(1)各国の戦争資料館と広島の原爆資料館の大きな違い
私は『紛争後の平和構築(Post-Conflict Peace Building)』が専門分野であるため、各国が戦争をどのように記録し伝えるかに関心を持ってきた。ユダヤ人の強制収容所として悪名高いアウシュビッツや、ポル・ポト派による殺害や拷問の場であったカンボジアのツールス・レン強制収容所、ベトナム戦争における米軍の残虐行為を展示した戦争証跡博物館などは殺された人々の断末魔の叫びが伝わってくるような展示であり、私の人生にも大きな影響を与えた。
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アウシュビッツで想う平和の意味
昨年は特に、日本にとって不都合な真実にどのように向き合うかをテーマに、中国の『南京大虐殺紀念館』、日本軍による人体実験や細菌戦の研究がされたハルビンの『侵華日軍第731部隊罪証陳列館』、また、満州事変から満州国建国、そして日中全面戦争へ至る歴史過程を中国側の視点で展示した『9・18歴史博物館』などを訪れた。それぞれが、日本人として見学することがいたたまれなくなるほど膨大な資料を展示し、またジオラマなどを使って効果的に伝える工夫もなされている。
痛感したことは、戦争の資料を展示することにはそれぞれの国における歴史的役割があり、政治的メッセージを最大限込めたものになっていることだ。結果として国家としての品格など、様々な要素が浮き彫りになる。多くの場合、他者の残虐行為は詳細に展示するが、自分たちの過ち、非人道的行為に正面から向き合い認めることは、戦争の大義、現政権への影響、退役軍人などへの配慮もあって困難を極めるのが現実だ。
中国の記念館の中には日本による残虐行為、そしてその規模を強調することが目的化していていると感じるものも多い。被害に遭われた方々に対しては心からお詫びの気持ちになる一方で、歴史的、科学的な検証に耐えられる普遍性を備えているものなのか疑問に思うものもある。
その中で、私がもっとも感銘を受けたのは、『撫順の奇跡』と言われる撫順戦犯管理所旧址だ。周恩来首相は「ひとりの死亡者も脱走者も出さないように」と通達。人道的な配慮によって戦犯を生まれ変わらせるモデルケースにしようと断固とした政治の意思を感じて感銘を受けた。この試みには中華人民共和国という新生国家の優越性を示す政治的目的があったであろうことは言うまでもない。それにしても、戦犯たちの写真のイキイキした表情やその後の生き様を見ていると、この戦犯収容所は、国家や体制、また過去の不幸な歴史を乗り越えた『撫順の奇跡』という形容が決して的外れではない場所だったと実感する。
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不都合な真実を直視することの難しさ-安倍談話と『撫順の奇跡』に学ぶ
また、非常に考えさせられたのは、昨年8月15日にリニューアルされた『侵華日軍第731部隊罪証陳列館』だ。各国の歴史記念館と比較しても圧倒的な展示量と工夫された見せ方、科学的根拠に基づいた立証、プロパガンダを薄めて普遍性を高めようとする姿勢に感銘を受けた。克明に人道的犯罪を記録・展示している一方、だからこそ平和への努力が必要であり、罪状を告白し謝罪している日本人もいることも丁寧に展示している。一段高いレベルを志向していることが伝わって、日本人の歴史に対する見解も、もっと進化させなければと痛感した。
ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館を訪れたのはちょうど原爆資料展が退役軍人の反対によって中止に追い込まれた1995年だった。原爆を投下したエノラゲイに乗り込んだ20歳前後の若者たちの晴れやかな表情を見ると、彼らは1903年に初めて空を飛んだライト兄弟、セントルイス号に乗り大西洋を横断に成功したリンドバーグなどと並ぶ米国の航空科学の歴史における栄光を象徴する存在とさえ感じられる。
一方で、すぐ近くにあるホロコースト博物館においては、ナチスの残虐行為が徹底的に展示され、そのボリュームは丸一日かけても全てを見ることは不可能と思える膨大なものだ。エノラゲイの展示とのコントラストには強い違和感を感じざるを得なかった。
(2)あまりにも控えめな展示に拍子抜けし、怒りが込み上げた広島の原爆資料館
何の罪もない民間人の人生を一瞬のうちに破壊し、終わることのない後遺症や心の傷を与えた原爆は間違いなく人道に対する重大な罪である。唯一の被爆国でもある日本は、そのことを伝え続ける使命があると思う。
しかし、前述した各国の戦争博物館と比較すると広島の原爆資料館は非常に印象が薄い。最初見学した時、正直に言うとあまりにも控えめな展示に拍子抜けした。曲がったビール瓶、溶けた瓦など、原爆でなくてもそうなりそうな展示が大半を占め、巧妙に、原爆の残虐性、非人道性を排除した淡々とした展示になっていると感じた。水を求めて辿り着いた川に折り重なるような死体の山、全身がケロイド状態になりパンパンに膨らんだ死体、走って逃げている格好のまま燃えて炭になった人間。それまでに聞いていた、原爆の恐ろしさをリアルに伝える、胸をえぐられるような展示の数々を想像し、覚悟を決めて行ったにもかかわらず肩透かしを食った思いで、原爆の真実を伝えていない展示への怒りがふつふつと込み上げてきた。
一方、長崎の原爆資料館はより犠牲者に焦点を当て、遥かに印象的で心に突き刺さる展示になっている。さらに心に迫るのは沖縄だ。ひめゆり平和祈念資料館、沖縄県平和祈念資料館の戦争によって死の恐怖と闘う人々の手記からは、死んでいく家族や仲間の無念の思い、米兵によって焼き尽くされる人々の凄惨な様子などが伝わってくる。戦争によって人々の希望や夢、平和な生活が打ち砕かれ、今、まさに死に直面している恐怖や怒りが切々と綴られている。このようなリアルな姿を示すことこそ資料館の使命ではないかと思うと、もっとも有名な広島の原爆資料館の存在の意味について考えざるを得なかった。
実は、広島市民から提供されたものの中には、突き破った骨が埋め込まれたコンクリートの残骸など、原爆の恐ろしさをリアルに伝えるものが実は沢山あると聞いたが、さまざまな事情でそれらは展示されないらしい。私は広島の原爆資料館に行くたびにいろんな外国人に声をかけて展示を見た印象を聞くことにしている。ついに資料館を見たという満足感、高揚感もあって、「ショックを受けた」「原爆の恐ろしさを感じた」と、お約束の反応をしてくれるが、「これまでの人生で見た他の戦争記念館と比較したらどうですか?」などと聞くと、「言われてみればあまり心に迫る展示ではないね」「これだけ?って思ったよ。これ以外にも展示があるの?」と反応が変わってくる。グロテスクな展示を求めているわけではないが、それなりの覚悟と純粋な思いを持って見学する人たちがすぐに忘れてしまうような奥ゆかし過ぎる展示であれば、原爆の恐ろしさを伝え、核のない世界を作るという目的に寄与することは難しいと思う。
米国では原爆が戦争を早期終結させ、さらなる被害を抑止したという考えが未だに主流である。国際人道活動を一緒に行った仲間だった米国人が、I’m sorry for second atomic bomb on Nagasaki!(「長崎への2発目の原爆は問題だったと思うよ。」と真顔で言うのを聞いた時は怒りが込み上げた。しかし、これが現実だ。この評価を覆すことは並々ならぬ努力と時間がかかることを実感した。
3.オバマ大統領に求める心からのメッセージと具体的な行動
オバマ大統領が今回広島を訪れることは率直に評価したいと思う。米国大統領として広島を訪れることの重さ、今年が大統領選挙の年であることを考えると言動に慎重になる事情はわかる。
マスコミ報道を見ていると『謝罪を求めるべき』という意見がほとんど論点になっていないのを感じる。安倍政権は、原発も含めた原子力に対する反発が燃え上がることは避けたいこと、また、中国や韓国に対する牽制の意味があって最初から謝罪を求める態度などはおくびにも出すべきではないと考えているようだ。また、近々訪れるとされている真珠湾に対する態度との整合性も考えているのかもしれない。
私の率直な思いは、オバマ大統領が原爆の非人道性を強く認識し、自身がノーベル平和賞を受賞する要因にもなった『核なき世界を実現する』本当の思いがあるのであれば、ひとりの人間としての心からのメッセージを発するべきだ。謝罪の意味が含まれていればより決意が際立つのは当然だ。それが政治的に難しいとしても具体的な行動の決意を伴った、心に響く強いメッセージを期待したいと思う。侵略された側、被害を被った側の立場に徹底して立ってこそ、未来志向の関係を築く一歩になるのだ。
そして2018年にリニューアルされる新たな原爆資料館は、米国のご機嫌を取ることよりも、一人一人の人間に焦点を当て、科学技術も駆使して、原爆の非人道性、米国側の態度とその変化、核廃絶の様々な闘いなどにも焦点を当てた歴史の評価に耐えうるものにして欲しいと切に願う。
『侵華日軍第731部隊罪証陳列館』にて
献花の順番を待つ人々(2015年8月6日)
数千人が銃殺されたアウシュビッツの『死の壁』
戦犯による運動会(撫順撫順戦犯管理所旧址)