ロシアによるウクライナに全面侵攻を開始した。当然受け入れることはできない。プーチン大統領は、ロシアに対する様々な批判や制裁のリスクと自分たちが守るべきものを冷徹に秤にかけた上で、確信を持って決断したのであろう。政治の責任として、何よりもウクライナの人々の命と未来を守ること、力による現状変更を許さないこと、またロシア側の視点、出方も冷静に分析しながら行動しなければと思う。
私は2006年4月、ウクライナを旅した。目的は、ソ連からのウクライナの独立運動や、民主化を求めたオレンジ革命について知ること、チェルノブイリ原発事故で避難した方々の声を聞くこと、そんな対話を通してウクライナの人々の魂にふれることだった。
かつてウクライナの抵抗運動を弾圧し、人口の4分の1が餓死したとされる仕打ちをした隣国に対する不信感は、民族の血の中に受け継がれているのを感じた。
今日は何より、迫りくる砲撃と未来の不安に震えているに違いないウクライナの友人の声を紹介したい。2007年、政権交代を目指す政治の一員として活動する私にウクライナの友人がくれたメッセージだ。
『歴史的事業に参加できて、貢献出来るのは本当に高揚感のあることですね。オレンジ革命の時に私はウクライナに居なくて、参加できませんでしたが、ウクライナ独立運動に参加していました。
1991年の時にウクライナの独立運動が活発になっていました。当時私はキエフで大学生でした。その年に大学生たち集まってキエフを歩いて独立要求の言葉を叫びながらデモを沢山していました。大学の教授たちもそれを応援していて、実際に大学の授業が中止になっていた日がありました。
デモの時には皆、青と黄色を身に付けていました。赤色のソ連国旗に対してウクライナ元来の国旗の色を強調していました。今はこの国旗の色合はこう解釈されています:「青が青い空を表し、黄色は熟した小麦畑を表しています」。地平線まで続く小麦畑がウクライナの象徴的な風景です。この国旗の色は大昔からあって、元々は火と水を表していたそうです。どれもウクライナの平和的な特徴を表現していると思います。
そして、その年にウクライナは本当に独立して、国旗も本当に青と黄色の国旗に変わりました。たまたまエリツィンがゴルバチォフを追放して、全ての権力を握るようになった結果ですが、たくさんの独立運動がそれを後押ししたに違いありません。私はその歴史的事業に参加出来て、ウクライナは独立国家になった瞬間を自分の目で見たのはとても高揚感のあることでした。独立国家になっても政府に守旧派が残っていましたが、2004年のオレンジ革命によって新しい風が入りました。
ここで誤解されないように、補足したいです。私は、社会主義革命が悪かったとは思ってません。その当時の腐敗した政府を追い落として政権交代をしたのはとても大事な役割だったと思います。私のおばあさんはずっとそれを誇りに思っていました。彼女が資本主義に戻ったことを受け入れられない気持ちも分かります。でも、哲学の授業で習った「否定の否定」が発展の源だと思います。新しい科学技術がイノベーションを導き生活を便利に豊かにしていくと同じように、政権交代も定期的に必要なことだと思います。カナダなどのように、三つの党が常に交代していて、新しい流れを常に作っていくやり方が一番理想的かもしれません。日本の歴史的事業も間近に見られたら…とわくわくしています』
国際社会は本気でウクライナを守るために最善を尽くすのか、死と破壊の責任を負うのはロシアだけではない。
オレンジ革命で掲げられたマフラー『ウクライナを信じる』と書かれているそうです