定外の津波の高さになったこともあり、「本当に安全なんか?」との声も多く聞かれます。どんな防災施設も100%安全ということはなく、自助、共助努力と併せての対策が必要です。しかし、できる限りの備えが必要との考えに立って要望を伝えました。現在は下記のような状況です。

1.和歌山下津港海南地区浮上式防波堤は、南海、東南海、東海地震の3つの地震同時発生を予想した、M8.6級の地震が引き起こした津波により、6.6メートルの高さの潮位上昇が生じた場合にあっても耐えられる構造で設計されている。(この試算は、1707年の宝永地震、1854年の安政東海・南海地震の津波記録も踏まえている)

2.しかし、今回の東日本の震災を受けて、再度、中央防災会議による地震の規模や津波の高さの見直される場合は、工事着工となる可動部の防波堤構造についても、必要に応じて見直しを検討したい。

3.今年度は、直径3メートルの大口径鋼管を的確に海底地盤に打ち込むための施工方法や浮上システムの作動などを実地で確認するための試験工事を、本来の移動式防波堤の外側で実施する。来年中頃に完成予定。同時に、本格的な工事を行う上での確認、強度などの見直し等を引き続き行う。

4.設計の見直しには、1年以上かかる。今後、想定外の津波による変形の度合いや港内に打ち込む津波の高さのシミュレーションなど地元の方に説明をおこなう。

5.塩津、戸坂地区などは浮上式防波堤のマイナスの影響で津波の水位の上昇が考えられるが、避難経路や場所の確保、避難練習また、高齢者など早急に逃げられない方々への対応などソフトの部分の強化も含め、現在、対策を検討している。

 命と安心を守るための事業ですから、政権与党の一員としてしっかりとチェックし、地元の要望を伝えていきます。


 写真:2010年10月、岡田幹事長に事業の意義、早期完成の必要性を説明しているところです。

 

政治を後退させないためにも、挑戦を続けるのみ

2011年04月13日 21時47分55秒 | 政治

 残念な結果になりました。日曜日に行われた県会議員選挙で橋本市から立候補した瀧洋一候補は約2500票差で4位に沈み、和歌山2区の民主党候補として初めての県会議員の議席を獲得することができませんでした。

 懸命な頑張りによって接戦に持ち込んだ手応えがありました。選挙の時だけではありません。6年間、駅に立ち、路上で訴えてきたのです。月曜日の林間田園都市駅、金曜日の橋本駅に朝6時半に行けば必ず本人がいて、様々な要望に応える準備をしていることは、橋本市民にとっても大きな安心につながるはずでした。5人の中では唯一の政権与党の候補者ですから、橋本市民にとっても瀧さんを当選させるメリットはあったはずです。また、民主党への逆風が強まる中でも信念を曲げず、政権与党の一員として厳しい声に立ち向かってくださった姿勢は、政治家として、人間としても本当に尊敬すべき態度だったと思います。

 私も本人と一緒に数百回の演説をし、また人がいれば必ず走って握手をしては支持を求めました。陣営が感じさせたエネルギーは他を圧倒していたと思います。

 しかし、勝てませんでした。


 「火事は最初の5分、選挙は最後の5分が勝負!」と言われます。しかし、接戦ならともかく、地盤や組織力の差は、「最後の5分間」で埋められるものではありませんでした。結果が出た今振り返ると決して不思議な負けではありませんでした。

 私にとっては県会議員の候補者を橋本市選挙区でしか擁立できなかったことが、そもそも総支部長として力不足でした。もちろん、海南市、岩出市、紀の川市にも熱烈に立候補を希望してくださる方がそれぞれ複数いたのですが、民主党への逆風が強くなるにつれ、結局立候補を断念されることとなりました。国では政権を担っているとは言え小さな選挙ほど様々な地域のしがらみがあり、地元の方ほど立候補するには勇気が必要です。総支部長に身を預ける決心をして頂くには心許なかったのでしょう。

 4年間は本当に長いと思います。しかし、考えてみれば私自身も6年間の浪人生活を経ての当選。自民党王国和歌山と言われ、ポスター1枚貼る事さえ困難な中からの挑戦でした。報われない努力はないと信じて共に頑張るしかありません。私たちは挑戦者。政治を後退させないためにも地域でひとつひとつ対話を重ねると同時に、何より国政で民主党政権としての成果を積み上げることしか信頼を勝ち取る方法はありません。厳しい道のりですが、必ずやります。