中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

「十王水」と「西行水」(旧中山道を歩く 291)

2012年01月04日 09時41分34秒 | 7.近江(滋賀県)の旧中山道を歩く(285~3



(十王水)

(醒ヶ井宿 3)
その先左手の地蔵川の中に「十王水」の石灯篭が建っている。
灯籠の竿部分に「十王」と刻まれている。
(平安中期の天台宗の高僧・浄蔵法師が諸国遍歴の途中、
この水源を開き、仏縁を結ばれたと伝えられる。
もとより浄蔵水と称すべき所を、
近くに十王堂があったことから
「十王水」と呼ばれるようになった。)という。
水は透き通って清らかである。


(居醒橋)


(西行水の案内)

その先の右手に居醒橋があり、
その袂に「西行水」左の案内杭があるので、そちらに向う。
滋賀県に入って、距離の入ったこの案内杭は大変役にたった。
醒ヶ井の宿場を抜けていくと、左に「西行水」の目に付く看板があるので、
そこを左折すると、広場になっており、突き当たりは山すその崖で、
崖下を地蔵川が流れている。


(西行水の案内看板)

左の方に泡子塚のの説明板がある。
(岩の上には、仁安三戌子年秋建立の五輪塔があり、
「一煎一服一期終即今端的雲脚泡」の十四文字が刻まれている。
伝説では、西行法師東遊のとき、
この泉の畔で休息されたところ、茶店の娘が西行に恋をし、
西行の発った後の呑み残しの茶の泡を飲むと、
不思議にも懐妊し、男の子を出産しました。
その後西行法師が関東からの帰途またこの茶店で休息した時、
娘よりことの一部始終を聞いた法師は、児を熟視して、
「今一滴の泡変じてこれ児となる、
もし我が子ならば元の泡に返れ」と祈り、

・水上は 清き流れの醒井に
    浮世の垢をすすぎてやみん

と詠むと、児はたちまち消えて、元の泡になりました。
西行は、実に我が子なりと、この所に石塔を建てたということです。
今もこの辺りの小字名を児醒ヶ井といいます。)とある。


(西行水のある広場)


「(西行水」と五輪塔)


(「西行水」の水源湧水)

西行水の跡地を出て、中山道を西に進むと、
T字路右角の地蔵川脇に立っている、
「番場宿1里」の道標がある。
登り坂の道路を進むと十字路に出でる。
手前左には、近江西国第十三番「霊場 松尾寺」の石塔があり、
十字路を渡った右に「東海北陸自然歩道」の案内柱が建っており、
これは左を指している。
左を見ると、高速道路が走っており、
高速道路に沿って手前を右折する「東海北陸自然歩道」の案内が見える。


((T字路角の案内石柱)


(石柱の拡大)


(十字路)


(松尾寺の石柱)


(「東海北陸自然歩道」の案内)

どうもこれは違っている様子。
もう一度、十字路先を見ると、「東海北陸自然歩道」の道標の右横に、
中山道の案内が見えた。
この案内によると中山道は直進するようになっている。
道標にしたがって直進すると国道21号線に突き当たる。

案内によるとこの辺りに「一類孤魂等衆」の碑があるはずで、
文字の意味がわからなくて記憶に残っている碑があるはずと、
廻りを見渡すと道路の向こうに大きな木があり、
その下に供養碑はあった。
交通量が多く、渡るのにも注意をして行く。


(「一類孤魂等衆」の碑)

(江戸時代後期のある日、東の見附の石垣にもたれて、
一人の旅の老人が「母親の乳が飲みたい・・・」と
つぶやいていた。人々は相手にしなかったが、
乳飲み子を抱いた一人の母親が気の毒に思い、
「私の乳でよかったら」と自分の乳房をふくませてやりました。
老人は、二口三口美味しそうに飲むと、
目に涙を浮べ、
「有難うございました。懐に七十両の金があるので貴女に差し上げます」
といい終わると、母親に抱かれて眠る子のように、
安らかに往生を遂げました。
この母親は、お金を戴くことは出来ないと、
老人が埋葬された墓地の傍らに、
「一類孤魂等衆」の碑を建て供養したと伝えられています。)
旧中山道はこの碑の先しばらく国道21号線に合流するのですが、
すぐ先に丹生川(にゅうがわ)があります。
その川の橋を渡ることになるのですが、
生憎、橋は交通量が多いため自動車道と歩道に区切られていて、
しかもその歩道は今ある供養碑の反対側にある。
すばやく道路を渡り、歩道橋を渡る。
次に中山道は21号線から分かれて右へ行かなければならず、
交通量の多い21号線を再び横断する。


(丹生川の歩道用の橋)


(橋を渡り終えたら右側へ渡る)

横断した所から21号線は右側に歩道があり、すぐ先に右折する道が見える。
右折すると、大きな看板で「中山道」とある。
中山道はここから車も人通りもなく田舎道でホッとする。


(右折した道路にある「中山道」の看板)


(街道らしい佇まい)

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(お休みどころ「いっぷく場」)


(中山道 樋口の手書き案内)


印象に残る「いっぷく場」の古い家、中山道樋口の案内、
そして出たところが(樋口)の信号、左手に畳屋を見て、
ここで21号線を横断し直進する。
中山道番場宿まであと1kmの手書き案内も役にたつ。
回りの風景が山に囲まれた田園風景の中を進む。
左手の案内杭では、番場宿まであと1.5kmとある。
やがて右手に、真宗大谷派「敬永寺」があり、
その脇に米原市米原地域福祉センター
「ゆめホール」の立派な建物があり、
お年寄りを送り迎えする大きなバスが数台駐車している。


(樋口の信号と畳屋の看板)


(番場宿まであと1kmとある。)


(田園風景の中)


(番場宿まであと1.5kmの案内)


(敬永寺)


(ゆめホールと駐車場)

その先右手にある、大きな案内地図によると、
この先道路は北陸自動車道にぶつかり左折する。
次いでこの高速道路のガードをくぐると、
右手に小公園があり、公園の中ほどに大きな
「中山道 一里塚の跡」の石碑がある。。
久礼の一里塚で、江戸から数えて117番目の一里塚、
京三条へ約19里(75km)である。

ここから番場宿に入っていく。

(地図)


(自動車道に突き当たりを左折)


(高速道路のガードをくぐる)


(右手の小公園)


(久禮の一里塚跡の碑)







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