昨日は嬉しいことがありました。1992~3年にかけて私が国連の一員として活動していたカンボジア・ラタナキリ州の山岳少数民族の村で先生をしている女性からメールが届いたのです。
私は選挙を実施するための地域の責任者でしたが、内戦で破壊された村には電気も水道もなく、首都プノンペンからは国連のヘリコプターでしか行けない陸の孤島でした。彼女は当時生まれたばかりの赤ちゃんで、私の記憶はないそうです。でも、私が撮った写真は家に宝物のように大切に飾られていて、この写真を見て、両親に私のことを沢山質問したそうです。そして、いつか私に会ってみたいと思い続けてくれていたそうです。
山岳少数民族の言葉には文字もなく、教育の機会も十分ではありません。しかし、彼女は努力を続けてプノンペン大学を卒業し、少しでも村の発展の力になりたい!と先生として村に戻ってきました。Facebookで私を発見し、英語でメッセージを送ってきてくれました。これからは、24年前に1年間過ごした村の様子を彼女を通して知ることができます!
I want to inspire people. I want someone to look at me and say " Because of U I didn't give up" .
彼女のこの言葉、私もしっかり受け止めて頑張らなくては!と改めて思いました。
1992年のボケオ村の様子。後方が村のマーケットです。当時は村には食べ物があまりなく、私もかなり痩せて見えます。
私の著書『心にかける橋』に、いつも彼女を抱っこして遊びに来る少年と一緒に撮った写真も載っています。
左端が彼女の父親です。一緒に仕事をした仲間ですが、亡くなってしまったそうです。
プノンペン大学で学ぶ彼女
プノンペン大学を卒業する彼女
「事実は小説より奇なり」という言葉がありますが、それ以上の感動を覚えます。
そして先生となられた女性からのメッセージ “Because of U I didn't give up” からは阪口さんの“Never surrender”の精神が宿っていた証しも感じるところです。
2年前のことですが、久しぶりにカンボジアを旅した時に、あらためて平和になったカンボジアを実感したものでした。20年近く前に旅した頃は、ところどころにMINEの文字とドクロマークのついた注意看板が残っていたものでしたが・・・。
今こうして平和が享受できるのも、当時の阪口さんのような多くのボランティアやNGOなどの人たちの活動があってのものでしょう。
全くの偶然ですが、昨晩たまたま映画「キリング・フィールド」を観かえしていました。映画を観ていて、その中の準主役(主人公である新聞記者の通訳であったディス・プラン役)で登場していたハンス・ニョールという役者と、背景(いつ、どこで撮られたものか)は失念してしまいましたが阪口さんと一緒に写っていた写真を思い出しました。
ポルポト政権下を生き延びた彼は、その後ロスアンゼルスで強盗に命を奪われるというなんとも悲劇的な最後を迎えたのは残念でなりません。
彼の出演したもうひとつの映画「天と地」もまた素晴らしい作品でした。
ハイン・ニョール氏は、クメール語の研修を受けていた時の特別講師でしたが、ポル・ポト政権の残虐ぶりは映画よりも遥かに遥かにひどいものだった!と、感情が高ぶり、激高したような口ぶりで話されていたのが印象的でした。