阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

伝説のウイング、イアン・ウイリアムズ氏とビルマへの経済協力を語る

2012年03月28日 15時01分05秒 | 政治
今日は、オーストラリアと日本の官民連携パートナーシップを法律面から支える弁護士のイアン・ウイリアムズ氏と意見交換をしました。

30歳代以降のラグビーファンなら、神戸製鋼で大活躍したトライゲッターと紹介した方が早いですよね。オーストラリア代表チーム史上最速と言われた快足ウイングで、1988年には最高殊勲選手(MVP)を獲得。そんな名選手が日本に来たことも驚きでしたが、そのスピードとファイティングスピリット、紳士的なマナー、そしてリーダーシップ、全ての面で素晴らしい選手でした。

私は、彼とは1994年2月に友人の紹介で会い、彼の家にも招待されたことがあります。

初めて会ったのは、当時「スポーツTODAY」のキャスターを務めていた土川由加さんの伊豆の別荘でした。カンボジアで一緒に国連ボランティアを務めた女性の誘いで行ったら、その中に彼もいたのです。アメリカ人が多かったこともあり、彼のことを知る人は多くなかったのですが、私は大のラグビーファンなので、様々なシーンにおける選手心理を聞いて感動していました。ちょうどリハンメルオリンピックの期間で、女子フィギュアのフリーを見ながら話を聞いたのを鮮烈に覚えています。

私の車(父親の車でしたが)を交互に運転して帰って来る途中も、ラグビーや、お互いの生き方について楽しく会話しました。私にとってはテレビの中のスーパースターが実に気さくな青年で、社会人としても本当にプロフェッショナルであることに改めて驚きました。スタンフォード大学の教授だったお父さんの仕事の関係で子どもの頃はサンフランシスコにいて、「本当は野球選手になりたかったけど、体が小さいのであきらめた!」とのことでした。しかし、トライを量産するだけではなく、2メートル級の巨漢選手を一撃で倒す果敢なタックルも彼の真骨頂。神戸にいることもあって、阪神ファンで「トーマス・オマリーとも友達だよ!」 とも。その別荘で出会ったひとりが、今、同僚の参議院議員・牧山ひろえさんです。また、土川由加さんはクルム伊達公子選手のマネージメントもしていたそうです。

彼はオックスフォード大学出身の弁護士でもあり、神戸製鋼に行ったのもラグビーよりもビジネスキャリアを積むためとのこと。今は、アシャーストという法律事務所のパートナーを務めています。日本とオーストラリアが共同投資するプロジェクトを法律面から支える仕事をしていて、オーストラリア大使館が共同開催するシンポジウムの案内に彼の名前を見つけた時には興奮! それが再会につながりました。今日は、お互いのその後の人生について、日本の政治状況について、また、共通の問題意識として、ビルマへの持続可能な投資の在り方、また法整備支援についての彼らとの連携の可能性について話しました。アウンサンスーチーさんとは大学が同じこともあり、民主化に向けた動きを応援しつつ、ビジネスへの影響を注視しているそうです。18年の歳月を超えて改めて意気投合し、楽しい時間を過ごしました。スポーツとビジネス、そして人間性も最高レベルの人との会話、エキサイティングでした!





1994年にイアンからもらった「奇跡への疾走」。お互いの著書を交換しました。

8分過ぎからイアン・ウイリアムズ逆転トライ(Youtube)



素晴らしい議論の後の残念な結末

2012年03月28日 03時21分36秒 | 政治

 税と社会保障の一体改革についての議論。今日も深夜2時過ぎまで白熱の攻防が続いた。8日間、50時間を超える議論。「賛成派」も「慎重派」も、国の将来を想う気持ちは同じと共感し合える素晴らしい議論を重ね、一定の合意に到達する可能性はあったと思う。しかし、会議の結び方、前原政調会長の退席のタイミングが「慎重派」の反感を生み、大混乱の中で終了。カメラの前で見せたのが50時間も続いた白熱の議論ではなく、まるで乱闘のような様子だったことに失望している。

 私自身も手を挙げていたが、残念ながら指名されないままに終了。意見を言うことはできなかった。私自身が示したかった視点は、「先進国が向かうべきモデルを世界に示す」のが今回の改革であると、強いメッセージを政府・与党として示すことの必要性。これは、昨夜、フィンランド大使公邸でフィンランドの厚生労働大臣と議論していて感じたことだ。世界史上、デフレ下の増税が成功したことはない。これは事実だけれど、我々が初めての成功モデルを作る気概で取り組もう!まずは景気回復に全力を注いだ上で、政治・行政改革とセットで消費税増税をお願いする、それがこの超少子高齢化時代において、唯一の選択肢ではないか。一番のリスクは決められない政治、決められない民主党のイメージから脱却できず、さらに信頼を失うことだ。一方、消費税の逆進性についての議論、つまり我々は弱い立場の人々に温かい政治をする、その決意と議論は、メディアの前で、国民に見せる形で行うべき。それが私の提案だったのだが…。

 明日の朝は、元オーストラリア代表のラグビー選手だったイアン・ウイリアムズ氏が事務所に来訪。経済について議論することになっている。今夜はもう帰らなきゃ!

 

 

週末は地元を歩き、人々と、そして自然とも対話。

2012年03月24日 22時45分47秒 | 政治

 今日は、橋本市の「第5回花と緑のリサイクル花まつり」で挨拶。その後は、先週末に続いて、支援者への挨拶まわり、そして、国政報告を持っての訪問活動を続けました。

 今、党内で連日深夜まで議論が続く、社会保障と税の一体改革について、再生可能エネルギーを活かした成長戦略などについて、沢山の質問も頂きました。

 今日は強風が吹き荒れる一日でしたが、今、和歌山県北部では梅が満開。すももや桃、そして桜の季節も、もうすぐですね。地元での活動が一番、楽しみな季節です。


写真上:今日は強風が吹き荒れる一日でした。


写真上:「花と緑のリサイクル花まつり」会場で、押し花作りのボランティアの方々と



写真上:会場のまわりは一面菜の花畑でした



写真上:今年は梅の開花が遅く、今、満開の木が多いようです。



写真上:先週訪問活動をしたかつらぎ町の風景。手前は梅の花です。



写真上:夕方は紀の川市で一軒一軒訪問活動をしました。時おり、上着が吹き飛ばされそうな強風が吹き荒れました。

3・11 ムハマド・ユヌス氏と被災地で過ごした一日

2012年03月12日 23時43分34秒 | ボランティア

 あの日から1年。3月11日をどのように過ごすのか、自分の中でどのように位置づけるのか、多くの方が真摯に自分と向き合い、自分らしい行動を選択されたことと思います。

 1年が過ぎたこの日だけが特別なのではありません。被災者の方々は日々厳しい現実に向き合っている。そのことを心に刻んだ上で、国会議員として、ひとりの日本人として、この日は何度も通った被災地で、被災者の方々と寄り添いたいと思いました。未曾有の悲劇、そして大きな試練だからこそ、かつてない発想で復興を遂げるチャンスでもあり、そのためのアイディアを共有したいと思いました。そんな時、ソーシャルビジネスの研究と実践において日本の第一人者である九州大学の岡田教授から誘って頂き、ムハマド・ユヌス氏と共に被災地を訪れ、追悼式に参加すること、「ソーシャルビジネスと復興支援」というテーマで講演、シンポジウムを行うムハマド・ユヌス氏に同行することを決めました。私らしい一日の過ごし方だったと思います。

 ユヌス氏に会うのは今回が3度目です。移動の車内では隣に座り、沢山会話をしましたが、ユヌス氏もミャンマーの民主化の行方を気にかけていました。アウンサンスーチーと会った時、ユヌス氏のことを話し、ミャンマーにおけるソーシャルビジネスの可能性について話したことことを伝えるとユヌス氏の表情がさらに輝きました。ソーシャルビジネスを機能させ、多くの方々に利益が循環する経済システムを作るためには、民主的な政治体制の構築は不可欠であることをユヌス氏とも確認。直接会ったことはないけれど共通の価値観を持ったふたりのノーベル平和賞受賞者に意見交換して頂く機会を作ろうと思いました。この春には再度アウンサンスーチーさんに会う予定です。その際に、民主化と国民が利益を得る経済システムの構築をテーマに二人で意見交換して頂く機会を作るべく、ムハマド・ユヌス氏との会談を提案したいと思います。可能なら、7月に福岡と東京で開催される「ソーシャルビジネスフォーラム・アジア」をその場にしたいと思います。



写真上:名取市長から復興計画について説明を受ける


写真上:犠牲者の鎮魂のために祈る-名取市にて


写真上:ムハマド・ユヌス氏による講演(経済同友会主催)。ソーシャルビジネスが変える未来について、わかりやすく感動的な話でした。その後、東北大学より名誉博士号が贈られ、ユヌス氏の講演に続き、ソーシャルビジネスを研究・実践している方々とユヌス氏によるパネルディスカッションが行われました。


写真上:今回のシンポジウム用に作られたユヌス氏のポスター


写真上:神戸市から送られたキャンドルが「ありがとう」の文字を灯しました。(仙台市)


写真上:被災地の中学生によるコーラスを見るユヌス氏と私。参加者の心に染みいるような素晴らしい歌声に感動しました。
 
 

それぞれの3月11日-私は被災地で

2012年03月10日 22時49分21秒 | ボランティア

 明日、東日本大震災から1年を迎えます。日本各地では様々な追悼イベントが行われます。国会議員として、この日をどのように過ごすのか。いろんな思いがありましたが、私は被災地で迎えることにしました。先ほど仙台市に到着。明日はグラミン銀行の創設者でノーベル平和賞を受賞したバングラデシュのムハマド・ユヌス博士とともに、宮城県をまわり、追悼式に参加するとともに、ソーシャルビジネスの手法を通して被災地の復興を支える方法を考えるシンポジウムなどに参加予定です。


ムハマド・ユヌス氏と(バングラデシュ・チッタゴンにて)

 さて、国内外の多くの団体から、3・11に向けてメッセージを寄せてくださいとの依頼を受けました。ありがたいことです。その中には、経済的には豊かな国ではないけれど、できる限りのお金を持ち寄って一生懸命に被災地の支援をしてくださった国々の市民団体の方々もいます。先日は「ビルマ市民ネットワーク」の祈りの会にビデオメッセージを寄せましたが、今日は、日本に留学していたキルギスの方から依頼されたメッセージを載せてみたいと思います。キルギス国際マラソンの事務局として頑張っているサマコワ・イバラットさんが中心になっている団体です。



 キルギスの皆さん、こんにちは。日本の衆議院議員・阪口直人です。

 キルギスの皆さんが、東日本大震災の被災者の方々を勇気づける素晴らしいイベントを実施されることに心から感謝を申し上げます。

 日本では、3月11日には様々な追悼のイベントがあります。私自身も宮城県に入り、グラミン銀行元総裁でノーベル平和賞を受賞したバングラデシュのムハマド・ユヌス博士とともに、犠牲者の冥福を祈り、被災地の復興を考えるイベントに参加予定です。

 震災、そして津波災害の後、日本人が示した忍耐強さ、そして苦しい中でも助け合い、支え合うモラルの高さは驚くべきものでした。被災地を復興させるだけではなく、再生可能エネルギーを中心とした町づくり、お互いが必要とし、支え合う町づくりなど、新たなテーマを持って力強く復興を開始しています。キルギスの方々に寄せて頂いた温かい励ましも大きな支えになりました。またキルギスの方が宮城県に届けてくださった水は日本とキルギスを結ぶ友好の証になりました。本当にありがとうございます。

 一方、津波に飲まれる前に犠牲者が残した言葉の数々が携帯メールなどで明らかになってきました。犠牲者が「最後に伝えたかったこと」を心に刻み、もう一度、生きることの価値について問い直す機運が広まっています。

 昨日は17歳の少女が残したメールを読みました。

「もうバッテリーがないよ。痛いと言わなくなったので、妹はさっき死んだみたいです。埼玉は大丈夫ですか?またお父さんと一緒にディズニーランドに行きたかったです。お父さん、今までありがとう。大好きなお父さんへ。本当にありがとう」

 息絶えた妹を隣に、死の恐怖と向き合いながら、どんな思いでこのメールを送ったのでしょう。災害や貧困、また戦争によって尊い命が奪われることのないように、お互いに力を合わせていきましょう。

 さて、私自身は国会議員になってから3回にわたってキルギスを訪れました。最初は観光開発の可能性について調査に行き、その後は、国民議会選挙と大統領選挙の監視活動に行きました。私自身、キルギスの温かい人々、そして美しい自然や文化に魅せられ、両国の絆を深めるために力を尽くしたいと強く感じています。

 今、力を入れていることは、5月26日に行われる第一回キルギス国際マラソンを成功させることです。イシククル湖畔を走る国際親善マラソンを実施することは、私自身の発案でもあります。フルマラソン、10キロ、5キロのレースがあります。皆さん、是非参加しませんか。

 日本からは被災地宮城県のランナーも走ります。また、世界的なミスコンテスト日本代表の女性も参加を前向きに考えてくれています。彼女はお父さんがモスクワオリンピックの代表選手でした。当時、日本とソ連の関係は複雑でした。日本がボイコットし参加できなかったお父さんの分も、同じ旧ソ連のキルギスで走って欲しい。そんな思いで準備しています。オリンピックから32年がたち、日本とキルギスの友好を象徴するランナーになってくれることを期待しています。

 私自身も何度かフルマラソンを走った経験がありますがイシククル湖畔を走るなんて世界でもっとも美しい風景のマラソンコースになると思います。国会の日程さえ調整できればキルギスに行き、走るつもりです。実は、オルズベック・ナザロフ元議員が日本の協栄ジムに所属していた頃、私も同じジムで練習していました。ナザロフさんも走るそうです。キルギス初の世界チャンピオンになったナザロフさんにボクシングではかないませんが、マラソンでは勝ちたい!と、練習しています。

皆さんと5月のイシククル湖畔でお会いできることを楽しみにしています。


 日本キルギス友好議員連盟 事務局長 
 衆議院議員 阪口 直人


イシククル湖畔で。子供たちが自転車に乗るかのように馬に乗っている国はキルギスが初めてでした。私もトライしてみました。

 


ミャンマーの民主化支援について予算委員会で質問-国際選挙監視ミッションの受け入れを迫るよう求める

2012年03月05日 17時47分12秒 | 政治

 今朝行われた予算委員会(第3分科会)で、ミャンマーの民主化に対する日本政府の取り組みについて、玄葉光一郎外務大臣に質疑を行いました。

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=TD(←このURLから入れる衆議院TVのページでカレンダーの部分の「3月5日」⇒予算委員会第3分科会の順にクリックして頂くと私の名前が出てきます)

 このブログでも報告しましたが、先日、民主化運動の指導者・アウンサンスーチー氏に会って意見交換した時、日本に対する一番の期待は民主化支援、特に法整備支援であることがわかりました。ミャンマーに対する日本の立ち位置は独自の外交戦略に基づいています。1990年の総選挙でNLD(国民民主連盟)が485議席中392議席を取ったにも関わらず政権に居座り続けた軍事政権に対し、欧米諸国は経済制裁などの圧力を加えながら、政治的な干渉も行ってきました。一方、ASEAN諸国や中国は、内政不干渉の立場を取り、欧米が経済制裁をしている好機に乗じて「実を取る」政策を続けてきたと言えるでしょう。日本はアジアの友人としてミャンマーの国民が必要とする人道的な援助を続けながら、相手の自主性を尊重しつつ粘り強く民主化を働きかける立場を取ってきました。

 米国に追従するのではなく、独自の方法で民主化を働きかけるというスタンス自体は評価に値すると思います。問題は、それが本当に機能してきたのかということです。

 私自身、「民主化支援」という活動に、アジアを中心に長く関わる中で感じてきた日本のスタンスは、基本的には「政治的にデリケートな問題に関わるリスクは避け、経済開発を支援することが、やがては民主化につながる」というものでした。市民社会に対する支援よりも政府に対する支援を行う。従って、政府との関係を重視し、たとえ、民主主義とは違う政治形態の政府でも内政干渉はしないのが日本外交の基本的スタンスでした。

 しかし、ミャンマーに対して経済制裁に準ずるスタンスを取っている間に中国やASEAN諸国にビジネスチャンスの多くは奪われてしまいました。また、大使さえも派遣していなかった米国は、ヒラリー・クリントン国務長官の電撃訪問以降、民主化の成否を握る国として存在感を増しています。

 一方の日本は、本来、共有できる政治的価値観を持ち、選挙によって選ばれた政治勢力として正当性があるはずの民主化勢力と信頼関係を十分に構築できていません。また、現政権に対しても、十分な影響力を行使できているのかどうか。例えば4月1日の補欠選挙に向けた準備について、選挙管理委員会を通して状況把握するよう外務省をプッシュしていますが、未だに会うこともできていないようです。

 従って今日の質疑では、一歩踏み込んだ民主化支援の在り方、戦略を問い質す内容になりました。一言で言うと、今後は政治的にデリケートな問題にも果敢に踏む込む勇気を持つべきです。

 最初の重要なステップとして、4月1日の補欠選挙において「国際選挙監視員」を受け入れるようミャンマー政府に強く迫ることを玄葉大臣に求めました。日本政府は補欠選挙の後、経済援助を加速させる予定ですが、自由で公正な選挙と、その評価・検証が可能な状況をつくることは新たな局面に入る前提条件とハッキリ伝えるべきです。このような選挙に向き合う姿勢については大臣とも認識を共有できたと思います。

 また、アジアや欧米のNGOなどと連携し、自由で公正な選挙、議会の民主化、人権状況、メディアの公正性などを監視する機関を通して行う、より長いスパンでの民主化支援についても提案しました。この点については次回の質問でより具体的に提案したいと思います。

 信頼できる選挙とグッドガバナンスや法の支配など政治・行政の民主化を確立し、経済の民主化にもつなげる。このことが、日本こそができる最大の貢献であり、経済分野における日本のアドバンテージを活かす必須条件でもあります。環境や人権、民族の多様性に配慮した持続可能な経済システムを作ることが中国などとの競争に勝つカギになります。そのためにも「民主化支援」という大きなテーマに真正面から取り組む必要があるのです。



写真上:ミャンマーへの民主化支援について日本の戦略を質す私


写真上:答弁する玄葉外務大臣


写真上:国際的な選挙監視ミッション受け入れの必要性について意見を述べる私



写真上:持続可能な経済システムのひとつの在り方として「公益資本主義」のコンセプトについてアウンサンスーチー氏に説明する私(1月9日) 

 

「社会保障と税の一体改革」について長妻昭元厚生労働大臣を招いての勉強会

2012年03月04日 16時42分42秒 | 政治

 今日は紀の川市を中心に訪問活動を行いましたが、今、事務所に戻ってきたところです。

 昨日は「社会保障と税の一体改革」について長妻昭元厚生労働大臣を招いての勉強会を行いました。私は民主党和歌山県連代表としてこのテーマについての問題提起をしました。その後、長妻元大臣は約45分講演。さらに1時間以上にわたって、参加者の質問に丁寧に答えました。

 長妻元大臣は「消えた年金5000万件」を明らかにした政権交代の最大の立役者のひとりです。あまり報道されませんが、政権交代以降、1274万人分(1600万件)の年金記録が戻り、1・5兆円が支払われています。これは政権交代の大きな成果です。



写真上:挨拶する私と、講演に備える長妻昭元厚生労働大臣

 民主党は2年半前の総選挙で「予算の組み替えによって16.8兆円の財源を捻出する。従って4年間、消費税増税は必要ない」と説明をしてきました。私自身は、国と地方合わせて1000兆円もの借金を抱えた状況で、将来の世代への負担をこれ以上増やせない。消費税増税論議から逃げることは許されず、私たちは次の総選挙において、この点を争点のひとつにして国、民に信を問うべきというのが、当時の立場でした。どちらにしても財源の捻出ができたのは、事業仕分け、埋蔵金活用を含めて10兆円余り。私たちの見通しは甘かったと言わざるを得ません。

 一方で、「税と社会保障の一体改革」の議論の中で、私たちは、衆議院の議員定数80削減、そして景気回復を実現することを前提条件に、消費税を2014年4月に8%。2015年10月に10%にすることを決めました。消費税増税自体は、確かに2009年9月の世間交代から5年目ではあるけれど、「予算の組み替えによって財源を捻出できる」はずだったにも関わらず「消費税増税をお願いする必要性」の矛盾について、国民に対して真摯な説明が必要です。昨日の勉強会は、そんな強い意志を持って実現したものでした。

 内容については、民主党のHP(http://www.dpj.or.jp/)にアクセスして頂き、「税と社会保障の一体改革」で検索すればさまざまな情報にアクセスできます。

 日本では人口動態は大きく変化し、65歳以上の高齢者の割合は1970年の7.9%から23.1%に増大。2050年には40%を超える見込みです。また、社会保障費は、1990年には5人の現役世代がひとりの高齢者を支える状況でしたが、今は3人でひとりを支える「騎馬戦型」。2055年には現役世代ひとりで高齢者を支える「肩車型」になる予定です。また、このような状況を国債の発行で凌いでいますが、国と地方を合わせた借金は1000兆円を超え、日本は先進国のなかで一番借金を抱えている国です。現在、国債の利払いだけでも10兆円を払っている状況に歯止めをかける必要があります。さらに震災復興にも大きな支出が必要です。 

 借金の大半は政権交代前の政権によって作られたものです。そして、「消費税増税」という誰もが嫌がる政策によって、私たちは政権を奪われ、次の政権から「感謝」される状況をつくることになるのかもしれません。それでも、これ以上将来にツケをまわさないため、社会保障の安定財源を確保する第一歩としての消費税増税は必要だと思います。

 ただし、国会議員定数と、議員歳費、および国家公務員総人件費の削減。そして、2年余りの間に全力で景気回復に努め、実現すること。これが最低減の条件であることを改めて付け加えておきます。政治が覚悟と良心を示すこと、そして、「増税によって税収が増える」確かな見通しをつくっておくことは、増税をお願いする上での最低限の役割ですから。

 これから、かつらぎ町での支援者との懇親会に向かいます。