阪口直人の「心にかける橋」

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イビチャ・オシム元サッカー日本代表監督との対話ー多様性を守ることの価値

2017年12月31日 07時14分23秒 | 政治

 内戦直後の1996年に勤務していたボスニア・ヘルツェゴビナの首都・サラエボに来ています。紛争解決と民族和解をテーマに関係者にヒアリングを行っていますが、昨日はサラエボ出身でサッカー日本代表監督を務めたイビチャ・オシム氏に会いました。オシム氏は、民族問題により3つに分裂し、FIFAから資格停止処分を受けていたボスニアサッカー連盟を統一する大きな役割を果たし、祖国ボスニアを2014年のWカップブラジル大会出場に導いた立役者でもあります。

 オシム氏の言葉の数々に心を打たれました。

「サラエボが魅力的だったのは、各民族が共存する多様性があったからだ。サッカーの美しさは、多種多様な個性がそれぞれの強みを見つけ、磨き上げ、一体になることだ。私はそれをサラエボから学んだ」

 国家分裂の危機に瀕したユーゴスラビアをワールドカップでベスト8に導き、レアル・マドリードなどの強豪チームからのオファーを断り続け、弱いチームを劇的に変える数々の奇跡を見せてきた名監督だからこその言葉の重みを感じました。オシム氏の生き方自体が、大国、あるいは力のあるチームが意のままに世界を操ろうとする世界の現状への強烈な問題提起と感じました。また、米国主導のデイトン和平合意によってボスニア内戦は終結(1995年)したものの、国家が分断され民族の和解が進まない状況に心を痛めていることが伝わってきました。

 オシム氏の奥さん(Asaさん)からは日本がアメリカから武器の購入を増やすことについてどう思うかと聞かれました。私は紛争解決のための仲介や、和解の促進に寄与する日本を目指しているので、そのためには中立と思われることが不可欠。軍事的脅威を与える国になるとその可能性を放棄することになるので反対と答えると、二人は、オシム氏が仲介者として信頼され、サッカー連盟の統一に寄与できたのも中立だったからだと強調していました。

 オシム氏がユーゴスラビア代表監督だった時は、まさにユーゴスラビアが内戦に突入し、国家が分裂を始めた時期です。民族主義者やマスコミからは自分たちの民族の選手を使えと、すさまじい圧力がありながら、終始一貫フェアな態度を貫いた勇気を多くの人々が知っています。また、サラエボが包囲され多くの市民が命を落とす中、祖国に帰れないオシム氏と、自分だけがサラエボから出るわけにはいかないと苛烈な生活を耐え抜いた夫人は、生死さえも確認できない時期が長く続きました。だからこそ、平和を願う気持ちの強さ、サッカーを通した民族融和への二人の思いは心に刺さりました。

 民族の壁を超えた英雄でもあるオシム氏。会話の途中にもファンが何度も握手に訪れました。30分も会えればありがたいと思っていたのですが、途中からはグラッパ(イタリア版ブランデー)を勧められ、3時間にわたってお話しすることができ、まさに珠玉の時間になりました。









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